嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第十四章 ジャワ人と『スラット・ウェドトモ』
[115]  ジャワ人がまだ西洋の影響をそれほど受けておらず、先祖伝来の伝統的なジャワの生活を送っていた1800年から1900年にかけて、『スラット・ウラン・レー』のように、ジャワ人の行動様式に大きな影響を与えてきた書物がもうひとつあった。『スラット。ウェドトモ』である。これはマンクヌガラン王国の王であり、また詩人でもあったスリ・マンクヌゴロ四世の作である。(中略) マンクヌガラン王国は、スリ・マンクヌゴロ一世がスラカルタ王国から独立して成立した王国である。

 と、現在のジョグジャとスラカルタにある王国の歴史の話が延々と続く。
[118]  1963年にタノヨによって出版されたジャワ語の常態後の解説書をひもとけば、この書が次のような韻文を含んでいることが分かる。
14連からなるパンクルの第一連は、
子供たちに教える楽しみのために 私欲から離れて 美しい詩を歌う
高貴な教えが心にしみ通るように
ジャワ人らしい人間になれる高貴な教えが
それは神に向かう教え

 イスラム化した王ではあったからこそ「神に向かう」教えが第一連に入っているのか。それとも「神に向かって進む」教えだったのか。そこは分からない。
[119] 第五連で述べられているのは
このように真の智とは 他人の心を喜ばせるもの
馬鹿といわれても鷹揚に受ける
それと違って愚かな者は 常に高慢で 日々賞賛を好む
生ける者はこのようであってはならない

 このとおりである。バカと言われたら「賢い人は他人をバカ呼ばわりしない」と言い返してやるとよい。世界中でこのように言われているからどこでも使える反論である。
[120] 第12連で語られるのは
誰でもアッラーから啓示があれば 啓示を感じ取ったならば
思考は明晰となり 知恵を得る
彼は目下のもの、特に家族を導くことができる
このようであれば彼は蝋時と呼ばれてもよい
老いというのは欲望から離れ 過剰と怒りから己を遠ざけること
この二つを避けよ 過剰と怒りを

 最初の二連はライラトル・カダル(知恵が授かる夜)のことを意味しているのか。ジャワ人たちはプアサ(サオム=ラマダン月の断食)の中日(なかび)の晩がこの日に当ると信じきっている。神の啓示を受けるためにはやはり妄想に惑わされず瞑想が必要だ。啓示を受けると視野が広がるとは言われている。でもなかなか啓示は降りてこないのであるが、能力がある程度に達するとそれに応じた啓示があるようである。
[121] シノムは18連からなる。第一連は次のようなものである。
よき行いを模範とせよ ジャワの地に住むものにとっては
マタラムの偉大な人物 パヌンバハン・セノパティ
欲望を減ずるために己を鍛え 激しい修行を積み
日夜瞑想にふけり すべの人の共感を獲ち得た

 欲望を減ずるには激しい修行しかないのならあまりやりたくないなあ。日夜妄想に耽るならすぐにできるのだが。
[121] プチュンは15連から成る。その第10連と第11連では次のようなことが述べられている。
知恵の言葉を判断の基準とし 苦行によって磨きを掛ける
昔のジャワの騎士道では 三つのことを重んじた
誠心誠意を尽くすこと 
何かを失っても 冷静でいて後悔しないこと
人にさげすまれても運命を受け入れること 
この三つ、神に委ねるのだ

 神に委ねるということは自分を神に捧ぐことと解釈できる。悟りを深めることが大事だと言っているのだろう。
[113]  この書の中の教訓や助言が、英知と道徳的価値に富んだものであることは疑いない。この書の内容が書かれた時代の要請や願望に沿ったものであったため、当時の読者の心を容易につかみ、ジャワ人が考え、行動する方法に大きな影響を与えたことは、なんら不思議なことではない。

 確かに、その通りである。しかし、著者が暗示しているように、この教えはそのままではグローバル化した現代社会に通用しないのである。
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2008-07-22 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

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