慢学インドネシア 庵 浪人著
第二章 歌のふるさと
第17話 イリアン
 地球最後の暗黒大陸といわれる世界第二位の巨大島。旧名ニューギニア。
 暗黒だからほとんど判っていない。オランダ領を以ってインドネシア領土としたスカルノ大統領は国連を脱退しても主張を曲げず、遂に住民投票で共和国帰属(1969)を決めた。
 人口密度3人たらず、道もない広大な土地でどうして投票をしたのかは誰にもわからない。
 驚くべきはその住民投票の総意で共和国帰属を決めて日本より広大な大地を我が物にしてしまった。北方三島の比ではないが首都の住民はあまり関心がないようだ。
 イリアンは東、日の出を意味するマレー語、パプアは縮髪の意味だとゆう。
 国の範疇が何か知らないが、多様性での調和と申しても、少なくてもマレー系人種でムラユインドネシア系言語を使うゆるいものでも、共和国人とパプア・メラネシアイリアンの共通点も接点もない。あるとすれば人工政治でしかない。かといってお隣りパプアニューギニみたいに独立国(オーストラリア白人の完全管理だが)になる力はなく、OPM独立派は木製の銃で抵抗する。共和国は地名を変え、人(ジャワ、アンボン、ブギス人)を送りインドネシアアン(インドネシア化)を押し進める。キリスト教団もまけじと失地回復の布教に躍起だ。弱小民族は早晩吸収されるか淘汰されてしまう。
昔インドネシア土産といえば極彩色の美しい極楽鳥の剥製だった。捕鳥動物がいないこの地で鳥類は特異の進化を遂げ、牡は美しさだけを誇示し飛ぶのに不適な長い尾羽で踊りを競い牝を誘う。ファーリモート(遠隔地)で産物はそんな物しかなかったのだが。

 帰属後イリアンジャヤと呼んだが2002年パプアと改称し東半分と間違うのでパプアイリアンが通称になっている。州都は北東端のジャヤプーラ(勝利の都)だがこれもスカルナプーラだった。現在比較的発展したビアク島嶼部が西イリアン州で分離。万年雪の最高峰ウイルヘルミナ峰4732bは現在トリコラ、1962年最高峰はカルステンツ4860bでヌガルプルに改名したらいやもっと高いプンチャックジャヤ4884bがあるとゆうことになった。この地ほど名前の変わる処はなくきっとまたもっと高い峰が見つかって権力者の名前に変えられるだろう。
 島は東西に走る大分水嶺の南北と西端のバードヘッド(鳥の首)に分かれ日本本州の1.9倍の面積に約300万人(2002)、パプア人52%移住人48%といわれている。
 タスマニアを発見したタスマンが沖を通過して適当に新ギニアと命名したが、オランダ時代になっても沿岸の排他種族の抵抗や未知なる風土病を怖れて近ずかず放置されていた。

未知との遭遇
 地球最大最後の'未知との遭遇'は、1938年8月4日決死の覚悟でグーバ飛行艇をバリエム渓谷ハッベマ湖に着水させたアメリカの富豪リチャードアーチボルト第三次探検隊とダニ族との出会いだろう。ペニスケースを誇らしげに着た小人達と、服を着た生白い大男達とはともに対等の未知との遭遇だった。
 1930年5月、オーストラリアの金採掘師マイケルレイヒーとデユーワーがその夜谷間に無数の灯かりを見た。俄然探検ブームに火がついたのだが。
 イリアンには大型哺乳類は生息しないから多くの貴重な鳥類が生息するが、それゆえ探検隊は行程での野性食料補給は期待できず膨大な人数のキャラバンを要した。海岸で五十人のポーターが七百人/日分の食料を担いで出発し、五日めの地点に二百人分を残して五日かけて帰る。これで五百人/日分の食料を消費、ついで十五人が第一貯蔵所に行き更に五日前進して五十人分を運ぶ。この行程で百五十人分が消費される...。あとは?最初のクレーマー探検隊は200dの食料を使い、10ヶ月後に峡谷入り口まで到達したがジャングルに遮られ不運にもそこまでだった。人も住まない荒野を横断して河一つ越えれば言葉も通じずガイドも使えず、極端に排他的敵対的な未知なる部族との遭遇にも増して、広大な低湿地通過で笑い病や風土病伝染病に犯され陸路踏破は不可能、内陸は長く放置されていた。(有能な人類学者Jダイアモンドはオカバからカリムイまでの96`の旅で、フォーレ語からツダヘ語の6言語地域を通過した。ここの言語は双方無関係に半径15`以内の二、三千人が話すだけの言葉だと報告している)
 背骨山脈は五千米級の雪を頂いた高峰が重なり、何処から眺めてもそこに四万人もの人が住む大盆地があるなど想像も出来なかった。バリエム渓谷のダニ族で完全な石器人だった。
 渓谷ハイランドは外敵から遮断され、蚊の発生も少なく大敵マラリアにも害獣にも犯されず、芋さえあれば太古さながらの楽土で、充分に子孫を残せたわけだ。彼等の主食はさつま芋だがそれは南米原産だからどうして彼等がそれを獲得したのか大きな謎として残る。
 アーチボルトも数回の失敗でも最新の武器飛行艇があったればこその踏破だったわけで、
 その後着水したものの高所気圧から離水出来ず隊員の犠牲者がでる。

 今のダニの首都ワメナでの'遭遇'にはアクセス道路はないが15年前位から州都ジャヤプーラから宣教団のセスナに便乗すれば風変わりな観光として誰でも訪れられる。酋長がオーストラリア女性記者を妻にしたり、ダニの若者はTシャツ半ズボンをコテカ(ペニスケース 瓢箪を局部にかぶせる。個人身分部族で長短大小様々)に着替え、ペンキで刺青を描いてバイクに跨って、未知との遭遇を下界で自慢したい客を迎える。
 首狩り戦争ごっこを自演したり、祖父のミイラの拝観料を貯めてバリアム最初のブロック家を建てた"石器人"もいるが、決められたメインロード以外は立ち入り禁止、狩られても責任は負わない。ワメナ在住ロッジ経営の白人の秘境ツアーは更に2時間コルプンまで飛んで徒歩2日のブラッザ河奥地の、言葉も持たず樹上生活をするピュアな友人を眺めるものもあるが、行きはいいが帰路の保証が得られない。
 部落抗争での首狩りも真実は弓矢も届かない距離で雄叫びをあげるのがせいぜいの雄鳥のデイスプレイ(示威行為)で、逃げ遅れた老人病人子供が生け贄になる程度、気がむけば芋の苗を少しだけ植えて日長一日何もしないで瞑想し、夫婦行為もそそくさと草陰で済ませ、夜も祈らず唄わず語らず、それで二万年以上暮らしてきたわけだ。
 分水嶺から広大無辺な低湿地帯が広がる地域が最も空白地帯で、地図すら作れない。

アスマット
 南部アラフラ海に面した住民はマレー人種とはかけ離れた強健パプアメラネシア。ここからニューヘブリデス周辺の人種分布はまだまったく解析出来ない謎として残っている。
 低地帯のアスマット族は特異な木彫芸術師がいるがカルバニスト(食人)もまた多い。バリエムとは違い環境が劣悪だから生き方も厳しい。60年代にロックフェラーの息子ミカエルは民芸品を求めて自分が記念品にされてしまった。軍隊まで動員した捜索も失敗した数年後、宣教師がサクソン系頭蓋骨と所持品を飾った酋長に会ったが、公式には小舟が転覆して鰐に食われたことになっている。鰐こそいい迷惑だ。
 南部低地帯海岸は2000`にもなり唯一の町はアガツだが、猛烈な干満潮差で日に二回町全体が泥海に還る。町の外は海と陸の判別もつかない朦朧とした処。例外はテイミカ。
 コングロマリット・フリーポート・マクモランはここに下手な国より大きいコンセッションを手に入れて、世界一の銅鉱掘削を行っている。100`を越す私設道路、1500bの高原に勝手にテンバガプーラ(鉱山市)と命名して数十`を金網で囲った一万人が住む外国。そう遠くない昔にアメリカがネーテーブ(インデイアン)にやったと同じ事をやって先住民は追い立てられレザヴェーション(居留地)。人権団体が騒ぐが散発的で国益の一言で抹殺される。山師にあらずんば人でなし。銅山につきものの金塊はスハルトファミリイと闇契約を結んでいたが、とっくに数十倍の率で本国に持ち去って地主の国家予算以上の莫大な利益を隠しているともっぱらの噂だ。


バードヘッド
 北部海岸地方は戦争の傷跡が残る。多くの日本兵遺骨がまだ眠っている。戦わず餓死だったのは悲惨だ。カーゴカルトといって張りぼての飛行機を祭っていつ訪れるかわからない宝船を待つ人達もいる。
 その形からいわゆるバードヘッド(鳥の頭)といわれる西部はソロン、マノクワリ、ファクファクそれにビアク島など一応漁業とか最近のマングローブ林乱伐でのポイントだが、実は最も過激な人食いはこのヤーペン湾奥の地方だとか猟奇的噂がとぶ。川の対岸はよその国、川を挟んで部族の抗争は茶飯事だが、こんな処にもキリスト宣教師家族が住んでいるのには驚かされる。フォジャ地域は生物新種の宝庫で調査すれば蝶や昆虫だけでなく哺乳類も含む数百種の新種が発見される生物学者垂涎の地だ。

 肝心の歌は、ただイリアンは山から山と呼び合うヨーデルがいいといっても広すぎてイリアンの何処の民の歌なのか。その風貌からドラムリズムが得意といっても、おおよそアンボン人達が衣装もそれなりに唄っているだけで信憑性に欠ける。

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作成 2018/08/29
追加 2018/08/30

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