嗚呼、インドネシア
32話 トロウラン遺跡
遺跡めぐり その13


3.13 市場と壁跡 Pasar & Wall S7 33'55.3" E112 22'57.4"
 2007-11-01にトロウラン博物館を訪ねたのは閉館直後であり、館長以下全職員が帰宅したばかりであった。どうしても館長にお会いしたく守衛さんに自宅まで案内してもらった。
館長さんとの談笑の間、二週間前に新しく遺跡が見つかったので、正確な位置を計測して欲しいという依頼があり、その足で新しい遺跡を尋ねた。
 このウエブサイトでこの遺跡を初めて公表させてもらえるのは光栄な限りである。
 盗掘を防ぐためにこのページは当分日本語だけにしておくつもりである。

 発掘は下図のように隣接する三箇所で行われており、深さ約3mのトレンチが掘られていた。夕方で光量が足りないため解像度が低い上にぶれているのをご容赦ください
トレンチES
トレンチEN
トレンチC
トレンチW
レンガの厚い壁がTrench Wに最もきれいに見える。
この壁は厚さから見て、トロウランの外壁をなしていて、この場所はヌガラクルタガマの記述内容からみると市場ではなかったかと思われる、と館長のアリスさんは言っていた。
いずれにせよ、発掘の結果が待たれる次第である。
事実この外壁遺構の西側の土地には小学校が建っており、外壁の中心線を延ばした先は校舎のすぐそばを通るため、建物を移さなければならないかもしれない、とのことであった。
この地域は農業地域ではあるが、人口増加に伴う住宅の増加で、発掘には立ち退きなどが必要なってくるのでできるだけ早く発掘を行わなくてはならない。
この遺構を発見して報告したのはこの土地を耕していた農民で、奥さんにはいつも「遺物が出たら博物館に連絡するのだ」と言っていた、という。
このトレンチもこの農民が自分で掘ったものであるとのことであった。この功績でこの農民は発掘のための臨時職員として雇われることになったとのことである。
 館長のアリス氏の話では、トロウラン遺跡は数メートルの火山灰に埋まっていたので、多数の遺跡が残っているとのことであった。この遺跡の南部にはアルジュノ、カウィなどの火山がたくさんあるが歴史に名前を残すような大噴火の記録はない。小噴火を繰り返してこの遺跡が埋没してしまったのだろう。さらにこの遺跡を作った人たちの大多数は火山灰に埋もれた土地を離れてしまい、その後数百年してから別な土地から別な人たちが移住してきたのであろう。それゆえに遺跡の保護にはあまり熱心ではなかったのだろうか。

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2007-05-19 作成
2015-07-10 修正
2016-08-23 更新 

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