嗚呼、インドネシア
第12話 ジャワ島内鉄道時刻表
鉄道発達史
駅間距離を求めるため里程表を作成していたら、奇妙な駅が始点になっていることを知った。この始点とは鉄道建設を開始した地点であることは間違いないので、wikpediaで各駅の営業開始年を調べて開通年をもとめた。資料に異なる年代が示されている場合には前後関係を調べて適当な年代を採用した。
駅名は現在のものを使用した。

開通区間と開通年 (大きな町の間で一区切りとした)



ジャカルタ付近から鉄道が延線されたと思っていたら意外とSemarangから開始されていた。この当時は砂糖などの農産物の輸送に使われたものだったのだろう。またSemarangとSurakarta/Yogyakarta方面は物資の輸送のみならず乗客の需要もあったのであろうと思われる。


当時の主要都市間の鉄道が大体出来上がってきた。BogorはJakartaの、MalangはSurabayaの避暑地であり、週末にはオランダ人が避暑地に住んでいる家族の元に戻っていたと聞く。SemarangからYogyakartaへの線路が完成した。


Bandungまでようやく鉄路がつながったが、遠回りだが建設費が安かったと思われるBogor-Sukabumi経由であった。TegalからPrupukまでの鉄路が開通した。SurakartaからSurabayaまで開通した。MalangからKertosonoまでとPasuruanからBanyuwangi (Ketapan)までが開通した。


ジャカルタから西に向かう線路が開通した。この路線は熱帯プランテーションの中心地であったRangkasbitungを経由しているのでとても大回りになっている。Semarangから北海岸を通りSurabayaに向かう線路との接続のためGundih-Gambringanが開通した。


KarawangからCikampek経由でPadalarangで旧線に接続した。この区間は深い火山灰土の地層であるCitarum河の河岸を通っていくため基礎工事のみならず多数の橋梁などが必要になり、工事も大変であったろうと思われる。このためJakarta-Bandung間の所要時間が大きく短縮された。
GambringanとSurabaya間が開通したが、BrumbungとGambringan間の鉄路がなかったためSemarangから直接Surabayaには行けなかった。


CikampekとCirebonの間が開通して、JakartaとYogyakarta間はBandungを経由せず距離と時間短縮が可能になった。CirebonとKroya間は山岳地帯であり、急勾配と急カーブの連続で、蒸気機関車時代にはPurwokerto付近で機関車を重連にするため長時間停車していた。
この時点でSemarang方面の出発駅であったCirebon PrujakanとCirebon駅間が開通した。


遅まきながらJakartaからTanjung Priukまでの鉄道が敷設されたとwikiからは考えられるが、Jakarta Kota駅はTanjung Priukに向いているため、原型はこのずっと前に出来上がっていたのだろう。
BrumbungとGambringanの間が開通してJakartaとSurabaya間は北幹線を経由していけることになった。ちなみに1987年当時の時刻表によると
北幹線経由 16:30 Jakarta Kota - (Mutiara Utara) - 05:45 Surabaya Pasarturi 所要 13時間15分
南幹線経由 16:00 Gambir - (Bima) - 07:25 (Surabaya Kota) 所要 15時間25分
現在の北幹線経由最速特急のArgo Bromo Anggrekだと8時間10分。約三分の二に時間が短縮されている。

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2021/12/28 作成
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