ダビデの星とベツレヘムの星

第四章 ダニエルの預言に基ずく、イエス宣教開始の年

前項では、イエスの死の年からイエスの宣教期間の3 年半を逆算して、イエスの宣教開始の年を、AD29 年と確認しましたが、預言者ダニエルは、イエスの宣教開始の年も預言していました。
ダニエルは、イスラエル十二部族のーつユダ族の出です。
BC606 年、イスラエルはバビロンに滅ぼされ、おもだった者たちはバビロンに連行されました。この時ダニエルも一緒でした。
ダニエルの生涯は、ネブカデネザルの即位第一年から、それに続く、5代の王朝を経て、バビロンの滅亡に続き、ペルシャの時代に入り、メディア人ダリョスの治世を経て、ペルシャ人クロス王の第3年にまで及んでいます。
ダニエルは、ユダヤ人捕囚の第1年から、捕囚50年間と、その帰還の第21年まで、即ち、BC 606 年から534年までの72年間を、それぞれの王の助言者として過ごしたのです。
ダニエルは、世界を支配した大帝国の宮廷における「神の証人」でした。
ダニエルは、後に,バプテスマのヨハネの父ザカリヤに現れてヨハネの誕生を告げ、イエスの母マリヤに現れてイエスの誕生を告げた、あの天使ガブリエルに言葉を受け、それを民に預言として伝えています。
「エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから、油注がれた君の到来まで、七週あり、またさらに六十二週ある」、(ダニエル9 : 24 - 27 )
「油注がれた君(救世主なる一人の君)」とは、イエス・キリストのことです。メシヤもキリストも「油注がれた者」という意味です。
エゼキエル書4 章6 節に示されていますように、この時代には、一日を一年を指すのにも使用して長い年月を記億していました。
まず、計算の起点は、「エルサレム復興と再建についての御言葉が発せられた」時です。
再建されるという麹虫は、おおくの箇所にありますが、再建の全宣や文書となると、次の三つがあります。
 (a) ペルシャ王クロスの交付文書(Bc536 年)(エズラ1 : 3 ) これは、バビロン捕囚のユダヤ人にエルサレムに帰還してよいという布告で、その中に「主の宮をたてるようにせよ」とあります。
しかし、エルサレムに戻ったユダヤ人は、再建工事にかかったものの、その地の住民の反対で、工事は中断されました。(エズラ4 章)
(b) ダレイオス王の総督タテナイや知事あての手紙(エズラ6 : 6 … 12 ) これは、ユダヤ人への命令ではなく、総督タテナイ たちに、ユダヤ人の神殿再建工事の邪魔をするなと言う命令です。
ダレイオス王の治世6 年、BC516 年に再建工事は終りました。(エズラ6 : 15 )
しかし、後にネへミヤがエルサレムを訪れた時には、城壁は破壊され、城門は焼け落ちていました。
神殿は完全には再建されてなかったのです。
 (c) 真のエルサレム再建の原点は、ネへミヤの祈りとダニエルの祈りにあります。(ネへミヤ1 章5 - 11 、ダニエル9 : 4 - 19 )
二人のこの箇所の祈りは、非常に似ていて、ダニエルはこの祈りの最中に、天使ガブリエルに、キリストの来臨の預言を与えられたのです。
ネへミヤは、アルタクセルクセス王に直接、神殿再建の許可を求め(ネへミヤ2 : 5 ) 、王の再建命令の手紙をもってエルサレムに出発しました。
ですから、この時が、ダニエルの預言起点の時に違いありません。ネへミヤは、その時を、アルタクセルクス王の第20 年と記録しています。(ネへミヤ2 : 1 )
史実では、アルタクセルクスは、BC475 年に王位についていますから、第20 年は、BC455 年ということになります。

さて、このBC455 年を起点として、ダニエルの預言「7 週、62 週、1 週、半週」は、史実で何が示されているのでしょうか。 
  (a)  7 週=49 年
一日一年ですから、7 週は49 年です。
起点のBC455 年から49 年後は、BC406 年です。
この年、エルサレムの再建が、城壁も城門もふくめて完成しました。
 (b)  62 週=434 年
さらに62 週とありますから,BC406 年から434 ( 62x 7 )年後は、AD29 年<br>
となります。(紀元は0 年がないので)<br>
ダニエルは、「油注がれた君」が到来すると預言しています。<br>
イエス宣教開始AD29 年説とぴたり一致します。
 (c) 62 週の後で、油注がれた者は断たれ(ダニエル9 : 26 )
イエスはこの宣教開始の年から、僅か3 年半後に十字架刑に処せられました。預言どおり、断たれました。 
 (d) 半週=3 年半で、「生け賛と捧げ物を廃止する」
半週、即ち、宣教開始後、3 年半で「生け賛と棒げ物が廃止される」という預言です。
イエスは、宣教を開始し、3 年半の後、御自分を犠牲として、十字架上で捧げられました。
このことにより、ユダヤ人がこれまで予型的に行ってきた動物犠牲と捧げ物は効力を失いました。
大祭司自身の犠牲が、全ての捧げ物の成就となったのです。 
 (e) 1 週(7 年)の間、おおくの者と同盟を結び「同盟を固め(新共同訳)」へブル語は、covenant 「堅い契約を結び(新改訳)」(契約)を意味する語です。
これは、神様の血族的イスラエル人に対して示されてきた恵みが、62 週(AD29 年)の後から、さらに1 週(7 年間)引き続いて保たれるということです。
つまり、宣教を開始して、半週(3 年半)後、メシヤは断たれるが、なお残りの半週(3 年半)まで、血族的イスラエルとの契約は保たれるということです。 
AD29 年にイエスは宣教を開始され、3 年半の後十字架刑に処せられました。しかし復活されて、弟子たちに宣教を命じて昇天されました。弟子たちは直ちに福音の宣教を開始しています。
聖霊降臨(ペンテコステ) 使徒2 章・ AD33 年
ステパノの殉教使徒7 一8 章AD34 年頃
サウロの回心 使徒9 章 AD34 年頃
パウロの最初のエルサレム訪問 使徒9 章 AD35 年頃
コルネリュウスの受洗 使徒10 章 AD36 年頃
正確な年代は決定できませんが、使徒言行録によると、AD29 年後の7 年間は、イエスの宣教3 年半と上記の3 年半ということになります。
ペンテコステによってエルサレム教会が設立したのにはじまり、パウロの召命などと、血族的イスラエルとの契約は保たれました。

この7 年のあとは、直接契約関係になかった異邦人、血族的イスラエル人でない異邦人が、霊的なイスラエル人になる道が開かれるということを暗示しているのではないでしょうか。
即ち、AD29 年の宣教開始から、約東の7 年が過ぎたAD36 年の頃に、イタリア隊という部隊の百人隊長コルネリュウスが、ペトロによって、異邦人として始めての洗礼を受けているからです。 
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