嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第四章 ジャワ人の運命主義的態度
[38]  一般にジャワ人は運命主義的態度を持っている。「人生は神が予定したもの」。どれだけ人が立派に人生計画を立てようとも結果を決めるのは神。

 人生の結果は第三者の審査基準によるものではなく、自分自身の審査基準によるものだ、ということが、ジャワ人にはわかっていないようだ。この著者も、自分の人生を第三者の審査基準に委ねているようである。自分の人生の結果を審査するのに第三者の審査基準を使わなくてはならないのは、よほど自信がない場合である。ジャワ人たちを見ていると、この本の後の章に出てくるように、「私」とは「あなたから見たあなた」であるからである。これは限られた規模の閉塞した社会の中で長年暮らしていると人間関係からこういう気持ちになるのである。日本の農村地域の人たちも似たようなものである。自分自身というものを強く自覚している欧州人たちは近年まで開拓する土地が沢山あったから、人と角を突き合わすのが嫌なら、開拓していけばそれでよかったという風土からこの差が出てきているのだろう。
[40]  (運命主義者という)印象は、夜明け前に田んぼに出かけ、夕方に帰宅するジャワの農民の日常生活の実態を見ればまったく当っていない。昼食は妻が持ってきて休み時間に食べる。「ジャワ人怠け者論」はまた、疲れを知らぬ活発なラウィヤンやコタグデの商人の家族の例からも認めることができない。(中略) (したがって)運命主義的態度はジャワ社会にはない。

 と著者はいっているが、筆者はそうとは思わない。
 第二次大戦でジャワに派遣された農村出身の義父は、「ジャワの農民は怠け者だし、農機具が日本に比べて古い時代のものを使っている。日本でもジャワでも、鋤を牛に引かせているから力は同じなのに、農機具の効率の違いで耕作能力が二倍も違うのだ。だから、俺だったらやつらの二倍は稼ぐことができる」と30年前に豪語していたのがいまでも印象に残っている。
 農業、特に水田耕作は思ったより毎日手間がかかるというわけではない。田起こし、苗代作り、田植え、草取り、取り入れに手間がかかるのであり、あとは水の管理だけである。すなわち、耕作期間中は平均すると数日に一度の作業でよいのである。著者の言い分より、1945年の同時期に日本とジャワの農村を比較することができた義父の言葉の方を信じたいのである。
[40]  よしんばそれがヨクヤカルタやソロにあったとしても、それはオランダ領インド時代に比較的よい地位に就き、商人や労働者や農民より物質に恵まれていた貴族層や役人層に見られたに過ぎない。わが国が独立してその後に続いた独立戦争の時代には何もかも困難になり、いつものんびりした生活を送っていた人たちが昔ながらの生活をするには一層の努力をしなければならなかった。かれらは「一所懸命に働くなかれ、早くふけるぞ」という生活態度にもう慣れきって忍耐力がなくなっていたので、悲観的運命主義的生活態度に容易に冒されていった。その反対に、平民たちは死に物狂いで努力する情熱と心構えを持つようになっていた。

 
もしそうなら、五時の定時に帰宅するインドネシア人従業員は、平民ではないということになる。しかし、彼らはインドネシア社会において中流階級であり、平民の一部をなしている。この点だけからでも、筆者の実感と著者の主張とは相容れない。この文を書いたときとそれ以前と比べると、著者が指摘したような状況になってきているのかもしれないが、1976年からの長年の観察では、日本人と比べると根性がなくかつまた「頭を使うと疲れる」人たちが多いという結論に至ってしまうのである。読者諸兄諸姉はどう思われるのだろうか。
 
最近まで、インドネシア人スタッフが定時で帰るのは、残業すると浮気しているのではないかと奥さんにかんぐられるからだとばかり思っていた。事実は異なっていたことが分かった。実は定時まで働いただけで脳が疲れてしまいそれ以上考えられないから事務所にいても時間の無駄だったからなのである。
[42]  (運命主義的な)態度は、ありとあらゆる瞑想的な考え方とともに、多くのジャワ社会にまだ見出せる。瞑想的考え方はたいそう魅惑的ではあるが、また極めて意気を阻喪させるものでもある。だから、それにがんじがらめにされてしまうと、不快な状態を普通の状態と思ってしまい、運命を変えようなどとは思いもよらないほどになってしまう。

 長らく階級社会が続いているジャワの社会では、運命主義的な態度こそが社会を安定させる基盤であった。インドのカーストは最高の職業教育である父子相伝を守るという大きな利点がある。これを堺屋太一氏は「タテの平等」と呼んでいる。著者のように西洋教育の大きな影響を受けた人たちは、世界の人たちは全員平等であるという「ヨコの平等」という考え方を持っている。この思想は下克上を引き起こし、社会の安定に害があるので、ジャワの王宮では自己の地位保持のためにこのような思想を広めたのだろう。中国でも同じ思想があるが、それに同化しない「外国人=非漢人」が内乱などを起こしているケースが多いように感じるのである。
[42]  このような状況は一つの社会的欠陥として感じ取られなければならない。そしてそれを消滅させるように積極的に説いていかなければならない。

 「なければならない」という言い方の裏には、「著者の理想としてはそうなのだが、実際にはそうではない」という意味が含まれている。インドネシア人の独り言を聞いているとharusとかmestiなどが多用されている。これは、「本来はそうなのだが実際は違うのだ」という意味だから、これらの言葉をきいたら「じゃあ、アンタそれをやっていないのだな」と確認するのが現状把握に役に立つから是非やってみてください。
 毎日の生活にとても役に立つ度欲おぢさんのアドバイスでした。
[44]  昔のジャワ人は親族はもちろん友達も喜んで助けるので知られていたが、今日ではもうそういう人はいないといってよい。今日では見返りがある限り助けるのである。「ゆだねる」という性格を持つ運命主義的態度は自分の努力で運命を変えていこうという攻撃的態度に席を譲った。自分で変えようとしない限りか運命は変わらないのだということを人々は確信するようになった。この新しい態度は今日、インドネシアの全域に、したがって中部ジャワにも見られるのである。

 ジャワ人だけではなく、昔はどこの地域でも喜んで人を助けたものだったから、この性格はジャワ人独特のものとは言えない。
 人口が爆発的に増えたので一人あたりの平均収入が減った。さらに経済の主体が農業から工業に移るにつれ、金銭経済が発達すると共に高度教育の必要が出てきたので、育児にお金がかかるようになってきた。さらには工業社会では時間に縛られるため労働者の自由裁量に任せることができる時間が少なくなってきたので、他人に親切にして揚げられる時間と気持ちの余裕がなくなってきたことが理由としてあげられる。
 しかし、日本の都市生活者に比べるとジャワの都市生活者のほうがわれわれにより親切にしてくれると感じるのである。
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2008-07-12 作成
2008-07-15 追加
2010-10-26 訂正
2015-03-15 修正
2021/05/19 修正
 

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