慢学インドネシア 庵 浪人著
歌のふるさと
第12話 神々の島 バリ
ああ、バリダンス
 「バリへ、バリへと草木もなびく。バリはいよいか、住みよいか」
 猫も杓子もバリ詣で、「バリに行ったけど、あそこもインドの一部?」
 そうなると天の邪鬼な筆者は「バリだけではないインドネシア」を声高く標榜したくなる。バリ芸能はそれなりに良い雰囲気だが、神髄に迫るにはたゆみない接触と学習が必要で、二泊三日のバリ観光ではどうにもならない。
 バリガムランを語れなければ日本でインドネシア通を自称することは出来ないところまできたようだが、広い列島ではバリもその他大勢のひとつの小島に過ぎないのだが、異論もあろうから、近頃ぞろぞろ出てきたバリ専門家の登場を願いたい。
 きっとインドネシア歌謡はガムランで代表されるとおっしゃるに違いない。
 バリはチャンチンチンガムランにどっぷりで、それがラグダエラでは入り込む余地はない。ご当地ソングPulau Baliもバリを表しているとは申せない。 バリの真髄がガムランなら素人には歌えない。 素人に入り込めない敷居が高いほど芸術性も高いらしいが。

 最後の楽園、神神の島ともてはやされるから外国人には神秘的な観光地として脚光を浴びるが、神秘は貨幣では計れないから、金銭は神々をブサキ寺の彼方に追いやってしまったらしい。
 バリが殊に日本女性に人気があるのはきっと「インドネシアらしくない」からだろう。列島を支配する一神教イスラムは硬質、バリヒンドウは軟質、お地蔵さん文化を共有するような親近感を得られるからかもしれない。
 日本女性がバリにはまるのも、バリダンスの魅力もさりながら、無意識のうちに、見られなかった故国の古い村社会の家族単位生活と、母性本能をくすぐるある種の閉塞感が、怒涛に呑み込まれるように押し寄せた近代の変転に、格好はいいが重圧のある自己決断に疲れ、戸惑った挙げ句の拠り所なのかもしれない。

 バリが有名になるのに比例して、固有芸能は迎合し堕落してゆくのも世の常のこと。
 八つの王国が争うように、領民にその搾取に見合うお恵みを下されてバリ芸能を保持してきたのが、今やスポンサーがよそ者観光客に変わって、文化の違う伝統も知識もない観客相手だから芸は低俗、あのバロンはひどい。何とかならないものか。
 感動させられるケチャックのパフォーマンスも1941年ドイツ人WalterSpicesがIseh村の芸能をアレンジしたもの(42年抑留船が日本海軍にパダン沖で撃沈され死亡47歳)で、そのように変わってゆくうちに新しい魅力が生み出されるだろう。芸能とはそうゆうものだ。バリ芸能も実力があるのだからどんどん進化していって貰いたい。
 ただ今までは、王家もふくむ同じ文化を共有している仲間が観客だったが、今バリ芸能を維持している観客は外国人旅行者なのが大きく異なるのだが。

バリ ヒンドウの国
 ジャワ否アジアで最大な権勢を誇ったマジョパヒト王国も、権力闘争や王家紛争<1>で衰微して、イスラムに追われるようにバリに遷都してヒンドウを温存したとされるが、最大の要因は異常気象による飢饉や火山噴火と疫病の大流行だったと思う。いずれにしても海峡とはいいもので、適度な移動困難がフイルターの役割を務めたようだ。

 地図を眺めるとインドネシア列島の島々の中で、このバリ島だけが表通りのジャワ海に面する北側に山が迫って人を拒んでいるのも固有の文化を温存するのに役立った。
 バリは広大な大列島のなかでは芥子粒の大きさでしかないが、3142bの活火山アグン(偉大山)の恩恵で多雨<2>で地味肥え、ジャワに次ぐ密度500人の稠密な大人口を養えた。
 バリの暮らしはすべてがこのグヌンアグンが原点になって展開しているから、歴代王朝(現在の県境)は、頂上から麓までの縦割り境界線で、島を横に移動する道が極端に少なく上下にジグザグにしか動けない。南北の観念も山側海側で意識し、島民なのに海は魔界不浄な場所だ。
魔界がホワイトサンドビーチ、地上の楽園でツーリストを呼ぶ。

 祭りと芸能の島、天にもっとも近い島と申しても、踊っていては食えない。
 暮らしを支えるのは強固に封建化した稲作農業と、それを支える女性の労働で、男性は闘鶏博打と葬式準備祖先供養、芸能稽古、雑談に明け暮れる。<3>
 バリの女性が目に眩しいのは、ついこの間(1954年)政令でそうなるまでトップレスだったからで、よく観察すると肉ずきのいい肩から腰は、重労働に耐えうるがっしりした硬い筋肉を持っている。耕して天に至る耕作と、あの尻を突き出し、意味ありげに瞳を見開き、繊細微妙に指を動かす扇情的な踊りも、遠来の客をもてなす為で、バリの語源ワリ(受け入れる、捧げる)もさもありなんと思う。
 コンテンポラリイなレデイとして、自由にこんな遠方の小島にまで遊べる彼女たちだが、その踊りは、北方モンゴロイドの持つ細い目、平たい尻、貧弱な胸では人種的物理的に無理で、踊り学習よりまず過酷な農作業で身体を改良したほうがいい。
 同様に大部薄れたとはいえバリのカーストは重く社会を規制しているから、彼女がバリに凝って土地の若者と結婚するのも、こんなバリの内情を知らないと穏やかにはゆくまい。カーストは本人が決めるものではなく社会集団が決めるものだから、亭主を選ぶ第一は恋でも容姿でもなく、上位カーストを選ばないと、それこそ一生鍬を持つ暮らしになるだろう。 生まれる子供の名前も順番に、ニョマン、マデ、クトウットとか全部決められているから勝手につけられない。 さんざめくクタは20年前は馬車もやっとのど田舎だったし、ヌサドウアはついこの間は海の中、完全な人工の来客用で、バリの内面に侵入するには初老を迎えてしまうだろう。
 バリはワリで生きているが、因習は想像以上に堅固だ。宗教にまったく疎い日本人は、知的に「なんで?どうして?」を追求するが、それが最も暴力的な言動なのを知らない。
 知的に振る舞って、路傍に供えたコペル(供物)を足蹴にして通り過ぎる。
 芸能に感激する前によそ者と自覚する細心の行動こそ知的だ。それがワリだ。

ププタン広場の惨劇
 1478年モジョパヒト王国はそれまで属国だったバリに逃げて亡命政権を造り支配した。独立してもインドネシアの栄光はモジョパヒトだから、バリ自身の歴史よりモジョパヒト=ジャワ=バリ=インドネシアが誇りになっている。ブンカルノ(スカルノ大統領)の母はバリ人だし。

 バリは人が多いだけで踊り唄ってばかりで経済効果がないから、オランダもさして魅力を感じていなかったが、イギリスがオーストラリア経営でロンボック海峡に関心を持つに及び、オランダもバリ支配に乗り出したのは20世紀になってからである。
 バリ王朝は長く隣島ロンボック・ササック族を奴隷にして迫害していたのに目を付け、ササックを加えて王朝潰しにかかった。内紛、姦計、脅迫、懐柔。
 1906年9月20日バドウン王朝の最後は壮絶なププタンによって終焉した。玉砕、集団自殺である。着飾った王家一族貴族僧侶女子供は門を開き、オランダ軍の制止を無視して粛々と行進を開始した。倒しても殺しても屍を乗り越えて遂に全滅する。
 華麗な衣装を纏った屍は累々四千人といわれる。滅びの美学、バリ美意識の最たるものである。
 植民行政がジャワと比べて柔軟で、腫れ物に触るようにバリ文化を尊重したのはププタンの後遺症で、せめてもの功徳といえるだろう。

バリ・ガムラン
 管 弦 打楽器アンサンブルだが打楽器ゴンがガムランを象徴する。
 楽器は二対から成っており、二つの楽器にはわざと調律をずらせてある不協和音で西洋音楽にはないからそれが魅力になるとゆう。
クンダン(小太鼓)がリードするがすべて暗譜で、神様が勝手に演奏する(トランス状態)から暗譜の意識はないとゆう。
 重厚なジャワよりバリの音色は軽いといった批判もある。

レゴン
 女性達が日常村人の数より多い神神や悪霊、祖先に供え物を運ぶ行列がもはや舞踏であろう。
 繊細な女性踊りは徹底的な修行を経た専門職で、舞の動きより静止の優雅さが求められる。サンヒャン・ドウタリは観光客には見せない。男に肩車された激しい踊りの二人の少女は、鏡で写したように同体で寸部の狂いがないのは神の化身だからだとゆう。
 聖水をかけられトランスから覚めれば少女は踊りを覚えてはいない。

ジェゴグ
 バリでは西の辺境ヌガラのジュンプラナにある竹楽器オーケストラが、ガムランのフォーマルに対して最近持て囃され始めている。竹筒は直径30a長さ幅数メートルを駆けるようにして演奏する。村対抗の演奏会があるが優劣は夕方から朝までの熱演で、音が小さくなったチームが負けである。
 そんな芸能国家バリの環境だから、ラグダエラはガムランやジェゴクになり西洋調の入り込む隙間がないのか、なじみ易い曲は殆どがスラバヤやジャカルタの移入曲だ。
 バリ音曲の選別は長唄とか清元のように或る学習が必要で、バリブームに乗って飛びつけるような代物ではない。

日本女性
 バリには自分の意志で来た日本女性が殊のほか多い。多分外国では一、二ではあるまいか。それも仕事や勉学ではなく、芸能と雰囲気に取り込まれた生産性の薄い理由の女性が多いのが特徴だ。首都の女性の大半は夫の赴任に随行した夫人で、いわゆるキャリアウーマンはまだ少ない。夫の転勤で滞在地が決まるから本人の意思でないだけでなく、何処でも選択の余地はない義務的なものだ。だから同じ日本女性でも全く異なる目的になろう。
 バリの日本女性がジャカルタジャパンクラブ(邦人親善団体)にバリ支部を創る申請をしたが受理されなかった出来事があった。人種が違うと思ったのかどうかは知らない。
 しかし考えてみれば、一個人の選択としては、動機と結果はどうあれバリの女性の方が純で人間的だと思う。
 海外滞在日本人は遂に女性が402,575人と男性393,277人を抜いた(1999)。永住者は88年に13万人、11万6千人と既に女性優位で、その差は98年には3万7千人に広がった。
 結婚、留学、NGO活動、生きがい探しもあるだろう。首都での国際結婚の殆どは夫が日本人なのに対し、バリでは妻が日本人と正反対で、これが何を意味し、将来どうなってゆくかは安易に予測は出来ないが興味がある現象だ。
 明治維新後日本人の最初の海外渡航も女性が先陣を切った。ピンプ(女娘軍)と呼ぶ職業婦人だったのが悲しいが、男性は彼女達に寄生する着物屋でしかなかった。
 新しい時代、自分の意志で単身渡航し、生き甲斐とゆうものを発見出来れば人生の成功者といえるだろう。他人がそれをどう見ようが本人が満足ならそれでいい。女性は環境に順応して生きる術は勝っている。成功するだろう。決めたのなら成功しなければいけない。

 稿が歌のふるさとではなく社会時評に脱線したのも、気安く唄えるラグを知らないからだ。
 どなたか推薦して頂きたい。唄えるバリソングを。
【Up主の註】
<1> 歴史家の話では跡継ぎの男子が生まれなかったことが紛争の発端になった。詳しくはこちらを。
<2> バリ島以東には高い山がほとんどないため海に囲まれてはいるが乾燥気候である。
<3> 実情は、男たちは出稼ぎに行っているので「三ちゃん農業」とならざるを得ず、出稼ぎもできない怠け者の男だけが村に残っているのでこう見えるのだ、とバリ人の友人が言っていた。バリ人にスマトラなどへの移住者が多いのも貧困のなせる業である。
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作成 2018/08/27
追加 2018/08/30

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