嗚呼、インドネシア
74話 ムアラタクス訪問記
表紙

 Slamet Muljana著のSriwijaという本を読み進んでいくうちにどうしてもムアラタクス寺院群遺跡に行ってみたくなり、2012年2月に妻と旅行してきた。
 この遺跡は下の地図にあるようにかなり交通の便が悪く、観光史跡としては短時間の旅行ではなかなか行けるところではない。 この遺跡の名称としてMuarO TakusとMuarA Takusの双方が使われてるので、この報告でも混在して使っている。Muaraと書いて現地ではミナン語風に「ムアロ」と読んでいるからだ。
 図中の時刻は行程記録から抽出したもの。
 この日(Feb-21-2012) の行程は下の表のとおりであった。
Name of Place Time Distance (km)
Bukittinggi 07:50 start 0
Baso 08:18 pass 11
Payakumbu 08:44 pass 33
Harau 08:57 pass 42
Kerok Sembilan 09:12 pass 56
Koto Baru 09:55-10:06 rest 86
Bridge over reservoir 10:41 pass 122
Entrance to Muaro Takus 10:44 pass 125
Muaro Takus Site 11:05-11:45 141
Entrance to Muaro Takus 12:06 pass 157
Bridge over reservoir 12:08 pass 160
Kerok Indah 12:19-12:44 lunch 170
Kerok Sembilan 13:48 pass 223
Harau 14:04 pass 237
Pasar Payakumbu 14:15 pass 246
Bukittinggi Bypass 15:06 279
Padang Panjang 15:38 pass 298
Padang city 17:12 398
 サイト近くの地図を下に示す。
 現地の運転手でもこの遺跡に行ったことのある人は少ないのと、観光地として整備されていないので、国道からの分岐点に方向指示版がない。またブキティンギとペカンバル間のバス便はほとんどないので、このサイトに行くにはプキティンギかペカンバルでタクシーをチャーターするとよいだろう。一日すべて含めて約七千円である。
 国道は全面ホットミックスアスファルト舗装で快適だが、屈曲が多いので左右に揺れて疲れることは言うまでもない。
 上記のように観光地として整備されていないので、GPSを持ち歩くことをお勧めする。
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20112-04-06 作成
2015-03-23 修正
 

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