度欲おぢさん的イスラム相談室
第七相談室 ウドゥー

 のっけからトイレの話で申し訳ありませんが、高級ホテルや空港などを除いて、ほとんどインドネシアのどこでもトイレには膝の高さに蛇口が付いていて、水のバケツと手桶がおいてあります。一流のインドネシア人の家でも手桶のセットかビデがあるだけでトイレットペ−パ−をおいていないのが普通です。これは、イスらムでは排便の後は水で洗うことが定められているからです。また女性の生理や出産後の後産、悪露(おろ)なども同じように水で洗い流さなければなりません。

 どこのトイレも決まってビチャビチャで汚らしくてたまりません。また水のシミがタイルについていてさらに汚らしさを増大させています。常に濡れているために水を拭き取る機会もなく、またいちいち面倒なことをしなくても汚くなったらタイルを張り替えてしまえばいいとインドネシアの人たちは思っているようです。

 会社のトイレには必ず足洗い場があります。顔や腕をビチャビチャに濡らしたままトイレからでてくる人たちによく出くわすと思います。出くわす時刻は昼休みと午後三時頃と決まっているでしょう。これはお祈りの前のイスらム風なミソギなのです。このミソギは、身体が清めらていない場合、礼拝の前に必ずやらなくてはなりません。日本でも神社仏閣でお祈りをする時には「手水(ちょうず)を使う」といって、手や顔を洗う決まりがあります。よく新聞に内閣のミソギなどという言葉がでてきます。ミソギとは古代に罪・けがれをなくすために、川に行って水で体を洗い清めることと辞書にあります。

 イスらムのミソギにはけがれと汚れを取り除く方法が二種類あって、小さなけがれ(hadas kecil)と、大きなけがれ(hadas besar)の清め方が違います。小さいけがれは体の一部分を清めるウドゥ−(Wudlu)で済みますが、大きなけがれは沐浴(mandi)をしなければなりません。またけがれについても細かく決まっていて汚物(najis)などが身体に付いた場合には、水でその色と触覚、臭いを消さなくてはなりません。インドネシアの男子便所の小便器にティッシュが落ちていたり、便器にビデのようなパイプが出ていて水でモノを洗えるようになっているのはこの為なのです。

健康保持のための生活の知恵からでたと言ってしまえばそれまでですが、もっとも手間がかからない方法でミソギをするようになっています。

 Wudluはこんな順序で行います。洗うのには流れる水でなくてはなりません。すべての動作は三回繰り返します。

(1) 両手のてのひらを流れる水で洗います。
(2) 口をすすぎます。
(3) 鼻から水を吸い込んで鼻の穴を洗います。
(4) 顔を洗います。顔の範囲は髪の毛の生え際から顎まで、左右の耳の間となっています。でも生え際だとハゲの人はどこまでなのでしょうか。アラブ人の男性はほとんどハゲなので、どうしているのでしょうかネェ。
(5) 肘から手首までを右手から洗います。[O-157の事件の時に厚生省がこの方法を推奨していました]
(6) 前髪を濡らし、前に落ちてこないように後ろにかきあげます。ハゲの人は落ちてくるものがありませんが、一応その部分をちょっと濡らしているようです。
(7) 両耳の中を軽くを濡らします。インドネシア人の男性には耳の汚れている人が少ないのはこの為だったのです。
(8) くるぶしから下の部分の足を洗います。ですから、水虫が少ないのです、と言いたいところですが、よく見ていると事務所でもサンダルに履き替えている人が多いことが水虫が少ない原因になっているのではないかと思います。また、足の指が手のように開いているいわゆる鶏足(kaki ayam)なので通風が良いこともその理由でしょう。

この順に続けて行なわなくてはいけません。サンダルなどでほこりっぽい外を歩いた場合にはこの順序で身体を洗うと、清潔にするのに時間も水も一番節約できます。

 次のどれかに該当するとこのミソギは失効してしまい、礼拝の前にもう一度やり直しです。

(1) 精液を除く排泄物を体内から排出した場合。「おなら」も入っているようです。リキむと空砲だけではなく実弾が出てくることがあるからなのでしょうか。
(2) 寝てしまう、気が触れる、よっぱらう、てんかん症状をおこした場合。ただし、体型を崩さない居眠りは寝ることに含まれません。
(3) 父母兄弟などの結婚できない人以外の異性の肌に直接触れた場合。
(4) 意図的に人間の肛門やその他の排泄器官に掌か指の腹でさわった場合。

また、沐浴が必要になるのは次の場合です。

(1) 男女の性器が接触した場合。
(2) 夢精であるか否かを問わず射精した場合。
(3) 聖戦以外で死亡した場合。
(4) 月経の場合。
(5) 産後の悪露がある場合。
(6) 後産の場合

 沐浴は、頭から足まで水を掛けて掌で身体じゅうを撫でまわし、けがれを取り去ります。これを連続して身体全部をきれいにしなければならないのです。ここでも身体の右半分を先に洗うことになっています。

 さて、小さなけがれと大きなけがれって何、と読者は不思議に思われるでしょう。筆者もつい最近知ったのです。
 まず、汚物ですが、重・中・軽の三つの段階に分かれて定義されています。

 「軽度の汚物」とは、母乳のみで育っていてかつ二才未満の男の赤ちゃんのおしっこです。「重度の汚物」とは、犬と豚とその子孫の大小便を指します。「中度の汚物」とは、上記以外の汚物で、動物の死体、身体から出るあらゆる排泄物、毛をのぞく生存中に切り放された動物の身体の一部、魚類も含む動物の排泄物、血液・膿とそのたぐいとされています。 

 みそぎに使う水は流れているか、湖や海などの極めて多量のものでなくてはならないことになっています。風呂場の溜置き水を使う場合は手桶で汲み上げ、ザ−ザ−と流しながら必要な部分を洗うことになっています。洗う時にはみそぎ用の呪文があります。
 イスらムでは実にしつこく・こまかくみそぎの必要な場合と方法について定めてあります。ただ石鹸で洗えばいいというものではないのです。
 流れる水はきれいだから、泥色の川で水浴びしたり歯を磨いたりしても良いとインドネシア人は言うのです。たとえそのちょっと上流で用足ししている人がいたとしても。これは日本人の常識とはかけ離れています。いったいどういうことなのでしょうか。前回も登場していただいた「カモカのおっちゃん」のザイヌディンL.Y.師にこの理由を尋ねてみました。

 「確かにイスらムのWulduでは流れる水を使ってみそぎをせよと定めている。ここジャワ島でも40年前にはどの川も今ほど濁ってはいなかったんだ。50年前のジャワ島の人口は約5千万人で現在の半分以下だったから環境破壊もまだ進んでいなかったんだ。だから、たくさんの人たちが川に入って水浴びをするのは普通だったんだよ。それが証拠には水のきれいなバリ島には水浴びの絵が沢山あるだろう。

さて、クルアンには水のけがれなどについては細かな規定がないのは確かだ。たとえば、透明度とか生化学的要求酸素量とか酸・アルカリ度、固形分、水の硬度などだが、こんなものを1500年前にどうやって計れたのかい。また毎日使うものだから、たとえあったとしても大がかりな機械をどうやって動かすんだい。チミはまだ現代の物差しで大昔の基準を計っているね。それが大きな間違いなんだ。昔の文献を読む時には自分の物差しをその時代のものに合わせるようにしなければならないんだよ。もし君がその当時の人たちに理解させるために心身の健康のための水質基準を決めるんだったら、どうするかい。またばい菌なども知らなかった当時の人たちを伝染病から守るための清潔についての知識を与えるにはきみならどうしただろうか」
 「そう考えると、これらの定めはいわゆる『科学的』ではないかもしれないが、かなり的を得ていると言えないだろうか。時代によって徐々に変わっていくが、その時代特有の価値観がある。これをパラダイムと呼んでいるんだ。チミが最新・最高だと今思っているものは、近い将来にまったく陳腐化してしまうだろう。これはパラダイムが変化するからなんだ。太古の昔からほんの200年前まではあまり変化がなかったが、産業革命以降、人々の価値観が急激に大きく変わったんだ。これは急速な技術革新によるものだったんだ。技術革新によって、時間単位で人間が世界中を動きまわるようになり、さらに電子技術の発達により瞬時にして情報が世界中を伝わるようになったこの現代から見ると、1500年も昔のまだ野蛮だった人達を指導していくのはかなり大変だったと思うよ。君が年をとって死ぬ時にはまたパラダイムが変わっていくだろう。世の中を良く観察しておきなさいよ。日本でもひと昔前に♯♪世のな−かかわ−っていくん−だよ♪♭と日吉ミミが歌っていたでしょ」

 最後は師匠のお説教になってしまいました。

 筆者はまだしつこく食い下がり、師匠にけがれたまま礼拝したらどうなるかと聞いてみました。師はニヤリとしてこう答えたのです。

 「礼拝の効果がなくなるんだ。君は通常人だから分からないかも知れないが、礼拝というのは神様とオンラインでつながることなんだ。心身にけがれが多いと礼拝の時にオフラインになってしまうから、何かを神様にお願いしても連絡がとれないことになるんだよ。早い話、faxを送ったが途中の回線の故障で届かないようなものなんだ。だから、イスらムでは、通常人が最少の努力で最大の効果をあげられるような方法をとっているんだ。わしのような超能力者になると、ライン上での故障部分をキャッチできるようになるし、神様からのチェックビットを確認しながら礼拝を進めることができるようになる。また礼拝を間違えたときには神様から『中間メッセ−ジ脱落』の信号が入るから間違えたところからやり直すようにしているんだ」

 いったい超能力者のムスりム達は、一体何のために、どうやって神様とオンラインにしているのでしょうか。ザイヌディン師の卓見を読者のみなさんに次号からおいおい紹介して行きましょう。 

[参考文献]
Pedoman & Tuntunan Shalat Lengkap (礼拝完全手引き書) Abu Masyhad PT.MG. Semarang刊
Tuntunan Shalat Lengkap & Wiridan dan Shalat-shalat Sunat (義務礼拝、クルアン抜粋付きと任意の礼拝手引き書)
岩波国語辞典

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頁作成 2009-09-24
追加訂正 2010-11-26
訂正 2016/09/11

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