度欲おぢさん的イスラム相談室
第四相談室 断食

もうすぐ2009年のイスラムの断食月間が終わります。時期はずれではありますが、断食に関して1998年の著作と最近の著作を掲載します。

駆け出しムスリムのみなさんのお役にたてれば幸いです。


1998年の記事

なぜ断食をするのか、いつ断食するのか、どのような断食の掟があるのか、個人にとって断食はどのような効果があるのか、断食が社会に与える影響などについて自分の理解していることを整理する意味でもここにアップすることは効果があると思います。半可通の筆者のことですから、誤解による間違いなどが多々あると思います。この点をご容赦いただきたいと思います。9回に分けて書こうと思いますので、途中で飽きてしまったら、読み飛ばしてください。

ここインドネシア・ジャカルタ郊外の宿舎では、草むらからの虫の音が、近隣のマスジッドからのクルアンの読経(?)の声が隣近所の壁に反射して遠く近く聞こえてきています。開け放した玄関の扉からはこれらの声や音に混じって蛙の声も聞こえていています。そうなんです。ここは熱帯地方なのです。

さて、前置きはこのくらいにして断食=サウムについて書き始めましょう。
★手元にクルアンの日本語解釈本がないので、クルアン本文は井筒俊彦訳「コ−ラン」・岩波文庫から引用してあります。


【第一話 なぜ断食をするの?】

 「なぜ断食をするの?」と尋ねられても、困ってしまうのです。これはクルアンに書いてあるから、ムスリムの義務だから断食するのだとしか言いようがありません。
断食はイスラムだけではなくてキリスト教徒でもやる宗派があります。NiftyserveのFLORDで尋ねたところ、日本語では「斎」というのだそうです。この長い「斎」を「大斎」と呼んでいてこれがイスラムのサウムに相当するようです。ということは、断食はイスラムに特有のものではなくて、旧約聖書を聖典としている民の共通の掟ということができます。

クルアンの第二章 雌牛 = Al-Baqarah 第187句(ayat)にこうあります。
「断食の夜、汝らが妻と交わることは許してやろうぞ。彼女らは汝らの着物、汝らはまた彼女らの着物。アッラ−は汝らが無理しているのをご承知になって、思い返して許し給うたのじゃ。だから、さあ今度は。(遠慮なく)彼女らと交わるがよい、そしてアッラ−がお定め下さったままに、欲情を充たすがよい。食うもよし、飲むもよし、やがて黎明の光さし染めて、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時まで。しかし、その時が来たら、また(次の)夜になるまでしっかりと断食を守るのだぞ。礼拝堂におこもりしている間は絶対に妻と交わってはならぬ。これはアッラ−の定め給うたさだめだから、それに近づいて(踏み越え)てはならぬ」と。

ところで、「礼拝堂におこもりしている間」とはどのような期間を指すのでしょうね。この文をそのまま解釈すると、変なことになります。というのは、「自分がおこもり」していると解釈したら、マスジッドの中では男女は離れた別な場所にいるので物理的に不可能ですから、当たり前のことになります。また、「誰かがおこもり」していると解釈したら、断食期間中は朝まで読経が続きますから、時間的に不可能です。

飲食物だけではなくて、夫婦の性生活にまで掟が及んでいるのがまた、クルアンらしいところです。

断食するのは、健康保持のためだとか、食べ物もない貧乏人の気持ちを理解するためだとか、心を清浄にするとか、忍耐力をつけるとか言われています。筆者にとってはこれらの理由がどうも腑に落ちないのです。どうしても理屈がつかないと「寝られなくなってしまう」へそ曲がりな筆者は、勝手な解釈をこじつけました。


【第二話 いつ断食するの?】(1/2)

イスラムの断食はイスラム暦の9月のRamadhan(ラマダーン)に行われます。この断食は「新月」の朝から次の「新月」の前夜までとなっています。「新月」かどうかは、暦も少なく時計もなかった頃でしたから、ヒジュラ以来、千数百年間は日没直後に西の空に糸のような月が見られた時に断食は明けるとしていました。イスラム暦は太陽暦(グレゴリオ暦)よりも一年が11日少ないため、毎年少しづつ早くなります。すると大体35年で一巡することになり、インドネシアのムスリムたちは「毎年ずれていくのだから公平だ」と言っています。これもどうも腑に落ちない理由です。
インドネシアでは断食入りと断食明けの日は毎年カレンダ−に記されていますが、この規律を厳格に守るマレ−シアでは、あいにく西の空に雲がかかっていて月が見えない年には断食が一日延ばされたとも聞きます。どうも神様は信者をアラブの乾燥地帯を主体に考えていたようです。
断食突入の前日はどういう訳かインドネシアでは学校が休みになります。
 
「黎明の光さし染めて、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時」から始まって、「白糸と黒糸の区別がはっきりつかなくなる時」まで断食を続けることが決められています。具体的には、ファジュル(スブー=朝の礼拝)の開始前から、マグリブ(夕方の礼拝)の開始時刻までです。赤道直下のジャカルタでは、午前4時ころから午後6時過ぎまでになります。
 あなたのいる地点の緯度と季節によってこの時刻が変ります。ということは、昼間が長い夏には断食の時間が長くなり、冬になれば短くなりますし、また赤道直下と北極圏では、断食の長さが違ってくるわけです。
今年のように、冬至近くに断食月がある年は、北極圏では一日中夜ですから、クルアンの記述に厳格に従うと断食ができないことになりますし、夏至近くに断食月がある年は、北極圏では一日中昼ですから、一ヶ月もまるまる断食を続けなければならないことになります。こうなったら死んでしまいますよね。だから「エスキモーにムスリムはいないのだ」なんてことをこじつけることができるかもしれません。北欧の北に住んでいるムスリムたちに、断食期間をどう過ごしているのかとても興味があります。

★おまけ★

 今日、2001/12/21に宿舎の近隣の人たちに招かれてアシャールからイシャーまで、スラマタンクブール(先に死んだ人たちの回向)にハシゴしてきました。集まった人たちは全員で聖句を唱えているのですが、僕は全く知らないので、適当に口をもごもごしているだけでした。でも、アルファティハの声がかかった時だけ唱和することができました。
 回向を行う家に皆が集まって回向をしますが、来るのは男性(所帯主)ばかりで、結婚式のような華やかさはありません。薄汚いオッサンやジーサンばかりでした。
 誘われた時には何の為の集会だか分からなかったのですが、二回目でようやく「回向」だと理解しました。そう言えばイスラムにはお彼岸がないので、イドゥルフィトリの日に墓参りするだけで、死者への回向をどうしてるかを初めて知りました。
 近所の人たちの半分はジャカルタの原住民であるブタウィ族で残りは中部東部ジャワからジャカルタに働きに来て居着いた人たちです。偶然にブタウィとジャワの習慣が同じなので同じ町内会のあちこちでラマダン前月の日曜日は朝からこの集会がありまして、時には朝から晩まで付き合って1日つぶれることがあるそうです。
 ジャカルタの高級住宅街ではまずこのような集会に呼ばれることはなく、今いるような田舎だけでやっているようです。ですから、インドネシア・エキスパートの私としても初めての経験でした。 石の床にあぐらをかいて座りっぱなしで一時間弱ですから、終わるとくるぶしが赤くなっているだけではなく足がしびれて立てなくなってしまいました。 この儀式が終わると、お菓子や果物、食べ物などが提供されるのが昔からの習慣でしたが、今では折詰にして持ち帰るようにしています。

筆者は貧乏根性の持ち主ですから、折詰30個でいくら、床に敷くござの借り代いくらなんて、考えてしまいます。物価の安いインドネシアで暮らすのは経済的に楽そうですが、このような儀式が多いので結構経費がかかりそうです。特にバリは儀式が多いので、生活費に占めるこれらの費用が高くエンゲル係数が低いのではないかなんて想像してしまいます。


【第二話 いつ断食するの?】(2/2)

 ここインドネシアでは、断食開始の時刻に「イムサック・イムサック」とマスジッドからマイクで放送があります。この声が聞こえたら、直ちに食事を中止して断食に入ることになっています。もし、この時に食べ物や飲み物が口の中にあったら、できるだけ早くのみ下してしまうことになっています。
面白いのは毎日の断食開けの時刻で、大多数の人たちが、飲み物を前にして、お預けを食らった犬のようにマグリブのアザーンを待ちます。インドネシアのジャカルタ近郊ではジャカルタに経度にあわせてテレビでアザーンを流していますが、ジャカルタより西の地域ではテレビより少し遅れてマスジッドからアザーンが流れます。このような地域では断食開けはテレビではなくて近隣のマスジッドからのアザーン開始の時刻としています。

断食開けには、まずかぼちゃのお汁粉のような甘い飲み物をとります。空っぽのお腹に飲み物がすーっと入っていくのがよく分かります。また、食べ物や飲み物というのは、肉体にとって異物だとも感じられます。
さらに、なんとなく「生きているんだなあ」と感じるのもこの時です。本来なら、「生きていて良かった。ビスミラーヒロフマニロヒム」とでも出てくるところでしょうが、へそ曲がりな筆者には、異物すなわち「毒物を含有している」ものとも感じられます。というのも、全ての食品には人体に有害な物質が含まれており、加熱調理することによって、食物に含まれている有害物質同士を化学変化させ無害なものにしているのだろうとも思われてならないのです。

インドネシアでは、断食開けの時刻には高速道路の路肩に車を停めて軽い食事をしているのをよく見かけます。追突事故よりも空腹の方が恐いのかもしれません。


【第三話 断食の掟】(1/3)

断食と聞くと思わず、エエ−ッ「断食道場=絶食療法」と思ってしまうのが日本人です。でもイスラムの断食はちょいと違います。
 まず、日本の断食では水は摂取しても良いのですが、イスラムの断食では、飲食できる物全てを摂取してはいけないことになっています。もちろん医薬品も経口投与できません。口の中に入れてもだめだと聞いています。唾液も吐き出すことになっています。
 さて、ここでへそ曲がりの筆者がつけたケチは、口の中の唾液は自然と喉から胃に入ってしまうではないか、自然にしていれば 「生唾ごっくん」してしまう時だってあるだろう。飲んでしまったら吐き出さなくてはならないのか。ということでした。

西ジャワ州の田舎にいた時に聞いた話ではこうでした。
口の中に溜まった唾のうち、歯の外側にでたものは吐き捨てなくてはならないが、歯の内側にあるものは飲んでもよい。意識しないで飲み込んでしまったものは、それはそれで構わないし、間違えて飲食物を口に入れてしまった後で断食中であることを思い出した場合には、口の中の飲食物をたとえ飲み込んでも、断食を破ったことにはならない。ということでした。

ここで、いつもの「へ理屈」をつけてみます。

 なぜ歯の外側の唾液は吐き捨てなくてはならないのに歯の内側の唾液は飲んでもよいのか。→歯の外側に出た唾液は空気と触れた可能性が高く、空気中の活性酸素と結合して唾液の中に有害成分が生じて特に断食中は身体頭脳に悪い影響が出るのではないか。
 間違えて飲み下してしまっても断食破りにはならない。→断食は自分の意志(主観)で行うものであって、その範囲を越えた間違えた行動は、自分の意志とはみなされない。従って断食を破ったことにはならない。常識的には、第三者的な観察(客観)によって、断食中に食べたか食べなかったかを判定するものと理解しますが、イスラムでは主観が優先しているようです。


【第三話 断食の掟】(2/3)

断食をしてはならない場合もちゃんと規定されています。妊娠・授乳中の母親、生理中の女性、病気療養中で投薬・回復のために食物摂取が必要な人、旅行中の人、戦闘中の兵士などです。これらに該当する場合には、これらの条件が除かれた後で断食をしなかった日数だけ、ラマダーン月以外の月に断食をすることで断食をしなかった分を補償することになっています。でも、実際見ていると、これはほとんど守られていないようです。
 ラマダーン月の断食はワジッブ(義務)ですが、それ以外にスンナ(任意)で月曜日と木曜日に断食をしている人もいます。インドネシアでは「願懸け」の為に断食している人もいます。
断食中は日常と変わらずに行わなければなりません。「断食だ、断食だ」と騒いで普段と違う生活をすることはせつにつつまなければなりません。格好良く言えば「淡々と義務を果たす」とでもなりましょうか。
おおっと、忘れていました。飲食物の摂取だけではなくて、まだ色々と掟があったのです。


【第三話 断食の掟】(3/3)

◆ たばこはだめよ:クルアンにはたばこに関する規定がありませんが、一応、断食中は禁煙となっています。空腹時にたばこを吸うと胃がキリキリしますので、健康上も止めた方が良いことは確かです。でも、断食開けに飲み物をとった後の一服はなかなか良いものです。頭がクラクラするくらい効きます。

◆ 悪事もだめよ:断食月は「修行」の月ですから、悪事はつつしまなければなりません。泥棒さんにとって断食月は、仕事からの実入りがありませんから、普通の人に比べると二重苦を背負うことになっていると言われています。ですから、イドゥルフィトリのお祈りに家族全員が出払っている間がドロちゃんにとって稼ぎ時になります。断食月間は夜っぴいて誰かが起きているので夜陰に乗じた仕事がし難いといった環境に影響されている可能性が高いとは思いますが。

◆汚い言葉を吐いてはいけない:ただでさえ腹が減ってイライラしている時に人を怒らすような言動は慎むべきだということでしょうが、筆者には、断食は一種の修行であるから汚い言葉を吐いてはいけないと思われてなりません。

◆読経:イスラム圏に断食中に旅行された方はご存知でしょうが、一晩中マスジッドから読経の声が流れてきます。カフィルーン(無信心者)にとっては睡眠不足の元凶ですが、ムスリムにとっては大事なお勤めです。クルアンをジュズと呼んでいる30のセクションに分割し、毎晩ジュズを一つづつ読み終えていくのです。太陰暦は一月が29.5日ですからラマダーン月にちょうど全部読み終わることになります。


【第四話 断食の効果】(1/2)

断食をする理由の説明には「空腹に耐えて、食べ物もない貧乏人の苦しみを分かち合うのだ」というのがあります。それなら、ひと月の間、毎日毎回タピオカのお粥と青菜だけで過ごしてみれば本当に貧乏人の苦しみが実感できるのに、日没後にはムスりムたちは盛大にご馳走をたらふく食べているではありませんか。いったいこれはどうしたことなのでしょう。なにか変です。どうもこの説明は本当の理由ではなく、こじつけたものらしいのです。

そこでまた筆者の「へ理屈」が出てきます。筆者が自分のホームページにアップしようとしている「インドネシア不思議発見 第十三話」からコピーします。しゃべっているのは筆者のカモカのオッチャンであるバーチャル・ウスタッドのザイヌディン師です。
 「君は本当に『目のつけどころがシャ−プ』だね。君の指摘は正しいよ。人間たちの食べ物として獣の肉は余り適当でないんだ。
だからヒンドゥ−教徒でも菜食主義者がいるでしょう。君達が食べている肉のうちちゃんと加熱料理した後でも健康に害を及ぼすのは羊や山羊の肉なんだ。見てごらん、インドネシアでも肉類が好きな人はたいてい高血圧で糖尿病だろう。今のアラブでもそうなんだ。これが理由だと思うんだ。断食にはこれらの病気の元になる食肉に含まれる有害毒素を体外に排出する効果があるとおもうんだ。でも、豚肉だってそれしか食物がない場合にはムスリムでも食べてもいいんだ、ただし自分の生命を維持させるための特例としてネ」。
 ははあ、それで神様は、羊を余り食べない中国などの地域には断食を命令しなかったんでしょうね。でも、いったいなんで神様が毒素を持っているこれらの家畜を食用とさせたんでしょうか?変ですよね。師は続けます。


【第四話 断食の効果】(2/2)

「これには三つの理由があるんだ。この地域は乾燥地帯だから川が少なく海に流れ込む栄養分が少いことで魚介類が繁殖しにくい環境にあることが第一の理由。また、地図を見たら分かるように都市が海岸線から離れているのでタンパク質を新鮮な魚介類からとりにくい地理的環境にあることが第二の理由。最後の理由は、乾燥地帯だから稲作ができず主食は麦に頼るしかないんだ。麦は米に比べて体が利用できるタンパク分が少なく、パンを主食にしている地域ではタンパク質をどうしても他の食料から補わなくてはならないといった栄養学的理由なんだ。これですっきりしたかい」。
 続けて、「ちょっと冗談だけど、羊や牛のように反芻(はんすう)する動物は何回も胃から食べ物をもどしてぐちゃぐちゃ噛んでいるだろう。こんな動物の肉ばかり食べているからインドネシア人は仕事を一回で終わらすことができなくて何回もやり直しをするようになってしまったんだ。これを『インドネシア作業反芻の法則』って言うんだ。これもこの前から君が言っているSumber Daya Manusia(人的能力)に関係しているんだろうね」と。これは間違いなくウソでしょうね。
 また、師によればインドネシア人が飽きっぽく長続きしないのは、「断食のひと月の間に一年分の忍耐力を使いきってしまうから」なのだそうです。この師匠はかなり口が悪く、冗談ポイのひとですから、この理由もマユツバものです。

今のところ、どこをどう考えても「忍耐力の練磨」以外に断食をする積極的理由が見たありません。皆さんのご意見はいかがでしょうか。

 断食された方はご存知のことと思いますが、断食中は口が臭くなります。これは胃壁が溶けてしまい、ゲップとともに腐臭が出てくるのではないかと考えられます。ということは、軽い胃潰瘍くらいは断食することで自己治療できるということなのかもしれません。


【第五話 断食が社会に与える影響】

断食月間に国際線に乗ったことがありませのでなんとも言えないのですが、インドネシアの国内線では機内食が出ますが、大体持ち帰りができるようなお菓子類です。
旅行中にどうしても空腹に耐えかねて何かを食べたくなったら、スーパーマーケットに飛び込んでお菓子と飲み物を買い込み、人に見られない所でコソコソと食べるのが常識になっています。

大都市と駅や空港の周りは別ですが、一般的に言って昼間は全ての食堂や屋台が営業していません。夕方になるとごそごそと仕事の支度をしているのが、帰宅途中の車の中から見えます。

また断食月の始まる前から毎年食料の物価が急上昇します。例年、断食開始三週間前からインドネシアでは物価が約20%も上昇し、主婦たちの悩みの種になっています。特に鶏卵はおかずにもお菓子にも使いますからひどいものです。1998年は中華正月(Imrek)の翌日がイドゥルフィトリですし、東南アジアの通貨不安をイン
ドネシアはもろに受けていますから、狂乱物価になってしまいそうです。それとともに主婦の血圧も上がり、世の亭主族は毎日小言を聞かされる羽目になっているのが毎年の行事です。亭主族は「ただでさえバブルがはじけて物価が上がっているのに、こんな給料じゃやっていけない」とオカミさんに小言を毎日言われ続け、
ただただ忍耐・忍耐の日々を送っています。

 第二話に書いたように、午前4時から午後6時まで断食ですから、早起きすることになります。夜は読経などで遅くまで起きていますから、必然的に睡眠不足になります。特に断食月の最初は体が慣れていませんから、睡眠不足によるケアレスミスが続出します。交通事故が多いのもそのせいかもしれません。


2000年のラマダン月における断食関係の新聞記事

ジャカルタの大衆紙であるポスコタ 2000年11月27日号から12月24日号までの記事の中からプアサ関係の記事を集めたものです。一般的なインドネシア人のプアサ(断食)に関する考え方が如実に表れている。記事の内容はこちらをご覧ください。

ポスコタ紙11月27日号から12月24日号までの「Mutiara Ramadhan」コーナーに掲載された質疑応答は63件であり、複数の質問があった投書はその内容の主たるもののみをとり分類した。

 最高の割合は性欲に関するもので16%。ついで、礼拝、ザカート、プアサの根本原理と続き、これだけで質疑応答の過半数を占めた。性欲に関しては、その40%がホモ・ポルノ・オナニーに関するものであった。

 これらについで多かった仕事に関する質疑応答では、プアサ中に食事の世話をしなくてはならない食堂のコックさん達からの問い合わせが三分の二を占めていた。

 興味深かったのは、プアサ中にアッラーからの何らかの啓示があるものと期待している信者が多いことが観察される。この啓示とは「深い知恵」であり、インドネシアに伝わる超能力との関係を思い出させる。

もう一つ、現代らしいと感じられたものに、プアサの大事な時期と生理日とが重なるので生理日調整剤を使ってよいかという質問であった。ラマダン月は毎日が同じように重要であり日による軽重はないと、キアイは指摘した。この投書はTebetのIchaさんという方からのものであった。なんとなくよろ宗に常駐してたIcaさんとイメージがダブルものである。 

<<データ分析集計結果>>

順位

内 容

件数

割合

順位

内 容

件数

割合

1

性欲

10

16%

7

その他の物欲

4

6%

2

礼拝

8

13%

8

一般的心得

3

5%

3

ザカート

8

13%

9

女性生理

3

5%

4

根本原理

6

10%

10

投薬

2

3%

5

仕事

6

10%

11

その他

8

13%

6

プアサの代償

5

8%

合  計

63

100%


さてその9年後の2009年になると、断食に関する筆者の見解が変わってきました。

イスラムの断食は第9番目の月であるラマダン月におこなうことになっています。これはクルアンに規定されているのでムスリムたちが行っているもので、断食をおこなう理由については諸説紛々あります。

第一には、飲食物を口にしないことで、食べ物もない貧しい人の気持ちがわかるということです。

第二には、飲食の欲求に耐えることで忍耐力をつける。

第三には、断食をすることで健康が保たれる。

第四には、飲食の欲求に耐えることで超能力が与えられる。

という説などです。

筆者も1995年に一ヶ月間やってみましたが、ひどい下痢がずーっと続いたにもかかわらず、なぁんも得がありませんでしたので、もうやりません。
でも、いろいろなことに気がつきました。


第一の理由 貧乏人の気持ちがわかる

イスラムでは「食べ物のない貧乏人たちの気分を味わうのだ」なんてもっともらしいことをいっていますが、これはウソ。もし、この目的に沿った訓練をするなら、朝晩おかゆいっぱいだけで一ヶ月過ごしてみろ!これこそ、「正しい貧乏人的食生活」なのだ。
夕方になったらたらふく食べられると思ったら、明日の希望のない貧乏人の気分なんか味わえるわけはなぁいのだ。

希望、これこそ人間が生きていくもっとも大事なものだ。
だからこの理由は間違えている。


第二の理由 忍耐力がつく

もし断食で忍耐力がつくのなら、断食をしない他の宗教の信者よりムスリムたちは忍耐力が強いはずである。しかし、世界的に実態を見るとそうではない。
だからこの理由もウソ。

ただ言えることは、インドネシア人たちは一年分の忍耐力をこのひと月で使い切ってしまうから、他の月には全く忍耐力がない、ということだ。否定できるならしてごらん!


第三の理由 健康保持のため

健康にはちっともいいことがないし、睡眠不足で疲れ果てて、下痢ばかり。ゲキ痩せするので瞬間的ダイエットには効果的である。
断食が終わっても体調が回復するのに二週間はかかる。その後は断食以前とまったく同じ体調である。良くも悪くもならない。
断食は生活習慣でたまった体内の毒を排出するために行う療法として利用しているということも考えられるが、たった16時間の断食では医学的に療法とは言えないということである。
断食を継続的に行っているインドネシア人には日本人より生活習慣病が多い。ということはこの断食は健康保持に役立たないということだ。
だから、この理由はでっちあげだ。


第四の理由 超能力を得るため

ムスリムたちの間ではラマダン月の間の決まった日にアッラーからの啓示があり、それを受け取ると超能力が授かるとまことしやかに言われている。しかし、公式な見解ではそのような特別な日はないということになっている。
ただ、インドネシア人、特にジャワ人は、仏教の密教的思想をその文化の基盤としているから、超能力や超自然現象を深く信じている。

筆者の体験では、神から啓示の通信頻度とその内容の濃さはいつもと変わらないか、少し落ちる。だって、肉体というアンテナの調子が悪いんだから当たり前だ。公式見解と筆者の体験から、断食することで必ずしも超能力を得ることはできない。だからこれも嘘。


断食のほんとうの理由

じゃあ、昔の人たちは断食をしていた理由はなんだったんだろう?という疑問が湧いたのはみなさんと同じです。
いろいろと考えた結果、

ラマダンは飽食月間である、即ち、栄養補給月間でしかない、という結論に至りました。

古いアラブ社会では、この月(聖なるラマダン月)には部族間戦争をしない約束事になっていました。ということは、いつ寝首をかかれるか分からないほかの月よりも安心していられるわけです。こころが落ち着けば食べ物の消化吸収は良くなる。身体にとっては、栄養がとれるということになります。
だから、少ない食料を有効に使うためには、栄養になりやすい時期を選ぶことが必要です。寝る前にたくさん食べると太る、っていうでしょ。医学が進んだ今の人は痩せたがるけど、昔の人たちは太りたかったんですよ。病気を治すのにも、「体力勝負」だったんですから。

さらに、イスラム国ではラマダン月の食料消費量が他の月の150%になるという統計があります。ということは「ひもじい生活」をして苦行しているわけではないということです。すなわち「栄養補給月間」と言ってもよいのです。これがラマダン月に体重が増加する原因であることを証明しています。

ムスリムが唱えている理由よりこの説明の方がもっともらしくありませんか?

ウソタッド・度欲
(ウスタッドとはイスラムの導師という意味です)

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頁作成 2009-09-18
訂正 2016/09/11

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