嗚呼、インドネシア
84話 マジャパヒト滅亡とインドネシアのイスラム化 

 ジャワのイスラム化の理由に関する疑問への答えはこれから徐々にひも解いてゆく次の本で得られるだろう。訳者としてもこの謎解きが楽しみである。
 Runtuhnya Kerajaan Hindu-Jawa dan Timbulnya Negara-negara Islam di Nusantara

 以下は勉強のために筆者が和訳したものであり、内容を流用した際のいかなるリスクに関しても訳者は責任を負わないことをここで述べておく。
Slamet Muljana著Runtuhnya Kerajaan Hindu-Jawa dan Timbulnya Negara-negara Islam di Nusantara
邦題「ジャワ・ヒンドゥー王国の衰退とインドネシアにおけるイスラム王国の勃興」
目次
前文
第一章 マジャパヒトの王の系譜
マジャパヒト王国の勃興からスマトラ遠征、ガジャマダの活躍、直系の子孫が絶えたために王族内の内紛でマジャパヒト王国が滅亡するまで。マジャパヒト王と宰相の系譜がある。
第二章 史料原典(1/3), (2/3), (3/3)
物語形式で書かれたジャワの歴史書Babad Tanah Jawi (ジャワ年代記)とSerat Kanda (椰子の葉のお話)、スマランとチレボンの三保洞廟年代記を史料としたPoortmanの調査結果(1928年)、ポルトガルの史料。
第三章 人物の特定と歴史の進行(1/3), (2/3), (3/3)
華人移住の背景、第二章で登場した歴史上の重要人物の特定と解説。ワリソゴについても解説している。
第四章 列島地域のイスラム国
インドと中東地域での情勢変化に伴うマラッカ海峡を挟むサルタン国の興亡とインドネシアへ伝播されたイスラム諸宗派の発展。
第五章 東南アジアにおけるイスラムの宗派
イスラムの各宗派の興亡の歴史。
第六章 マジャパヒト王国の衰亡
東南アジアに覇を唱えたマジャパヒト王国はなぜ衰え、Demakサルタン国が誕生したのか。
第七章 Demakイスラム王国の建国 (1/3), (2/3), (3/3)
混血華人の活躍によるDemakサルタンの繁栄とマジャパヒト王国の滅亡、ポルトガル人の東南アジアへの侵攻。
第八章 Demak王国の衰亡
Demak王国の衰退とイスラムの宗派の変化とDemak王国からマタラム王国へ
第九章 胡椒交易争奪戦とマラッカ海峡
マタラム王国の誕生とオランダ人の来訪によるポルトガルの東南アジアからの敗退。
あとがき
付表
Errata for the original book (printed 2006) 和訳文には修正を施してあります。

 このSlamet Muljana著Runtuhnya Kerajaan Hindu-Jawa dan Timbulnya Negara-negara Islam di Nusantaraの序文に1971年に最高検察庁から発禁の処分を受けたとある。その理由とは、この本の中でワリソゴ(ジャワにイスラムを広めた9人の伝道師)の一部に中国人がいたのではないかと書いたことであった。この当時はスハルト政権下のオルデバル(新秩序体制)であった。そもそもスカルノが失脚したのは中国(中共)と懇意になり、インドネシアに共産主義革命が起きそうになり、外国(たぶん欧米)からの支持を受けてスハルトがその革命をつぶそうとした(9月30日事件)からである。歴史的にみると1740年に「バタビアの狂暴」事件が起きて暴動を起こした華僑が多数殺され、時のオランダ植民地政府はバタビア(今のジャカルタ北部)に住んでいる華人を治安維持のために数か所に集めたことがあった。これが今でもPintu BesarとPintu Kecilという名で残っている。この事件以来、現地人(プレブミ)には感情のしこりが残り、社会不安が募ると反華僑暴動が頻発した。

 最近では1998年に暴動があった。この暴動は5月13日の午後にジャカルタの国際空港のある地域のチェンカレンで勃発し直ちに空港付近には交通規制が行われた。そのためその晩のフライトで帰国する予定の私は数日間の足止めを食らうことになった。1998年のジャカルタ暴動発生の数か月前から暴動発生の予兆はあり、これらに関して東京におこなった状況報告のコピーと帰国時の顛末記をウエブにアップしてある。何かのご参考になれば幸いである。
 同年2月に東ジャワ州の海岸地帯を中心として、よく軍事訓練された黒服のよそ者がトラックで集落に入り込み、特に宗教上の指導者やドゥクンを殺害し、素早く姿を消すことが頻々と発生した。彼らは黒服で動きが敏捷なため「ニンジャ」と命名され、襲われた地域の住民たちはおののいたのであった。ニンジャの襲撃の理由はいまだに不明ではあるが、1965年の9.30事件の際、宗教上の指導者たちの嘘の密告により無実の罪で殺された遺族たちの復讐が目的ではないかという噂も立ったほどであった。

 閑話休題。このようにインドネシアでは華人は二流市民の取り扱いを受けてきて、彼らの信仰する道教や孔子廟などへの信仰は憲法の言う「信仰」には入らないものとされてきたが最近になってこれらも「信仰」として認められるようになった。


2015-10-22 作成
2015-10-25 追加
2016-09-06 訂正
2020-09-21 訂正

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