度欲おぢさん的イスラム相談室
第六相談室 割礼・ポトンギギ・複数妻

1.割礼とポトンギギ

 「インドネシア不思議発見」第11話の「結婚と離婚」に書いたように、ムスりムの男子は包皮が長いためにほとんど「割礼」をしています。これは成人までの通過儀礼の一つになっており、盛大にお祝いをします。もし、このお祝いに招かれたらその子供の好きそうな物を持って行ってあげてください。両親はとても喜びます。割礼は大体8から10歳くらいの年齢で行います。この年まで育てると、子供は餓えていたら盗んでも食べ、餓死の危険からは遠ざかり、動物の種として一応自活できるようになりますから、この位の年齢で行うのだと思います。これ以下だと幼すぎていつ死ぬかわからないし、これ以上だと羞恥心が出てくるからなのかと思います。

男の子はこれでいいとして女の子はどうするのかというと、誕生直後にクリトリスの先を少し削り取ってしまう人もいるとのことです。しかし、これは余り一般的ではなく、ポトンギギ(potong gigi=成人のための通過儀礼)をするのが少し前までは一般的でした。女の子が男の子でいう割礼の年齢に達した時に、やすりで門歯を平らに削り取ってしまうのです。ですから、中高年の田舎出身のオバさん達の前歯がきれいに平らになっているのをよく見かけます。今は田舎でもポトンギギはしなくなり、歯磨きの宣伝のような自然な歯並びの人が多くなりました。インドネシアの人の歯並びの良いのは固い物を良くかんで食べるからだとか、毎日五回の礼拝の際に口をそそぐからだとか言われていますが、実際に観察しているとこれらはあまり当てにはならず、遺伝の傾向が強いようです。


2.複数妻

 「あそこのうちの運転手には奥さんが二人いるんだって、ヤ−ネ−」と日本人の奥さん達がよく噂話をします。どうして「ヤ−ネ−」なのかを尋ねてみると「好色である」という理由があげられます。では「好色=ヤ−ネ−」が正しいかどうかと自問自答すると、答に詰まってしまいます。これはセックスを隠すのが日本教の教えだから「好色=ヤ−ネ−」になるのです。イスらムでは堂々と表面切ってセックスの話がクルアンの中にもでてきます。第二章 雌牛 = Al-Baqarah 第187句(ayat)にこうあります。
 あなたがたは斎戒の夜、妻と交わることを許される。かの女らはあなたがたの衣であり、あなたがたはまたかの女らの衣である。アッラーはあなたがたが自ら欺いているのを知っておられ、不憫に思われ、あなたがたを許された。だからかの女らと交わり、アッラーがあなたがたのため、定められたところに従え。まだ白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで食べて飲め。その後は日暮れまで斎戒を全うしなさい。マスジドに御篭りしている間、かの女らに交わってはならない。これはアッラーの(定められた)掟だから、かの女らに近づいてはならない。

 また、複数の妻について、第四章 女 = An Nissak 第24句(Ayat)にはこうあります。

 またあなたがたに(禁じられている者は)、夫のある女である。ただしあなたがたの右手の所有する者(奴隷の女)は別である。これはあなたがたに対するアッラーの掟である。これら以外は、すべてあなたがたに合法であるから、あなたがたの財資をもって、(良縁を)探し求め、面目を恥ずかしめず、私通 (のよう)でなく (結婚しなさい)。

 どうも、これが根拠で子供を持っていない複数の女性を奥さんにしている人がいるようです。また、第四章 女 = An Nissak 第3句(Ayat)にはこうあります。
 あなたがたがもし孤児に対し、公平にしてやれそうにもないならば、あなたがたがよいと思う2人、3人、4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにないならば、只一人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である。

 ここで言う孤児とは「テテなし子」のことで、いかなる理由にせよ父親がいない子供達のことを指します。janda(インドネシア語で女やもめの意味)のかかえた子どもの養育という理由で結婚することは「徳」になっているのです。

 現在はだいたいどこの国でもインドネシアの公務員も、一夫一婦性が普通ですが、イスらムだけはどうして複数妻を許しているのでしょうか。ここで、田辺聖子の「カモカのおっちゃん」ならぬ、筆者の親しくしている超能力者のザイヌディンL.Y師に聞いてみたところ次のような答が返ってきました。

 「チミは、チミが現在おかれている環境から考えるから訳がわからなくなるのだよ。この当時ムハンマドがおかれた環境を想像してごらん。日本でいえば『大化の改新』の前の話だよ。この当時は『エスカレ−トする仇討ちの仕返し』やら『やらずぶったくり』や『強盗・殺人』、『高利貸し』などが当たり前だったんだ。隊商にでた夫が途中で強盗に襲われて殺されたり、イスらムの聖戦(ジハ−ド)などで戦死者が沢山出たんだ。この戦死者の遺族の面倒はだれが見るのかね。社会保障制度は完備していたかい。軍人恩給などもなかったでしょう。同じイスらムの同士で助けあっていくしか道は残されていなかったのではないかい。旦那に死なれた遺族はその生活に困って、末は餓死するしかなかったんだよ。みすみす餓死させるくらいなら彼らを引き取って生活をさせてやることは、チミの好きな言葉の『ヒュ−マニズム』から見ても、理にかなっているでしょう。」と。

 「それに、ムハンマドの当時は奴隷取引が普通であり、たくさんの男女奴隷がアラブの社会にいた。男性の性欲のはけ口として、一般市民を対象とするよりも、自分の管理下にある奴隷の方が社会的に影響が少なかったことは言えるな。もちろん奴隷たちは人権などはご主人様の半分しかなかったから、義務も半分しかなかったんだよ。そういう社会だったんだ」
と追加してきました。

 同師のこの説明で、たしかに見殺しにするよりは引き取ってやった方がいいことは分かりましたが、でも契約結婚についてはまだ問題があるような気がします。どうなんでしょうか。この師匠はかなり観察力が鋭く知識も広い方でこんな風に答えました。

 「この当時はまだばい菌が病気の原因になるとは分かっていなかったんだ。これが分かったのがたった150年前のことなんだよ。1500年前の人たちに病気はばい菌やウイルスで伝染するのだといったって分かる訳がないでしょ。気違い扱いされるだけだよ。だから、梅毒、淋病などの性病や粘膜を通じて伝染する病気を防ぐためと、遺産相続の際のごたごたを避けるためにこんなことをアッら−はいったのではないかと思うんだ。一時的な結婚はいいが、放縦な女遊び(インドネシア語ではKumpul kebo=水牛の交わり)は禁止しているんだ。チミも覚えていると思うけど、タイのチェンマイに玉本さんという日本人男性が十数人の奥さんをもっていたでしょう。これは一種の社会保障制度なんだよ。だから社会的には正しいことなんだよ」。

 「また、超能力者から見ると、男女の交わりは体の一番薄い粘膜を通じて行うから、夫婦の交わりでも自分自身の持っている「波動」を乱すことになり、心身に悪い影響を与える。一人の妻でもこうなんだから、乱交したらどんな結果になるか想像できるでしょう」と。

この話題に関してはもう少し詳しく検討してあります。こちらをご覧ください。

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頁作成 2009-09-24
追加訂正 2010-11-26

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