嗚呼、インドネシア
32話 トロウラン遺跡
遺跡めぐり その9


3.9 ブレ・カフリパンのヨニ Yoni Bhre Kahuripan S7 30'55.3" E112 23'46.6"
ブレ・カフリパン(カフリパン女王の墓所)のヨニはブラフ寺院から東北約4kmの地点にある。
トゥロウラン地域の遺跡に関する記事に記したように、この地点も遺跡周辺に建物を建てたりする住民によって汚損されている。この遺跡はパティ・ウダラ(Patih Udara)という名で知られる人によって祀られている。観光対象はヨニと神像か石碑を作ろうとした大きな転石である。
ヨニは、男性の象徴であるリンガの台となっている女性の象徴である。
ヨニには、パララトンによればハヤムウルク王の生母である現在のモジョクルト県トゥロウラン郡に含まれるパンギー(Panggih)地域に埋葬されたトゥリブアナ・トゥンガデウィ、別名ブレ・カフリパンがの亡くなった年、サカ暦1294年(1372年)の数字が刻まれている。

ブレカフリパンの墓所入口

ブレカフリパンの墓石全景(2007-01-31)
墓所内部にはこのような破壊された像があった。 よくよくみると線刻の痕がわずかに残っている。
この付近は狂信的なイスラム教徒が多く、それに破壊されたものであろう。

女王の侍女と墓所とされる建物
入り口にはPetilasan Sabdopalon Noyogenggangと書いてある。

女王の侍女と墓所とされる建物
入り口にはPetilasan Sabdopalon Noyogenggangと書いてある。
ブレ・カフリパンのヨニ

これらは女性器を意味するヨニである。
ヨニの向きは下図の通りである。

ヨニとリンガとは実はアヌンナキが人間を作った時の記念なのか。 あるいは、農産物から油をとるための圧搾機ではなかったのか。
遺跡の紹介図(現状とずいぶん違うところがインドネシアなのである)
モジョパヒト王朝の王様の系図
筆者註
 この地点は2007-01-31訪問したのみで、このシリーズの「嗚呼インドネシア第31話」にあったものを再編集したものである。トゥロウランの中心地から離れているので今回の2007-05-17/18には割愛した。
 道に案内板がないので、道案内なしでは行き着くのは困難なのでGPSのデータ案内図を作ったのでご参照ください。

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2007-05-19 作成
2015-07-10 修正
2016-08-23 更新

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