慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第14話 某月某日 -およばれ-
 聖地メッカを巡礼しハジになった人のお祝いパ−テイに招待された。

 イスラム教徒にとってハジの尊称を得るのは夢であり四大義務(礼拝、断食、喜捨、巡礼)のひとつである。

 最近のマス輸送時代は六百万ルピア(二十万円)もあればパックで一ヵ月程で実行出来るから、巡礼者の心と信仰心が一致しなくなったようにも見える。巡礼場所とその方法はこの千数百年変わっていないのに、押し掛ける信者は著しく増加しているので、それでなくても狭い聖地は足の踏み場もない以上の混雑となる。混雑ですめばいいが混乱になってインドネシアだけでも毎年数百人の殉教者(事故死)がでる。彼らはその地で別れ別れになって二度と故郷の地に帰らないばかりか、どこに埋められたのかも分からない。
 遺骨収集の習慣はないし、本人も家族もそれは法悦で不幸の原因を追求しない。毎年二万人弱のメッカ参りでのこの数は決して少ないとは言えないが、それは極く普通の話題として語られる。草の根を分けて数十年、国家行事で遺骨収拾団を編成して、骨を探して生涯を捧げる日本人をどう言ったらいいのか。

 白い立派なお邸を訪ねる。
 想像する仕事とその所得は此処では見積もれない。常識的な線での給与はその一部で、不可思議な違うパイプを持つ人が多くそっちが圧倒的に太い。公的立場と所得は比例しない。イスラム法にてらしてそれが正しいかどうかを詮索する事もない。
 いわゆる甲斐性があるかないかの問題だ。

 彼は甲斐性があるから、中堅幹部でもこんな立派な御殿に住める。
 どんな立派な家(高い塀を巡らし緑の芝生、植込の花々)でも玄関はない。
 ドアをあければおどろおどろしい装飾家具が飾られた客間がある。
 何処の家でも客は靴を脱いであがる習慣だが、金持ちの家は西洋式にできているのか靴脱ぎ場も靴入れもない。 客の脱いだ靴の山が玄関のまわりに散乱している。影響力のある人の招待では客も多く、その二倍の履物があるわけだか、客間に入るのにはその靴の山を飛び越えるか、踏み付けるかどけるかしなければならない。一度私の脱いだ靴をお客がどけたのか、帰る段になって靴がなく、遥か彼方の側溝の中に片方を見つけた事があったので、踏まれないようになるべく入り口から遠い植木鉢の下に置く。不自然とは思うが、玄関までは靴下で歩くか人様の靴の上を渡ってゆく。

 カアバ宮殿での七回りの儀式でも踏み殺されることもなく大役を果たして晴れてハジとなった主人は、お定まりの白いペチ(帽子)でにこやかに迎え入れる。
 夫人はゾロリとしたオリエンタル風の全身を隠す衣裳をつけているが、イスラム婦人は手足以外を人目に触れさせてはならない掟だからそれはそれでいい。
 客の前に表れるだけでも有り難い。敬虔な地方では女人は決して客人の前に姿は表さない。
 この掟は人心を迷わせない(男の煩悩を)発想からでたものだから、夫人は男性客の前には決して表れない。「ようこそいらっしゃいました」などとんでもない行為で、愛敬を振りまいたり笑うのも御法度、気位が高く驕慢、挨拶もしないと思うのは誤解だ。
 握手もしない。男の息のかかる範囲には近づかないで定められた婦人の席にいる。
 なのに何で厚化粧なのだろう。
 カトリックでも心に淫らな思いを抱く者は姦淫したと同じと言ったものだが、今は有名無実、男女混合はキリスト教がアジアに運んだ。イスラムの方が忠実だ。
 夫婦の招待客も玄関を入るなりさりげなく別れて決して男女同席しないのは何処の集まりでも徹底している。
 信仰心の篤い家の結婚式では、新婦は男性客の前にその艶やかな姿を晒さないから新郎が一体誰と結婚したのかわからない。

 何の集まりでも同じで、招待客は並んだ大きな机いっぱいに用意された献立から適当に幾種類かの料理を取り分ける。いわゆるヴアイキングスタイルというやつだが、確かヴアイキングとは北海の野蛮で粗野な海賊の時間節約大量飽食の名残りだと思うのだが、いつからかジャカルタの金持ちはおろか大資本の企業の接待もこの形式が多くなった。大勢の客を最小の経費で集めるアイデアなのだろうが、いくら氷の飾り物をおったてても心がこもっていないし養鶏場のブロイラーのようで私は大嫌いだ。もてなしとはそういう通り一遍のものではないだろうに。
 そしてこれが高度な特殊技術を要するからなおさらだ。

 皿とスプ−ンとフォ−ク、気が利けば紙ナプキンが加わる。
 スプ−ンが落ちないように皿と一緒に左手でおさえ、右手で飯、揚げた鶏、肉の塊り、野菜少々、まだあるから魚と芋か豆腐か山羊も悪くない。ここでコップの水とかス−プを欲張るのは素人で、そうすればもう両手はふさがって料理を口に運ぶ事は不可能になる。趣向を懲らした料理も皿の中で混ざって味もそっけもないひと皿があるだけとなる。
 スプ−ンとフォ−クがいつ渡来したのか、なぜナイフがスプ−ンに代わったのか、そう遠い過去ではないだろう。異文化混合の悲劇とは大袈裟だが、そうと考えさせられる混乱がはじまる。
 手で食べるのが本当は二度味覚を味わえ(指と舌の感触という)最高と言うが、どうもそれは遅れているような気分が、こんな邸宅に住む人には芽生えてきたらしいが、大皿から取り分けるとき、つい癖がでてスプ−ンでしゃくってから人差し指で肉を支えて盛り分けられたりする。それじゃあ初めから手掴みと変わらないのに。
 インドネシア料理はムハンマド以前から手で食べていたから、それを器具を使って食べる処に間違いがおこる。骨付き鶏腿肉をスプ−ンとフォ−クで食べられる人がいたら教えて欲しい。しょうがないから手を使って頬張る。
 一度手で食べたらもう二度と器具は使えない。手が油だらけだから。
 慣れた人はコップの水を全部は飲まず、最後にそれで指を洗い、皿に受けて軽くゲップをして幸せになるが、習慣の違う俺はいつも軽い不快感が残る。要するに喰った気がしないのだ。
 空いた席など中々あるものではなく、幸運にも座れればコップを膝の間で支えるか、隣の椅子の上に置くよりしょうがない。前にそうして食べた人の汁が椅子にこぼれていてズボンに沁みを作った。椅子の下に食べ残した皿があるから細心の注意を払って席を確保する。幸せな猫がそれを食べている場合もあるが、猫は預言者ムハンマドの化身かペットだったのでゆめゆめ蹴飛ばしたりしない事。

 昔母親に「立ってものを食べてはいけません」と厳しく躾けられたが、いまではビユッフェとか言う立ち食いに招待されない男は社会的価値がない。
 大勢の客を安く早く追い出す目的でのニューアイデアがビュッフェだから気取ってもろくな食物も味もない。
 大皿から取り分けて食べる習慣は人間不信を絵にかいたような方法で、毒殺の恐怖を無くする為だ、わが国には毒殺と宦官の習慣だけは無かったのにと考えたりすると、好きな寿司コーナーの皿を取りそこなう。

 この欲求不満がなんなのか考えた。それは文化のせめぎあいの憐れな結果であるとの結論が出た。

 そもそもの悪の張本人は椅子の導入をもって始まる。
 東洋人の特技は坐る、しゃがむことが出来る事だ。西洋人は可哀相に骨格的にその姿勢が出来ないのだ。
 ウオールトウ、ウオールカーペット、踵が隠れるような絨毯にロココ調家具のペントハウス、酒がまわると東洋人はソファに坐らずそれを背もたれにして絨毯に尻を落として談笑する。地球の殆どが残念ながらアングロサクソン(広義の白人)に牛耳られているのでそうするのは不謹慎、失礼となるかもしれない。だが絨毯は本来東洋のもので、当時西洋はせいぜい熊の毛皮程度、そしてその用途は'座'にあった。
 集まりでは絨毯に胡坐をかいたり、寝そべったりして話し食べたのだ。
 それなら手に余る皿は横に置けるし、水もこぼさずコーヒーも飲める。
 それが証拠に大家のパーティではまず高価な椅子、机を片付けてフロア一杯に絨毯を敷きつめて客を待つ。人数のせいでもない。それが公式とみえる。
 椅子に坐って不自然な姿で皿を持つのは通りいっぺんのお客様向きなのかもしれない。

 文化のせめぎあいと大袈裟に書くが、その兆候は至る処でかいま見る事ができる。
 そのお祝いパーティーでもその時間がきて、お祈りをしなければならない。
 男性は三々五々立ち上がり、手足などを清めに(ウヅット)手洗いに行くが、ズボンに靴下ではうまくゆかない。まくりあげ、靴下も脱いで清めねばならない。袴様のものなら簡単なのだろうが。その後はもう異教徒は使えない。用便所は処かまわずびしょ濡れだから。

 熱帯湿潤気候の此処でも北方サバンナ地方の服装である首を締めて熱を逃さないネクタイが流行しだしたからかなわない。靴も水虫の元凶だから本来履きたくないのだが、そうしないと既に変人扱いにされる奇妙な人の世だ。
 わが国は和風洋風とのふたつに分けている。単純と言うか後進性といおうか無知といおうか遠隔の地といおうか、そしてまだよかったとも言える。
此処はどうだ。文化の回廊、人種の坩堝、無いものは無いすさまじいばかりの混沌に一抹の調和があるのは此処本来の文化が高かったせいかもしれない。
 名誉あるハッジは白いマフラーを巻く。はじめ可哀相に風邪引きか、と思ったのは間違いで権威の象徴だったのだ。
 言葉だけをとってみても外来語の混入はその時代を反映して物凄い。
 いったいどれがオリジナルなのか。

 どうもべとつく右指を気にしながら、お暇まをしようと「プルミシ、ドウル」
 それはパ−ミットの訛ったものよと私のイステリ(妻)。
 「そうかい、それじゃあイステリって何処からきた?ヒステリイが訛ったの」
 「失礼しちゃうわ、ヒステリイなんて」

第14話 終
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作成 2018/08/31

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