嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第二十一章 ジャワ人とインドネシアの同胞民族
[159]    スラカルタ・ハディニングラートとンガヨクヤカルタ・ハディニングラートの王朝時代、ジャワ社会はソロとヨクヤカルタの町に住む「ヌグリの人」と、それらの町に住まない人々、とりわけ海岸に住んでいるという意味で「パシシール地方」の人々と、町の外に住む人々という意味の「辺地の人」に分けられていた。

 「ヌグリの人」とは「みやこ人」と訳した方が筆者には適しているが、ジャワに詳しくない一般読者にとっては「町に住む人」の方が誤解を招きにくいだろう。訳者さんの苦労がここでわかる。だからこんな苦労を背負い込む翻訳業を筆者はやらないのである。ちなみに筆者は学究でもない。ただの技術者である。
 パシシールとはジャワ海に面した北海岸の地方である。なぜソロやヨクヤカルタから遠い北海岸を特別にそう呼んだかというと、この地方は貿易や商業で繁栄していたのみならず、マジャパヒト時代以前からイスラムがこの地方に上陸し、ジャワに伝播していったからである。そういう意味も込めてパシシール(インドネシア語ではpesisir)という特別な呼び名が付けられたのであろう。
[160]  ジャワ語とジャワ文化の発達史の中でソロとヨクヤカルタの町の言葉と文化はその完璧さのために例としてあげるにふさわしいものと考えられてきた。そこで、ヨクヤカルタとソロの人々には一種の傲慢さが出てきた。パシシール地方や辺地の人々はジャワ文化の中心から離れて生きてきたためにジャワ語の文法を知らないから、文化的には自分たちより下だとみなしたのである。

 心底ではまだこう思っている人たちが多いが、実際には東部ジャワのスラバヤは工業が発達しインドネシア第二の大都市になっている。パシシル地方のスマランはスラバヤにこそ及ばないがそれなりの活気ある都市になっている。活気がないのはソロとヨクヤカルタである。この地の工業製品で有名なのはソロのジャムウ、アイルマンチュールくらいである。前にも述べたように、現代社での富を作り出すのは農業ではなく工業だからである。
[160]  こうした考え方は、1945年8月17日のインドネシア共和国独立宣言のあと全インドネシアで起こった民主化の努力の結果、なくなった。そしその一方、地方は急速に発展を遂げ、パシシール地方のジャワ人もついには自信を持ち、ソロやヨクヤカルタの人々より下だとは思わなくなったのである。

 しかし、ソロやヨクヤカルタの人々はまだパシシールを地方扱いしているのが現状である。京都の人と同じ感覚だろう。また、ジャワの「地方」で暮らしてみると、まだまだ文化的にはソロやヨクヤカルタの影響が強いと感じる。
[161]  ソロ(カスナナンとマンクヌガラン)とヨクヤカルタ(カスルタナンとパクアラマン)の王宮は文化遺産とまだ使われているジャワ語の保存に熱心に努めているが、インドネシア国民の言語及び文化と対決するに至って、その努力の結実も難しくなっているようだ。というのはジャワ語やその他の地方語の犠牲の上に統一言語として発達する機会を与えられたインドネシア語に、ジャワ的思考力も表現力も吸収されているからである。

 各王宮が「保存に努めている」というが、これらの町にある博物館はみすぼらしいものである。設備だけではなく、その内容も整備されておらず、インターネットに博物館独自のサイトも掲載されていないほどである。これでは「保存に努めている」とは言いがたい。筆者は微力ながら、博物館王宮の紹介をウエブサイトで行っている。定年後は尽力できたらと思っているのであるが、どこからも口がかからない。これも運命か。
[165]  実際に、時々ジャワ人は文化的には自分たちが他の誰よりも上だと言う表現をしがちである。

 確かにそのとおりである。しかし、経済的に豊かな方が今のジャワ人にとっては憧れの対象になっている。
 著者は自嘲的に書いているが、深く歴史ある文化を持つ民族はみな同じである。ただ、その表現方法が異なるので我々が感じられるかどうかの違いはある。たとえば、中国人口の大部分を占める漢人である。チベットを制圧したり南部の少数民族を差別するなどやりたい放題。外国に出て行っても現地人を人間とは見ていないようである。イラン人も長い歴史を持っている。イランという国名は「アーリア人の国」という意味であることからしても彼らもイランは他の国より上だと思っている。特にアラブに対しては積年の恨みがあるせいか、差別しているように見える。その次はインドである。この国も長い歴史があり世界の三大宗教である仏教が発祥した国である。しかし、インド人は自分の国の発達が遅れていることを熟知しているから、自分の国の文化を振り回すことはしない。またインドは中国とは異なり多民族国家であり、かつまた地域も広いのでインドとしての文化より、各地方の文化の方が優先されてしまうのだろう。
 自分の国の文化を振りかざして相手に屈服を迫るのは植民地時代の宗主国の特技だったが、いまになってはそれをやるのはアメリカだけなのである。だから、世界各地で反米感情がおきてもしかたがないのである。
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2008-07-24 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

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