嗚呼、インドネシア
第96話 デマッ・サルタン国

 第95話で長文でチレボンサルタン国の歴史を語ったので、同国の兄貴分に当たるデマッサルタン国の歴史に関してWikipediaに掲載されていたインドネシア語の記事を和訳して掲載する。

デマッサルタン国の歴史
年表
チレボン、バンテン、デマッ、マタラムのサルタン国の親戚関係図

 デマッの歴史で最も有名なのはラデン・パタである。彼の父はヒンドゥー教徒であったマジャパヒトのKertabumi王で、母親は華人商人のBang Tongの娘で側室であったBan Hong。彼女はイスラム教徒の雲南人の末裔であろう。Kertabumi王の正室、チャンパ人と言われている、がなかなか妊娠しなかったのはBan Hongが王のそばにいるからだ、と聞いた正室は王の子供を妊娠していたBan Hongを王宮から追放することにした。
 チャンパから軍師(軍事技術者)として来訪したスワン・リョンという雲南人に連れられてBan Hongは彼の任地であるパレンバンに行き、そこでラデン・パタを出産した。その後、彼女とスワン・リョンの間に生れたラデン・クセンとラデン・パタは大人になるまでスワン・リョンに育てられた。長じてこの二人がマジャパヒトのKertabumi王に謁見したところ、ラデン・パタが王によく似ていたことに驚いた王は自分の子供であると認め、ラデン・パタに現在のデマッ付近の土地を与えた。この土地は海岸沼沢地であり、農業には適さなかったためほぼ無人の原野であった。この地域を古い地図には湿地帯として表記しているが現在では見渡す限りの水田が広がっている。
 ヒンドゥー教徒の父に仕えるのを嫌ったラデン・パタはこの土地を開墾して集落をつくり、ムスリムとしての生活を送った。一方、弟のラデン・クセンはマジャパヒト王宮のスタッフの一員となり、マジャパヒト王朝の内情を探った。
この二人の兄弟が協力して1478年にマジャパヒト王国を滅ぼしてデマッ王国を建国し発展させていった。ラデン・クセンは中国語を話せたので高齢になってもあちこちで活躍したようである。
 この歴史に興味を持たれた方は長文の本ですがこちらもご覧ください。

 このページは主観を基にインドネシア語で書かれたWikipediaを和訳したものであるから、歴史学的には間違えている部分もあるだろう。間違いをご指摘いただけたら幸甚です。

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2024-3-21 作成
2023-3-22 追加訂正

 

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