インドネシア不思議発見
35話 「イスらム」と寄生虫

 この「インドネシア不思議発見」の連載の第7話、第8話第14話で「ブタ肉を食べない」理由とイスらム式の「みそぎ=ウドゥー」についてお話したことがあります。

 日本ではパラサイトイブという名前の映画が上映されていました。「寄生生物のイブ」という意味とのことです。今回は、このパラサイトイブにちなんで、これらの話の「補遺」という感じで、イスらムと寄生虫についてお話したいと思います。
 藤田紘一郎という東京医科歯科大学の教授の著書に「笑うカイチュウ」という本があります。この先生は研究のためにしょっちゅうジャカルタにおいでになるので、お知り合いの読者も多数いらっしゃることと思います。この本では、美人の奥さんに絞め殺されたカイチュウなど、寄生虫と寄生虫病についてインドネシア在留邦人の例をたくさん持ち出しておもしろく説明してあります。文末に参考文献として挙げてありますから、ご興味のおありになる方は「買って」読んでみてください。筆者は藤田教授の親戚ではありません。念のため。 
 この本の中には、寄生虫としてカイチュウ、フィラリア、トキソプラズマ原虫、赤痢アメーバ、何種類かのジュウケツキュウチュウ、ハイキュウチュウ、サナダムシ、アニキサス虫などとこれらが引き起こす症状について書かれています。これらの寄生虫による病気のほとんどは中間宿主である獣肉魚肉の生食あるいは調理不足による寄生虫の感染によるものだとしています。
 これらの寄生虫病の中で、トキソプラズマ症(俗に言う福助頭)はトキソプラズマ原虫が引き起こすもので妊娠初期に感染すると流産、後期の場合は死産するケースもみられる。出生時には無症状であっても青年期になると網脈絡膜炎などの視力障害を起こすといいます。このトキソプラズマの中間宿主である家畜では、ヒツジ43%、ネコ37%、イヌ31%、ブタ24%が感染しているとのことです。トキソプラズマはネコの糞に含まれているトキソプラズマのオーシストが直接口に入ったり、オーシストを食べたブタなどの肉を生で食べることでシストが口から入って感染するのだそうです。 
 以前お話したように、イスらムではブタ肉を食べ物からはずしていますし、イヌは汚(けが)れた動物だとして遠ざけるようにしています。一方、ネコは汚れてないということで、直接手で触れたりしても構わないとしているのです。 
 ブタは人間がかかる多くの病気の中間宿主的存在で、寄生虫病のみならず、世界的に蔓延するインフルエンザウイルスを渡り鳥から受け取って増殖させ、人間にばらまく役目をしているのだそうです。ですから、寄生虫の住み心地が良いだけではなく、病原ウイルスの増殖にも一役かっているのですから、われわれの生活の場に近いところでブタを飼っておくべきではないということは自明の理で、聖書にブタ飼いの話があるように汚れた動物として扱われていました。また、商業と農業・牧畜が主産業であったムハンマドの頃までの中近東でも、やはりブタは「汚れた動物」であったことはいうまでもないことだと思います。調理用の燃料も不足しがちな当時の中東では調理不足で半生の状態で食べることも往々にしてあったはずです。ですから半生のブタ肉を食べて寄生虫病にならないように、ブタ肉を食べてはいけないものにしたことに不思議はありません。 
 さて、上に述べたようにトキソプラズマの感染率はブタよりもヒツジやネコの方が高いのです。ここに「不思議」がまた出てきました。なぜ、ヒツジやネコは「汚れた動物」ではなくて、感染率の低いイヌが「汚れた動物」の仲間に入っているのでしょうか。
 日本では昭和31年を最後として狂犬病の発生は見られなくなりましたが、現在でも東南アジアでは、狂犬病がまだ残っています。今から1400年も前の中東を想像して見てください。医薬品もない時代ですから、狂犬病は命取りの病気であったに間違いありません。飼い主に飛びついたりなめたりして狂犬病を感染させるイヌを「汚れた動物」として遠ざけた理由は理解できます。
 また、ネコはというと、すぐ「ネズミを取る」と思い浮かびます。ネズミといえばペスト菌やダニを運ぶ動物です。ネコからヒトに感染するトキソプラズマ症の危険性よりも、ネズミを退治させてペストやダニによる感染症を減らす利点の方が人間の生命維持ためにより効果的ではなかったのではないかと思います。
 話を元に戻しましょう。トキソプラズマは、すでに感染している女性がその後に妊娠しても、また妊娠中に再度感染しても、母体に抗体ができているのでトキソプラズマは胎児に感染しないといいます。もし、抗体を持っていない女性が妊娠してトキソプラズマに感染した場合には、流産か死産かあるいは出産しても虚弱児なので、その当時の医学の知識では満足に成長できなかったと思います。一度感染すれば母体に抗体ができるのですから、次の胎児からはトキソプラズマ感染の危険から脱することができます。ムハンマド当時の衛生状態今とは大違いでしたから、ほとんどのヒトがトキソプラズマの抗体を持っていたのではないかと思います。もしそうなら、トキソプラズマによる感染症を予防する意味では、ヒツジやネコをヒトから遠ざける必要もなくなってきます。
 また、イヌやネコをペットとして飼うことによって精神的に落ち着きが出てきて家族間の人間関係が良くなることが多いという報告があります。肉体的だけではなく精神的な面での健康保持のためにネコをペットとして飼うことを許した神様はすごいものです。 

 寄生虫の感染予防には、肉を生で食べないこと、動物や肉に触った後は良く手を洗うなどといったことに注意が必要だと藤田博士は述べています。ちなみに、肉を切った俎板の上でチーズなどの乳製品を切ってはならないという掟があるとヨルダンで現地のコックさんから聞いたことがあります。食肉に含まれている寄生虫などが、生のまま食べるチーズを経由して口に入る前に阻止するかれらの「生活の知恵」だったのかもしれません。
 さて、病原体となるのは寄生虫だけではなく、かびや微生物があり、接触によって伝染するもののみならず空気感染するものも多数あります。従って、これらの病原体から自分の健康を守るためには、常に身体を清潔にしておく必要があることはどなたでもご承知のはずです。

 これらの病気の予防のためにも一日五回の礼拝の前に必ず行わなくてはならないイスらム式のみそぎ=ウドゥーが役に立っていたと思います。このウドゥーでは、流水で三回づつ@手をよく洗うこと、A口をすすぐこと、B額の生え際から顎まで顔を両手で洗うこと、Cひじの上から手首までを洗うこと、D耳の後ろから首筋を濡れた手でぬぐうこと、E足のくるぶしの上から足全体を特に足の指の間を洗うこと、と決められています。手と口を清潔にすることは、接触感染を予防することになりますし、顔と腕、首筋、足を洗うのは病原体が付着しやすい体の露出部を清潔にして、自分自身を病気から守るとともに二次感染を予防するためではないかと思います。ここで強調したいのは「Cひじの上から手首までを洗うこと」で、1996年に日本で病原大腸菌O-157騒ぎがあった時に、厚生省から「手を洗うときにはひじの上までしっかり洗うこと」という通達が出ていたのを新聞で見て思わずニヤリとしてしまいました。
 さらに、人間が密集して礼拝をささげるモスクに入るにあたっては、原則として沐浴(マンディー)をしなくてはならないのだそうです。これも不特定多数のヒトが密集して礼拝する場所での接触感染などを防ぐための予防措置ではなかったと考えます。

 インドから東は雨量と土地が豊かで、居住可能な土地がたくさんあり、病気で少々人間が死んでも種としてのヒトが絶えませんが、中東ではヒトが住める場所が限られているので必然的に密集することになり、その分伝染病も流行りやすかったのではないかと思います。 

 テルアビブという地名に代表されるように「テル〜〜」という地名が中東に多く見つかります。テルとは、人が作った丘の上という意味で一般に村落がその上に立っています。その昔の一般の家は全て日干し煉瓦で作られていました。平均して50年に一度大雨が降り、家の煉瓦は雨水でゆるくなり最後にはとけてしまいます。しかし、それほど遠くまでは流れて行かず、とけてしまった家の周りに残ります。家を建て替えるときには、日干し煉瓦を村落の外で作り、とけ残った壁を潰して土地をならし、その上に煉瓦を積み上げて家を作ります。すると、潰した壁の土の分だけ土地が少し高くなります。これを何十回か繰り返しと数メーターの高さの丘になるのです。へそ曲がりの向きは「だったら住む場所を変えたら良いじゃないか」と言われるでしょうが、安全や土地の所有権の問題や飲料水用の井戸などの関係から、ヒトの住めるところは限られていて、そうそう簡単に先祖伝来の村全体を移すことはできなかったのではないかと思います。(脱線失礼!)

上に述べた寄生虫病についてだけではなく他の感染症に関してみても、イスらム式の生活は人間を病気から守るために作られたものであることを感じてなりません。これは、「ヒトはまず健康であれ」次に「神を感ぜよ」という天の意志のような気がします。「エホバの証人」では輸血は禁止ですが、イスらムでは輸血を禁じていないところを見ると「ヒトはまず健康であれ」がアッらーが定めた第一目標であるように感じます。

 われわれ日本人が親しんでいる神道や仏教ではこのような細かい生活規定があるとは聞いたことがないので、イスらムの中身を知れば知るほど驚くことばかりです。 
 インドネシアではイスらムが主体だからといって「流れる水は清浄である」と早とちりして、汚い川に飛び込んで水浴するのは止めた方が良いと思います。筆者は、1996年の水がほとんどない乾季にカヌーで12kmのチウジュン川下りをして、川の水に数時間浸かっていたためにインキンにかかってしまった上にイボ痔が出てしまい、数ヶ月間辛い思いをしたことがありましたから。

 カフィルーン(不信心者)にアッらーの罰があたったのでしょうか。

【参考文献】
「笑うカイチュウ」副題 寄生虫博士奮闘記  藤田紘一郎著 講談社刊

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2002-07-25修正 バトゥティギにてアプデート
2015-03-xx 修正
 

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