嗚呼、インドネシア
52話 マルバグン・ハルジョウィロゴ著作「ジャワ人の思考様式」を読んで
第十三章 ジャワ人と『スラット・ウラン・レー』
[105]  まだジャワの社会がクラトン(宮廷)の方を向いていた頃、スリ・ススフナン・パク・ブウォノ四世がジャワ人のやり方や考え方を記した書(中略)『スラット・ウラン・レー』について話しておこう。この書はジャワ社会に広く知られており、基本的に人間の本性の分析にかかわる貴重な教訓を含むことから、社会生活を送る上での指針となっている。我々が社会の中で暮らすに当り、知っていて役に立つものであるというべきであろう。ジャワ文字で、そして韻文(トゥンパン)の形で書かれ、ジャワ人の生活にとって貴重とされるこの本が、もう何回も繰り返し出版されていることは驚くにはあたらない。

 この後に、出版した動機はただ、この本が好きだから、ということだったと続いている。そんなに心を打つ本であるなら日本人の技術者である筆者の心を打つものかどうか、この章で評価してみたい。
[106]  第一篇のダンダングロでは、生きていく上において知識が必要であることが説かれる。第二篇のキナンティでは、よい行いに向かう努力について語られる。第三篇のガンプーは、禁ずべき悪しき行いについての話である。第四篇パンクルでは、人の行いの是非はすでにその人の立ち居振る舞いから見ることができる、ということが説明される。第五の詩マスクバンは崇拝についての説明、第六の詩のメガトローは仕える者のなすべきものについて述べている。第七篇のドゥルマでは他人をからかったり非難してはならないことが説かれる。第八篇ウィランロンは、立ち居振る舞いは適切なものでなければならないということについて語っている。第九篇プチョンは人間関係において調和を重んずるようにと警句、第十篇ミジルは運命を受け入れることと受け入れないことの是非、第十一篇のアスモロドノは官吏がとるべき態度、行為について教えたものである。そして第十二篇のシノムでは模範として描かれたものが実験されることについて述べ、第十三篇ギリソは子供たちを祝福し、彼らに送る祈りについて語っている。

 ふむふむ。でもほんの一部しかこの本では触れていない。紙面の都合で割愛したのか、あるいは現代社会に不適当だからわざと書かなかったのかはわからない。
[109]  ジャワ人の思考・行動様式にこれほど大きな影響をもつこの書の内容について、多少なりとも読者の参考になるように、『スラット・ウラン・レー』の以下に要約してみよう。
第一篇 ダンダングロ
第二連
この世の生のしるし それが見えなければ平安はない
汝の生の中になければ平安はない 誰もが知っているという
そしておのが感性は完全だという しかし感性などは知らないのだ
本当の感性を 真の感性を
得るよう追い求めるのだ 汝の生において
完成に達するために 

 真の感性を人生で追い求めることが大切であると言っているように見える。感性は主体的なものであり、主観と客観との区別がつきにくかった当時の人にはこのように解説したほうが分かりやすかったろう。今の人にとっては「自分の主観・人生観をうちたてよ」というほうがわかりやすいだろう。
[110]  第四連
しかも、もし教えを乞いたいなら 本当の人を選ぶが良い
すぐれた品性を持つ人を 法を知る人を
信仰を持ち、恥を知る人を 修行することを得たならば感謝せよ
もはや俗世にはいないのだから 他人の施しをあてにするな
それが汝を教師にする そのことを知るのだ

 修行のためにはすぐれた先生が必要だ。しかし、修行とは自分のためにするものであり、社会と決別することだ。過去の自分を抹殺することだ。その後で少なくともある一定の期間は唯我独尊の境地になるだろう。そしてそれが間違いだったと知る。この繰り返しが汝を教師にするのだから、このような機会を与えてくれことに感謝すべきだ。
 ここで言っておくが、読者諸兄諸姉がこのサイトでお分かりになっているように、筆者は品性もないし、法も知らないし、信仰もないし恥も知らないから、弟子は取らない。あ、応募者はいないのかあ?やっばりね!
[110]  第二篇 キナンティ
第一連
肝に命ずるのだ 兆候を感じ取る力を鋭く研ぐために
食べて眠ることだけを願ってはならない
勇気と体を鍛え 寝食を減らすのだ

 満腹では何も考えられないから、少し空腹気味にしておくべきである。というのはヒトが発生してからたった50年前までは地球では食糧不足だった。そういう歴史を持った祖先たちだったから、痩せる方には自動的にブレーキがかかるようになっているが、過食の方にはブレーキがかからない体質になっているのである。しかし、満腹で満足して寝ることはなんとも言えない魅力がある。寝食を減らすことは白人に強く望みたい。彼らは大食漢だから地球の食料の大半をわずかな人口で消費してしまっている。かく言う筆者もメタボに近いから、他人のことをとやかくはいえない。
[111] 第二連
汝の努力すべきことは 寝食を減らすこと
享楽を求めてはならない 衣類はほどほどにするのだ
享楽を求める者は 内なる備えを欠く

 寝食を減らすことが大事だから、若者は年長者より先に寝てはならないとジャワではいわれるのだろう。しかし、長年にわたる睡眠不足は老化を加速する。だからインドネシア人は日本人より早く老けるのだろうか。
[111]  第三連
ひとかどの人物になったなら 傲慢になってはいけない
悪人に近づいてはならない 悪人の性質を備えるものは
必ず影響を及ぼすのだから そしてついには罪を伝染させるのだから

 
オジョ・ドゥメーがまた出てきた。朱に交われば赤くなるのは世界どこでも同じだ。
[112]  第四連
生まれの低いものであっても 品行が正しければ
または手本になるような話を 数多くなし得るものならば
親しくなるがよい 汝の徳を増すために

 そのとおり。知恵のある者には教えを乞うがよい、ということだろう。しかし封建制度の階級社会であるから、師事するとは面子にかけても書けなかったのだろう。
[112]  第五篇マスクマンパン
第一連
父母を、祖父母を共にする者であっても 兄弟親戚であっても
よからぬことを教えるものは 手本とすべきではない

 大家族主義で親戚の年長者には頭が上がらないという制度があるから、このように書いたものだろう。目上の人の言うことに何でもヘイコラするのではないといことである。しかし、職場の上役にいつも反抗ばかりしていると、筆者のように定年まで熱帯の山の中で汗水たらして働かなくてならなくなるのである。もちろん昇進は同期の最後であることは言うまでもない。でも、ヘイコラしないぶん時間が充分あるから、このような役に立たないサイトを作ったりできる。それはそれでこういう人生もまた楽しいのである。なお、楽しいかどうかは何度も言うように主観的なものだから、楽しいと思えば楽しくなるのである。楽しくなければ楽しくしちゃえばいいだけなのである。
[113] 第七篇
第三連
真偽、善悪、吉凶 全てはわが身から出るもの
他人のせいではない 注意せよ 障害は多い
しっかりとした意識を持って 全てに立ち向かえ

 何事に関しても真偽、善悪、吉凶であるかどうかは、自分で評価するものだから「わが身から出る」ものなのである。なんでも他人のせいにしたらその場は楽かもしれないが、自分自身というものがなくなる。自分の主体性を持て、自分だけの人生観を確立せよ、と言っているように読める。
[113]  その書『スラット・ウラン・レー』は今日の生活においてもなお、さまざまな利害の矛盾や対立を含む複雑な社会、国家の生活の中で、道徳を守り生かしていく手がかりとして役に立つものである。たとえその影響は小さくとも『スラット・ウラン・レー』は有益な道徳的教えを与えてくれる。

 江戸時代にこのような書があったような気がする。養生訓だったかな。しかし、著者がこう書いた1983年当時と現代とは状況が大きく異なっている。グローバル化である。ジャワ内部だけで解決できる問題は限られてきて、通信インフラの整備と共に世界中に一瞬にして情報が流れる時代だ。「でも人間の本質は変わらない」という人がいるだろう。人間の本質は変わらないとしても人間が流されがちな社会状況が大きく変化しているのである。社会が嫌で山に篭ることも考えられるが、今ではジャワ島の開発が進んでしまって山篭りで修行する場所もなくなってしまった。わずかに残された場所には参詣人や観光客が大勢詰め掛けて、山篭りどころの状態ではなくなってしまった。しかし、日本列島よりジャワ島の方が瞑想に適した場所が多いと思われるのである。
この本より、TRUE LIGHT(Sasangka Jati)という本の内容の方がもっと濃い。もっとも筆者も半分まで読み進まないうちにお手上げになってしまったほど難しい内容である。日本訳はまだないようだから、興味ある方は翻訳してみたらどうだろうか。クジャウエンについてよく分かる本である、と紹介してくれたジャワ人の大先輩が言っていた。
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2008-07-18 作成
2015-03-16 修正
2016/09/10 修正
 

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