嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第十八章 ジャワ人と生活の享楽
[143]  ジャワ人は、生活を楽しむことに重きを置く。その目的を達成するためには喜んで他の重要なことを犠牲にする。

 だから、退社時刻が来たら仕事をほっぽらかして帰るのだ、と解釈できる。
 生活を楽しむといってもインドネシアでは民族によって楽しみ方はさまざまである。ミナン人は食べるものに、スンダ人とブタウィ人は服装に執着する。一方、ジャワ人はこれら二つに関してあまり執着しないが、家をきれいにすることにきわめてこだわる。朝晩、庭と家の前の道路の掃き掃除をするのは日課だし、家の床もはだしで歩いても足の裏に汚れがつかないほど清潔にしているのは事実だ。特にソロやジョグジャの古い住宅地の内部にある路地は、はだしで歩いても問題ないほどきれいに掃除されているのは驚きである。
[143]  ジャワ人はまた苦しい生活を嫌う

 筆者を含め、世界どこでも苦しい生活を好む人はまずいない。したがってこの点だけを取り上げてジャワ人の特徴とすることはできないのである。
[143]  「彼は生来の無精者」。ジャワ人は疲れることより怠けることが好きだ。こうした形式が誇張され、漫画にまでなってきた。

 こう言うが、修行などをすることは疲れることにならないのだろうか。ここいらへんに著者の考えの矛盾が見える。怠けることが好きなのはジャワ人のみならずインドネシア人一般に言えることで、彼らの中ではジャワ人は働き者の部類に含まれるのである。1970年代、中部ジャワにヲノギリダムが建設され、湛水地域の住民が十万人単位でスマトラに移住した。その移住地の一つが西スマトラ州南部にある。ここは原住のミナン人とジャワ人が混在して住んでいる地域である。この地域に入ると、ジャワ人の多い地域は道も沿道から見える庭もきちんと整備されているが、ミナン人の地域はなんとなく整頓されていないのである。この地域のミナン人もここより北側の地域からの移住民であるので、移住したジャワ人の両者とも生活は苦しいはずである。この地域で小さくなって暮らしているジャワ人の家は旧式でもきちんと整備されていてなんとなく安堵するのである。またジャワ島内でも中部ジャワの土地は考え付く限り効率的に利用しているが、ジャワ島外のみならず東部ジャワや西部ジャワでも中部ジャワに比べて土地に手を掛けて効率的に利用してはいない。だから、ジャワ人を「生来の無精者」と呼ぶことはできない。ただし、ジャワ人を日本人と比べると著者が言うように「生来の無精者」であると評価はできる。一口に不精とはいうが、対人関係にはきわめて繊細であり、過敏ともいえるだろう。
[143]  ジャワ人は確かに人生を楽しむ傾向が見られる。何でも楽しむ快楽主義者と分類できるほどに。これは特に何かを行うとき、ジャワ人は急いでやりたがらないということを意味している。急いでやれば楽しみが減ってしまうからだ。

 これは生活を楽しむこととは意味が異なるが、特に仕事は「急いでやりたがら」ず、後でやりたがるのである。著者と筆者とはだいぶ見解が異なる。ジャワ人の同僚を見ている限りではジャワ人は結構食べるのが早いのである。味もあまり楽しんでいないようだ。この点、ミナン人は食に執着しているから味にうるさい人が多い。
[147]  酒についていえば、アルコール飲料はすでに1920年代オランダ語のイェネフェル(ジン)がジャワ語化したイェネウェルをソロ川の南側のベコナンで作り出すことができた。ここのジンの名前であるチウは、すでに昔から知られていたのである。

 チウとはジウ=(中国語で)酒のことである。特に醸造酒ではなく蒸留酒の一般名称になっている。チウと呼ばれるジャワの焼酎は二日酔いをもたらすものがほとんどだが、質の良い焼酎を造っているメーカーもあるから、地方都市に行った際にはぜひ試してみてください。
[147]  ジャワの踊りの会があるときにそれはたくさん飲まれたが、そのほかに体を温めるために塗るジャムウを溶かすのにも使った。

 おいおい、ジャワ人は禁酒のムスリムじゃなかったのか?農業生産高が高かったジャワではイスラムが席巻する前には醸造酒があって当然だったが、それほど飲酒の風習はなかったような気がする。というのは、ジャワ島は昔からB型肝炎の汚染地域であり、肝臓を傷める飲酒は避けられていたのだろうと考えられるからである。
第52話のトップへ戻る 次の章に進む
目次に戻る

2008-07-22 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

inserted by FC2 system