ダビデの星とベツレヘムの星
第五章 宣教開始の時とイエスの年齢との関係

イエス誕生BC4 年説の人たちが、宣教開始をAD26 年に設定した理由は、ルカの次の記録(3 : 23 )の30年を、BC4 年に足したからです。
「教えを始められたとき、イエスはおよそ30 才で、人々 からヨセフの子と思われていた」(新改訳)
「イエスが宣教を始められたときは、およそ30 歳であった。イエスは、ヨセフの子と思われていた」(新共同訳)
これらの翻訳については、二つのことを説明する必要があります。

一つは「教えを始められた」「宣教を始められた」についてです。
原語は、アルフー (始める)の現在分詞主格が使われているだけですから、正確には「開始は」となります。
「教え」とか「宣教」などという言葉はないのです。ただ「開始は」では、意味が通じませんので、「教えの開始は」「宣教の開始は」と意訳してこれらの言葉を加えたということです。
しかし、 には、「官職につく」という意味もありますから、「官職(または公職)に就かれたのは」と訳すことのほうが、意訳よりも普通だと思います。
イエスが公職である、王職、預言者職、祭司職に就かれたのは、ヨハネの洗礼を受けて、聖霊がくだり、天からの声が、「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と告げた時からです。
ルカは、この時の情景を記録し、引き続いて「イエス御自身が公職につかれたのは… … 」と書いているのです。

さてもうーつは、この箇所は、「イエスはおよそ30 歳であった」と「ヨセフの子と思われていた」の句は、切り離して訳すのはべターではないということです。
この二っの句の間には、 という接続詞はありません。
(およそ… のよう)… … の (およそ… のよう)という文章構成です。
ですから、つぎのような意味の句です。
「人々は、イエス御自身が公職に就かれたのは、30歳のようであり、イエスはヨセフの子のようだと見なしていた」(私訳)
「人々が見なしていただけで、事実とは異なる」ということを強調しようというのでは、決してありません。ただ、翻訳についての個人的解釈にすぎません。

一番大事なことは、「およそ30才」と律法との関係なのです。多くの学者がこのことを見逃しているのは、残念でなりません。
イエスの年齢については、聖書ではルカしか記録していません。それも、ただの二回だけです。
イエスが12歳になった時に、エルサレム神殿に行ったという記録と、この「およそ30歳」という記録だけです。
12歳のエルサレム行きは、12という数に特別の意味があるのではありません。
イスラエルの12部族とかイエスの12 弟子などの1 2 の数と直接関係があるということでもありません。
ユダヤでは、12歳のころから青年期(成人)に入り、宗教上の一人前として取り扱われていました。
ユダヤには、過越の祭り、五旬節の祭り、仮庵の祭りという三大祭りがあり、律法によって成人男子は、これに出ることが命じられていました。(出エジプト23 : 1417 ,申命記16 : 16 )
イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに上っていました。イエスが12歳になり、宗教上の一人前の男子となったので、この時には、共にエルサレムに上ったのです。(ルカ2 : 41 … 42 )
つまり、両親とイエスはユダヤの律法を堅く守っていたということを示しているのです。(ルカ2 : 27 )
ですから、宣教(公職就任)と30 歳について、どんな律法があるかということを調べることが、ここでは、正しい聖書の学び方です。

神様は人間の手で造った社の中に住み給うような方ではありません。しかし、多神教の世界にあって、唯一・真の神の臨在を示すものを、神によって選ばれたイスラエルの民に示す必要がありました。
そこで、神様の臨在を示すものとして「幕屋」をつくらせ、レビ族を選び、この幕屋の勤めに当たらせられました。現在の教会堂の型です。レビ族は、ヤコブ'イスラエルの三男レビの三人の息子の支族たちのことです。
この臨在の幕屋で働く者は、神様によって「30 才以上50 才以下」と決められていました。く民数4 : 3 )
そして、モーセの兄アロンと、アロンの四人の息子が「祭司」として指名され、聖別されました。
後に「祭司」以外の幕屋に関する勤務者は、25才以上となり、ダビデ時代(歴代123 : 24 )、ヒゼキヤの時代(歴代1131 : 17)、捕囚帰還時代(エズラ3 : 8 ) には、20 才以上に引き下げられています。
しかし、「祭司」の年齢が引き下げられたのではありません。(歴代1131 : 17 、エズラ3 : 8 )
モーセの時代、兵役につくことのできる者は20才以上でしたが、神様は、幕屋の奉仕という任務の性質上、一層円満な人格を要望されて、30才以上と命じられたのです。
まして「祭司」の職に就く者は、円満な人格に加えて、厚い信仰が望まれました。どうしても30才以上でなければならなかったのです。
ルカは明らかに宣教開始時のイエスの年齢を知らずに書きましたが、聖霊の導きのゆえに、イエスが公職(祭司職)に就き、宣教を開始した時を、律法どおり30才以上であったと告げる結果になったのです。
30才の頃宣教を始めたと単純に読み過ごさず、律法どおり30 才以上で祭司職に就いたということを読取りたいものです。
こういう訳で、イエスが、BC4 年に生まれたという説を主張する人たちが、この記録を基に、単純に30 年を足して、イエス宣教開始をAD26 年とすることは、意味のないことであり、事実間違いです。

<<追加>>
神殿再建年数とイエスの宣教開始年
イエスがAD26 年秋に宣教を開始し,翌年の春エルサレムで宮清めを行ったと仮定しますと、聖書の下記の記録と合致しません。
「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる』。それでユダヤ人たちは『この神殿を建てるのに46年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った」(ヨハネ2 : 1920 )
へロデの神殿と呼ばれるのは、捕囚後、ゼルバべルの指導のもとに再建されたエルサレム神殿(第二神殿)が、年の流れとともに朽ちてきたので、へロデがユダヤ人の歓心を買おうと大改修したものです。
それは、へロデ大王の治世(BC37 - 4 年)の20年目、すなわちBC17年のことで、AD64年までかかりました。
ですから、イエス在世当時はまだ建設中でした。
さて、神殿の境内でユダヤ人たちは、「46年もかかった」といっています。BC17年から46年なら、AD30年ということになります。
AD29年の秋に宣教し、翌30年春のエルサレム訪問だと、ピタリー致します。
聖書はどこまでも、イエスの宣教開始をAD29 年、十字架を33 年と示しているのです。
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