慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第11話 香料諸島 アンボン - Ole Sio -
 歌好きが、インドネシアで最初に耳にする歌ががこのアンボンソング「アヨママ−ねえ母さん」だろう。
 この曲は軽快で洒脱で、リズミックだからすぐ唄えるようになる。同系のNona Manisとともにインドネシアのナショナルソングの双璧で知らない人はいない。日本でも「可愛いあの娘は誰のもの」として流行った歌でもある。
 西欧色の強いこれらの歌の古里は、世界の歴史を変転させた大航海時代、スパイスを求めてさ迷ったイベリア人が、遂に到達したモルッカ諸島(東インドネシア・マルク州)が必然的に生んだメロデイである。即興詩が際限なく続いて終わることがない。これらの詩はパントンと呼ばれる古くからある四行詩で、始めの句と三句、二句と四句の語尾が韻を踏み三、四句に意を込める形式で、かつては相聞歌として恋の橋渡しをする優雅な風習があった。
 テキスト掲載の歌詞の三番からは、広く知られているパントンである。
 アヨママ、ジャワから数千`ものファーイースト(遥かな東)アンボン、収奪の拠点バタヴィアで唄われた歌詞が流用されているのも想像以上に交流が深かったのだろう。

Ayo Mama ねえ 母さん NN
Ayo mama Janganlah marah beta, Dia cuma cuma cuma cium beta アヨ、ママ おこらないでネ 彼はただちょっとキスしただけ、
Ayo mama Janganlah marah beta La orang muda punya biasa アヨ、ママ おこらないでネ 若い頃はみんなそうなのヨ
Laju laju perahu laju Lajulah sampai ke Surabaya 漕げや漕げ 舟を漕げ スラバヤまでも漕いでゆけ
Boleh lupa kain dan baju Janganlah lupa kepada beta 服やみやげは忘れても わたしを忘れちゃいやなのよ、

Nona Manis Siapa Yang Punya 可愛いお嬢さん 誰のもの
Mana dimana jantung hati saya Jantung hati tuan yang pakai baju biru 私のいい人どこにいる あなたのいい人 青い服着てた
Nona manis siapa yang punya Rasa sayang sayang e かわいい娘さん 誰のもの ほんとにほんとに可愛いな
Baju merah Siapa yang punya Rasa Sayang sayang e 赤い着物は誰のもの ほんとにほんとに可愛いね
Inga inga itu Remember Jangan lupa itu Don't forget ジャンガンルパは忘れちゃいやよ
Aku Cinta itu I love you Hanya kaku Only you アイラヴユーはチンタム 君だけオンリーユー

テイムールジャウ 遥かなアンボンよ
 蒼いバンダの海に浮かぶマルク・アンボンはテイムール・ジャウ(遥かな東)と呼ばれる。なんとロマンチックに響くことだろう。
 バンダ海はインドネシア共和国の東方マルク州(モルッカ)に属し、フローレス海とアラフラ海の間に広がっている。 851,000平方`とゆうから日本の二倍以上の面積があるが、陸地はその一割に満たない74,500平方`に人口密度22人程の辺境である。首都ジャカルタから約二千五百`、観光の島バリからでも一千五百`も離れている。
 ある人が「千の宝石のような島々が浮かぶ」と言ったら「999の島と1,029の無人島と言い直してくれ」と答えられたとゆう。
 お隣は地球最後の暗黒パプアイリアン(ニューギニア)、南にはオーストラリア・アーネムランドの乾いた土漠地帯、どこの都市からもこれほど離れた地域は珍しく、街と呼べるのは州都アンボン(35万人)しかない。
 そのアンボンもセラム島に蔽い被さられるように浮く痩せた土地の小島に過ぎず、バンダ海のあるマルク諸島は、すべての意味で文明諸国から忘れられた最果ての地といえ、ある時期スパイスアイランドとして世界の耳目を集め、人類の歴史を変えた張り子の名前でしかなく、広大な海に散らばる島々には因習が渦巻き、隣島でさえ全く習慣も言葉も異なる。
 アンボンの至近の北のセラムでさえ妖術を使うアフルウ族が、ゴロン諸島やタニンバルの西ババール島は首狩り婚だったし、人の口端にものぼらない噺は多い。

 東インドネシアはサグ椰子食圏である。
 この食材は低地で簡単に蛋白質が補給でき、稲作圏のような水利管理からの強権支配を必要としない。マルク人は白人が侵入するまで大海に散在する小島で個々に小集団で暮らしてきたのだろう。文化すら必要としない安穏で怠惰な長い長い年月を暮らしてきたある日突然にキャバレルシップの砲声に眠りを覚まされたと想像する。
 遠い異国の白人達が地元では何の価値もないチェンケの実<1>を争って求めてから、此処の暮しむきは天と地ほども変わっていった。
 侵略者がやってくるまでのこの地域の確とした歴史は朧げで、人口希薄で王国すらなく分散して暮らしていた彼等の前に、銃火とバイブルをかざした異邦人が木の実さえ持ってゆき新しい神に祈れば、見たこともない魅力的な布地や鉄器を呉れたから否応なく彼等の好みに染まっていったのだろう。
 奇妙なことに、土地の歌でもインドネシア語歌詞あるいはその混合が多いのは、コミュニテイ規模が矮小で、がっちりと確立した地方文化が弱かったからか。マレー語の語彙も多いとはいえず稚拙だ。

 ちなみにインドネシア列島は西から東にゆくほど、種族単位は小さくなり、使用言語は反対に多くなってゆく。
 孤立し多様化(言語も含む)し、マルク地方を包含する言語はないから、歌も共通インドネシア語で作られたのかもしれない。
 インドネシアの歌謡界は、奇しくもキリスト教圏のアンボン族とバタック族がリードしているのは、その理由を聖歌隊の影響とかいろいろ言われるが、彼等が元来音曲的素質があったところへ、西洋楽器や和声合唱などのテクニック、周囲がが西欧風音楽を求めた事が相乗効果をあげたのではないか。芸能でしか稼げない貧困すらプラス要素だったといったら言い過ぎだろうが。いずれにしてもアンボイナは今を時めく歌手やライターを輩出し音楽界に占める比重は大きい。舞台に色黒で縮れ毛が登場すれば必ずアンボン人だ。人々も生まれながらの歌上手で、性質も歌のように屈託がなく享楽的で明日のことは考えない。ひとりが声を出せば周りが完璧にハモってくる天性のものだ。
 歌は明らかに西欧的で軽快愉快曲、詩は稚拙で直情的、やや品格がないようだが、明るく唄い易く好感できよう。

 昨今のイスラムとキリスト教徒の抗争(住民比率はほぼ拮抗)が伝えられるが、過去の歴史の無差別な勢力拡大で異教徒が隣り合って不自然な村落が散在するところへ、産業も資源も無い土地に大量の政策移民で外領人が移住した。加えて町にはブギス、ジャワの出稼ぎ人(イスラム)が犇めき、極小パイの奪い合いの超過密が続いた。
 マルク州には因習や迷信、タブーが十重二十重に暮しを規制@しているが余所者が知るはずもない。ひと口にインドネシアと申しても異なる文化圏なのだ。土地の人には大切な謂れの石でも、新参者には只の石ころで蹴飛ばす。これが紛争の原因にもなる。スハルトの強権で表面上は静かだったがお互いに不満は鬱積していたのだろう。
 油に火を付けた組織は確かに存在するが、流言蜚語に惑わされる土地柄なのも問題だ。
 インドネシア独立時代1950年スモキルとマヌサマの指揮で、公然と編入反対東マルク共和国樹立を図った。
 長い植民でアンボン人の中にはオランダに惹かれる人々が多く、宗主側について独立軍と戦ったことにより、抵抗が鎮圧されたあとオランダに亡命した五万人にのぼるアンボン人がその後オランダで領事館占拠やハイジャック事件を起こしている。インドネシアブルサトウ(インドネシアはひとつ)の旗印に忠実であればある程、このアンボン人の独立初期のあいまいな態度を根に持つ愛国者は少なくない。
 ひと目でアンボン人とわかるし、中央からすれば要するに余所者なのだ。宗教抗争か旧主派の扇動か極小パイの奪い合いかは知らず、焼き討ちされ数千人が殺戮されたとゆうが、インドネシアでの動きがいまいち遅く危機感に乏しいのは、そのような長い背景があるのを忘れられない。決して異教徒同士の宗教反目だけではないのだ。
 この間の事情は単一国の日本人には到底理解し得ないだろう。

 ヒタムマニス(色は黒いが南洋じゃ美人)はカウインラリ(駆け落ち)が常道Aの歌のふるさとに殺戮はそぐわない。


@ マルクにはPatalima、Patasiwaと呼ばれる慣習が存在し、自分がどちらの側か知って暮らさねばならない。またアンボンにPela
と呼ぶ慣習法、死亡に関わるMuhabet、Mauwenaと呼ぶ粗霊精霊信仰が根強い。
A Jojaro、Ngongare と歌にも唄われるが、駆け落ち、夜這いは公然と行われる風習でもある。

スパイスアイランド
 ロマンを感じ、スパイストレードはその時代、月面到達に優るとも劣らないエポックだから書いておこう。
 スパイス(香料)とは芳香をもつ木の実、葉の総称で、東洋(支那)では料物と称し、南海産のシナモン肉桂、クロ−ブ丁字、ナツメグ肉蒄、メイズ豆蒄花、カルダモン小豆蒄、ジンジャ生姜、ペッパ−胡椒が加わる。
 南支那海を横切りボルネオ北部サバサラワクより南下して、セレベス東岸からスパイスアイランドのバンダ海に至る沿岸各地から発掘される夥しい陶磁器、銅鐸、鉄器類は、数世紀に亘った南海貿易の証しである。当時南方産香料は香瓜 Tkeng-hisとよばれ、この語が現在インドネシア語のCengkehの語源だとも、漢朝(AD618-906)には、現在のマルク諸島を指してMILIKU(幸運、財産)と呼んでいたのがそのまま地名になった説もある程関係が深かった。
 スパイスに全く興味を示さなかったのは食生活が違う日本だけだったのも面白い。

 13世紀になって、スパイスは希少価値と絶対需要に支えられ、名だたる商人達(シナ、インド、アラブ、ペルシャ)の手を経て西洋に到着する時には、金と同価の価格となった。しかしスパイス、とくに最高のクロ−ブ、ナツメグの生産地は謎に包まれ、幾世紀もの長い間容易にその姿を表さなかった。
 クロ−ブ(丁字)は当時世界で唯一ヶ所、東インドネシア、ハルマヘラの西岸に点在するテルナテ、テイドレ、モテイ、マキアン、バチャンの五島の小島にしか自生していなかった。
 バスコダガマのサンガブリエル号は僅か100トンと170人ではじめて希望峰をかわしアジアに来たが、ガマは「私はキリストとスパイスの為にここに来た」と言わしめた程、ポルトガルイスパニアの香料の直貿と独占への欲望は並々ならぬものがあった。その意欲が「地理上の発見」から植民時代として人類に多大な影響を与える事になったのだ。
 1462−1515年、アルフォンソアルブケルケはホルムズ、ゴア、マラッカ、マカオを次々に手中にし独占の布石に成功したのは、ガマが最初に東洋の港に着いてから殆ど同時期で、この急速な商権確保はただひとつ火砲の威力に他ならない。それまでの商人達が誰ひとり強権を使わなかった友好交易は、この日からスパイストレ−ドは、ガンパウダーの轟音とともに新しい時代に突入していった。

 ナツメグはその南のアンボンが集積地となり、住民疎外の激しい争奪戦が展開され、このリモートアイランド(遠隔な島)から列島植民が開始される。
 1621年クーン(Jan Pireterson Coen)は、オランダ女王よりVOC長官に任命され交戦権まで与えられた。V.O.C.イ−ストインデイ、東インド会社の歴史は煉計、威嚇と掠奪虐殺の歴史で、1623年2月、英国の日本人傭兵又蔵他九人がオランダに処刑されたアンボイナ事件は、定めし邦人専門職では彼等が最初で 特殊技術(戦闘)を買われて鎖国直前に海を渡った日本人傭兵は千人ではきかない。

 1656年、「女王陛下の東」「永久なる契約」、 The Quieen of East, The eternal conpact 遂にグレ−トスンダ列島はVOCの膝に屈する。彼等傭兵のその後は、子孫も残さず砂に滴が沁みこむように埋没してしまう。

 歴史は移り、泣く子も黙るV.O.C.(Vereenigde Oostindische Co.)は、巨大な欠損を清算出来ないまま、1799年12月倒産する。スパイスなどの利益激減、強制栽培の失敗、軍隊経費増大、汚職、放漫経営。
 ポルトガルはそれでも唐辛子やジャガイモ、トマト、パイナップルと混血児を残したが、オランダは火薬と銃器と、僅かなコーヒー豆を置き去りにしただけだった。マルクアンボンはストロボの輝きを失ったあと、静かに歴史から忘れられていった。
 インドネシア共和国、現在この国は世界最大のクロ−ブ輸入国であり、最大の輸出国でもある。人々が好むチェンケ煙草(Kretek) の匂いが空港に充満して、栄光と挫折のスパイスアイランドに降り立ったことを知る。

 発音はムラユインドネシア語の伝播が新しいせいか語彙が少なく、かつ我々に苦手な語尾音の発音や吃音が弱いから、Ombak putih Datang dari Laut、 Ambon Sudah Jauhも語尾のK,H,Tは発音はせず概して楽だ。
 感嘆符はお馴染みのSio!がでてくる。

Maluku Daerah Wisata マルク州は観光の地 Jeane Titarsole Meity Piris
Ambon manis e, Sio Ambon manis e Samua orang pasti bilang Ambon Manis e
Dimana mana orang bilang Ambon manis e アンボンマニセ シオ、アンボンよいとこ 誰でもそう言う
Biar kacil dilaut biru Terlindung Seram pulau ibu diutuk timur kuingat slalu 小さい島でも海のブルー セラムが母島
Ambon ibu negri Maluku アンボン マルクの都よ
Fajar ditimur terlihat Oksi Maju terus janganla nanti 日の出は東のオクシから いつも進む
Mari tingkatkan prestasi Nusa dan bangsa menjadi saksi 誇りをもって 国と人々の証しに
Taman laut dipulau Banda Harum semerbak cengke pala 箱の庭のバンタにチェンケ、パラが香り
Cendrawasi tenun tenggara Kilauan kerang mutiara 極楽鳥が東南に 真珠が珊瑚礁に
Greja dan benteng dinegri Hila Mahnusela taman wisata 教会とお城はヒラに マヌセラは観光のお庭
Cerita tua dari Utara Tentang Maluku tanah Pusaka 歴史は北から マルクはほんとに宝の島
お国自慢の歌にはKota Ambon、Pulau Ambonなど多い。

Ayo Mama NonaManis 前出
Nyong Parlente Les Samu Samu Lexs Torio Meity Piris
Nyong sudah lama beta tunggu se, Ale bilang beta tunggu se dimalam ini
Kini beta duduk sandiri jaga ale jalan kamari 俺 通りに据わってずいぶん待っているのに来やしない
Nyong beta bikin dapa dengan se dipesta dansa 俺 夜通しダンスパーテイ行こうと待っているのに 恋しいよ、
Sampai tenga malam beta tunggu Ale pariente beta su rindu
Dengan tifa totobuang e Rame rame angka pantong e 太鼓叩いて派手にやっても お前がいなきゃ一人りぼっち
Tapi beta masih sandiri nanti kalo ale datang e 来るならはやく はやく来てマニスマニスよ オ、オ、
Beta polo rapat rapat e Beta siong manis manis oh oh
Nona Jangan ale marah beta e Beta cuma sangaja saja bilang par ale 怒っちゃいやよ、うっかり言っちゃって
Jang ale simpang didalam hati beta ini su pinya bini 心の中にしまっておくよ お前はもう俺の女房だから

Piano Kapa Jimmy Titarsole Lexs Torio Meity Piris
Beta pung tanta kaing kabaya Kalo bajual kekudulang dikapala
Deng ikang asar panas panas Sampe dipasar tunggu orang baballang
Takajo bagini uca datang Calana pendek baju kaus tulis Om Ondos Dia kore beta pung tanta la dia tanya
" Tanta ikang ini satu barapa Lima ribu Nyong Ayo tanta mahal e, Hae ade seng sanang pulang Ia makang kepeng"
Ha ha hae beta tatawa Tagal nyong Uca dapa kopi panas panas
Nyong uca dapa ajar Sampe muka merah Pi deng panta panas
Terlama nona Mia datang Pake calana jengky rambu platen dua Mia coba tindis tindis ikang La Mia bilang
" Ayo tanta ikang lombo e Hae ade kira ikang piano kapa par tindis tindis Bor sonta barar e"

市場での掛け合い戯れ唄。アンボン唄にはとても猥雑な詩がある。なにげなく唄われるGepe Gepe、Buka Pintu(ドアを開けて)Habis dansa Pulang tidur(ダンス終わっておねんねしましょ)Balari Bini(夜逃げ)などはそのものズバリの状景だがカラリとやってのける底抜けの明るさが漂う。

Ambon Manis e 思いでのアンボン C.Hehanusa Vika
Beta berlayar jau jau dari Ambon e, Ditana orang baru beta manyasal e 遠く旅して 遥かなアンボンよ見知らぬ土地に来て淋しいよ
Mangapa beta mau buang diri bagini, Jau dari pangku mama sunggu asing lawang e なんで自分を捨てたのかしら
Sio apa tempo beta pulang keAmbon e, Lautan lebar gunung tapele 母さんの膝から遠いよその地に
Mari mama gendong beta la bawa pulang dolo e シオ いつの日帰れるか アンボンへ 海は広く山高し
Ke tana yang kucinta Ambon manis e 母さん やさしく私をだいて、懐かしき地よ アンボンマニセ

Sio Mama ああ、母さん Melky Goeslaw
B'rapapulu taong lalu beta masih kacil e はるかな昔 幼い頃を わたしは思い出す
Beta inga tempo itu, Sio mama gendong gendong beta e 母さん わたしを 抱き上げあやす
Sambil mama bakar sagu Mama menyanyi sio buju buju かあさん 竈で唄をくちずさむ
La sampe basar bagini Beta tra lupa mama e わたしは大きくなって 母さんを忘れた
Sio Mama e, Beta rindu mau pulang e, Sio mama e mama so lia kurus lawang e シオママエ! ふるさとに帰りたい
Beta balong balas mama, Mama pung cape Sio dolo e シオママエ! ママそんなに痩せてね、働きすぎだよ ママ、
Sio tete manis e, Jaga beta pung mama e, 孝行するよ 達者でね ママ エ

 アンボン曲はハイテンポな愉快歌が多いが、スローバラードにもいい歌がある。月光のした渚でのデユエットこそ此処に相応しい。 以下は64年Kroncong Beatと銘打ったLPシリーズのSong of Molucca から選んだ。(Up主: Youtube上で該当する曲が見つからなかったのでほかのバージョンをリンクしてある)
Sayang Dilale 恋人よ
Kalau inga gunungla yang tinggi, nona tua muda manis e, 山は高く、海は穏やか
Omba dilaut samalah ratanya samalah ratanya nona tua muda manis e,
Sunggu enak orang yang pergi, nona tua muda manis e, いとしい人は行ってしまって
Orang yang tinngal apalah rasanya apalah rasanya, Nona tua muda manis e 残された人の気持ちを知っているの
パントン四行詩の終り二行に万感を込める。

Batu Badaong バダオンの霊石
Batu Badaong batu la batangke buka mulutmu telangkan beta バダオンの岩よ 何か言ってください ご利益はなんなの
Gunala apa beta tinggal sandiri sedangkan ibu suda tarada 母も亡くなって私はひとり ひとり暮しはとてもつらい
Hidup sandiri talalu susa Siola Ibu ibu Jatu ke hati ああ、母さん 母さんは私の胸の内に、
Mangapa tidak beta Sandiri Beta Kacil SeOrang ibu Batu badaong なんで私をひとりにして逝っちゃったの 可哀相なわたし、
クリスチャンとは言うもののアニミズムも強く、これは巨石信仰の娘が一人ぼっちの寂しさを詠う知名曲。

Sulie スリエ わがふるさと
Sulie, Itu negeri nona dipingil laut Baguarae, スリエ、そこはバグアラエの海辺、サラホト山のふもと
Kaki gunung Salahutu dengan pantai Pasoe dari pelau Ambon e, アンボン島の先のパソエ海岸
Sulie,,Kecil sekali nona tupi pantai pasir puti e, 小さい島の白浜が
Burung Teriti terbang melayang dilaut mencari Ikan 海鳥が魚を探して飛び交い
Omba pukul dibatu karang negeri Sulie ta dapat lupakan 波が珊瑚礁を打っています、スリエを忘れはしません
Suda jau begini s'lalu ingat akan negeri manis e いまはこのように遠くにいても ふるさとは決して忘れません
Muski jau bagini S'lalu kuinga Sulie manis e スリエ マニセ!

Sarinande
Sarinande putri Sarinande mangapa tangis matamu bengkak サリナンデ なぜ泣くの
Adu mama Adu la papa la asap api masuk dimata 母さん父さん ただ煙が眼に沁みただけ
Adu mama Adula papa hati ku risau apakah obatnya 母さん父さん この切ない気持ち 直らないの
有名な国民歌になった曲。煙にかこつけていとしい人を想う。

Mande Mande Asal Ale mau nanti あしたを信じて
別れの歌。哀れな悲しみなどカケラも無い。
Jikalau nona mau percaya nanti, sekarang beta mau pergi, 将来の夢を信じるなら 私は今出発します
Tinggalla diri sendiri, Asal bisa nanti sampai beta kembali さよならを言って 私が帰ってくるのを待って
Selamat tinggal kekasih, jangan pa susa hati Sampai beta kembali さようなら恋人よ、 帰ってくるまで悩まないで
Asal ale mau nanti, Jangan lupa apa yang beta janji 未来を信じ 私の約束を忘れないで、

Pata Cenke
EJojaro dan ngorgare mari dansa dan menari 娘のお尻は追わないで アヨ ダンスと踊りをしましょ
Ramai ramai pata cenke bunga cenke manis e 賑やかにぎやかチェンケの実を摘んで ああいい香り
Kalau sudah habis pata cenke jangan pulang dolo e 木の実取りが終ったら、すぐ帰っちゃ駄目なのよ
Mari pukul tifa dan menari sediki e, Sediki e 太鼓を鳴らし ちょっとだけ踊りましょ、ちょっとだけよ

Ole Sio オレシオ!
この名曲を、時代の流れで愛国歌に仕上げて歌われているのが残念なので、本詩での歌唱を並載する。

Ole Sio, Sayang la delale, Apa tempo bale la kembali, オレ、シオ いとしいあなた、いつの日くにに帰らん
Inga Ambon tana tumpa dara, Lagi ibu bapa dan saudra 想いは生まれしアンボン、ふるさとの母、父、友輩よ、
Mana kala beta sakit hati beta tra sanang 病いの床でわたしは悩む、
Duduk murung serta tangis airmata tumpala, 眼を閉じて思えば 涙溢れる
Bale muka kanan kiri, Tak seorang juala 振り返ってみても わたしはひとり
Sapa sapa tolong beta, Beta ini asing e, 誰かそばにいて、助けてお呉れ、わたしは余所者
Beta ini mau pulang kalau panjang umurku 帰りたい、寿命があれば、
Asal Tuhan sayang kanton akan bertemu 神様がおられたら 旅費は手に入るだろう

Sayang Kene
Sayang kene rasa sayang kene Lihat dari jau rasa sayang kene サヤンケネ ラササヤンカネ 遠くで見つめるサヤンケネ
Ombak puti puti ombak datang dari laut 白波海より打ち寄せて
Kipas lenso puti tana Ambon sudah jau Ole Sio, sio sayange la rasa sayange, 振られるハンカチアンボン遠く
Sayang dilale apa tempo tuan bale ya nona Ole Sio sayange 心の底から貴方が好き、どんな時に男は帰るのだろ
La gelange la gelange la mari topu topu tgelange 恋人のもとへ、いとしい恋人よさあ手を叩いて踊ろうよ
Sengaja topu tangan topu tngan rame rame Rame rame gelange la balenggang lomboseもいちど叩いて一緒に大きく輪になって踊うよ


【Up主の註】
<1> 正しくは丁子の蕾であり果実や種子ではない
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作成 2018/08/27
追加 2018/08/30

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