嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第二章 ジャワ人の封建主義的態度
[16]   おおよそのジャワ人が、ンガヨクヤカルタ・ハディニングラートとスラカルタ・ハディニングラート朝の王都であるヨクヤカルタとソロをジャワ社会の全ての封建主義的態度の中心であり、また今日に至るまでそれぞれの宮廷政庁がジャワの習俗や礼儀作法の保存に努めてきたところであるという前提から始める。

 まあ、ジャワ人らしくご丁寧に前提から始めていただきました。こういうところが教養あるジャワ人であるといっても言い過ぎではない。
 王朝の名前とその王都の名前でヨクヤカルタは同じなのに、なぜスラカルタ王朝がソロなのか。実はこの「ソロ」は俗称であり、正確にはスラカルタ市と呼ばれている。昔サラというチョー有名な聖人がスラカルタに住んでいたので、「サラ」の町という意味で、ソロになったといわれている。サラとソロでは発音が異なるとおっしゃる方もいよう。実はジャワ語では「a」の発音が日本語では「o」に聞こえるからなのである。現地に行ってバスの車掌の呼び声を聞いてみれば分かるようにサラ町はソロだし、スラバヤはスロボヨに聞こえるのである。上品なジャワ人は大口を開けて発音するような失礼な態度は取らないのである、とジャワ人は言うがちょっと眉唾物である。
[17]  封建主義とは年齢や地位の差があるために特別な態度を取る心理的態度にほかならない。年長者に会ったジャワ人は年下の者や同年齢のものに対したときとは違った言葉を用いる。年長者が使う語彙は年少者のそれと異なる。

著者はこういうが、インドネシアの他の部族でも同様な態度を取ることを筆者は30年間の経験から知っている。敬老の精神はジャワ人だけではなく、われわれ日本人ももっているし、他のアジアの諸国でも同様である。したがって、態度の違いだけから見てその社会が封建主義であるとは言い切れない。短兵急である。
[17]  1945年8月17日(インドネシア共和国の独立宣言日)以来続いてきた民主化の過程は、今日に至っても階級の差を完全になくすことはできず、地位が高いものと低い者との間での言葉の相違は依然としてみられるのである。

 日本では階級社会がほとんど消滅しているのに対してインドネシアでは階級社会が残存しているのは、ひとつは農地改革を行わなかったからであり、もう一つは工業化による長足の経済発展がなかったためである。
[18]  たまたま伯叔父や会社の上司が居合わせたとしたら、普段のような格好で通り過ぎる勇気のあるジャワ人はいない。彼は自然に敬意を示す腰を屈める姿勢をとり「前を通りますよ」と右手で合図を出しながら、笑みを浮かべることであろう。

他人ばかりのジャカルタではあまりこういう光景は見られなくなったが地方都市や結婚式などでは散見される。この著書には書いていないが、右手で合図するときには必ず左手は右腿の上にある。しばらくジャワにてこの理由がわかった。昔の人はカインを巻いていたり、サロンを着ていたので、歩くたびに裾がゆれる。揺れる裾が相手に触れないようにまたそばのものを引っ掛けないようにしていたのであった。和服を着ていた時分の日本人も同じ理由で左手で裾を押さえて「前をごめんなさいよぉ」といって通っていたのと似ている。
[18]  上司に向かって「いいえ」というジャワ人の部下はいまだかつていなかったことだろう。彼は申し出なり願望なりを表明した人物を失望させたくないとか、傷つけたくないといった意図から唇に笑みを浮かべ、優雅に拒絶を表現したはずである。

 大多数の日本人がもつインドネシア人への不信感はここから始まるのである。筆者が経験したうちでもっとも興味があった事例を挙げる。
部下に「あの仕事は済んだかApakah sudah pekerjaan itu?」と尋ねるとヤーとかSudahとしか答えてこない。仕事の期限近くなって進捗状況をみるともう絶望的なのである。「数日前にお前は『済んだ』と言っていたじゃないか」と問い詰めてももう遅いのである。同じ質問をしてヤーと答えが返ってきたときには「何が終わったのか?始め『た』の過去形なのか”Sudah” mulai kah?」とからかうのである。こうすれば彼の仕事がどこまで進んでいるかという説明が受けられるのである。別な機会に「Belum selasai kerjaan itu,loh!」と尋ねたらそばで聞いていたインドネシア人たちが腹を抱えて笑っていた。もちろんその部下は進捗状況と問題点を正確に報告してきた。
 みなさんもこの手をぜひお使いください。
[19]  計画や事業がとどのつまりどうなるのかはっきりしたことは分からないのだから、このような状態が確かな結果をなかなか生み出せないことも理解できる。これはジャワ社会の業務のパターンである。それは何百年もの間行われてきたものであり、それを壊して、現在している努力がやがてどんな結果になるのか、その概略でも前もって知ることができるくらいに明確な考え方へ切り換えて、それに基づいた合理的な労働システムへと変えていくのは難しいように思われる。封建的性格がジャワ社会で行われている計画や事業を円滑に進めていく上で阻害要因になっていることは明らかである。

 一般的に、長期計画をジャワ人に立てさせるのはなかなか困難である。一つ一つの作業の積み上げをしていって、その結果として長期計画や複雑な計画が出来上がるのである。 長時間にわたって熟慮することはジャワ人だけではなくインドネシア人にとってどうも苦手なように思われるのである。
 一方、ジャワ人の特技として長時間の単純作業が挙げられる。手順を知っている作業は早くはないが着実にきれいに仕上げるのである。
 他方、目標が見えないところにあるとジャワ人は努力を怠ってしまう。したがって、ジャワ人を使う場合には、遠くの目標だけではなく、できるだけ近い目標を強調して、到達するたびに賞賛しつつ教育する必要がある。こうして筆者は楽しくジャワで仕事をして生活してきたのである。
[20]  現代のジャワ社会では上司を喜ばせる努力が実にたくさんの部下たちによってあちこちで行われている。それは世界のどこでも行われているありふれた人間的行為である。それができる人は幸いである。しかし、それができない人に対しても、ジャワの人生哲学はまた思いやりの言葉を持っている。上司を喜ばす努力は狂気の時代の狂気の行為だといってよい。そこで、狂気になれない者に対してジャワの人生哲学は次のようにいう。「気狂いより正気の者の方が良い」と。この賢明な言葉に満足したジャワ人は自分はこの狂気の時代にあっても善悪をしっかりと見極め、物質的な満足を追い求めて奪い合い、狂気に走る人間みたいなことことはしないぞといって慰められたようにおもうのである。だがしかし、豪華な屋敷を持ち、高級車を持ち、何千平方メートルという土地を持つ友人を見たときに溜息をつき、また後に、有力な地位にある友人とのコネで何ヘクタールもの土地を簡単に買える機会があると、それをとてね悔しいと言って悔やみもするのである。しかし駆ればジャワ社会に流布している風刺をふと思い出す。(中略)「何で苦労して土地を買いあさろうとするのか。人が死ねば必要なのはたったの二平米の土地なのに」というあの風刺を。

 この「思いやりの言葉」に代表されるジャワの人生哲学とは日本語では「負け惜しみ」と呼ばれているものである。ジャワ人たちの「負け惜しみ」に対する執着は日本人が想像する以上のものがある。言い負かされそうになると、必ず反論してくる。ジャワ人たちはこの会話に色々な薀蓄を挟んでくるので、とてもよいインドネシア語の勉強になることは確かだが、やたらの日本人がジャワ人とこの手の議論をしても論理で負けて気分が悪くなることは確実だから、止めた方が良い。特に宗教の話題は避けたほうが良い。しかし筆者は宗教について議論を戦わすのが大好きなので、誰がなんと言おうとこの趣味を貫いているのである。だからといってインドネシア人から嫌われることはない。特に半可通で鼻っ柱が強い人はみんなの嫌われ者だから、こいつを捕まえてじゃんじゃん論破してやるのである。同席した人たちに腹を抱えて笑わせた発言をしたほうが勝ちなのである。楽しませてくれる人を恨む人はいないから大丈夫なのである。かといって、自分が筆者の標的になるかもしれないと言う可能性についてはまるで考えていないというところがジャワ人の「のんきさ」なのである。
[23]  ジャワ人は、普通、若いころから教訓を授けられている。親から「高い目標は禁物」と教えられた。そして、身のまわりの現実を見たほうが良いと教えられた。これで、人は手に入れられるものだけに自制する、とりわけ何でもかでも楽しもうということを自制するように導かれる。なぜなら、無制限に楽しめば、人間は脆弱になって、すでに慣れてしまった楽しみの量を減らさなければならないときに問題を起こすからである。だから、ジャワ人は「中庸」、つまり適度に楽しむことを教えられる。

 自制することがジャワ人にとっての美徳であり、一方、勤勉であることが日本人にとっての美徳であることはいうまでもない。
2005年にジャカルタで働いていたときに喫煙室で雑談をしていた。その時にユーモアと教養を併せ持つ、筆者も尊敬しているジャワ人の年長者もタバコを吸いに喫煙室に現れたのである。
「日本人は『労働が美徳』なのになんでここでタバコを吸ってサボっているのか?」と彼は問い詰めてきたのである。もちろんからかっていることは分かっているから、すかさず
「サボっているのではない。労働したいという『欲求を自制している』のだ」と答えたのである。
 もちろん筆者をからかった本人も含めてそこにいた全員が大爆笑してしまった。
 西洋文明は、拡大・拡散で発達してきた。それがなかった中世は暗黒時代であったこと、アメリカが巨大国になったこと。これがその証拠である。しかし、この方法が現在行き詰ってしまった。
 上記に引用した教えは、経済・社会変化が停滞している社会において行われる教育であることはいうまでもない。世界的に経済が停滞し始め、地球規模の環境破壊が進み停滞感がある現在に必要なのは人口過密で長期にわたり停滞してきた社会で形成されたアジア的な考え方、このジャワの人生哲学、かもしれない。

 この文章が書かれた当時にはまだ「中庸」がまかり通ることができた時代であったが、現在は先進国と開発途上国との関係のように中庸では処理できない時代になってきている。世界の余裕がなくなり(冗長性が失われた)といってもよいだろう。そこで必要なるのは二つの相対する価値観の間を取る中庸ではなくブレークスルーであると筆者は常に考えているのである。

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2008-07-11 作成
2008-07-13 ジョークを追加+文章校正
2015-03-15 修正
2021/05/19 修正 

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