嗚呼、インドネシア
53話 ワリ・ソゴへの突撃妄想インタビュー
第六章 スナン・カリジョゴSunan Kalijogo
スナン・カリジョゴ。トゥバンのブパティ(県令)であったキ・トゥマングン・ウィロティクトの息子で、もとの名はR.M.シャヒドである。彼は布教者としてばかりではなく、戦士、詩人、哲学者としても知られている。彼は各地を巡回する布教者だったので、布教地域はきわめて広い範囲に及び、また貴族や知識人に対しても大きな影響を与えた。
インタビューアー お答え
- 失礼します。スナン・カリジョゴさん。お休みのところをお邪魔して申し訳ございません…………。

ワリソゴの仲間たちから聞いていますよ、さあさ、おはいりください。
- 最初からぶしつけな質問で失礼します。お生まれはどちらですか。
父の土地であるトゥバンだ。
- やっぱり。ジャワ人らしいきりっとした顔つきをしていらっしゃる。
無理してほめなくてもよい。
- いえいえ、あなたの時代から500年たったいまでも、良い家系で理性的な男性はあなたのような容貌を持っていますよ。だから、無理はしていないんです。さて、文献によると、ジャワの文化とイスラムとを結びつけたとあります。たいした業績でしたね。
いやいや、それほどでもないさ。マジャパヒト時代からの伝統文化で、王族たるものは芸術にも秀でていなければならなかったから、その知識とイスラムの教えとを結び付けただけだ。いまでもジャワ人たるものは仕事の能力だけではなく、芸術にも秀でていなくてはならないという美しい伝統が残っているほどだ。
-あなたの肖像画では、ジャワ風な装いをされていて、イスラムの伝道者とは見えませんね。どうして中東風な服を着ていらっしゃらないのですか。
それはね、ワシがジャワ人だからジャワの伝統的な服を着ているだけで、中東風の服装で相手に目くらましをさせるような手段は使いたくなかったからだ。イスラムは外見ではなくてその心が大切なことを大衆に伝えたかったのだ。
- そうだったのですか。失礼しました。
スナン・カリジョゴ(Sunan Kalijogo)別名ラデン・サヒッドはスナンボナンの弟子でありデマクで積極的に活動した。セノパティ王のアドバイザーでもありスナン・ムリア(Sunan Muria)の父でもある。彼はガレベク(Garebeg)を復活させて、影絵芝居(Wayang Kulit)にイスラムの物語を追加したのみならず、古来の文芸にイスラムの新風を吹き込んだ。ジョグジャカルタのイスラム高等学院(IAIA)の名前は彼の名前をとって付けられたものである。彼は、呼び方は正確ではないが、イスラム「改革派」の一人と呼ばれている。彼の生涯についてははっきりした記録がないため諸説があり、1470年代にデマクのモスクを作ったとも言われている一方、活動時期は1500年代の半ばであるとも言われている。
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2008-08-31 作成
2015-03-16 修正
 

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