慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第7話 距離と方向
 モームの小説に、道を尋ねたら「雨のあいだ真っすぐ歩き、雨が止んだら左に曲がれば右の家だ」と云うのがあったが、それと似ている。
 結論から先に言う。道を尋ねても何の意味もない事を知るべし。
 気休めでしかない。どうしても聞かねばならない場合、複数の老若男女に聞いて最大公約数から自分で決める事。間違っても諦められる。これは絶対の法則で例外はない。

 これにも文化がある。
 此処の人は、ものを聞かれて知らないと答えるのは恥ずかしい、不親切と思うらしい。余程の事でもない限り、知らないとは決して言わない。
 遠い近いの感覚がメジャーメントを基礎にしたものではなく、体感的な距離だという事。地図が頭に入っておらず、また地図を描けない頭脳構造なのだ。
 教育程度に関係なく、年令にも関係ない。

 私の家の下男は郷里がマカッサルで、ここに来てから一度も里帰りしていないのに、トアン(旦那)は時々日本に帰るから、日本はスラウエシより近いと信じているし、U.I(インドネシア大学)出のエリートに地図を描かせると、日本をイリアンよりでかく書く。経済大国の比率が頭にあるのだろう。
 セムパテイエアサービスという国内線が国際線を飛ばす事になったらしく、機内に世界に羽ばたくセムパテイと、詳しい地図入りのインフォーメーションブリーフがあった。
 開くと何と日本列島がぽっかり抜けている。台湾、朝鮮半島、もちろんフィリピン、シンガポールがあって。私は親切だから、この会社にそれを同封して、俺はいったい何処から来たのかしら? と投書してやった。

 目標設定が下手で、へたをすればモームの小説を地で行く事になり兼ねない。

 この三つが原因で、教わった通りに辿って着いたためしはない。わるいことは言わない、初めての訪問では事前に場所の調査をするか、正確な地図(これがまたない)を購入するか<1>、とにかく自分で場所を特定してから出発する事。それでなければいらいら腹が立ったり、決して目的地には辿り着けない。殊に日没後は。

 自動車時代が到来してからまだ日が浅いし、利用できる人は限られているせいか、庶民の行動半径が狭い範囲に限られている事もその原因かもしれない。
 距離の遠近もガソリンエンジンではなく二本の足だから、感覚的に大きな誤差がでるのではないか。
 私が親身になって原因を考える程に彼らの教え方はいい加減なのだ。
 数人の男達に道を聞けば、彼ら同士で意見が分かれ延々と討論されて肝心の俺は蚊帳の外というケースはしょっちゅうだ。 親切心旺盛としておこう。暇を持て余しているようにも見えるが。

 まだずっと先だというからタクシーに乗れば、三分もしないで通過してしまったり、すぐそこと云われ汗を垂らして捜しても、目標は遥か彼方だったりするのは諦められても、信号三つ目を左折と言われても信じてはいけない。自分達の後ろにあるランプも入っての三つの意味もあるから。
 三つ目の信号が野を越え山を辿った隣町まで無いのは彼らのせいではないが。
 あと何キロくらい? の質問でも粁数での答えはなく、遠いとかまだ先とか抽象的だ。
 4キロが3.5キロでは正確な回答でないと思っているのか。
 それと、彼らの生活の場と、我々のそれとが月と地球程にかけ離れている事もあるだろう。

 ホテルなど彼らには一生縁のない楼閣だ。だから興味も存在も意識にない。目標を有名ホテルに設定しても、彼らにしてみればホテルならサボイもプラザも同じだから、サボイホテルを右に見てなどと確認しても、それがプラザだったりする。逆に大きい店と彼らが指摘した目標も、我々が見過ごすようなワルン(屋台)だったりする。

 バンドゥン(ジャカルタから200粁の高原都市)に旅した時、何回も裏切られて(彼らにしては親切で)、聞く人を選ばねばと反省してサファリスーツ、サングラスの紳士に、「少々道をお尋ねしますが」と呼び止めると、何処から来たと聞くのでジャカルタからです。日本人かと何の関係もない話題を提供させられる。どの位住んでるのかとか、会話が巧いなとか。 
 「紙と鉛筆あるか?」
 流石インテリは違う。
 「君は高速道路を、こうチアウイからチャンジュール、此処がチマヒでと、、、」
 俺はもうバンドゥンの街角に立っているのに、彼はジャカルタから延々と書きはじめた。
 「紙が足りないナ」
 俺がお邪魔したくせに、うんざりした。
 彼は眼が不自由な人だったのではないか。濃いサングラス。

 全体的把握が苦手のようで、知っている地点は非常に細かく、知らない地点ははしょるから地図にならない。
 もう誰も当てには出来ないので、本屋(これがまた少ない)を捜して飛込み、
 「バンドゥンの地図を下さい」
 可愛子ちゃんが差し出す。
 「あのう、これはインドネシア総図で、バンドゥン市の地図が欲しいのだが」
 彼女はおもむろに大きい地図を広げて
 「ここにバンドゥンとあるでしょ」
 と丸に点のある地点を指した。確かにバンドゥンなのは間違いない。
 南北の方位に至っては太陽が西から出てもおかしくない。

 運転手とは客を安全に速く目的地に運ぶのが課せられた任務だと思う。
 タクシーがメーター稼ぎの為に、外人と甘くみて遠回りするのは、また別の意味があるが、少なくても自家用運転手は任務遂行に万全を期さなければならない。
 私は今まで12人のドライバーを雇用したが、皆な同じだから報告しておく。
 「カリアンカ通りを知ってるか」
 「知っている」
 「そこへ行く」
 (大ジャカルタ市の何千という通り名に同じ名前は数箇所しかない)。
 付近に近ずく頃から車はもたもたし始める。実は知らないのだ。
 同じ方角ならまだいいが、まったく違う方へ走りだす男もいるから、知っていますとは、よくは知りませんという意味を、失礼のない言い方に直せばそうなると会話集に追加したほうが良い。

 目的地は必ずふたつの地名で伝達する事。クマヨランのカリアンカ通りとか。
 地図に書かれた行政区分は日常使われないから彼らは知らない。
 正確を期するなら、彼が以前行った場所を指令の中に挿入する。
 「前に行ったバンクドウタの傍だ」とか、お巡りに捕まった四つ角を越えた辺りだとか。過去の記憶はいい。シェパード犬に劣らない。
 同様に地図を買い与えても見方を知らないし興味も湧かないらしい。<2>
 一生懸命やるのだが、その割りには結果に反映しないようだ。

 ガイジンの発音にも問題がありそうだ。解っているのは自分だけという悲しい現実がある。そして解らないとは彼等は言わない。
 紙に書いて見せても、人によっては字が読めないお方も結構いる。私は文盲ですとは告白しないから、それは全く意味を為さない事になる。もし俺がそうでも改めて人には言わないだろう。
 ドンピシャリで目的地に連れていってくれる運ちゃんは給料も高いのだろうなあと思いながら、恨みっこなし、私は自分でハンドルをとるようになった。

【Up主註】
<1> 1990年代からJakarta Atlasなる詳細地図が売り出されたが、日本円で3000円もしたので庶民には手が届かなかった。 今ではスマホでUberを呼んでどこでもすいすいだ。
<2> 「地図を読めない女」とはよく言ったものだ。インドネシア人は女性的な脳の持ち主だ。調査結果はこちらに。
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作成 2018/08/31

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