第8話 ミャンマーあんなこんな
 

第1話 「ミャンマーとメンマの関係」 (2020年02月15日)

 「爺さん二人、田舎生活inカンボジア」のまとめもしないうちに、ミャンマーで見聞きしたことを書き連ねたい。

 カンボジアから持ち込まれたからカボチャ、大昔クメール(今のカンボジア)からなので、米(クメ)、ジャカタラ(ジャカルタの旧名)からなのでジャガタラ芋、南京から来たので南京豆と言われているようだ。

 じゃあ、ミャンマーから渡来したのはなんだろうと考えていたところ、メンマではないかと考え着いた。

 確かにミャンマー人はメンマが大好きでいろいろな料理に入っている。
 中国を経由して渡来したとすると筍の字の音はどうしてもメンマの音とは関連性がない。
 東南アジア諸国と台湾では台湾以外ではメンマを見たことがない。ということは海のシルクロード経由ではないのだろう。
 ということは、ミャンマーと国境を接している雲南省経由でメンマという名前で塩漬けの筍が日本に入ってきたのかもしれない。


第2話 ヤンゴン点描

2019年12月8日。せっかくの日曜日だったので町をぶらついてきました。まずはセントラルマーケットです。
 

セントラルマーケット内部。
ここのマーケットもすべてがお土産物売り場になっていた。


たまたま、従兄の娘さんがヤンゴンに出張してきていたので昼食を共に。

セントラルマーケットからほど近いヤンゴン中央駅に行ってみた。

写真から分かるようにかなりの安普請である。駅の規模はスリランカのコロンボ中央駅と変わらないのだが、意匠一つとっても見劣りする。


ヤンゴンは山手線のように鉄道線路が一周している。距離は約45kmとのことだが一周すると三時間かかるとのこと。
weikipediaから
宿泊していたホテルはParami (Payami)付近であった。

 
ヤンゴン中央駅 右端に見えるのは長距離列車。

遠距離列車の切符は駅舎の出札口で買うようだが、近距離列車用は出札口がホームにしかない。それも列車の出発時刻近くならないと出札口が開かないのだ。切符を買うのにホームを右往左往してしまった。



乗った列車は日本のキハ40の旧型車両だとおもう。冷房もないし扇風機も動かない。でも、乗客はじっと我慢している。


車内の反対側の風景。


なんて書いてあるのかさっぱりわからないけど乗車券なのだ。
保線が最悪で縦揺れ横揺れが激しく速度を出せないから、バスに負けている。


ヤンゴン中央駅


駅頭の飲料水




ヤンゴン中央駅構内


キハ40


ここはインドではなくミャンマーです。ロヒンギアの人たちとは異なり、古くからのベンガル人移民はミャンマーの国民としてしっかり認知されています。


ヤンゴン中央駅構内の腕木信号機


キハ40内部。クロスシートが外されてプラスチック製のロングシートになっている。




 第3話 「ヤンゴン町散歩」 (2020年01月26日)

 「ミャンマー人はよく歩くなあ」と思うほどヤンゴンの町の中のバス停は離れています。東京のバス停間の距離の二倍はありましょうか。

 2020年1月26日日曜日。ヤンゴンの中心であるシュエダゴンパゴダに行くためにホテル近くのバス停まで約15分かけて歩きました。YBS36番のバスは休日の町中を速度制限にかまわず暴走していくので乗客は前後左右に振り回されて握り棒につかまっていないと倒れてしまうほどです。
 バスの車内放送が聞き取れないのみならず地理不明瞭も重なって降りるべきバス停を乗り越してしまいました。ヤンゴン市内にもかかわらず降車すべきバス停から次のバス停まで2.7kmもバス停がありませんでした。この区間は公園が左右に続くので、乗降客もあまりにいないのでしょう。

 仕方なく次のバス停からシュエダゴンパゴダまでタクシーを利用せざるを得なくなってしまいました。
 投宿しているホテルからタクシーで直接シュエダゴンパゴダに行ったほうが早くて楽だったかもしれません。
   
 シュエダゴンパゴダの入り口に「外国人専用入口」が設けられていて、そこに入ると入場料一万チャット(800円相当)を徴収され、非接触温度計で体温を測られた後、マスクを渡されエレベータまで案内されました。エレベータの乗り口は無慮百人は良そうなミャンマー人でごった返していました。エレベータを数回待ってようやく乗り込むと中は参詣客でぎっしりでした。降り口でほっとする間もなくそのまま人波に押されてシュエダゴンパゴダの上段に出ることができました。
 東西南北に広い階段があり、休憩所やちょっとした木陰は参詣者たちで芋を洗うような混雑です。直射日光に照らされた大理石の床は冬の季節にもかかわらず相当に熱されていました。酷暑の三~五月には来たくありません。寺院内は裸足で歩かなくてはならないので、水虫保持者が参詣するのはこの時期が最適でしょう。仏様の力と床石の熱で水虫が治るかどうかは保証の限りではありません。
  パゴダに無料で入れるミャンマーの人たちはこのクソ暑い炎天下、熱せられた床石の上をあちこち歩きまわっています。歩きなれているのかくたびれた顔をしている人は見かけませんでした。
 ミャンマーの人口の約半分はビルマ族が占めていて残りの半分は周辺地域の山岳民族の人たちなので、参詣者の中には民族特有の服装をしている人が多数みられました。でもこういう格好をしているのはおばあさんばかりでした。残念。

 このパゴダは釈迦の遺髪を収めてあるとかで霊験あらたかなそうなのです。パゴダの周りにはコンクリート製の仏像がたくさん置かれていて、誕生日に合わせた自分の仏様を拝むということになっているそうです。
 仏像を見て回っていると、仏像のもっと先からある種のエネルギーが放出されているのに気づきました。そのエネルギーの発信地はパゴダの中心ではなく中心からやや北西に偏った位置にありました。
 参詣者たちの祈りがこのパワースポットの位置を変えてしまったのか、あるいは地震などの地殻変動によってパワースポットが建設当初の位置からずれてしまったのかもしれません。ちなみにインドネシアのジャワ島の大多数の遺跡ではこのエネルギーラインは参道の中心から西に約30cm離れた位置にありました。日本の神社などでは参道のほぼ中央部にこのラインが通っています。ここは神様の通り道と呼ばれていて参詣者は立ち入らないのが普通なのだそうです。    


第4話 ミャンマー南部観光 (2020年02月08~09日) 
チャウッカラッ・パゴダ
この付近は石灰岩でできている地域なので、通常なら水が土地に吸い込まれてしまうはずなのに川が近いので河川堆積物である不透水層の粘土が底にあるためか地下水位が高いので石灰岩の露頭の周りに水を溜められたのだろう。


まあよくもこんな危険なところにパゴダまで作ったのだろうか。


水面に映る石灰岩の山が美しかった。
桂林から続くベトナム北部の奇岩奇勝に似ていた。




 今度はコーゴン洞窟寺院。摩崖仏がそこここにあった。
今回の旅行は実に参詣旅行であった。

寺院の中は履き物禁止なので訪問の際には脱ぎやすい靴を履いていったほうがよい。
 



参詣者には昼食をふるまってくれるのだ、と思っていたら、しっかり代金を取られた。
 若い人たちに交じっての旅行は実に疲れる。
その疲れを癒してくれたのはパアンでの「どんど焼き」でした。

積み上げた薪の周りを僧侶と有力者がグルグル回り。


長い松明で火をつけます。


火はますます燃え盛って、高い位置にある傘まで。


ゴールデンロック・パゴダ

この日の昼間はGolden rockパゴダに行ってきました。自家用車は禁止されていて、トラックに乗らなければなりません。このように参詣者をぎっちり詰め込んだトラックが数分おきに出ています。


いつもパワフルな三人。怪しい人たちではありません。事務所の人たちです。


このトラックは急カーブの急坂を暴走していきます。終点についたらもうクタクタでした。
山頂に着いたら、そこは芋を洗うほどの大混雑。ここは標高が1100mあるのに人いきれでものすごく暑く、それに直射日光が輪をかけていました。
おまけに、寺院に入るには靴を脱がなくてはなりませんでした。


高山で空気が薄いのみならずかなりの急坂を靴を片手にえっちらおっちら上った先にgolden rockが見えました。


参詣者の皆さんは大きな岩に祈ってはいますが、パワースポットの中心はこの写真の小さなパゴダなんです。


頂上のこのパゴダの前は休憩所になっています。ほれこの通り満員です。


落ちそうで落ちないこの岩が神秘的だから皆が願いを込めて金箔をはっているようですが、そういう神秘的な力を持っていないこの岩にとってはさぞかし迷惑なことでしょう。

貼った金箔が落ちないようにベトベトの油が岩に塗ってありました。金箔は近くの売店で売っています。

パワフルお姉さんたち。ちょっと太めだが………。


全員集合


ヤンゴンへの帰路

一泊四食付きの旅行費用はひとりあたりUS$300+700チャットでした。       



第5話ヤンゴン路線バスと近郊鉄道の旅   (2020年2月12日)

 土日は事務所が休みなので朝から暇を持て余して、「世界の歩き方」に乗っていたヤンゴン市内バスのルート図を見ながら、ホテル近くのバス停から乗り換えせずにできるだけ遠くに行ってみようとしました。
  2月12日の祝日はYBSの30番に乗ってヤンゴンの東にあるダゴン大学まで。約40分で終点に到着したのですが、どこで降りていいのかわからず一人ぼっちで座席に座っているとバスの運転手が何かを尋ねてきました。「どこいくの?」なのか「まだ降りないのか?」ということらしいので「ターミナル」と言ったら、バス停の終点から延々と走った挙句バスの車庫まで連れていかれました。
 バスの車庫から鉄道のダゴン大学駅まではそれほど遠くなかったので徒歩で。
 
 
Dagon大学駅はとんでもない田舎の駅でした。
出札口に行っても係員はいません。ホームに入って出札口の建物の中を覗くと駅員さんは大きなホワイトボードに何かを書いていました。その駅員さんから切符を買い、ホームに出てみると古い客車を引いたディーゼル機関車が止まっていました。
 
ホームと客車。
ホームはコンクリートのとがった破片がたくさん出ていて歩きにくくてたまらない。安普請の駅だった。
他の建物も同様だがミャンマーの人たちは構造物のメンテはしないようだ。町の建物も何十年も塗装をしていないものがほとんどだ。
 
車窓から
 
ヤンゴン中央駅
 ヤンゴン中央駅まではバス代の半額の100チャットでした。汽車は時速20km/hで進みますが路盤が悪いためにジェットコースターに乗ったように左右に揺られます。よくも脱線しないものだと感心しました。
 客車は1950年代製と思われるもので、機関車はAlsthomのディール電気機関車でした。客車はプラスチック製のロングシートでもちろん冷房もないし扇風機もついていません。
 ヤンゴン中央駅まで約25kmをのんびりと一時間かけて走ります。ダゴン大学周辺はまだ農村が広がっていますが、市内に近づくにつれて工業地帯の様相を呈してきます。それを過ぎるとスラム街と思われるような密集地に入ります。それを過ぎるとまた広々とした場所を過ぎて緑が多い中央駅に着くのです。いくつかの途中駅で線路は北部のマンダレーに向かう線路や南部に向かう線路に分岐しています。 

 旧式の腕木式ではなく電気の鉄道信号はついているのですが、故障などが多いため、あまり使われていないと聞きます。このような劣悪な状況を改善するために路盤の整備やプラットホームの建設など仲間たちがヤンゴン環状線改修計画で鉄道の高速化を推進しています。
 ミャンマーの鉄道はインドで鉄道の広軌化を進める際に余った1,000mmゲージの車両や資材で作られているので、インドネシアに比べて駅舎もお粗末です。
 鉄道線路の周りは貧民窟が広がっているのがどこでも一般的で、ここヤンゴンでも同様です。で、鉄道敷地内はほぼごみ捨て場と化しています。鉄道自体の整備も必要ですが、このごみの処理も衛生上重要になってくるでしょう。  

ホームページに戻る エッセイの目次に戻る 次のページに進む


2023-01-03 再編集

inserted by FC2 system