嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第二十章 ジャワ人とカマヌサン
[152]  ジャワ人がカマヌサンを持っている。つまり大いなる人間性の感情を持っている、ということは、当然ながら余り意味のあることではない。そのような感情はどの国民であれ、民族であれ、人間ならば誰でも備えているからだ。相違といえば、それは状況や条件でしかない。(中略) インドネシア人一般、とりわけジャワ人の場合のように、天然資源が豊富で穏やかな気候を持つ環境の中に育ち、生き残るための戦いを強いられるようなことがなかった人間は、生きるために非常な努力を必要とはしないだろう。

 大体同感であるが、少し異論がある。インドネシアは天然資源に恵まれている、と言われている。ここで少し天然資源について論じてみよう。天然資源というと我々はすぐに石油やガス、鉱物資源などの埋蔵資源を思いつく。しかしソロ・ジョグジャの近くの中部ジャワにはこういう資源はほとんどない。天然資源の中でもガス田が東部ジャワと西部ジャワにあるだけだ。考えればわかるのだが、埋蔵資源のうちでも化石燃料という資源は相当な技術力と資金力がなければ掘り出せないし、たとえ掘り出してもそれは一次産業の産物であるから、世界的に見て競争相手が多すぎるから、買い叩かれるのが相場だ。偉そうに「天然資源が豊富」だといってみても、その資源が使えないものなら、存在しないのと同じである。天然ガスを掘り出そうとしていたら、出てきたのは熱汚泥であり、それが「どーにも止まらな」くなってしまったのが、東部ジャワのシドアルジョ県ポロン町の北側で今も噴出が続いているラピンドのガス井である。毎日10万立方メートルのガスと汚泥を吹き上げ30年間は止まらないだろうと推測されている。地元の人たちはこの事故の被害をもろに受けている。訪問記事はこちら
 もうひとつ、気候が穏やか、というのは当っている。年間降雨量が多く、熱帯ゆえに冬がなく水さえあればいつでも耕作ができる。さらには火山灰土壌の緩斜面と平地が多いために農業適地なのである。もちろん洪水の危険はあったが、いまでは筆者の勤務先の先輩たちの尽力、筆者も僅かにかかわっている、で洪水もほぼなくなったのである。米などの食料が尽きても救荒作物のタピオカを食べて命をつなぐこともできるし、最低でもバナナの木を掘り起こせばその根には大量のでんぷんが蓄えられているから、ジャワの歴史では大量餓死の記録を聞いたことがない。天然資源の中に人的資源を含めるとしたら、数の上では膨大なジャワ人は日本人と拮抗するだろう。しかし、実際には日本がジャワの人的資源の総量を凌駕している。それは、「その地域の持つ能力はそこに住む人たちの能力の総和」であり、以下の方程式で説明がつく。
 [人的資源の総量] = [個体数] x [個人の能力]
[153]  そのような人間は、ジャワ人のように「あくせくせずに」「ゆっくり、ゆっくり、出来上がればいいのだから」という風に、気楽に生きることができる。

 これが工業化社会にはまるで不適なのである。あくせく苦労して、さらには時間に縛られて頭を絞れるだけ絞って新しいアイデアを生み出すようなタイプはジャワ人にはほとんどいないといってよい。現代は情報化社会と呼ばれて久しいが、その前は工業化社会に向かってつき進み、工業によって富の蓄積を果たした。これに成功した国々を我々は先進国と呼んでいる。工業化に不適な国民性がある国は富の蓄積がうまくいかなかった。とあるインドネシアの農業技術者が日本の田園風景をみて、わが国でもこうしたすばらしい設備の整った田園にしたい、といっていたが、それは無理なのである。日本の水田整備の資金は工業からもたらされたものだからである。工業から農業分野への投資ができるほど資金に余裕がないインドネシアでは、農業はもっとも遅れた産業としか位置づけされない。だからODAでしか灌漑設備の整備ができないのである。「仕事は」とジャワで尋ねられて「農業」と答えるのは日本人以上に恥ずかしいことだ、と聞く。他に能力がないからしかたなしに百姓しかできない、とジャワ人たちは考えるのである。しかし、中東のヨルダンで「仕事は農業」と答えると人々の尊敬が集まる。というのはヨルダンでは大地主制度があるため、地主と農業労働者に階層が分離されている。地主の職業は「農業」であり、農業労働者はただの「労働者」としか認識されていないからである。
[156]  不幸の中にある人を見て、ジャワ人の感情はより容易に動かされ、それを助けようという気になる(中略)。そのような傾向のゆえに、損得を計算することなく経済的な援助をしたり、たとえば自分自身にそれほどの経済力がない場合ですら援助を惜しまない、といったことがありうる。人間性の感覚という点では、ジャワ人はしばしば情緒的、感情的な行動を取る傾向にあるといえよう。

 そう、そのとおり。だからみじめったらしい格好をしたたくさんの乞食や物乞いが町では生計を立てることができるのである。彼らはほとんど組織化されていて、赤ん坊のレンタル料なども決まっており、一日終わると親方のところでピンはねされるのである。物乞いたちは恵んでくれる人たちに少しでも満足感を与えるといった機能を果たしているのである。それがかれらの商売になっているのである。南米ペルーでも同じような乞食シンジケートがあると聞いた。親方や親に恵んだものを搾取されないように、ペルーでは乞食にはその場で食べられるパンを与えるのが良いといわれている。
[157]  このように実際的でない問題の取り組み方は、状況を改善する上ではあまり助けにならないが、それでも人間性の感覚を揺り動かされて助けの手を差し伸べようとした者には満足感を与える。

 それは一時的な満足感だけである。一旦、乞食シンジケートの存在を知ってしまったら、一銭でもやるか、という気持ちになるのはインドネシア人とても同じである。ジャワ島、特に西部ではモスクの建設のための寄付などと称して道路にドラム缶を並べ寄付を強請しているのを1970年代にはよく見かけた。当時は他の地域ではこういう行為は見かけなかったが、2000年代に入るとこれが全国的に広まった。ミナン人の友人はこれを「ジャワ病」と揶揄している。
[158]  このように、一般にジャワ人はカマヌサンについてしゃべるのが好きだ。それを深く追求して実践すれば、具体的に人の苦しみを軽減し社会の欠陥を改善する慈善となりうるのだが、現実にはこの人間性の感覚は、生活のスタイルというよりも、むしろリップサービスであることが多いのである。

 ジャワ人はとっつきやすいが、ある程度まで親しさが進むと、それ以上は進まなくなるのである。この点、とっつきにくい華人の方が親しくなると深いカマヌサンを示す場合が多いのである。
第52話のトップへ戻る 次の章に進む
目次に戻る

2008-07-24 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

inserted by FC2 system