慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第24話 海の底には
「王なる父は五つ尋の水底深く横たわり、
                           骨は珊瑚、瞳には真珠宿りぬ。
       その身はさらに朽ちもせず、
                         竜神の業の不思議や、なべて貴き宝となり、、、」

シェイクスピア 「あらし」第一幕第二場 福田恒存訳

 先日、かの哀れな末路を辿った弩級戦艦大和が、支那海の底に無残な姿で横たわるのを捉えた写真が載った。人が月面に降り立つ時代でも、眼前に広がる母なる海の底が、未だに不可侵の異界なのはむしろ奇異に感じられる。

 しかし人の営みの中で、海中深く消えたもろもろの証拠は消えることなく確実に存在し続ける。
 大金を投じて、日露海戦で撃沈されたロシア巡洋艦アドミラル・ナヒモフ号8524d積み荷の金プラチナ推定37億7千万ドルを夢見て失敗した老人、フロリダ海岸の水難救助隊員の足に偶然絡まって手中にしたイスパニア帆船の巨万の金貨、ここでも海神の気紛れさがあらわれる。

 東西文明の交流を担う航路には三千年にも及ぶ足跡が刻まれている。

 最近でもアレキサンドリア海岸で多くのエジプト彫像がサルベージされたように、地中海はエジプト人、フェニキア、フォカエア、ギリシャ・ミケーネ文化からローマ帝国の盛衰での交易、海賊、略奪、海戦、転覆、座礁なかには故意に埋葬された沈船、九世紀頃からのヴァイキング略奪船、イスラム・レヴァント貿易でのヴェニスの商船。

 十五世紀になって地理上の発見、大航海時代に突入してイベリア人のキャラック、ガレオン、ガレアス船が大洋を横断して東洋、新大陸に到達して数多くの富を運ぶようになる。
 スペイン、ポルトガルの掠奪品は莫大なもので、この前後が船舶、航海術ともに未発達で事故の頻度も多く、カリブ海周辺でのサルベージ記録は多い。

 時代がイギリス、オランダの覇権争奪に移り、植民地との往復で海戦や私掠船、公認海賊船が跋扈する。
 長い東洋航路のクリッパー帆船の積み荷のうちティーやシルクは無に帰するが、金銀、宝石、陶器磁器は月日がたっても変わることがないだけでなく、僅かな痕跡から往時を偲ぶ資料や証拠が得られるのが貴重だ。

 近世の北大西洋のヨーロッパ人の往復航海も多量かつ困難なものだった。
 二回の大戦では多数の艦船が破壊され沈没する中で、密かに莫大な金塊を運ぶ途中に雄途空しく千尋の海に没した伊号潜水艦。
これらの膨大な沈没船の中で、綿密な計画で人力でサルベージ可能な沈船が成功或いは失敗したり、偶然に発見されたりしてきた。欲に目が眩んだ詐欺的行為もまた跡を絶たない。

 一方アジアで圧倒的な船腹を保有したのは中国で、航海技術で西洋を大きく凌駕し、古来からとてつもなく長い距離を航海していた。
 二千年前に既に磁気羅針盤、航海図、星図、直角規を開発し、諸地域との貿易、朝貢交易は十四世紀には西アフリカ、インド、インドネシア、日本に達したのは永楽帝、鄭和海将の七回に及ぶ遠征(1403−33)が如実に物語る。(全長140b全幅56b、300隻に3万人乗り組み)。
 これほどではないにしろ、長大な中国東岸とヴェトナムを含む水域には、多くのジャンク(隔壁構造、装帆技術で秀逸)が往来していたから、事故頻度も比例して無数にある。
 スペインのルソン−アカプルコ航路、列国の中国干渉による物資の運送なども興味ある追跡項目であろう。

インドネシア海域の沈船情報
 インドネシア海域はその美しい景観とは裏腹に、南海特有の予測不能の天候急変や岩礁群、リーフが散在しており、最も未知なる海域といえる。
 かつ大型船がこの海域に進入するには東の狭いマラッカ海峡、北の南支那海、南のジャワ、マカッサル海とさながら関門のような船乗り泣かせの難所が点在する。
 前述の中国南方交易での航路は今跡形もなく消え失せたが、その沿岸(スルー海からスラウエシ北部、南下するルート)には膨大な交易品の磁器が発掘されている。巨大なドンソン(青銅鐸)もレッサースンダ諸島の辺境に多数散在する。
 ヴァスコダガマが希望岬をかわしてカリカットに入港して以来、アルブケルケ(ポルトガル)はマラバルコースト・ゴアを占領(1510)し、マラッカ海峡のメラカを窺ったのは唯一スパイス自生地を発見し独占する為だった。以後熾烈な香料争奪戦がマラッカ海峡以東のリアウ、ジャワ、マカッサル、バンダ海に展開され、それはオランダ・東インド会社(VOC)の経営に引き継がれる。
 これらの経営に参加した船腹量は膨大で、南海特有の珊瑚礁や暗礁は航海者達には未経験の海域だったし海図に明記出来ず、多くの遭難が記録される。海域の大部分は浅海でもある。
 VOCは1500隻のシップを建造し、往路4,700回、帰路3,500回の航海を行いそれぞれ6%と3%の事故率だったとゆう。

 それぞれの思惑を胸に、大海を往く密室環境ともいえる全檣帆船シップ。
 優美なヤードに総帆を掲げた'女王'が 瞬転、予想だにしない地獄絵に遭遇する運命の悪戯は、はかない人の世の縮図を見るような劇的な姿だ。
 シンガポール建設で名のあるスタンフォード・ラッファルスも、最愛の妻子を熱病で相次ぎ失い、己自身も病を得て失意の帰国時、その乗船が座礁爆発、半生で収集した記録、富が海に返ってしまう。無常。

 海に眠る巨万の財宝より、船とともに運命を封印した人々の宿命に心を動かされる。
 近来急速に進歩した海中考古学も、旧来の学説を塗り替える成果をあげている。
 海底に眠るそれらの沈船が白日のもとに曝されるのを、命運を共にした航海者が喜ぶか悲しむかは措いても、実在する事実は蔽いかくしようもない。

 ナイジェル・ピックフォードによるインドネシア海域のShip Wreck情報の一部を転載する。 (下表参照)
 彼は半世紀続く難破船調査の家業を継ぎ、古文書資料館を所有。
 財宝探しの言葉を嫌い、難破船調査はパズルを解くように歴史状況、航海日誌、手紙、船の図面、 生存者談や新聞記事、裁判記録や判決、保険記録、新旧海図、潮汐、砂州や暗礁、天気変動などを克明に調べる。
 伝説的な話しから真実を探り当てる根気のいる作業である。
 難破船の沈没地点の法的複雑さも、所有権確立とサルベージとの契約、領海、国際水域の確定、文化遺産保護と考古学的価値をも明確にしなければならない。
 これらの沈船は歴史の歩みを正確に物語り、当然のことそれぞれの運命の糸があるが、個々の物語は機会があれば改めて語ることにしよう。

インドネシア近海の沈没船一覧表
☆は未サルベージ/未確認、★はある程度サルベージ済み
沈没年 船 名 船 籍 貨 物 航 路 遭難地点
ジャワ海以東
1512 フランシス・セサーロ(セラン) ポルトガル船 正貨 マラッカ→モルッカ諸島 バンダ海アンボン南のルコピノ島 遭難者の子孫が生存しているという。
1571 サンチョ・デバスコンセロス ポルトガル船 正貨 ゴア→アンボン ハルマヘラ・テイドレ島58`のヌサヌブ岬
1601 Feb ヘンドリック・フレドリック350d V.O.C 正貨 オランダ→ ハルマヘラ テルナテ沖
1601 3 Feb ベレイラ・デサンデ ポルトガル船 金銀の正貨 マラッカ→アンボン マドウラ沖ペレサダ岩礁
1607 エンカウジャン号 300d V.O.C. 正貨 内航 ハルマヘラ 1.00N/127.00E
1608 ヴァルハレン号 700d V.O.C. 正貨 内航 ハルマヘラ西岸 テルナテ
1608 Jul チャイナ号 420d V.O.C. 正貨 オランダ→極東 停泊中に沈没
1613 31Jan グローテ・アオーラス号 300d V.O.C. 正貨 内航 ハルマヘラ マキアン
1618 トーマス号 イギリス東インド会社 不明 不明 南スラウエシマカッサル沖106` デサロン海峡
1619 ズワーデ号 V.O.C 金塊 ジャカルタ→オランダ ジャカルタ プロウスリブ
1622 13May エインドラフト号 700d V.O.C 正貨 内航 アンボン西岸
1623 レフージュ号 イギリス東インド会社 正貨 イギリス→ジャワ中部 ジャワ モンダリコ岬沖
1627 24Mar バンタム号 800d V.O.C 正貨 オランダ→ジャワ 波止場火災 既に回収?
1630 17Apl カメール号 500d V.O.C 正貨 ジャワ海 ボームピュース島
1632 Aug ナイメーゲン号 V.O.C 磁器 ジャカルタ→ オランダ ジャカルタ・プロウスリブ
1634 ハウデン・レーオ号 V.O.C 正貨 内航 カリマンタン・バンジャルマシン沖の暗礁
1650 4Mar アグターケルク号 300d V.O.C 正貨 内航 南スラウエシ・トカンブシ諸島
1650 4Mar ベルゲンオブゾーム号 V.O.C 正貨 内航 南スラウエシ沖
1650 4Mar ユッファ号 480d V.O.C 正貨 内航 南スラウエシ沖
1650 4Mar ライバールト号 320d V.O.C 正貨 内航 南スラウエシ沖
1650 4Mar タイガー号 1000d V.O.C 正貨 ジャカルタ→アンボン 南スラウエシ沖
1654 13July グーダホープ号 V.O.C 正貨 ジャカルタ→アンボン アンボン付近
1658 30May ヴィントホント号 360d V.O.C 正貨 内航 ジャカルタ沖 ボームビューズ島
1660 29May フランシスコ・ビエラ・デフエイゲイレド号 ポルトガル船 金塊 マカッサル→インド・ゴア スラウエシ・ウジュンパンダン湾
1660 8June マカッサルの沈没船群 金銀 ウジュンパンダン沖 ポルトガル船含むオランダとの海戦
1663 7Jan ヴァルヴィス号 1000d V.O.C 正貨 内航 ウジュンパンダン沖
1663 7Jan ヴァルヴィス号 1000d V.O.C 正貨 内航 ウジュンパンダン沖
1668 シーレクゼー号 400d V.O.C 正貨 内航 ウジュンパンダン沖
1670 2Oct ニューウエンダム号 210d V.O.C 正貨 ウジュンパンダン→アンボン スンバワ島ビマ沖
1687 24Jan ハウシュ・テ・ノールトヴァイク号 506d V.O.C 正貨 内航 バンダ海ダマール島7.30S/128.00E
1731 デルフト号 600d V.O.C 正貨 内航 ブトン島西
1734 1June ライクスドープ号 792d V.O.C 正貨 内航 スラウエシ東ポソ湾
1740 10Mar スビーリン号 810d V.O.C 正貨 内航 バンダ海東ワトウベラ島
1744 カステール・ヴァン・ヴールデン号850d V.O.C 正貨 内航 ジャワ・バマヌカン沖14キロの岩礁
1748 マーシュヴェイン号 850d V.O.C 金塊 バンダ諸島→ジャカルタ 南スラウエシ・サラヤール島東で爆発
1748 ニューヴァールケルク号 1135d V.O.C 正貨 ジャカルタ→バンダ島 南スラウエシ・ビノンコ岬東
1748 シェラグ号 850d V.O.C 貨物 陶磁器 銀 日本→ジャカルタ ビノンコ岬東
1752 17Feb シャークンボス号 870d V.O.C 正貨 ジャカルタ→アンボン ブル島とセラム島のマニバ海峡
1761 クレーヴェーシュケルク号 850d V.O.C 正貨 ジャカルタ→ウジュンパンダン ジャワ海東
1765 24Feb ピルスヴァールト号 880d V.O.C 正貨 オランダ→ジャカルタ ジャカルタ湾
1766 ギーシュンベルグ号 1150d V.O.C 正貨 ジャカルタ→バンダ ブトン島北
1784 23July エウロパ号 1200d V.O.C 正貨 内航 インドラマユの岩礁
1797 1Feb オーシャン号 英国東インド 正貨 イギリス→中国 スンダ海峡クラカトア島
1817 アリス号 正貨 モリシャス・ポートルイス→スラバヤ スンバ島 沈没前820枚のソブリン貨を回収
1831 ジョアンナ・マリア・ウイルヘルミナ号 正貨 ジャカルタ・クラワン岬 13万ギルダー相当
1844 27July プレミア号 貨物 正貨 宝石 ホンコン→バリ カリマンタン・パンジャン島 貨物は掠奪される
1852 26Dec ヴェーナ号 オランダ船 正貨 ロッテルダム→ジャカルタ ジャカルタ沖 沈没前に一部回収
1852 26Dec ロベルタス・ヘンドリカス号 オランダ船 8万フロリン政府正貨 オランダ→ジャカルタ ジャカルタ錨地
1857 リューテナントアドミラル・ステリンワーフ号 オランダ帆船 2〜3万フロリン相当の財宝 スマラン→シンガポール 7.01S/110.27E
1861 17June アガタマリア号 オランダ帆船 貨幣 チラチャップ→アムステルダム チラチャップ沖7.41S/109.05E 沈没前の回収の正否不明
1863 19Feb フランクフォート・オールド号 イギリスバーク帆船 金銀5万ポンドの正貨 ウエールス・カーデフ→上海 ウジュンパンダン沖暗礁 ヒックス船長
1875 7Aug ネバ号 フランス、メッサジュリイマリタイム社 正貨 シンガポール→ジャカルタ ジャカルタより10キロ 沈没前一部回収
1943 日本船 英国潜水艦により撃沈 16億8千万ドル相当の金塊 ニューギニア・セビック シンガポールグループにより回収中
1944 17Oct 厳島丸1970d 機雷敷設艦 日本海軍 インドネシア→日本 5.27S/112.43E
1945 バレンツ号 オランダ船 金20dの可能性 チラチャップ→日本 チラチャップ湾 回収済みと考えられる
1945 パシール号 オランダ船 1187d 金5d チラチャップ→日本 チラチャップ湾 回収済みと考えられる
マラッカ海峡 スマトラ
1400 トウ・ユアンの船 中国のジャンク 財宝 中国→インド スマトラ・アチェ港
1407 チェン・ツイの船団 海賊船 財宝 パレンバン 第一回の遠征の帰路チェン・ホーに放火され沈没
1508 サンタクララ号 ポルトガル船 バンカ島南岸
1511 フロール・デラ・マール号 ポルトガル船 掠奪した金銀工芸品 マラカ→インド・ゴア メダン東ボルベイラ島 <註1参照>
1515 アントニオ・パジェコの船 ポルトガル船 正貨 インド→中国 スマトラ北東5.20N/97.00
1527 フランシスコ・デ・メロの船 ポルトガル船 アチェ→インド・ゴア アチェ付近
1561 Ja サンパウロ号 ポルトガル東インド貿易船 正貨 軍需品 ポルトガル→インド 西スマトラ 座礁後70名が本島上陸。岸に漂着
1561 インドネシア・アチェの船 金銀 宝石 イラン→アチェ ポルトガル船セバスチャン号との戦いで双方沈没
1583 コーテイーニョ号 ポルトガル船 正貨 ゴア→中国 マラッカ沖 アチェとの戦いで爆発
ジョホールの難破船 中国絹取引きの為の100万クルザードの銀貨 インド・ゴア→メキシコ マラッカ寄りジョホール沖岩礁
1583 Jan シマン・フェレイラ号 ポルトガル船 大量のクルザード銀貨 マラッカ→中国 シンガポール・チャンギ岬ベドク 沈没前一部回収
1588 レオナルド・ダ・サの船 ポルトガル武装商船 銅取引きの為の正貨 ゴア→中国 スマトラ・アチェ
1607 16Aug ドン・ドウアルテ・デ・ゲラの船 ポルトガル船 正貨 マレーシア・ツアン岬沖 マラッカ海戦で沈没1993年トランシーSDN社が青銅の大砲を回収
1607 29Oct ノッサ・セニョーラ・デ・コンセプシオン号 ポルトガル船 正貨 マラッカ沖 マラッカ海戦で沈没
1607 29Oct パウロ・デ・ポルトガルの船 ポルトガル武装商船 20万クルザード、大量の個人商品 ゴア→中国 マラッカ沖 マラッカ海戦で沈没
1615 ジョホール海峡の難破船 ポルトガル武装商船 インド→中国 1.27N/103.46E 沈没前に千人の乗客
1616 25Aug アエロス・クレイネ号 240d V.O.C 商品の外銀の可能性 エンガノ島 インド・コロマンデイル→ジャワ・バンテン 沈没前の回収はごく僅か。
1618 Nov サン号 イギリス東インド貿易船 インドネシア→中国 エンガノ島 <註2参照>
回収は殆ど失敗
1619 14Dec ホールン号 700d V.O.C 正貨 オランダ→ジャワ・バンテン スマトラ西130` 5.00S 初期旅行本作家ボンテクーが乗船
1620 コンセイサウン号 ポルトガル東インド貿易船 銀貨 ゴア→マカオ マラッカ砦近くの岩礁
1636 2June ヴィエリンゲン号 V.O.C 正貨 マレーシア・マラッカ沖
1637 2Jan プリンス・ウイレム号 500d 磁器 ジャカルタ→オランダ スンダ海峡 沈没前 一部回収
1643 アドミラル・ステリンワーフ暗礁の難破船 中国ジャンク 17世紀明朝の磁器 中国→インドネシア ビンタン島ステリンワーフ暗礁 <註3参照>
1646 フレデリック・ヘンドリック号 1100d V.O.C 金銀正貨 ジャカルタ→中国 バンカ海峡の暗礁
1671 4June シュヘルマー号636d V.O.C ジャカルタ→中国 バンカ海峡
1686 4June プリンス・ウイレム・ヘンドリック号 1094d V.O.C 正貨 ジャカルタ→タイ バンカ海峡
1702 Feb スピードウエル号 スコットランドの東インド貿易船 正貨 イギリス→中国 マラッカ港 沈没前大半を回収
1709 Apr カッテンダイク号 759d V.O.C 正貨 内航 スンダ海峡
1716 20Spt キャサリン号 イギリス東インド貿易船 銀正貨 イギリス→ベンクル ビリトン島キャサリンロック 沈没前一部回収
1718 Mar ジョホール水道の難破船 2隻のスループ船 ジョホール王ラジャムダの金12000`財宝 バンコール近くのジョホール河
1726 リスダム号 520d V.O.C 象牙 タイ→ジャカルタ マレーシア・セテンダン島2.30N/103.52E 最近になって回収
1752 3Jan ヘイダーマルセン号 1150d V.O.C 磁器 金 ステングワーフ暗礁 <註4参照>
1758 デナム号 イギリス東インド船 銀正貨 スマトラ・ベンクルの錨地 3.47S/102.15E フランスの追手を避けて放火
1766 15May リンデンホーフ号 1150d V.O.C ギルダー貨一万枚 ジャカルタ→中国 ツリー島 4.10S/106.00E
1779 セーブルグ号 1150d V.O.C 磁器 中国→オランダ スンダ海峡
1784 27June オーヴァーダイン号 1150d V.O.C 磁器 ジャカルタ→オランダ マラッカの錨地
1787 マラッカ海峡の難破船 ポルトガル武装商船 銀、個人の貴重品 ゴア→マカオ マラッカ海峡
1789 29Aug ヴァンシッタート号828d イギリス東インド貿易船 イギリス→中国 バンカ島 <註5参照>
1798 24June レジスタント号 イギリス戦艦 正貨 中国行き パレンバン付近沖合い14` 本艦はオランダ船数隻を拿捕掠奪している
1799 4Jan オンタリオ号 アメリカ貿易船 ニューヨーク行き磁器 中国→イギリス カリマンタン海峡 オンタリオリーフ船は発見されたが貨物は未回収
1806 11Nov フォーブス号 イギリス貿易船 金、磁器 中国→インド ビリトン・ガスパー海峡の南端
1815 ユニオン号 イギリス東インド船 正貨 イギリス→極東 エンガノ島
1817 ダイアナ号 イギリス東インド船 磁器 中国→イギリス マラッカ沖 現在位置を捜索中
1817 18Feb アルセスデ号 イギリス快速帆船 中国→イギリス リアット島5.6`のガスパー海峡 海賊が一部を掠奪 Dr.アベル収集植物鉱物収集品
1824 2Feb フェーム号 イギリス東インド貿易船 スマトラ → イギリス ベンクル南西80` ラッファルズ蔵書、貴重品、銀製皿、金、宝石
1829 25Jan ドーラード号 ポルトガル・ブリグ船 50万ドル 骨董・工芸品 マカオ→ボンベイ ビンタン島ペドラプランカ岩礁 考古学者ドミニク・デ・リエンツイ収集品 一部掠奪された可能性
1830 July ペドラブランカの遭難船 中国ジャンク S$22,016,000 シンガポール→上海 シンガポール海峡 ペドラブランカ岩礁
1845 Nov パーシー号390d イギリスバーク帆船 正貨 高価な品物 ビンタン島北東部 沈没前に一部回収
1846 6July フレデリックVI号 イギリス郵便船 P&O社 正貨 リアウ海 0.36S/105.17E
1851 17Apr アーダシア号 イギリス船 大量の正貨 中国→シンガポール→カルカッタ 9.00N/97.30E 沈没前に若干を回収
1851 22July パチャ号 英国外輪船 金延べ棒45箱ドル金貨47箱砂金9箱$60万 ホンコン→カルカッタ マラッカ北東13`マウント・フォウルモサ 30万ドル相当貨物を回収済み
1878 9Nov ウイレム・クロンプリンス号 オランダ汽船 正貨 バンカ海峡 アチェ号と衝突し13尋の海底に沈む
1909 14Nov ラ・セーヌ号 フランス郵便汽船 メッサジュリイマリテイム社 ダイアモンド シンガポール近海 1.01N/104.12E オンダ号と衝突
1942 13Feb ヴァイナーブローク号 サラワク汽船社 宝飾品 バンカ島メントク北24`
1942 12Nov 伊号34潜水艦 日本海軍 金500` ペナン島 6.17N/100.06E 収作業中なるも情報なし
1945 16May 羽黒 日本海軍 金塊 マレー→日本 ペナン南西50`
1945 8June 足柄 12700d 日本海軍巡洋艦 金塊 バンカ島北 1.59S/104.57E 日・イ合弁で回収作業中
原註
(1)  1991年ジャヤマタ・イステイカシプタ社が海底36bで発見し僅かを引揚げたといわれるが未確認。インドネシアとマレーシアが所有権を争う
(2)  サー・トマス・デイール氏財宝と航海中拿捕したポルトガル船の8万レアル
(3)  マイケ ル・ハッチャーが回収。発見後1.5`離れてヘルダーマルセン号も発見
(4) マイケルハッチャー、マックスド・ラムにより1985年に回 収されアムステルダムで競売され一千万ポンドで落札
(5)  50`入り箱45個 甲板の13個のうち3箱のみ回収
【Up主の註】
「正貨」とは貿易に使う金貨のこと。

第23話 終
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作成 2018/09/02

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