嗚呼、インドネシア
53話 ワリ・ソゴへの突撃妄想インタビュー
第二章 スナン・アムペル
 スナン・アムペル、本名はラデン・ラハマット。彼はビントロ・デマクを首都とするジャワ最初のイスラム王国の建設を企て、それを実行した人物だといわれている。この王国の初代のスルタンになったのがラデン・パターである。
インタビュアー お答え
- ピンポーン。失礼します、スナン・アンペルさん。マウラナさんから連絡が行ったと思いますが、インタビューにうかがいました。
……………。
- ピンポーン。失礼します、スナン・アンペルさん。マウラナさんから連絡が行ったと思いますが、インタビューにうかがいました。
……………。
- あれえ、変だなあ。いらっしゃるはず何だけど。ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン
……………。
- あ、管理人の閻魔さまがでてきちゃった。あ、あのう閻魔様、スナン・アンペルさんはお留守なのでしょうか?
うん。スナン・アンペルさんは誰にもお会いできない理由があるとのことで、いま閉じこもっているのだ。
- 普通なら、インタビューに応じてもらえるはずなのに。結構です。閻魔大王様、ありがとうございました。閻魔様、なぜスナン・アムペルさんはインタビューに出てこられないのでしょうか?
それはな、度欲君には教えられない何かの都合でインタビューに応じられないくらい多忙を極めているのだろう。時期を改めておいでなさい。
- はいわかりました。
(というわけで、今回スナン・アンペルさんへのインタビューはできませんでした。そのかわり、閻魔様に直撃インタビュー。)
- あのー、閻魔大王様。質問があるのですがよろしいでしょうか。 なんだね。
- 私らが子供のときに、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」と脅かされましたが、死んでしまえば霊魂が肉体から離れてしまうので、実際には閻魔様が舌を抜きたいと思っても、抜く舌がない、ということになりますね。
そうだ。これはただの脅しに過ぎないのだよ。まあ今の言葉では「教育的指導」とでも言おうかね。
- もう一つ質問があります。それは閻魔帳についてです。閻魔帳には各人の人生で起きた全ての事柄が書かれているということですが、どうやって書いていらっしゃるのでしょうか。
うん。閻魔帳には全ての事が記録されているといってよいだろう。もちろん紙にボールペンで書いたものではなく、無尽蔵と呼ばれるサーバーに特別な方式で記録されている。最近の言葉だとクラウドコンピューターとでも言えるだろうね。サーバーだからこの世からアクセスすることもできるが、これは公共のためのサーバーではないから、ファイヤーウォールをたくさん作って、限られた人に限られた範囲だけで閲覧できるようにしているのだよ。これは度欲君が知っているとおりだ。
全ての人の行為はそのままデータとしてサーバーに転送され、保存される。それは人々の来世のために必要だから保存されているのだ。
ところが、不埒なやつがサーバーに侵入してデータを書き換えようとするヤツがいる。こういうやからは、改悛するまで死後の世界で学習させられ、この世に生まれ変わることはできないようなシステムになっている。
- そうでしたか。どうもありがとうございました。近いうちお会いしましょう。
そんな社交辞令はいらないよ。度欲君とあの世で会えるのはまだ数十年先のことだからね。生きていれば罪を作ることになるとはいわれるが、功徳を積むことも可能だ。せいぜいがんばりたまえ。
- 暖かいお言葉をどうもありがとうございました。

以下はWikipediaサイトで入手した英文を和訳したもの。信じるかどうかは読者のあなた次第です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sunan_Ampel

スナン・アムペルはジャワにイスラムを広めた9人の聖人ワリ・ソゴの一人。
一説では、スナン・アムペルは、アッバース朝の時代に迫害を避けてイランのバスラからイエメンに逃れたアフマッド・アル・ムハジール(Ahmad al-Muhajir)の子孫といわれている。彼の子孫はサアダ・バアラウィ(Saadah BaAlawi)という名前で広く知られている。
もう一説では、スナン・アムペルは華人の子孫であり、実名はボン・スィ・ホーという。
スナン・アムペルは、トゥバンの中国総督ガン・エンチュの娘であるニャイ・グデ・マニラ(Nyi Gede Manila)と結婚し、もう一人のワリ・ソゴになるスナン・ボナンを設けた。

2009-7-29にスナン・アムペルの墓所に参詣してきた。墓地を撮影することは禁止されていたので、その付近を撮影してきた。遺体の胸にあたる部分に明るい青い光のすがすがしいエネルギーを感じた。

墓所入り口付近

墓所入り口。この路地を抜けると左下のモスク前に出る

墓所の前面に立つモスク。
古い部分の柱の木材が素晴らしい。一見の価値あり

前回のインタビューは失敗だったので、今回の参詣のことからコンタクトをしてみようとおもう。
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2008-08-04 作成
2009-08-16 追加
2015-03-16 修正
 

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