慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第16話 東ティモール
♪♪Timor Lorosae♪♪

 アクセントでチモール・テイムールと発音するが東の東がこの島の名称だ。
 2002年5月20日東チモールは国連の介入で独立を達成した。
 Timor Loro Sa'e が正式な名でロロサエとは日の出を意味する。
 その後の散発的な破壊工作や内乱は強力に干渉するオーストラリア軍が治安活動をしている。
 オーストラリアはなんとしても北への回廊を確保したい為チモールを懐柔してそれを達成したい。

 チモールが独立しても都会のインドネシア人は話題にしない。パプアニューギニアもインドネシア独立時に(なんとなく)領地に編入した。
 日本では米粒以下の小島の領有権で韓国、中国と紛糾しているのに較べインドネシアはチモールが盗られてもあまり騒動にはならない。旧オランダ植民地を以ってインドネシア領地と定めたからといってチモールは地勢的にはインドネシアなのだ。

靴のなかの小石
 クロンチョンはポルトガル人水夫たちが持ち込んだリズムで、その原曲はモリツコと子守り歌ニナ ボボだといわれる。初学者は眠るのをテイドルと習うが、幼児語はこのボボである。
 ニナボボは美しい曲だがごく普通のメロデイで、強いて申せば詩が異邦人の幼稚さが残っているからそうなのだろうかと推測している。 おおきい確率で原曲はポルトガルにあると思う。
 輪唱歌Mai Fali Eも東チモール(ポルトガル領)の歌なら、アーリアン人植民地よりイベリア人植民地の方が常識的には多くの音曲が残っている予測がたつが、ご承知のような政治混乱で、歌どころでない混迷が続く地帯になってしまっているのが悲しい。

 東チモールは共和国のなかでも最貧地帯のヌサテンガラにある不毛の地である。
 かのサーウオーレスがこの地を訪れその貧しさに涙したと伝えられる。
 東インドネシア・レッサースンダ(ヌサテンガラ諸島)最大の島で、四国程の面積の殆どが乾燥山岳地帯(最高3000b余)、その東半分と飛び地アンベノが混乱が続いている旧ポルトガル領東チモール(チモール・テイムールTim・Tim)である。
 約56万人(アトニ、テイトン、ケマック、ブナ、マカサイ、マンパイ族)が14の言語を持つ。植民の影響でカソリック教徒だが土着信仰は根強い。
 混乱の最大の原因は宗主国ポルトガルの長年にわたる植民にあるのは言を俟たないが、こうなる以前からアトニとテイトンは犬猿の仲で、それにトッパセスと呼ばれる混血が加わり一筋縄ではゆかない素地があった。
 イベリア人植民地の常としてポルトガル領のTimTimの混血は進み、住民は帰属する場も定かでなくなったのが最大の悲劇であろう。
 インドネシアが難民としてポルトガルに送り付けた人々は、彼等が故国と信じたリスボンに着いたらブラックポルトギスと罵られて追い返される。しかし彼等はインドネシア国民とは考えていない。いったいどこに帰ればいいのだろう。
 人権派はインドネシア国軍の弾圧を声高に非難し、それは当然のことだろうが、独立して他国の援助なしにどうして食べてゆくのだろう。
 四方はインドネシアの海に囲まれ、チモール人はポルトガル人と混血し名前もゴンザレスとかペドロとか名乗っても、明らかにポルトガル人ではなくレッサースンダに属する血だ。産業もなく独立を主張した僅かな知識人の多くはいまはもういない。
 宗教の違いを言い立てるより、隣のフローレス・カソリックも共和国の一員としてやっているのだし、地理的にも人種的にも多少の不満はあろうと、やはり既存のインドネシア共和国に参入するのが最大公約的に幸せの道だと思うのだが。
 百年もたって世代が代われば、虐殺(国軍だけでなくゲリラも相当の悪事は働いている)の恨みも、恩讐の彼方に沈んでゆくだろう。

 十六世紀からのポルトガルによる搾取は、貴重樹であるサンダルウッド(白檀)の壊滅を齎し、最果ての地は放置され、再生不能の森は乾燥と洪水をもたらした。
 100年にわたるオランダとの権益闘争で島は二分された。
 インドネシアは、旧宗主国オランダの権益地を領土として独立したから、チモール東側はポルトガル領植民地として残った。
 そんな政治的理由から、インドネシアは東チモールは共和国の領土ではないことを明言していたが、1974年ポルトガルの無血クーデタ、カーネーション革命で、ポルトガル海外領土非植民地化でアンゴラやモザンビークの独立と同時に、東チモールは即時独立派フェレテリン、インドネシア併合派APODETI、ポルトガル連合後独立派UDTが結成されて内戦状態になり、フェレテリンが全土を制圧して東チモール民主共和国宣言。他二党がインドネシア併合を宣言し内戦状態となる。
 義勇軍(インドネシア国軍)が首都デイリに侵攻しフェレテリンはゲリラ戦になる。
 国連は75年インドネシア軍撤退要求決議をしたが審議延期となっている。
 1976年7月16日インドネシア共和国は27番目の州として併合し、17000人の軍隊を常駐させる。
 国際アムネステイによれば弾圧による犠牲者は20万人以上としている。

 共和国は併合後の10年間で5000億ルピアを教育医療に投資する特別待遇、縦貫道路建設など住民所得は併合以来7.5倍に増加しインドネシア化が進行している。
 1991年11月州都デイリでの発砲事件(サンタクルズ虐殺)で多数の死傷者がでて国際的批判が高まる。禁断の島として訪問は規制されていたが翌年フェレテリン指導者シャナナ・グスマオ逮捕などで沈静化し緩和されが、衝突や学生デモ、亡命事件が散発的に発生している。
 1996年10月カルロス・ベロカトリック神父とラモス・ホルタ氏にノーベル平和賞授与。
 同15日大統領8年ぶりにチモールを訪問しベロ司教と会う。
 スハルト強権政権の崩壊後、民主化と人権問題がクローズアップするなか、新政権は駐留軍の撤退を含む膠着した関係打開を図っている。

♪♪O, Timor♪♪
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作成 2018/08/29
追加 2018/08/30

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