インドネシア不思議発見
第26話 技術移転について

 あなたも会社で毎日悩んでいらっしゃるでしょう「技術移転=Transfer of Knowledge」について今回は考えてみたいと思います。この中で日本社会との違いを見つけ、日本とインドネシアの双方の問題点を洗い出していきたいと思います。卑怯かもしれませんが、ここでは問題の提起にとどめることにして、解決策はあなたご自身で考えてくださるようお願いします。

 まず、なぜ技術移転が必要なのか、その次に移転される技術そのものが持つ特色を調べてみましょう。さらにこれを受け入れようとするインドネシアの社会内部またインドネシア人の意識の問題点を明らかにした上、現況がいったいどうなっているか、今後どうしたらいいのかを見ていきたいと思います。

1. なぜ技術移転が必要なのか
 経済学的にいえば、「生産者と消費者ともども新しく作り出された富をわかちあうために、日ましに変化している社会のニ−ズに呼応して、新しい技術を導入して生産量を増加させるとともに品質を向上させ、会社が儲かるようにする」ことになりましょう。
 では、社会学的にはどうなのかというと、「技術移転、すなわち価値のある情報、はそれがすでに存在するところから、必要とされるところに行われる。上流から下流へ流れる」ことになると思います。

 現在の技術移転はその量からいって物財の製造技術が多いようです。「質草の値踏みと客の借金払い戻しを見きわめる技術や、子供をファミコンから遠ざけ勉強に熱中させる技術」などというものに私企業や国際協力事業団が資金を提供するわけがありませんから。

 ここ十年来は石油化学プラントなどの大型の装置産業が国の肝入りでどんどん建設されていますし、これに付随した下流の産業も発展しつつあります。これはインドネシア国内の人口の増加と所得の増加にともない国内消費量が急増していることと、ルピアの切り下げ(devaluation)で輸入価格がかなり高くなっていることも関係していると思います。ここ二十年間(1976-1996)で米ドルに対してルピアは約1/5に切り下がっています。日本円は同じ期間で米ドルに対して約3倍に切り上がっていますから、ルピアは日本円に対して20年間で1/15に切り下がっているのです。ですから円建てで計算するとここ20年間のインドネシアの物価上昇はゼロになってしまいます。

 一時期の日本のように国産品を愛用し、国内産業を成長させようとする国策があります。しかし、何でもかんでも自国で作るとなると、国内製作が不適当なものまで含まれることになります。また、さらに「NIESに追いつけ追い越せ」とばかり、自分の足元を見ず、インドネシアに不適当な産業を無理に成長させようとする傾向も見受けられます。五万ルピア札に印刷されている離陸しつつある飛行機はこの国の経済成長の悲願を象徴しているようです。

 各国の通貨の交換率というものは通貨を発行している国や政府の信用度や将来性で決まってきますから、インドネシアの経済がこのままの調子で経過していくと、ルピアは今後もしばらく引き続き下落を続けることは容易に推察できます。でも、反発する機会が一度だけあります。それは西暦2030年頃の生鮮野菜不足の時です。というのは、地球人口が爆発し食料が不足するようになるからです。食料の中には保存のきく穀物類と長期の保存がきかない生鮮野菜があります。地球は北半球に人口が集まっていますから、北半球が冬の間は消費国での生鮮野菜の生産が少なくなり、いきおい暖かい赤道付近の国々から調達する必要があります。現在の技術では赤道地帯の産地から日本などの大量消費地に短時間で海上輸送することは不可能ですが、近い将来には超伝導推進の高速貨物船が運用にはいり、ジャカルタと東京間を二日で結ぶことができるようになるからです。 この時に、インドネシアは世界の野菜の生産を一手に引き受けるようになり、従ってルピアがドルに対して反発するのではないかと予想しています。

2. 移転される「技術」そのものが持つ特徴
 新しい技術がその社会に受け入れられるためには、それを受け入れる環境が整っていなければならない、と堺屋太一氏はその著書「風と炎と」で述べています。また移転される技術はその移転元の社会のパラダイムに立脚して成立しているものですから、パラダイムの異なる社会には移転しにくいのです。たとえば、子供は多いほど良いというパラダイムの社会に避妊具を売り込んだり、イスらム教徒にお棺を売り込んだりするようなものだと思います。(ちなみに、イスらムでは埋葬の際には遺体を白い布でぐるぐる巻きにして直接埋葬しなくてはならない決まりなので埋葬のためのお棺はないのです)

 近代工業を進める上で絶対必要なのは、マニュアルを厳格に守るという労働者側の意識なのです。この意識がなければ複雑に流れがこみ入った工業をきちんと行うことは極めて難しくなります。さらに技術移転をもっとも短期間に・深い内容まで達するためには、マン・ツ−・マンで行うのが原則と言えるでしょう。なぜなら、全ての仕事には問題点を見極めこれを解決するため、その仕事に応じた直観力が必要だからです。これを「職業上の勘(かん)」とか「仕事の知恵」などと呼んでいます。これは一朝一夕にできるものではなく、注意深い観察と深い思慮、そして長い経験からかもし出されたものなのです。これを移転元から土と木を持ってこずにその果実である技術だけを導入するのは不可能と言えましょう。というのは技術というものは人間にくっついているからです。言葉を換えれば、技術と言うものは文字で書き表せきれない「知恵」だとも言えます。日本でもよく見かけることなのですが、一流大学をトップの成績で卒業した学生が必ずしも社会に役立つ人とは言えないのは、自分の今までの成功体験を元にしているだけで、社会正義とはなにかを考えないだけではなく、「先人の経験=知恵」を軽んじているからだろうと思います。またこういうてあいがオウム真理教に入信し、自分の能力を過信し大量殺人を平気で行うようになるのです。インドネシア人が驚くのは逮捕されたオウム真理教の幹部達のほとんど全員が最高の教育を受けていたことです。インドネシアでは日本より宗教倫理が行き渡っているため、地下鉄事件のような無差別大量殺りくは考えにくいのではないかと思います。

 技術的観点からは「技術を受け入れる相手がその内容を理解できないから、経験・能力が余りに違うものには知識の授与である技術移転ができない」と言えます。早い話、小学生に微積分や解析幾何の話をするようなものです。また口の悪いザイヌディン師は「砂漠で田植えができるか」と言い切っています。

 堺屋太一氏によると、日本では高校卒業まで一人の人間を育て上げるのに教育費や生活費込みで三千万円、大学卒業までには五千万円の費用がかかる。さらに日本で特に高い住居費まで含めると大学卒業までに六千万円までの費用を社会が負担しなくてはならないのです。米国でも教育費に十万ドル、食費に二万ドル、卒業後の労働施設の準備のための費用が八万ドル、生活するための公共設備に二万ドル、住宅費に二万ドル合計24万ドルが一人の人間を育てるために必要な経費です。ちなみに日本のGDP(地域総生産)は約4兆ドルでそのうち教育費が約二千億ドルですから約5%を教育費に当てていることになります。

 インドネシアではGDPが約千五百億ドルですから、これを日本と同じ比率で教育につぎ込んでもたった75億ドルにしかならず、この予算では全国で約3万人の子供たちしか育てられない勘定になります。かりにインドネシアでの費用を日本の1/10としても三十万人にしかなりません。手元にある西ジャワ州の統計資料によると、修学年齢の子供達が全人口の約35%を占めています。全国でも大体同じ割合と仮定すると、全国では修学年齢の子供達は約6千万人に達します。単に費用の点からだけみても満足に先進国程度まで教育できる子供達は同年齢の子供達の中でたったの0.5%にしかならないのです。ちなみに、西ジャワ州の人口三千五百万人のうち修学年齢人口は千二百万人になりますが、小学校から高校までの修学者数は六百万人です。小学校から高校卒業まで12年間ありますから、中学高校の三学年に相当する修学年齢人口は三百万人です。ところが、高校生の数は三十五万人で高校修学年齢の人口の12%にしかなっていません。西ジャワ州はジャカルタを囲んでいるため多数の子供達がジャカルタの高校に修学していると仮定しても、とうてい25%には達していないでしょう。ちなみに日本では高校進学者は94%、大学などの高等教育を受けたものがすでに50%に達しています。
 この子供達をどうやって教育していくかが、費用の点で現時点での最大の問題になっていますし、これからも大問題になることは間違いありません。第5話の「女中さん」で述べた、女中さんという職業が当分なくならないということはこの教育、すなわちインドネシアの社会問題、の将来見通しが根拠になっているのです。

 さて、得意の脱線から話を元に戻しましょう。

 またご存知のように、仕事には実地体験に基づいた知恵が必要です。この知恵はお金を出して買えるものではなく、自分の血と汗と涙の結晶なのです。ですから、仕事を他人にやらせてばかりいて、自分の手を汚すのがいやな人たちは、アッら−にいくら熱心にお願いしても、この知恵を授けてはもらえないのです。この手の人たちのアッら−へお願いする内容がそもそも間違っています。魚がほしければ川や海岸に行かなければなりませんが、日本の諺では「木に寄って魚を求む」のようなことをしているのです。アッら−にお願いしなくてはならないのは「毎日の実地体験で最大の成果を得られるよう精いっぱい昼夜を問わず努力しますから、どうか知恵のはじっこだけでも恵んでいただけるようご手配ください」ということなのですが、実際は「自分の手を汚さずに、汗水たらさずに、タナボタをください」とお願いしているのです。

 このようにトンチンカンなお願いばかりしている人達は、決まって、日本人や欧米人の技術指導員に対していつも「何も教えてくれない」と不平をぶつける人達なのです。「自分のことは棚にあげ」とはこのような人達に最適な表現です。このような人がイスらムへの誤解とムスりムへの偏見を煽っているのです。 
 実際のところイスらムでは女性の権利を守るために、自分の家族の喰いぶちも稼げない男はただちに離婚の対象になります。またイスらムの新訳聖書に当たるハディ−スでは、礼拝ばかりして生活費を稼がない信者に警告を与えています。当たり前のことです。清く正しく生きるために宗教があるのですから、まず「生きること」が大前提なのです。これをおろそかにすることは、アッら−を冒涜していることになります。インドネシア人達の態度に耐えられないときには、腹を立てずにこんなふうに忠告してあげると全てが丸くおさまります。
 それでも自分の気持ちがおさまらない時には自分にこう言い聞かせよとザイヌディン師は言っています。
「働くのは日本人に任せておけ。インドネシア人はこのままでいいんだ。日本人の子孫が将来もインドネシアで稼げるように」と。

3. インドネシアの社会資本とその社会システムから見た問題点
 目に見えるものでは、社会資本整備が遅れていることがあげられます。ジャカルタの交通渋滞はマニラやバンコック程ではありませんが、鉄道などの大量輸送機関の整備ができておらず、かなり重症です。交通渋滞だけを考えても、東京よりジャカルタの方が先にサテライトオフィス化が必要になってくるでしょう。また、電気・電話・水道などの整備も遅れていて、ジャカルタの特別な地域以外ではまず220ボルトの電気を受電することは不可能です。ちなみに西ジャワ州の田舎町の住宅地域にある筆者の家では夕方6時には電圧が150ボルトまで下がり、蛍光灯はつかないわ、冷蔵庫やエアコンはブ−ブ−うなっています。電気と電話は人間の努力と投資でどうにかなりますが、問題は水資源なのです。現在のジャカルタの水道水はジャカルタの東、約80kmのPurwakartaにあるJatiluhurダムからKali Malangという水路でえんえんと引いてきています。これでも首都圏(Jabotabek)の人口爆発による需要の増加に追いつきません。政府は他の水源を求めて調査しているのですが、これ以外に大きな河川がなく、なかなか良い対策がありません。下水道の水を浄化して中水道に使う手も考えられますが、下水道がほとんど整備されていない現状では下水道からの水資源獲得もままならない状況です。このままでいくとジャカルタを中心とするインドネシアの経済発展は水資源の問題がネックになって止まってしまいます。ちょうど西洋が薪炭などのエネルギ−不足で古代から中世へ移行したように。

 また、社会システムにも大きな問題があります。会社の外部と内部の問題を分けて考えてみましょう。

 会社外部の問題として、たとえば輸出入を取り扱う税関では通関に時間とよけいな費用がかかることや、国内輸送では輸送路上で色々と費用がかさむため、高品質のものが工場で安価でできたとしても、消費地につく時には単なるトラック経費以外のコストが製品の価格を押し上げてしまうことになります。ちなみに1995年には中部ジャワのスマランから西ジャワの外れのチレゴンまでのトレ−ラ−輸送に一台あたり50万ルピアの「世界の常識外必要経費」がかかってしまいました。またこれらの社会システムの障害により納期を守ることが難しいことになります。

 さらに大きな問題は会社内部にあるのです。インドネシアの大会社はほとんどPersero(半官半民)ですから、親方日の丸(インドネシアでは親方「メラプティ」?!)意識が強く、原価意識が薄いことがあげられます。原価意識が薄いのでロスが大きく、いきおい製品コストが高くなる。よって国際競争力がないことになります。また、中小会社にも官僚主義がはびこっていて、自分の地位を守ることだけに汲々としていて即座に問題解決が図れないといった点があげられます。この傾向は日本の会社にもありますが、インドネシアと較べると「月とすっぽん」のへだたりがあります。工場の内部監査をしてみると分かるのですが、会社の直接費と間接費の割合(直間比率)が日本の私企業の1:5と逆転して、Perseroでは間接費5に対して直接費1の割合に近くなっています。この理由は間接費を喰う上層部に甘く、直接費を喰う下層部に辛いという階級社会の特徴なのかもしれません。

4. インドネシア人の仕事意識に関する問題点
 インドネシア人の名誉のためここでお断りしておきますが、これから述べるインドネシア人とは特定の人を指して言っているのではなく、全体の傾向を述べているだけです。筆者の友人の中には日本人も真っ青というくらいの働き中毒者もいますし、高級官僚や自分のオ−ナ−会社を経営している人たちは働き中毒者で「全体」という範ちゅうに入りません。これらの人たちは就労者数のたった約2%でしょうから、残りの98%についての見解は全体の傾向を示していると言っても言い過ぎではないでしょう。

 オランダの植民地政策の結果かどうか分かりませんが、インドネシア人の社会風習や労働観がまだ農業主体の産業構造であった時代から余り変化していないように思えます。産業が農業主体であった頃には、今までの人生で蓄えた「知恵」をそのまま出すなり、わずかばかり応用すれば、直ちに解決できる問題がほとんどであったろうと思います。これは技術革新のスピ−ドが遅かったためです。しかし、この現代に入って技術革新が急激に進み、情報量が激増し、旧来の「知恵」では対処しきれなくなっています。これは日本でも同じことで、老人を「濡れ落ち葉」だとか「産業廃棄物」「生ごみ」などと蔑視することに表れています。

 仕事上の問題解決には充分な経験とそれに基づいた深い洞察力が要求されます。かつ、臨機応変に対処できるように柔軟な脳が必要です。絶えず新しい状況にさらされ、常に物事を考えていないと柔軟な脳は作れません。

 インドネシア(特にジャワとバリ)の火山は他の東南アジアの地域とは違って、比較的若い上、火山噴出物が溶岩ではなく火山灰を主体とするものです。定期的に噴火した火山灰が麓の森林を枯らせ、森林自体が人間の進入を拒むほど強力にはなりえなかったのです。したがって、海岸から島に進入した人間達はこの火山灰に弱められた森林を容易に開墾でき、世界的に有名な農業地帯に変えることができたのです。一方、スマトラ・カリマンタンなどの島には火山が少なく、濃い森林が人間の進入を拒み続けてきましたから、農業適地が少なく従って人口が少なくなったといえるでしょう。

 太古の昔からこのように土地が豊かな上に気候が温暖で、台風や地震の被害もない地域でした。従ってこの地域の住人は胃が痛くなるほど努力しなくても生きていけたのです。その国民性だけが今でも続いていて、日本人にとってはちょっとしただけのストレスですぐに肝炎なり、糖尿病なり、リュ−マチで入院してしまう人が多いのです。ちなみに、筆者の回りでは、毎日三時間の残業が三ヶ月続いただけ(もちろん日曜日は休み)で、約1/3の技術者が病気で入院してしまいました。これは不幸にも筆者が当初に予測した通りでした。また、少し考えるとすぐ疲れ、頭が痛くなるという友人が多いのです。「君は考えているのではなく、自分をこの辛い環境に置いた人を恨んでいるのと、自分の能力の限界を感じて悩んでいるだけなんだ」と忠告しても、自分の中に逃げ込んでしまい、前向きな態度が見えず、病気に逃避し、入院してしまうパタ−ンが多いのです。彼らを見ているこんな「悪魔のサイクル」に落ち込んでいるのが手に取るように分かります。

 【仕事が終わらない】→【無理な仕事を与えた人を恨む】→【人を恨んではいけない】→【自分の能力が足りない】→【時間ばかりが過ぎていく】→【仕事が終わらない】

 一見インドネシア人は親切そうでも、このような相手の人間の本質に関わるような問題については、その相手を尊重するあまり親身になって忠告を与えることは少ないといえます。日本人は地震・台風・凶作・冷害などのその不幸な歴史的地理的環境から「全身全霊でぶつかれ」とか「人事を尽くして天命を待つ」と教育されてきましたが、インドネシア人はその幸福な歴史的地理的環境から「ちょっとお試し(Coba dulu)」や「インシャアら−」で、不幸続きの歴史を抱えている日本人のような徹底した教育は余りなされてこなかったのではないかと思います。第13話でザイヌディン師が皮肉っぽく言っていた「インドネシア作業反芻の法則」は、このようなインドネシア人の「なりわい」からでてきているのではないかと思います。これが地球化時代の現在になって、新しい環境に適合できなくなっている理由なのではないでしょうか。インドネシアを溺愛する筆者には悲しい限りですが、この現実を「神の試練」とインドネシア人に受けとめてもらわざるをえないと考えている毎日です。

 前にもお話ししましたように、インドネシア人は「頭を使うと疲れる」ので頭を酷使しない作業が得意です。従って、頭を酷使しなければならない社会の上層部の人たちより、酷使しなくてもよい社会の下層部の人たちの方が日本人にとっては働き者に見えるのかもしれません。

5. そして現況
 ザイヌディン師が皮肉って言っていたように、インドネシア人にとって会社への忠誠というのが、ちょうどイスらムでいう「やらない方が良いこと」になっているように見えます。また狂信的科学教徒の日本教徒とは異なり、仕事への情熱も薄いように見えます。労働の成果としての給料をもらう場所として会社というものを理解しておらず、個人の地位を利用して私腹を肥やすことに専念している人が多いように見受けられます。ですから、事務所は必要以上にきれいでなければならないのです。もしこれが幸いにしてまちがいだったら、インドネシアでの給料だけで高級住宅を買えるわけがありません。この現実からも会社の直間比率が日本の逆になっている理由が分かると思います。また、余り必要ではないのに高価な大型機械や新鋭機械を導入したはいいのですが、そのままほこりを被っていることが、計画性が少なく「見栄張り」というインドネシア人に対する指摘を裏付けているようです。

 日本人がインドネシア人を怠け者だと決めつけるのは、会社内部の中上層部の下層部に対する仕事のための心配りが不足していることにあろうと思います。ですから生産性が上がらず儲けが薄いことになります。現場では汗水垂らして努力をしているのに、中上層部の人たちは、冷房の利いた部屋でコ−ヒ−・新聞・おしゃべりで一日を潰している。そんな時間があるならもっと儲けの大きい仕事を探してくるなり、現場に降りて生産性の向上に努力すべきだ。というのが、第一の理由です。第二の理由は現場の作業員のやる気が低いということです。といっても大きな会社でいくら努力しても、日本と違ってこの努力は報われないのです。給料が上がるわけではなし、昇進があるわけではなし、かえって上層部からにらまれるだけですから、「適当にだらだらやっていればいいや」ということになってしまいます。これは筆者のみならず「中高年協力事業」でインドネシアにきている日本人のエキスパ−トが何人も指摘していることです。ですから、筆者のみの偏見とは言えません。

 この問題は「階級社会」というインドネシア社会の本質から発生しているものです。階級社会ですから、怠け者でも頭が悪くても、上層部の子弟たちは社会の上層部に位置することになります。また下層部の子弟達は教育も不十分ですから社会の上層部にはい上がることもむずかしいといったことになります。トッカンベチャの子供はやはりトッカンベチャにしかなれないのでしょうか。

6. だからどうする
 技術移転についての議論はこんな悲しい結論になってしまいました。「欧州の社会構造が変化したのは人手が圧倒的に不足した時」という歴史を考えると、インドネシアのこの現実は企業が人手不足にならない限り好転はしないでしょう。人手不足になるためには、今後とも経済が順調に伸びていってもあと50年はかかるのではないかと思います。

 新たな産業を起こしインドネシアを豊かにするためには資金以外に労働者の質が大きな問題となります。たとえば字が読めるかどうかといった初歩から、自分で問題を提起し解決策を見つけるといった上級クラスまでの問題があります。近代工業に適する労働力というものは次の式で定義できるのではないかと思います。

 (労働力) = Σ{(仕事をまとめる力) x (労働者個人の能力) x (労働者数)}

このうちどれ一つがゼロでも答はゼロになります。

 労働年齢人口が多いといっても、労働者個人にその能力がなければ答はゼロです。能力が非常に低い場合でも、その労働者をたくさん雇えば労働力になるとインドネシア人はよく言います。ザイヌディン師はこの意見に対して「ヒヨコで馬車が引けるか!」といつも断言してインドネシア人から顰蹙を買っています。
 仕事をまとめる力がなくても答はゼロです。インドネシア人は独立戦争の時のように非常事態で大ざっぱでも問題がない大きな目的には一致団結してとても大きな力になりますが、仕事のような平常時の個人的で繊細で小さな目的にはあまり熱心ではありません。独立戦争の時の動機は「恨み・つらみ」だったから強く、仕事にはこの怨念が入り込まないから熱心になる動機ができないのかもしれません。

 さて、具体的な解決策として労働者の資質(Sumber Daya Manusia)を向上させなくてはならないことは自明なのですが、費用の点で不可能であることは前にお話しました。では、先進諸国ではこの問題をどうやって解決してきたのかを調べてみましょう。

 先進国で学校教育が普及し始めたのは日本の明治時代でした。これは、産業育成のためにある程度の基礎教育が必要だったからです。この当時は子供達に教えるべき内容もまだ少なかったため、費用もそれほど必要とはしませんでした。この子供が親になり教育の結果はその子供に生かされ、その子供達はさらに学校で両親より高等な教育を受けていく好循環が生まれ、百年以上の時間で先進国は先進国としての地位を築けたわけです。ちなみに明治維新の時に日本人の全人口のうち男性は40%、女性は25%が基礎教育を終了していて、読み書き算盤ができました。この基礎教育の上に近代的な初等教育を施したのですから近代産業が急激に発展できた下地があった訳です。インドネシアでは明治維新程度とは言いませんがそれに近い状態から独立後に国民に教育を施さなくてはならなかったので、基礎・初等教育が遅れているといっても、歴史的にしょうがないのです。

 インドネシアの将来には希望がないのかというと、現状を進めていくだけでは「そうだ」としか言いようがありません。修学率を向上させることは前にお話しましたように、経済的に不可能なのです。
 では、藁にすがっても別な方法で希望を見つけることはできないか、という問いには「ある。でも、ものすごく難しい」と答えることができます。

 人間はその叡知で幾多の困難を解決してきました。その方法はそれまでの考え方の延長上にあるものと、まったく新しい考え方によるもののふたつでした。国連などで色々と地球の将来について考えていますが、まだ今までの考え方の延長上から脱しきっておらず、将来見通しは「お先真っ暗」です。インドネシアに明るい将来の希望の光を灯すためには、また地球上の人類がみな幸せになるためには、これまでの考え方を捨てて、まったく新しい価値観に裏付けられた、新しいパラダイムに移っていかなければなりません。これは筆者ではなくて、あなたがたぶん尊敬している堺屋太一氏が言っていることです。

 新しいパラダイムとは一体なんでしょう。それは、幸福の尺度を物財ではなくて他のものに置くことです。「他のもの」とは、まだよくわかりませんが、たぶん精神的なものになると思います。これは機械で計測ができず、「日本教徒」のあなたには科学的ではないとお叱りを受けるかもしれません。しかし、今後人類が生き延びていくために必要なことなのです。

 堺屋太一氏はその著書の中で断言を避けていましたが、筆者には「人間のエゴを人生のベ−スにするのではなく、神仏の心がわかるようになる」ということではないかと感じています。また、これは船井幸雄氏が指摘しているように、宇宙が第四世代に突入しつつある「まえぶれ」のように感じています。参考文献として船井幸雄氏の著書を最後に列挙しますので、あなた自身で地球人類が幸せになる方法をこの本などから探してください。また、この連載が幸せな地球の将来を招くためのあなたへのガイドラインになってくれれば、筆者としてこれ以上の幸福はありません。

【おまけ】
 技術移転がなぜ難しいかということを考えている時に「パラダイムの違い」という言葉にぶち当たりました。それはこんなことでした。

 ク−ンという学者は「その時代の人たちはどういう枠組みの中で、どういう価値観の中で、何を前提にし、何を問題とし、あるいは、どういう問題に対してはどういうふうに処理をするのかということに共通の認識を持っていて、その中で考えていたから、こういうことに対してはこういう答を出していたんだろう。今われわれは彼らと違ってお利口に見えるのはわれわれが持っている同じような方法論で考えているはずで、何に価値を置き、何に価値を置かないか、そういうことを引っくるめた全体の中で、われわれはこのことに付いてはこういうふうに考えるから、違った答が出てくる。それが『パラダイムが違う』という表現である」と言っています。日本とインドネシアとの違いのすべてはこのパラダイムの違いであるといっても言い過ぎではないと思います。

[参考文献]
  1. 「風と炎と」 堺屋太一著 文藝春秋社刊
  2. 西ジャワ州統計資料1991年版
  3. 「現代科学・発展の終焉」 村上陽一郎+ひろさちや対談集 主婦の友社刊
  4. 「船井幸雄の『人間の研究』」 船井幸雄著 PHP研究所刊
  5. 「上に立つ者の人間学」 船井幸雄著 PHP研究所刊
  6. 「未来への分水嶺」 船井幸雄著 PHP研究所刊
  7. 「船井幸雄の『直感力』の研究」 船井幸雄著 PHP研究所刊
  8. 「未来へのヒント」 船井幸雄著 サンマ-ク出版刊
  9. 「これから十年愉しみの発見」 船井幸雄著 サンマ-ク出版刊
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1996年 初稿
2015-03-03 修正
 

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