慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第23話 インドネシア人
 インドネシア人とはインドネシア共和国に属している人々のことを指すのだろう。

 だろうと書くと多くの人達、インドネシア人も含めてお叱りを受けるだろう。
 オランダの圧政から独立を勝ち取った誇り高い民族、インドネシア人だから。
 国が出来て半世紀、一万数千の島々に三百余の種族が四百以上の言語を持って暮らしているのだから、いささか広うござんすで、鼻輪をしたイリアンの人と虫も殺さない慇懃無礼なジャワ人とでは到底同じ国の人とは思えない。
 インドネシア語を喋る人といっても、この頃やっと小学校国語教育が普及したが外人以下の人達は多い。国籍ID(身分証明書)を所持する人といっても、首都ジャカルタに住む人でさえ何割が持っているだろう。田舎から出稼ぎしにきた人達にIDはなく、人間ではないらしい。カリマンタンやイリアンには万余の年月をそこで暮らしてきた人達でも国籍を登録していない人達は多い。ずいぶん減ったが国を動かす財力のある華人のなかにも国籍を取らないれっきとした外人もいる。
 百歩譲ってインドネシアで生まれた人と定義しても、そう意識している人々はおらず、江戸時代いや戦国時代のまま私はジャワ人、俺はアチェと認識するのは顔貌も言葉も習慣も違うからだ。私はスンダ、あなたはパダンと識別するのが常態で私はインドネシア人ですとの答えは外国人と接する時くらいなものだ。生まれは会津、出身は長州と言っても、それがどうしたといった程度の違いすら薄れた日本とは大きく違い、此処でのスク(種族)は一種の国で、スクが違えば言葉、習慣、食物、価値観すべてが違う。此処は二面性、建前と本音がまかり通っているから、余所者(外人)には同じインドネシア人と申しても、スクが違えば共通点を探すのが大変なくらいだ。
 人口が都市に集中しはじめる以前(ほんの数十年前)には異種族の交流はオランダが隔離政策をとった事にもより殆どなかった国情なのだ。
そもそも建国が人種や言葉よりも宗主国オランダが占拠した地域を以っての共和国だから、あくまで政治的なのが問題なのだと部外者が言ってもはじまらないし、インドネシアはひとつが絶対の大義だから。もし日本流の国ならこの国の二十六州<1>の数の国が出来てしまう。それを血も流さず曲がりなりにも共和国で纏めたのだから何処ぞの国々に比べて聡明と申せよう。我々の意識する国とはいったい何なのかとゆうことになる。

 国土が広く東西に長い時差三時間でも、気候は印で押したように変わらないから大きくてもある程度説明は出来る。時々熱帯地方でも雪の降る処もあると驚かしながら。
 しかしそこに住む住民となるとお手上げだ。マレー系人種といってもそもそもマレー人などいない。マレー半島(マレーシア)は英国が侵入するまではスマトラから移り住んだ人達と僅かなネグリート先住人がいただけで人種ではない。強いて申せばリアウ海諸島にそんな人種が発生したらしいといった程度でモンゴリアンとかサクソンのように確定された種ではない。むしろ南方系モンゴリアとインド系などが文明とともに混血してこの列島に拡散したのだろう。だから東に行くほどオーストロパプア系の血が濃くなる。
 列島が同一の文化の下で暮らしたことはなく、島嶼環境はそれぞれ異なって進歩したから、突然インドネシア共和国人といわれても戸惑うわけだ。オランダ植民三百年といっても地域により格差があるし、それぞれの島でそれぞれの言語風俗習慣が根強い。
 多民族国家はインドネシアだけではなくアメリカだってと言う人もおられるだろうが<2>、移民前の大陸は人口も文化も無きに等しく文字通りの新大陸だったが、此処は万年にわたる個別の歴史が刻まれてきて、ひとつの国が出来て半世紀しかたっていない。一言で日本人と日本国と説明出来ない理由で、身分の基本である姓名ひとつとっても国としての一貫性はなく、スカルノ、スハルトのように一文字の人、名詞の左右を埋める程長い名前、宗教によるアラビア名、キリスト名、土地固有名と様々だ。
 「インドネシア人ってどうゆう人達ですか」の質問、これが最も困る。人口の七割を占めるジャワ人を想定して説明しても、残りの三割の外領人の性格はまったく異なるから、ジャワ人の説明を聞いただけでは対応を誤る。
 百歩譲ってそのマレー人種とすれば、中肉中背に褐色の肌を持ち、黒髪直毛が多く、血液型はBとO、A型は非常に少ない。温厚で礼儀正しく宗教心が厚く家庭を大切に親族の絆が強く教育熱心。楽天的運命論者と定義出来ようか。

 インドネシア人はいまでこそインドネシア人だが、彼等が最も強く意識しているのはその前にスクがある。スンダ系インドネシア人では決してない。スンダ人なのだ。
 スンダ人はスンダ人の行動規範、価値観をスンダ語で考える。だからインドネシアを知っていると思っても、スンダ人を知らなければ対応出来ない。狭いジャワ島にジャワ人とスンダ人が住み分けして暮らす。百キロしか離れていなくても言葉も考え方も違う。
 昔はそれでよかったろうが、都市化でインドネシア人としてインドネシア語で暮らさねばならない時代になったが、底辺には依然として本音としてのスクが厳然としてあるのは東京人とは趣きがずいぶんと異なる。共和国はひとつの言葉、ひとつの国民との同化策を推し進めて、スクの差別や登録統計すらないから詳しくは分からないが、スクは人々の心には強固に存在している。
 おそろしい程基本的な性情が異なる二億の人々が建前から一様にインドネシア人を標榜して同居している。特に大都市の混在は彼等にとっても初体験で試行錯誤を重ねながら新しい都市スクが形作られるのだろうか、まだ不透明だが。<3>

【Up主の註】
<1> 2018年現在2つの特別州と32の州から構成されている。
<2> 多民族国家ではない国家は極めて少ない。知っている限りでは日本と韓国、北朝鮮、それにベトナムくらいだ。
<3> 昨今の状況を見ていると、ジャカルタで結婚相手を見つけるのに、スク(部族あるいは一族)よりも宗教の一致の方を重要視しているようだ。1970年代には宗教よりも「インドネシア統一・独立」の意識の方が高かったので、お宅を訪問する時に「アッサラームアライクム」とは決して言わなかったし、ジルバブを使っている女性も少なかった。 ちなみに、本文は今から約20年前の1997年にかかれたものだから、現代から見ると相当に時代錯誤していると感じられる読者も存在するだろう。

第23話 終
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作成 2018/09/02

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