嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第八章 ジャワ人とオジョ・ドゥメー(aja dumeh)
[76]  ドゥメーとは、権力を握った結果、それによったかのような態度や行動を取らせる精神状態のことである。

 これに否定の助詞であるajaがついていて、えらぶってはならない、という意味になる。
[77]  ジャワ人は他人を失望させたり、心を傷つけてはならないといつも教えられている。というのは良い方向に運が変わった人から意趣返しをされるかもしれないからである。(中略) 状況の変化で意趣返しをされないよう自衛するために、ジャワ人はドゥメーの態度の結果から前もって自らを守るのである。だからジャワ社会には、権力に酔ってはならないとのオジョ・ドゥメーという言葉が生まれたのである。

 
オジョ・ドゥメーというのはジャワ人のスローガンである。スローガンというものは当人が守れないから掲げてあるものである。したがってジャワ人はドゥメーしたがる人たちである。三段論法に従えばこうなるのである。
 ジャワ人と付き合うときには、相手を失望させてはならないという原則を守ることである。しかし、それも逆説的に使うとブラックジョークになるのである。
1987年のこと。アフターファイブに筆者の買い物に同行したジャワ人の親友が、ショ−ウィンドウに並んだ日本製とインドネシア製のラジカセをのぞき込んでため息混じりに「日本製は何でも良いものばかりだけど、インドネシア製は何でも品質が良くない。わが国の製品はどうしてこんなに質が悪いのだろう」とつぶやいた。
それを聞いた筆者は親友のこの親友を慰めた。「インドネシアの純国産品で世界一流の質の良いものがあるんだ。失望しちゃだめだよ」と。
えっ、と驚き「それは一体なんだい?」と尋ねた、その答はなんと「インドネシア人」だった。なぜなら、「あの人はいい人なんだがねぇ、でも………」とジャワ人たちは必ず前置きしてから他人の悪口を始めるからである。
 もうひとつ。
1997年にスリが多いといわれているジャカルタの繁華街であるグロドック(Glodok)にインドネシアの友人と買い物に行った。昼食をワルン(warung)でとり、先に終わった筆者が彼の分まで払った。ワルンを出た後、彼が人混みの中で財布をあけて「いくらだった?払うよ」と言ったので、一言返した。「おい、こんなところで財布を開けるなよ。スリががっかりするじゃないか」と。この友達は一瞬この意味を考えた後、相当にムカッとしたようであった。
[77]  生きるうえでジャワ人がきわめて用心深い態度をとるのは、常に起こるはずの変化に対する防御としては良い。しかし、反対に危険を冒す勇気も出てこない。(中略) 人間関係の平安は幸福をもたらすかもしれないが、思いも寄らぬ方向への発展を可能にするような新しい人間関係の世界を開拓することもないだろう。

 そのとおりである。ジャワの停滞した閉鎖社会の歴史がジャワ人たちをそうさせているのである。全てにおいて「当らず触らず」なのであるから、汚職の構造を正そうなどという運動はこのままでは成功するわけがない。特殊な場合を除き、ジャワ人たちは友人たちとはつかず離れずの関係を保っている。ある一定の線までは簡単にこちらを受け入れるが、その線を越えることはきわめて難しい。この点、インドネシア人でも信義に厚い華人の方が頼りがいがある。ジャワ人もそういっているからこの観察は正しいのだろう。
[79]  まだ封建的なジャワの社会では、貴族の末裔、学位を持つ者、財産を持つ者はいつも尊敬される。民主主義の社会では(こう)いったことを問題にしない。

 これはジャワだけに限らず歴史の長い開発途上国では必ず存在する。筆者の同僚である日本人たちはどうも尊敬される範疇にはいるようである。さらに宗教に詳しい人や導師や超能力者も尊敬の対象にふくまれる。日本人は仕事ができるというだけで尊敬の対象になるが、ジャワのみならずインドネシアでは仕事はできるが学位がなく財産もない人たちは尊敬されないのである。だからインドネシアはペーパーエンジニアばかりなのである。
[79]  依然として強い差別的傾向があるジャワ社会は民主化が困難なインドネシアの中の一つの社会である。そこには、まだたくさんの封建的遺物が残っている。それらを乗り越え、根絶する忍耐が必要である。

 日本でも1950年代までは豊かな家庭には女中さんと書生と呼ばれるハウスボーイがいた。英国でもそうであったそうな。しかし、かれらは日本の工業化が進むにつれ、徐々に姿を消した。それは日本の工業化が農村部の若年労働者を必要としたからである。さらには、平均所得が上昇したために、豊かな家庭に寄生するよりも自立した方が生活が良くなったからでもある。少子化もこの傾向に拍車をかけた。日本の家庭から女中さんの姿が消えていったと同時に最終的な封建的なシステムも崩れ去ったのである。ジャワではいまだ農村部に豊富な若年労働者を抱え込んでいるが、工業化で彼らを吸い上げるまでには至っていない。それは工業化の速度より子供を作る速度のほうが早いからである。
 戦後、米国の社会主義者の主張で財閥解体と農地解放が行われ、後者においては封建的な地主と小作との関係が消滅した。その結果、日本は官僚主導型の社会主義国家になってしまったのである。農地解放も工業化による余剰労働力の吸収もできないインドネシアでは、民主化はとうぶん成功しないだろうとおもわれるのである。
[79]  ジャワ人は自らの安全のためにできるだけたくさんの友人を持とうと努めることだろう。というのは、人はその人生で自分ひとりでやれることなどは何一つないからだ。他人に助けられないわけにはいかないのだ。

 という理論で、お互いにもたれあっていることを著者は合理化しているように思われる。確かに世の中は持ちつ持たれつではあるが、ジャワ人たちは過度にもたれあっている。さらには、自分でやるべき仕事を我々に押し付け、自分たちは楽しげにわいわい「議論」を続けているように感じるのは筆者だけだろうか。
[80]  ジャワの格言、「一致は力」のような貴重な格言をよく覚えておくと良い。隣近所と一緒の生活の中でジャワ人もまた隣人たちといつも仲良くしようと努める。近くに住む隣人が遠くに住む親族より価値があるということを確信しているからだ。

 日本でも全く同じ格言があるから説明するまでもない。
ただ、「一致は力」の意味をジャワ人たちは誤解している風にもとれる。人数さえ集まれば能力が出ると思い込んでいるようだ。
「ひよこを5000羽あつめて馬車が引けるか」と尋ねてみると黙ってしまう。
力を出すためにはもちろん数も必要だがしっかりとした指導者が必要であるとともに参加者にその行動の目的と行動の手順をしっかり覚えさせなくてはならないことを忘れている。
 ジャワ人は怠惰で能力がない、とはしばしば耳にする言葉ではあるが、仕事上では作業の目的と手順をしっかり示してやればけっこうちゃんと仕事をこなしてくれるのである。日本人の意識だと、あまり細かいことを言うのは相手に失礼だと思いがちであるが、ジャワ人には何回も何回も説明したうえで手とり足取りして教え込めばあなたの最高の相棒になってくれることは言うまでもないことである。こうした全人的な教育訓練のことは何十年立っても覚えていてくれて感謝されているのであるが、日本人には彼らの心が伝わっていないように見えるのが筆者にとってはとても悲しいのである。
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2008-07-13 作成
2015-03-15 修正
 

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