ダビデの星とベツレヘムの星

第六章 イエスの誕生年 -1-(マタイとルカの記録)

「イエスが、へロデ王の時代に1 ユダヤのベツレヘムでお生まれになった時… ― (マタイ2 : 1 )
マタイは、へロデ大王存命中にイエスが生まれたと告げています。史実では、へロデは36 年間の治世を終え、70 才でBc4年に死に、息子たちがBC4 年から跡を継ぎました。
ですからマタイは、イエスの誕生はBC4年以前ということを告げていることになります。
「その頃、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。・・… …
ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(ルカ2 : 1 … 4 )
ルカは、イエスの誕生年は、次の時と告げています。
クレニオがシリヤの総督であった時
ローマによる最初の住民登録があった時
クレニオとは、ローマの元老院議員P ・スルピキュウス・キリニュウスのことで、彼の名前はローマの文書の中にも記録されています。
クレニオ(キリニュウス)が、ローマからシリヤの総督として赴任したのは、史実ではAD6 年で、この時、ユダヤにおける最初の取税官となったコポニュウスもローマから派遣されたという記録があります。

また、クレニオとコポニュウスが、紀元6 年から7 年にかけて、住民登録を行ったことも記録があります。(ヨセフス「ユダヤ古代誌181 )
すると、イエスの誕生年について
マタイは、BC4 年以前と述べ
ルカは、AD6?7 年と述べていることになってしまいます。
この史的食い違いは、聖書研究者にとって、長い間の厄介ごとでした。
紀元6?7年というのは、他の聖書記事となにもかも合致しませんので、マタイの記事だけが信用され、このことでも、BC4年説が支持されることになりました。
しかしルカは、ヨハネの宣教開始の時についても、前述のように、きわめて正確無比の記録を残していて、このクレニオの記録以外では、信頼できる歴史家と見なされていますから、このルカが事実誤認をする筈がないと、多くの学者が悩んできたのです。
ルカは「最初の住民登録」と「最初の」を記録しています。
軍勤に召集のため・徴税のための住民登録は、ローマでは14 年ごとに行われました。
キべス・ロマニ(ローマ市民権所有者)だけでなく、イスパニア、ガリヤ、シリヤ、パレスチナ、エジプトなどでも実施された記録があります。
1764 年にローマで発見された碑文には、名前は出ていませんが、史的前後関係から、クレニオ以外に考えられない人物が、シリヤに行くとき総督となり、それが二度目のことであったという文がありました。(ラテン語碑文全集・H ・デッソー編一1887 年一第14 巻397 頁)
これらのことから、クレニオはAD6 年以前にもシリヤの総督であって、その時最初の住民登録があったのではなかろうかと推理する学者も少なくありませんでした。
クレニオの名前は、ローマの執政官名簿である年譜のBC12 年の箇所に出ています。
また、ローマの歴史家タキトウスは、クレニオについて「皇帝アウグストウスのもとで領事の地位を獲得し、少しのちには、キリキヤの国境の向こうにあったホマナデンセス族の砦を攻略することで勝利の勲章を得た」と書いています。(編年誌3 巻158 頁)

遂に、アンティオキヤで、重大なローマの文書が発見されました。
それによると、「クレニオは、小アジアのタウルス山に住む一族、ホマナデンセスを攻めた時、BC10 年からBC7 年まで、シリヤに政庁と、軍指令部を置いていた」とありました。
クレニオ(キリニュウス)は、BC12 年にローマの執政官となり(ローマ執政官名簿による)、アゥグストゥス皇帝のもとで領事の地位を得、少し後にホマナデンセス族の砦を攻略した時(タキトウスの編年誌による)、BC10 年からBc7 年までシリヤに政庁を置いた、シリヤの総督だったと判明したのです。
でもまだ問題が残っていました。
ユダヤの歴史家ヨセフスは、クレニオが最初のシリヤ総督であったBC 10 年からBC7 年のころのシリヤの総督は、クインティリュス.ウアルスであり、二度目にシリヤの総督であったAD6 - 7 年のころのシリヤの総督はセンティウス・サチュリヌスであったと記録しているからです。
多くの神学者が、論理的根拠も示さず、歴史家ヨセフスの間違いで、聖書記者ルカのみが正しいと主張しています。
宗教百科辞典(新シャフ.へルツオーク、第9 巻)に、もっと後のシリヤの総督に関して、クレニオの時と同じような問題が取り上げられています。
「シリヤの総督がムキアヌスだったとき、パレスチナで戦いがあり、ローマ皇帝直属のシリヤ地方総督として、ウェスパシアヌスが派遣され、戦いの指揮を取った。
ウェスパシアヌスは、ムキアヌスと同じ階級で、おなじシリヤ総督の称号を持っていた」
ヨセフスもルカも、双方とも正しい記録を残していたのです。

ヨセフスもルカも、双方とも正しい記録を残していたのです。

さてルカは、 (へーゲモーンの変化)と言う言葉を使用しています。
このギリシャ語は、日本語で「総督」と訳されていますが、当時のローマでは「高級行政官」を指す時に使う語でした。
ローマの属州の地方総督や、行政長官(プロクラトール)や、執政官代理(プロコンスル)を指す時に、このへーゲモンが使われたのです。
前述のアンティオキアでの発見文書には、
「クレニオが戦のため、皇帝直属の地方総督(へーゲモン)として、シリヤに政庁をおいた時(BC10 … 7 年)は、執政官代理(プロコンスル)サチュリヌスの時だった」と、肩書きが区別されて明記されていました。
クレニオが地方総督、サチュリヌスが執政官代理だったということでそれにしても、医者ルカの記録の正確さは、ただただ驚くばかりです。
ルカは、皇帝アウグストウスの住民登録について、クレニオ(キリニュウス)が、シリヤの「高級行政官」{皇帝直属の地方総督)であった時の[最初の」住民登録であったと告げています。
クレニオが第二回目のシリヤ総督の時(AD6 年)に住民登録を実施したことは、前述のとおり記録がありますが、残念ながら、第一回目のシリヤ総督の時に、住民登録を実施したという記録はありません。
ベネチアで発見された碑文にも、クレニオがシリヤで住民登録を行ったことが記録されていますが、二回の内のどちらかを決める手掛かりは残されていません。
ただ、14 年ごとの登録ということからは、AD6 - 7 年実施の14 年前に、つまりBC7 年に、ルカのいう「最初の」住民登録があったと考えられるということです。
そして、イエスの誕生がBC7 年であったとすれば、聖書の示すすべての歴史記録とそれは、合致するのです。
それに、聖書の記録にある、イエス誕生の時のベツレヘムの星の物語が、事実であり、それがBC7 年と確認されれば、間違いなくイエスの誕生はBC7 年ということになります。
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