慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第18話 イスラム [その2]
契約
 イスラムも含め一神教は神との契約である。

 約束という言葉があったが、契約という言葉は、愛とか恋のように昔は一般的ではなかった。慕うとか惚れるが変わったように新しい概念であるが、まあいい。契約には実行が付きまとう。

 アルラーを絶対唯一の神と認めるところから始まる。外は無い。
 神のしもべでも迷える羊でも、愛でもない絶対無二、アルラーは見えず匂わず触れられず、親も子もなく、遠く近く、あまねく天地をしろしめす、何物にも例えられない全知全能の存在である。
 この契約に基づく実行は、勧行(祈り)断食、喜捨、巡礼を定められた規則で実行されねばならず、改竄は一切認められない。
 それらのすべてがクルアンに明記されている。その外は無い。
 豚を喰うなとか四人妻などは枝葉末節の方法論に過ぎない。

 では契約に基づく目的は何か。家族安全商売繁盛、ふたりの幸せの為、やや理知的に愛をあまねく捧げる為か、世界の平和か、エデンの園かというとやや違う。
 アルラーの意志のもとに生きる事だけで、それが結果的に安静を得られ、審判の日に平穏に対処する事が出来る。<1>
 天の恵み地の糧、人の生業はアルラー(敢えて神と書かない。日本人の画く神とは違い誤解を招こう)の御意志のままで、常時それが介在している。山にも海にも雲にも風にも、親子兄弟の間にも存在している。自分を取り巻く一切のものにアルラーの意志が感じられる。そうゆう事だ。拝めばご利益があるなどとんでもない。
 守ってくれる、救けてくれるなどそんな甘いものではない。

 私はたとえそれがアルラーの命令に忠実に働いたムハンマドの事業だとしても、六世紀<2>のアラビアの多神教と偶像崇拝、部族抗争が渦巻く不毛の地で、直接利益の薄い教えを説き、戦いも知らない文盲の中年男が迫害に抗して立ち勝利し、僅かの時間で教化したのは、何らかの力があったとしか思えないとの認識がある。喧嘩に明け暮れていたイエルサレムで「右の頬を打たば吾左もださん」と愛を説いたイエス。
 名が残るナビ(予言者)は凡人とはやはり違う。
 イスラムが最も忌諱するものは偶像崇拝であり、その愚挙は神への冒涜の何ものでもない。神と見紛うもの、連想させる一切を排除して神に対処する。
 これは昔から今まで、中々言える事でもないし実行も難しい。
 だが実に合理的でその存在を信じるなら、それしか無いと思う。
 厳しい契約だが、人間の持つ強欲や捏造を排除出来るものだ。
 世の宗教家が如何に多くの虚偽の行為で大衆を迷わしたかは、この偶像崇拝に自分の欲望を置き換えた事は歴史が証明している。画に描いたぼた餅を食えると言うのと同じだ。
 考古学的遺物、芸術作品の首を破壊すると誹謗される以前の問題だ。

 対象物の何も無い空洞の部屋で、アルラーに対せよと説く度量の大きさに驚愕する。<3>
 それだけではない。イスラムには原則として僧職がいない。イスラムで食を購うのは禁畏のひとつである。より法典に精通した人が教育するのは許されるが、それを職業としてはならない。
 キリスト教や仏教の腐敗はその教義ではなく、その宗門に携わる専門家(牧師、僧侶)の悪徳による。それは今でも続く。僧職がある限り。  
 専門家が理論を玩んで、宗派は無数に散らばる。仏教とて同じだが、イスラムはその歴史に比べれば宗派が少ないのも、この効果が大きい。 
 シーア派はクルアンが総て、スンニ派はハデイース(言行録) が含まれるペルシャ文化<4>が入り、原理派はどこにでもある純粋派だ。

 人間不信と云っては何だが、人は安易に妥協し易い。嘘もつく。
 イスラムはそれを知っている。それを容認して方策を教える。勧行を日に五回、何処にいようが実行せねばならないのは、倦怠を戒める為だ。何も要らない。心身を清潔にキブラット(メッカの方向 )<5>に対面して所定の祈りを捧げればよろしい。毎日。
 人間は平等である。人は貧富の差、地位の高下に関わらず直接神に対面出来る。仲介者はいない。坊主に布施をやったり、お供え物を供えたりの間接礼拝を排除する。
 メッカ巡礼でも貧富、人種に関係なくすべてが同じ質素な衣服で参列する。千五百年も前のことだ。想像すら出来ない叡智ではないか。

 アッサラム アライコム アルラーに平穏あれ!

 喜捨: 富者の富は一時の預かり物との考えがあり、それは全て神の所有に帰すとする。貧者への喜捨は所得の一割<6> と明記されている。
 イスラムはアルラーとの一対一の契約である。中間も上下もない。礼拝でも王様と平民でも横一列に並ぶ。個の平等と社会の核である家族がコミュニテイの一体感を形造ってゆく。喜捨も礼拝の次に位置する契約で、共同体の相互扶助なのだ。
 断食: 陰暦の一ヵ月、日中食を断つ契約がある。貧者を想い過食贅沢を反省し、心身を清潔に保つ期間が必要であり、これはイスラムのみでなく多くの宗教に見られる行為であるが、人の身勝手でイスラム以外は廃れてしまった。いい考えは空腹の時にしか生まれない。
 禁畏も同様で、日本人程自由放逸な人種も珍しい。無節操と云っていい。
 豚はそういう定めだから従うまで。理由は問わない。

 これは重要な考え方で、頭が良いと錯覚している現代人は「何故、どうして?」とすぐ聞く。豚が不潔だからとか、高価だったからとか、醜くキャラバンに並走出来ないからだとか。すくなくても貴方よりムハンマドの方が聡明だ。教えに従うまでだ。<7>

四人妻の事も興味本位で話題になる。
 最初の妻が病弱、子供に恵まれない場合、彼女の許可を条件に三人まではいいかもしれないとクルアンの章にある。加えて寡婦を選べともある。
 財産管理は第一夫人で、彼女はそれを平等に私心なく分配しなければならない。男女の問題は私流にあとから論述する積もりだが、先ず先婦の承諾、財産分配、夫の扶養義務と平等を考えると現実性は薄い。戦乱の時代に子孫を残す急務からそういう問題が提起されたとする現代知識人がいるが、私は敢えて多妻には賛成しない。女性の管理はそれでなくても難しい。空気のようでなくてはならず、存在を感じさせないのがいい。
 そんな女性はいるわけがない。実はムハンマドの第四夫人がなかなかで、一度すべての妻と離縁した苦い経験がある。ムハンマドさえも。
 四人妻のイスラム教徒と意味深な微笑をする異教徒だが、イスラムは男女関係に就いては非常に厳格だ。これも人間の煩悩を先刻承知しているからだし、男女の生理も熟知している。
 「六歳にして男女席を同じゅうせず」は日本の伝統だが、イスラムはもっと強力にそれを推進する。男女混合の会などありえない。子孫を残す婚姻以外、男女の交際を最小限に規定しているのは、現代の有様より進んでいるのではないかとすら思う。
 フリーセックスを厳しく禁止する方法としての多妻の説もある。妾とか愛人とか不倫とか名前は色々だが、彼女達の身分はいつでも不安定だ。不安定が判っていて女性も拒否しないのも、いわゆる男女の仲となるのだが、どうせならちゃんとした決めを作ったほうが女権が定まるとも考える時もある。
 女性は特定の男(父、夫)以外と会ってはいけない。会話も謹む。挑発的態度はもちろん、服装も肢体を隠すものが望まれる。ビキニやハイレグなど狂気の沙汰だ。男が表を女が裏を統率する。それぞれ持ち場と得意があるのだ。太古の昔から男は野外で狩りをして、女は子供(子孫)と洞穴でそれを待ったのだ。男は戦えるが子供は生めない。それは人類がある限り未来に変わらない真実である。

 男は一人で一回でいいが、女はどうしても一年弱かかって子孫を得る大仕事が課せられている。男は消耗品で結構だし、大型哺乳類人科で考えると、睾丸の大きさからもチンパンジイの乱婚とゴリラの中間に位置して1:4人が生物学的には妥当だとも言われる。

 巡礼はそれが可能な予算がある場合に限られる。借金で出発するのは大きな罪になる。巡礼地で多くの他郷の信者と交流する事で信を高揚させ、知識を獲得する。原点に還り法悦も得られる事は申すまでもない。その為イスラムは聖典の訳出を禁止する。
 アルラーの声(正確には天使ジブリル=ガブリエル−が介在して伝えた)はアラビア語しかないし<8>、それを学習する事で、教養以外に世界の友と心を交わす事が出来る(現実的にはクルアンのアラビア語で日常会話は出来ない)。
 移動により経済は活性化される。大名の参勤交代のようだ。
 布教の最初の時点で既に世界的視野に立っていたとしか思えない叡知が随所にあるのは事実だ。
 現代知識人の私はこれが驚異に値する行為だと考えるが、その反面いつか、人類滅亡のきっかけが不特定多数の信者の集合によってのウイルス拡播となるのではないかと危惧する。だからこの世の破滅、終末思想の上にたつこれら一神教に畏怖を感じる。

インドネシアイスラム
 イスラムがインド洋を越えてインドネシアに受け入れられ<9>、面で拡汎したのは、ざっと前章で書いた。
 長い旅路の末に、既に文化の爛熟したこの地に達してイスラムといえども多少の変化を見せたのは否めない。
 インドネシア人は「ヒンドウの体にイスラムの頭、両手でアメリカとジャパンを握って何処に行くの」とは此処の皮肉屋の言葉だ。
 インドネシアは広い。広すぎるからイスラムへの受け入れも一言では説明はつかないが、この言葉のようにインドネシアイスラムの両極相容れない思想を巧みに消化しているのは私にとっては奇異だがそれで問題が起こらないから門外漢にはそれでいい。
 イスラムと称する男<9>が、基本的契約の偶像崇拝を容認(町には数多くの偶像モニュメントが林立する)<10> し、個人崇拝、墓石建立(地上より高い墓は禁畏。歴代サウジ王家の墓はない)、迷信是認(占い妖術は此処の専売)も、人間の人間らしいところと微笑んで眺めることにするが、根本的誤謬をどのように解釈しているのだろうか。
 インドネシアは日本の御都合主義宗教とは大きく異なり<11>、神への帰依で国が成り立っているのだから。

 イスラムは砂漠で興ったのでも、羊飼いの宗教でもなく、都市商業の中で興ったのは後で知ったのだが、だから合理的で曖昧さがない。教理は日々の生活に密着した教えで明瞭である。しかも教理を統括する宗教本部もその指令もない。大司教が統一見解を発表するようなことはない。異教は教理に基づいて決着をつけるのを必要とし、その場で白黒をつけるのを好むが、イスラムの宗教コンセンサスは極めて徐々に形成されてゆくようだ。中には何百年もかけて。今決めないようだ。これは至近なキリスト教と大きく異なる世界だ。肉体もアルラーからの預かりもので、決めるのはアルラーの意志、決まらなくても、いずれ最後の審判で決着するのだからといった考え。
 神の前での個の独立とイスラム共同体での一体感、国法をも凌ぐイスラム法の規範とゆるやかなコンセンサス、この相反するかのようなイスラムの心が人心を捉えて拡大している謂れなのかもしれない。

【Up主の註】
<1> 一神教では「終末の日」の裁判でその後の行き先が地獄か天国に決まるということが前提になっている。果たしてこの考え方が論理的に正しいのだろうかと疑問を抱いたアメリカ人がいた。これは彼の著書である。
<2> イスラムが確立されたのはヒジュラ歴元年、西暦622年であるから、七世紀である。大化の改新とほぼ同時期だ。
<3> 浄土真宗のお寺には仏像を安置しておらず、南無阿弥陀仏という掛け軸のみでモスクのようです。
(4> ペルシャ文化が入っているのはシーア派である。
<5> 正確に言うと、その人がいる地点と地球の中心点、カーバ神殿を含む平面が地球表面と交差する曲線の傾きを言う。インドネシアから見るとカーバ神殿は水平から下向きに約30度の方向にある。
<6> 「所得」とは売上高ではなく、純所得から投資額を減じた額の一割である。
<7> クルアンに食物禁忌の理由は書かれていないから、頭の悪いUp主はその理由を色々と考えてみた
<8> ムハンマドはアラビア語しか理解できなかったからアラビア語で教えを下したのである。
<9> インドネシア初代大統領スカルノのこと。スカルノの母はバリ人。
<10> イランの首都テヘランにはたくさんの素晴らしい銅像があるが崇拝の対象にはなっていない。
<11> イスラムがスマトラに入ってきたのは12世紀ごろで、最初はインド西部の出身者が持ち込んだシーア派であった。その後、エジプトではシーア派のファティマ王朝からスンニ派のマムルーク朝に代わり、スンニ派が多数となりその中でもシャフィー派イスラムを東南アジア諸国に広めたのがアチェにあったサムドゥラパサイ王国のマリクス・サレー王であった。
一方、最初にジャワに伝播されたイスラムはこれは中国の雲南省とベトナムにあったチャンパ王国経由であった。したがってジャワのワリソゴのほとんどすべては雲南系の人達である。ちなみに世界一周した鄭和提督も雲南人である。詳しくはこちらを。
<10> 哲学者内田樹は著書「辺境論」の中でこう書いている。
第III章「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智
158
「外部に上位文化がある」という信憑は私たちの「学び」を動機づけできています。それはまた私たちの宗教性をかたちづくってもいます。
158-159 辺境人の宗教性は独特のしかたで構造化されています。(中略)私たちの外部、遠方のどこかに卓越した霊的センターがある。そこから「光」が同心円的に広がり、この夷蛮の地にまで波及してきている。けれども、その光はまだ十分に私たちを照らしてくれてはいない。
この霊的コスモロジーは華夷秩序の地政学をそのまま宗教的に書き換えたものです。
159 自らを霊的辺境であるとする態度から導かれる最良の美質は宗教的寛容です。異教徒を許容するという宗教的寛容をヨーロッパ世界は無数の屍骸を積み上げた後にしか達成できませんでしたが、日本では宗派間の対立で殺し合いを演じたという事例はほとんど存在しません。
159 その反面、辺境的宗教性には固有の難点もあります。それは辺境人がおのれの霊的な未成熟を中心からの空間的隔絶として説明できてしまうせいで、未熟さのうちに安住してしまう傾向です。
160 この辺境の距離感は私たちに余り深く血肉化しているせいで、それが今まさにこの場において霊的成熟が果たされねばならないという緊張感を私たちが持つことを妨げている。
161 私たちはパフォーマンスを上げようとするとき、遠い彼方に我々の度量衡では推し量ることのできない卓絶した境位がある。それをめざすという構えを取ります。自分の「遅れ」を痛感するときに、私たちはすぐれた仕事をなし、自分が何かを達成したと思いあがるとたちまち不調になる。この特性を勘定に入れて、さまざまな人間的資質の開発プログラムを本邦では「道」として体系化している。
「道」はまことにすぐれたプログラミングではあるのです。けれども、それは(誰も見たことのない)「目的地」を絶対化するあまり、「日暮れて道遠し」という述懐に託されるようなおのれの未熟、未完成を正当化してもいる。
極楽でも地獄でもよい
163 私の実現できる技芸や私が知っている知識は師に比べればはるかにわずかなものにすぎないという謙抑的な名乗りをしている限り、私たちは自分にできないこと、自分が知らないことでさえ次代に伝えることができる。これが「道」という教育プログラムの際だって優れた点です。
163 けれども同時に、その利点はそのまま修行の妨げともなります。私が現に学んでいること、私が現に信じていることの真正性を、私自身は、今この場で挙証する責任を免ぜられているからです。
165 辺境人固有の宗教問題、それは先ほど定式化した通り、霊的センターから隔絶しているせいで霊的に未完成であり未成熟であることが説明され、一気に大悟解脱しようと願うことよりも緩やかに成熟の階梯をあがることの方が勧奨されるような土地柄で、今こここで一気に普遍的な宗教的深度に至ることは可能か、という問いです。
166 親鸞はこの問いを最初に強く意識した宗教家の一人ではないかと思います。(中略) 親鸞が日本宗教史上にもたらしたものは、この「転換」ではないかという気がします(何となくですけど)。つまり、「霊的に劣位にあり、霊的に遅れているものには、信の主体性を打ち立てるための特権的な回路が開かれている」という辺境固有の仮説を検証しようとしたのではないかと思うのです。

第18話 終
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作成 2018/09/01

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