インドネシア不思議発見
42話 くやしまぎれ

 事務所や工場や現場でインドネシア人たちの仕事の遅いのに腹が立ちませんか?彼らは同僚が困っていると、自分の仕事を放り出してまで手伝ってやっているでしょう。これは「第34話 社会的なお付き合い」にも書きましたようにイスらムの教えですから破るわけにはいきません。するといつまで経っても仕事が終わらないことになります。
 そこで、「Tidak Bisa!=できないんだろう」と尋ねると、決まって「Belum Bisa!=まだできるまでには達していない」という答えが帰ってきます。「いちいち口答えするな、このやろう!」と怒ってはいけません。
 「君には何回も何ヶ月もかかって教えたよなぁ。Kapan Bisa?=いつになったらできるようになるんだ?」と問い掛けるのが、インドネシア流の礼儀作法なのです。

 日本でこんな受け答えをしたら激怒するのが普通なのですが、インドネシアではこのようにジョークを交えてアドバイスするのが普通で、ジョークを交えた方が効果が高いことが言えます。というのは、楽しい・面白い記憶を友人達に公開することはその人が多くの経験をしたことを示していると考えられている上に、このような経験を披露することにより友人達を笑わすことができればできるほど尊敬される度合いが高いからです。

 この原稿を書いている1998年2月には、ルピア暴落の影響と大統領選挙を控えてインドネシア社会は騒然とした状態にあります。日本から派遣されている人たちには「インドネシア人たちの能力は今のままで良いのだ」と考えている人は誰一人としていないと思います。少しでも自分の持っている知識・能力をインドネシア人に伝えて、彼らだけで工場なり会社なりを運営していってもらいたいと思っているはずです。でも、「第26話 技術移転について」に書いたように実際はなかなかうまくいっていません。うまくいかない理由の大半はインドネシア側にあるのですが、それでも「日本人の教え方が悪い」と言われます。それで派遣技術者達の憂さ晴らしにBlokMのカラオケがはやっているのでしょう。

 PHK(Pemutusan Hubungan Kerja= レイオフ)のため、2月中旬現在で850万人の失業者がすでに出ており、年末までには1300万人に達するだろうという政府の発表ですが、実際には失業者数は既に1000万人を越えているということが人々の口から流れています。この状況で、同じ論理が日本人に対して使われることがあるでしょう。
 「日本がちゃんとしていないから、ルピアが暴落して俺達が失業したのだ」と。日本にも実はその責任の一端はあるのですが、実状は「東アジア経済バブルの破裂」です。70年代の後半にジャカルタで勤務していた時には道端に失業者がごろごろしていました。それから十年後の80年代後半には、町角には全く失業者の姿を見つけられなくなりました。90年代に入って、インドネシア人の同僚達は日本人よりも良い洋服を着て事務所で働いています。ずいぶん発展したけれども、どこか狂ってきたなぁと思ったのもここ数年でした。若年人口が爆発しているのに、インドネシアの一人当たりGDPの大きさから見て失業者が出ないはずはないと思っていたのです。
 ここでやはりバブル経済がパンクしてしまいました。不況の方に大きく振れて、また好況の振り子が帰ってくるのはいつになるでしょうか?早くて数年はかかるでしょう。
 くやしまぎれのインドネシア人の悪口に負けないで、インドネシアで働くようになった日本人は、一生懸命頑張りましょう。でも、我々個人としてはいったいどうしたらよいのでしょうねぇ。ザイヌディン師や隠智和尚に尋ねてもわからないでしょうし。カラオケで憂さを晴らそうとしても店は続々潰れそうだし。あーあ。 

【追記】
 この文をアップロードしてから約四年経ちました。しかし世界経済不況の波を受けるとともに、国内政治の泥沼化と治安悪化などで「インドネシア丸」は立ち往生しているようです。98年暴動当時と比べてみると人口も各段に増加しているとともに、物価も著しく上昇しています。
 経済的に余裕がないため教育を中断する家庭も増えています。これから世の中にはどうしても高学歴が必要なのですが、それが果たせないといったジレンマがインドネシア社会には存在します。
【さらに追記】
 2002年に追記を書いてからすでに12年が経ちました。2010年頃からインドネシアの景気が非常によくなったとともに、みなさんが自動車を買い替えたようでジャカルタの大気汚染が減ったような気がします。インドネシアの好景気はお金持ちの層に収入の大幅増加をもたらしましたが、下層部にはあまりその恩恵が届いていないようです。
 中流層以上はやはり子供たちに大学教育を与えることが最重要になっているようです。子供たちもその親の熱意を感じてしっかりと勉強しています。
 筆者と同年配の人たちが若かったころに比べると、今のインドネシア人の若者たちの知識量は雲泥の差です。筆者が若かった頃はジャカルタの本屋にろくな本がありませんでしたが、いまでは専門書から趣味の本まで山積みになっています。これほど知識欲が違ってきたのでしょう。もちろん所得が増えたために本を買う余力が出たということも言えるでしょうが、知識欲もそれに劣らず増加したものでしょう。
 翻って、筆者と同年配のインドネシア人の友人を思い浮かべてみると、誰一人として本を話題にしている人がいません。私の友人関係がたまたまそうなのかもしれませんが。


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1998-02-22 作成 ジャカルタにて
2002-07-30 更新 読みやすく改訂
2002-07-30 【追記】を追加
2015-03-05 アップデート
 

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