嗚呼、インドネシア
74話 ムアラタクス訪問記
1. 寺院の紹介

 以下はwikipediaのインドネシア語版を和訳したものである。
http://id.wikipedia.org/wiki/Candi_Muara_Takus>

 ムアロタクス寺院遺跡はリアウ州カンパル県第13コト郡ムアラタクス村に位置している仏教寺院遺跡である。この遺跡はプカンバル(Pekanbaru)市から約135km離れている。
 ムアロタクス寺院遺跡は約80cmの高さの白い石でできた74m
x 74mの石垣で囲まれており、その外側にカンパルカナン川の岸まで至る1.5km
x 1.5kmの土塁で囲まれている。この寺院群にはスールン/トゥア(Sulung/Tua=古)祠堂、ブンスゥ(Bungsu=末)祠堂、マハリガイ(Mahligai)
ストゥーパとPalangaが見られる。
 この遺跡の寺院がいつ建てられたのかはいまだ確証がない。四世紀に建てられたという説もあり、七世紀、九世紀、十一世紀という説もある。この寺院はスリウィジャヤの黄金期には既に存在したと考えられているので、何人かの歴史家は、この地域がスリウィジャヤ王国の政治の中心地のひとつであったと理解している。
 2009年にムアロタクス寺院群はユネスコの世界遺産の候補に挙がっている。

遺跡の説明
 ムアロタクス寺院はスマトラでは最古の遺跡であり、リアウ州において祠堂の形を持つ歴史資産を形成している。
 この祠堂は砂岩、河川の石と煉瓦が材料となっている。山間部で得られる安山岩でつくられたジャワにある祠堂と異なっている。ムアロタクス寺院の建築材料は、ムアロタクス寺院遺跡の下流側約6kmにあるPongkai村から採取された粘土である。Pongkaiという名前は中国語語源のようであり、Pongとは穴を、Kaiとは土を意味するゆえ、ムアロタクス寺院の建設材料を採取した「土の穴」という意味になる。この穴は現在コトパンジャン発電所の貯水池の湖底に沈んでしまった。タイ語では川を意味するPangkaliにPongkiaが似ており、確かにこの遺跡は川岸に位置している。
 この寺院群の主要な建造物は、その大部分が煉瓦で、ほんの一部分は黄色の砂岩で構築されている塔の形状をした大型のストゥーパである。このムアロタクス遺跡群の中には、Tua祠堂とBungsu祠堂、Mahligai祠堂、Palangga祠堂で構成されている。この遺跡群の中で上記の祠堂以外には、荼毘に付した場所と思われる土盛りのマウンドが発見されている。この遺跡の外側にも、建物の種類は不明であるが赤レンガで構築された構造物の遺構がある。

マハリンガイ祠堂 (Candi Mahligai)
 ムアロタクス寺院はスマトラでは最古の遺跡であり、リアウ州において祠堂の形を持つ歴史資産を形成している。
 Mahligai祠堂あるいはMahligaiストゥーパは最も完全な形をとどめている祠堂である。この建造物は基台と胴体部分、屋根の部分の三つの部分から構成されている。このストゥーパは9.44m x 10.6mの長方形の基台を持ち、南に入口のあるストゥーパをめぐる28角をもつ。この基台部分にハスの花一輪の装飾があり、中ほどは基台に対して36辺をもつ花のつぼみを模した円筒形の塔状の構築物である。この上の部分は円形断面をなしている。Snitgerによれば、安山岩で作られた獅子の坐像が以前は四隅にあったとのことである。これ以外に、Yzermanによる調査結果によると、以前には塔の頂上部分には楕円形の葉が描かれ、その周りに浮彫がされた石があったとのことである。この建造物は建てなおされたという疑いがある。この疑いは、現在の基台部分は、建造物の拡張以前の基台が残存しているという事実からこういえるのである。

スールン/トゥア(Sulung/Tua)祠堂
 Tua祠堂あるいはSulung祠堂と呼ばれる建造物はムアロタクス寺院群の中では最大の建造物である。この建造物は、基台と胴体、屋根の三つの部分から構成されている。基台は二つの部分から構成されている。最初の基台は2.37mの高さを持ち、二段目は1.98mの高さを持っている。入口の階段は東西に取り付けられ、獅子の神像で飾られていた。階段の幅はそれぞれ3.08mと4mである。残存部分からみると基台は直径約7mの遠景で高さは2.5mであった。祠堂の基礎部分は31.65m x 20.20mである。この祠堂の基礎部分は基台の氏優位に36角の形状をなしている。基台の上の部分は円形である。Sulung祠堂内には中空の部分はまったく存在しない。この祠堂は、おもに煉瓦で構成されており、角の部分を構成するためにのみ砂岩でできた部分とつけ柱、祠堂の基台部分の下部と基台本体との境目部分、基台本体とその上部との境目になっている細かい襞とで構成されている。1983年の現地調査で、この祠堂は建てなおされたことは全くないということが分かった。形状が異なる別な壁で覆われていたこの建造物の形状からこういえるのである。

ブンスゥ(Bungsu)祠堂
 Bungsu祠堂はSulung祠堂とその形状において大きな差はないが、その上部が四角形なだけである。この祠堂はMahligai祠堂の西側に位置し13.20m x 16.20mの大きさがある。東側には白い石で造られた階段がある小さなストゥーパが存在する。祠堂の基礎は20角形であり、その上部は平面状のテラスを形成している。このテラスにはハスがみられる。Yzermanの調査で、その中に土と灰が詰まった蓮華座のストゥーパの端にある穴が発見された。この土の中で、かたつむりの線画と3つのNagari文字がかかれた金片が3枚と、その底部でも金片が1枚発見された。穴の底からその下部が四角くカタツムリの線画と9文字が書かれた石が発見された。この建造物は、使用されている構造材によって2つに分けられる。北側にある約半分は砂岩で、南側にある部分は煉瓦でできている。両建造物の境目は砂岩でできた構造物を伴っている。こけは、砂岩でできた部分が、煉瓦でできた建造物に後日追加されたことを示している。

Palangka祠堂
 この祠堂建造物はMahligaiストゥーパの東側に位置し、5.10m x 5.7m、高さは約2mある。この祠堂は煉瓦で作られており、北側にその入口がある。Palangka祠堂はその昔祭壇として利用されたと考えられている。


建築様式
 ムアロタクス寺院はリアウに存在する仏教の聖なる建造物の一つである。この聖なる建物が仏教のものであることはストゥーパの存在がさし占めている。ストゥーパの形状はインド芸術が源であり、半円形の煉瓦で覆われているか築山のような小型の人口の丘の形状をなし、高山の嶺の印象を与えている。ストゥーパは仏教の聖なる建造物でありその形状と機能はインドの歴史上とその他の地域の仏教では異なってきている。ストゥーパの機能は3種類に分割できる。
1. 建造物の一部を構成するストゥーパ
2. 独立したストゥーパあるいは一つ一つは完全な建造物だが多数で構成されているストゥーパ
3. 主建造物を補完するための副建造物であるストゥーパ
上記の機能に従うと、ムアラタクス寺院群の建造物は上記の2番目のグループに含まれると結論付けられる。

ムアロタクス寺院群の建造物の建築様式はインドネシアでは他に見られない極めてユニークなものである。祠堂の形状は、車輪と獅子頭の装飾とムアロタクスで発見された仏像はミャンマーやベトナム、スリランカあるいはアショーカ時代の古代インドの仏教ストゥーパとほとんど同一であることから、相互に類似性を有している。
哲学的に獅子像そのものは、前が悪を退治するあるいは光が闇を退治することを象徴する寺院の装飾をなしている。仏教の教えの中で、獅子の模様の装飾は釈迦牟尼の意味と関連し、これは釈迦牟尼に与えられた「釈迦族の獅子」という愛称にみられるのである。また釈迦牟尼から与えられた教えも、すべての導師に厳しく聞こえる咆哮(simhanada)と認識されている。
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寺院装飾文字(Silpa Prakasa)には善などと解釈される4つの獅子が見られる。
1. 勤勉(Udyata): 二本の後ろ足でたちがあり後ろを振り向いている姿勢で描かれている獅子で、これは「来たりし道を詳細に振り返って見る(獅子の観察simhavalokana)の性質を述べている。
2. (Jagrata): 極めて荒々しい顔つき(mattarupina)をしてえがかれている獅子で、これは座った姿勢で鉤爪を振り上げている。これはしばしばkhummana simhaと呼ばれる。
3. (Udyata): 後ろ足で座った姿でえがかれる獅子で、普通高い場所に置かれる。jhmpa-simhaという名称で有名である。
4. (Gajakranta): 象の王の上で三本足で座っている姿でえがかれている獅子で、前足の一本はあたかもとびかかるようであるこれはsimha kunjaraと呼ばれている。

ムアロタクス寺院群内では、獅子像が存在したのはSulungとMahligai祠堂の二つのみであった。Sulung祠堂では獅子像が祠堂の前あるいは入口の階段付近で発見された。Mahligai祠堂では基礎部分の四隅で発見された。この獅子像の配置はインドの風習によると、獅子は強さや光、あるいは善の象徴であるから、聖なる建造物を悪から守護するためのものである。
R.D.M. VerbeckとE. Th. van Deldenの調査研究によると、以前は仏教寺院と祠堂から構成される仏教建築であったとのことである。

寺院群建設の背景
この祠堂はヒンドゥー仏陀時代において発展した聖なる建造物である。この聖なる建造物はヒンドゥー教と仏教の神々にささげる祈祷の設備として建設された。ヒンドゥー教と仏教はインド発祥の宗教であるから、聖なる建造物を建設するための思想は、聖なる水の思想で、インドで使われて発展していた思想と同一である。聖なる建造物は聖なると考えられていた水に近い場所になければならない。この水はその後宗教的儀式における道具として用いられた。水の役割は宗教的儀式に用いられるだけではなく、技術的に建設にも維持管理や建造物の生命保持のためにも必要であった。寺院の建設用地も聖なる土地と考えられていた場所であり、建造物のみが聖なるものであるとは考えられていなかった。聖なる寺院の建設事業に関して建築家たちは、この建造物を建てるに当たりどこが聖なる土地であるかについて常に注意を怠らなかった。

土地の聖性について保護をすべく、霊界と現実界を融合させるWastupurusamandalaとしてその地域を包み込んで安全を確保するために、建造物の中心点(曼荼羅の中心点Brahmasthana)付近と世界の守護神(Lokapala)が位置する四方の点の地域を維持しなければならなかった。その後土地の除霊をおこなった。水は清めに使われるだけではなくその土地を潤すため故、続く儀式中にも水は重要な役割を担ったのである。それゆえ、聖なる建造物を建てるに当たり、土地の聖性以外にも水の存在と供給に注意を払う必要があったのである。これは、七つの海に囲まれた神々が住むメル山が存在することを述べているインドの文化思想と同じである。ゆえに常にかつまた一般的に聖堂のほとんどは水辺に存在するのである。
大河川を有するスマトラ地域の地勢はインド文化における思想に極めて合致するものである。大河川があるために、宗教儀式に必要な水は簡単に入手できたのである。水資源以外の要素として、聖なる建造物をたてるにあたり経済的な要素も背景となった。スマトラの河川は昔商業交通路であった。当初、商人たちの数は少なかったが、時代が下るにつれ、航行のための時期を待つため、彼らはその地域に住んだのである。信者にとって信仰の場所が必要になってきて、聖なる建造物を建てたのである。聖なる建造物あるいは寺院を建てるに対して、その土地の人達の支持なしでは建設も維持もできえないのである。その生育と同時にその土地における商業の急速な成長は、社会・経済・文化的発展の役割を担うべく、寺院に対しての魔術として知られる上記の経済活動者によって宗教儀式が行われるための場所として利用されるための聖なる建造物あるいは寺院がその地に一般的に発現するのである。
支配権という要素も寺院建築に影響する。とある地域を征服した王国はその王国の特徴を想像できる遺物を残している。この遺物とは碑文と寺院で構成されている。

考察
祠堂の建造の点からいくつかの点が見て取れる。ムアロタクス寺院において、この観点から以下の点が指摘できる。
1. 技術的観点 構造材は煉瓦である。その寸法は種々あり、長さは23から26cm、幅は14から15.5cm、厚さ3.5 から4.5cmである。往時の煉瓦は現代の煉瓦より品質が高い。これは、材料から砂などの異物を除去し粘土のみにしているからである。これ以外には、煉瓦の「あんこ」に米ぬかを使っていることがあげられる。これは煉瓦の強度を上げるための方法である。煉瓦同士の接着方式にはkosod法式が採用されている。Kosod方式というのは、表面を水で濡らした煉瓦同士をこすり合わせる方法である。この方式は東ジャワの遺跡や今でもバリ地域で見られる。Kosod接着方式を用いた煉瓦の接着力は年々強度を増してゆく。
2. 社会的観点 この寺院の建造は相互扶助と大衆動員によっておこなわれた。このように、礼拝儀式に際して儀式の指導者と参列者のような地位の相違が発生した。
3. 宗教的観点 ストゥーパを有するムアロタクス寺院の形状はこの寺院が大乗仏教の礼拝施設であることを指し示している。

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20112-04-06 作成
2015-03-23 修正
 

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