嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第二十三章 変化の中のジャワ
[172]  1800年代の終わりごろは、(中略)現代に見られるような複雑な人間関係とそれにかかわる問題もなかった時代であった。現代社会におけるそうした問題は、もはや、ゆっくり話し合って簡単に解決できるというものではなく、巧みな論理と分析技術で作り上げた考えを、交換し、あるいはぶつけてようやく真実をつきとめ、それによって解決できるのである。

 なにせ1983年に書かれた本だから、著者が「分析技術」にこだわっていても無理はない。しかしこの時代から長足の進歩を遂げた科学的思想はインドネシアには広まっていないようである。いまだこのような古典物理学的発想をする人がほとんどであり、大学教授といえども勉強不足であるように見える。
話し合いによる解決はムシャワラといって時間を無制限に使うジャワ独特の解決方法である。
[175]  1982年3月16日のコンパス誌の4ページ目にアイェップ・バカルの「ジャワ化-注目すべき現象なのか、それとも問題なのか」と題する記事が出ていた。(中略) 彼が提起した疑問にこんな風に答えることが可能だ。つまり私たちの社会で見られるジャワ化は、一つの問題なのではなく、インドネシア人の思考・行動様式の中に広く見られるために心配になり、気になる現象の一つに過ぎないということである。

 インドネシアという茶碗の中では「ジャワ化」が問題になるだろうが、茶碗の外のちゃぶ台から見れば、どちらも五十歩百歩である。なぜ、アイェップ・バカルが問題視したかというと、彼の出身地であろうと想像するスマトラでも、このシリーズで書いたような「ジャワ病sakit jawa」が蔓延し、他人に頼ることばかりするようになったからである。これは経済発展による就労機会の増加が人口増加速度に追いつかないことによるものであり、ジャワ人のせいではない。ただ、ジャワでは昔からこのような「人あまり現象」が見られたから、インドネシアのほかの民族がそう名づけただけである。著者が指摘するように、インドネシア人の思考・行動様式に一般的に見られるものである。これこそ「インドネシア文化」と呼んでもよいものである。
[176]  しばらくして、私は、人生では譲る態度をしばしばとりたいものだ、というジャワの昔の教えを思い出した。ジャワの忠告の言葉のように「負けるが勝ち」だから。このジャワの忠告を私は信じたいように思う。だが、私がそのような態度をとることは瞑想的な思考様式を手引きにしたことを意味する。これはジャワに典型的な思考様式であり、いまだ魅力を失っていないようだ。近代的な方向を目指しつつある伝統的な生き方の中で私は論理的に考えるように努めてきたのではあるが。

 江戸から明示にかけて「和魂洋才」という運動があった。筆者の考えはそれと似たようなものではあるが、ジャワ人は日本人のように文化を捨て去ろうとはしなかった。それはインドネシアのみならず東南アジアの中でジャワを考えてみるとすぐに分かることだ。10世紀ころ、スマトラ、マレー半島、そしてインドネシアの列島で大規模な王国があり高い文化を誇っていたのは、スマトラのスリウィジャヤとジャワの歴代王朝である。13世紀に東部ジャワでマジャパヒト王国が繁栄を極めた時がジャワの最盛期であった。インドシナ諸国の他の地域には10世紀ころにはまだ大王国が成立していなかったので、ジャワは東南アジアの文化の中心であった。今度は東アジアを見ると、なんといっても中国が巨大国であり文化の中心にもなっていたし、今でもその片鱗を漢人たちの態度に見ることができる。すなわちジャワは東アジアにおける中国のような役割を東南アジアで果たしてきたのである。したがって、ジャワ人がジャワ文化を誇ることは漢人が中国文化を誇ることと同列なのである。
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2008-07-25 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

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