嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
編集後記
 インドシナ諸国で大王朝ができたのはジャワよりずっと後のことである。なぜならば、同地域はメコン河がしばしば氾濫を起こしたため、その大部分がメコンデルタである現在の平地では安定した農業ができなかったので人々は山岳部に篭るしかなかった。したがって大国には育たなかった。10世紀以降に海面が下がり始め、デルタ地帯も少しは乾き農業適地になったからこそ、北の山側から現在のタイ人やクメール人が低地に進出してきたものであろうと筆者は考えている。これは、インドシナの東端に住むベトナム人も同じであり、紅河デルタにいち早く進出したからこそ、今のような大きな人口(約9000万人)を抱える民族となったのであろうと推測する。

ジャワでは古代から巨大な王国が繁栄したのはなぜか。
 ひとつめは、高い文化と技術力を持つインド人が渡来したことがあげられる。彼らは造船と航海技術が発達した1世紀くらいから香料の栽培のためにインドネシアにやってきているといわれている。これは、北インドで紀元前4世紀に栄えたマウルヤ王朝が衰退して、西からアーリア人たちがインド国内をかき回したため、マウルヤ王朝などの人たちが数百年にわたり東南アジア各地に散らばっていったためだと考えられる。ちなみにマウルヤ王朝の人たちはモンゴロイド系であったため、東南アジアの原住民と顔つきがさほど変わらなかった。それゆえ、現在ではそれを見分けることができなくなっているのではないか。 さらに五世紀ころにはヒンドゥー教が仏教をインドから駆逐したため、僧侶や信者たちが東南アジア各地に拡散した。その一つの大都市がパレンバンにあったスリウィジャヤ王国であった。もちろん、インドで生じたヒンドゥーと仏教の争いがジャワにもあったがために、中部ジャワの遺跡は仏教とヒンドゥー教の遺跡が混在しているのではないかと考えられる。
 ふたつめは、自然環境によるものである。ジャワ島の火山は溶岩を噴出する火山は少なく、火山灰と砂を噴出するものが多い。一般的に、火山灰土は砂を含み水はけがよく農業に適するから大農業地帯が生まれ、そこからの収入で大王国が成立したという理由である。もちろん高温多雨地域で火山があるほどだから緩傾斜地が多く灌漑農業に適していたことを忘れてはならない。基礎岩盤はインドシナ山岳部のそれと比べると若い石灰岩であり、多孔質であるため水はけがよい利点がある。
 みっつめは、天然林は頻発する火山爆発のたびに枯れてしまいまた再生する性質を有するため、火山がほとんどないスマトラやカリマンタンの山岳部に比べて森林が深くなかったから、人が開墾しやすかったからであると指摘する人もいる。

 マニュアル化と書くとすぐに会社の規則を思い出すだろう。
 いうまでもなくマニュアル化とそれに従うことは組織の近代化と社会の工業化に不可欠な条件である。
 ジャワ人のみならずインドネシア人は会社のマニュアルを守れない。それはマニュアル化による効率改善が彼らにとって不利になると考えているのであろうか。それともマニュアルの内容が理解できないからなのであろうか。インドネシアに駐在している日本人はここいらへんで考え込んでしまう。
 その本当の理由は後者であろうと考える。というのは、内容が理解できないからマニュアルには思いを馳せることができないが、自分の行動をマニュアル化することで物事を深く考えなくて済むという、インドネシア人が最も忌み嫌う「脳への負担」の軽減にマニュアルは役に立つからこそマニュアル化にはなんとなく憧れがあるのだろうと思われるからである。それゆえ、宗教そのものがマニュアルであるイスラム教は手の届くところにあるマニュアルであるがゆえにイスラム教の信者が多くなったという説にはなんとなく納得できるのである。

 物事を深く考えないという性質は発言にしばしば現れるから注意して聞いていると愉快である。それは「一般的にいうと= pada umumnya」である。問題解決の手伝いを「演技」している人の発言にしばしば登場する。すべての問題は独自性があるため「一般的」だけでは解決しないのである。それを忘れて、演技することにこだわっているからこういう発言が出てくるのである。

●●最後に●●
 最後まで読んでくださってありがとうございました。この52話を最後まで読んだあなたは、ジャワを好むにせよ、嫌うにせよ、もう立派な「ジャワ人!」です。
 筆者が大好きなジャワ。そのジャワ人についてジャワ各地で仕事をしてきた日本人のエンジニアから、エンジニアの視点で見たジャワ文化とジャワ人に関するエッセイでした。
 この文章があなたのこれからの人生に役に立つことを願って、この話を終わりにいたします。
 元本はインドネシア語で書かれていたので、日本語にするのはかなりの手間がかかったのではないかと想像します。訳者さんたち、ご尽力ありがとうございました。批判めいたことも書きましたが、インドネシア人が書いたこのようなエッセイは論旨が飛んだりしてなかなか理解しがたいものがありますが、よくここまでジャワを理解して訳していただいたことにジャワが大好きな筆者はあつく御礼申し上げます。
 第三章で約束したワリソゴ(Wali Songo)に関しては別な記事に記載します。「それまで生きていれば」の話ですけど。

2008-7-25 ベトナム・ソンラ省ムオンラ村にて
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2008-07-25 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
2021/05/19 修正
 

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