友人たちの論文集

庵浪人作品集
第9話 海棲人類・ニラの人魚たち


 落日がプロウトウンダの水平線に沈む頃には、ミーア号はか細いヤンマーの音を遠慮勝ちにたててパラの環礁に入りアンカリングした。
 「ヤンマーも気に入ってるんだ。単気筒で壊れようもない手動式だし」
 「そりゃあ良かった。バッテリイも要らない。あれって結構重いからレーサー気取りなら目方は厳禁だからね」
 クーラーボックスからカールスバーグビールを二つとりだしてもウインはキヤに手渡さない。

 「これも重りだ。プロは余分な物は積まないからキヤは飲まないんだろ?」
 「Mere号ってどういう意味があるの?」

 目方を軽くする為ラッパ飲みで旨いビールをあおってから聞いた。液体が場所を変えただけでボートの質量は変わらない。
 「東洋人には解らないと思うけど、南ヨーロッパではMerっていろんな意味があるんだ。
 Mercy, Merge, Merlin, Merryとか Mermaid、 Mermanも入る。ミーアってのは『愚行の極致』ってことだよ」
 「それじゃあ近い内にそのミーアってのをやらかすか」

 秋山は吉田からの迷いの手紙、宛名が隠れる程切手が貼られた遠い国からの手紙のどこから彼に話そうかと思っていた。
 風はやや湿り気を帯びてシュラウドがマストに当たってカチカチと鳴っていた。スコールの予感の雲がゆっくり動いていた。雰囲気としては最高のお膳立てだ。

 キヤは厚い造りのグラスをポロシャツの裾で拭いてハーパーバーボンを注ぎ瓶をウインに投げた。
 「ウイン、君はマーマンを信じるか?」
 「今更何を言う、僕自身がマーマンだって言ったじゃないか」
 「君が人魚なら、親戚がいると言ったらどうするね?」
 ウインは坐る位置をずらして、多分このボートの底にもいるだろうけど会えないだけサ、と海面を遠く眺めやった。たまたまその時バシャッと魚が跳ねたから、
 「言った通りだろ、、」
 「ブルー・テイアドロップというパールを知っているか」
 「いや、僕は真珠は知らない。それがどうしたのだ」
 「俺の友人がパールカルテイヴェーションをやっている。東インドネシアで。彼から手紙が来た。なにか君の親戚のような人と会ったらしいのだ」
 「何処で?」
 「とうぜん海の中だろうが」
 「どういうことなんだキヤ、真面目に正確に話しては呉れないか」

 キヤは吉田が下手な字で訥々と書いて寄越したスムスムの夜の出来事を話した。
 「幻覚だろうか?ウイン」
 「そうかも知れない。そうでないかも知れない。マキアンて遠いんだろ」
 「近くはないが一度は行く価値はある。真のインドネシアはもうジャワにはないから。
 此処が箱庭だとすればバンダは一つの国だ、蒼い国なんだ。それしか無いが他の何処にもない。友人はプロとして疑いを持ちはじめているんだ。自分が神経病なのも拒否したいんだ。

 月夜のその蒼い海中で、海中といっても数米だったのだが、彼が見たモノ、いや彼を見ていたヒトは、スピルバーグの映画に出てくるETと似ていたというのだ。架空の宇宙人のようだったと。
 それより彼にとっては漂海民にテイアドロップを貰ったのが最大の謎なのだが、彼はそれを結びつけはじめている。素潜りでは百米の深みにある貝は採れないから誰かが手助けしたと考えて不思議ではない。イルカか鮫かそのほかの海生物か、そ奴か。疑問は悩みに変わっている。相談する相手もいないしひとりで混乱してる。わけのわからん出来事が続けて起こったのだから無理もないが」

 ふだん饒舌なウインはひと言も喋らず黙っていた。グラスが潰れるほど握ってグイッと飲み干し、立ち上がってマストに凭れた。後ろ姿で表情はわからなかった。
 中腰で濡れた身体を拭いているとウインは突然、
 「彼は友人に逢ったね」とぼそりと言った。
 「アクアテイックエイプ、常識で考えても彼はETに似てくるはずだ。水棲動物の進化に合致している。あらゆる状況で海に還った暮らしならきっとそのような形質になる。
 進化の道のりで想像すればあざらしやオットセイは兄貴格だがネアンデルタールやイエテイよりずっと前にダナキル地塁で我々と分かれた人達だ。形質は進化時計から犬とあざらしの違いより人科により近く環境によって異なる知能を発達させたのだ。生存に最も必要な資質をね。
 キヤ、我々はミーアオデッセイをしなければネ。シュリーマンだって気が狂ったと言われ続けた挙げ句、仮説通りトロイを見つけた」
 やっと笑顔になったウインの顔が雷光でストロボのように煌めいて消えた。

 再び暗いキャビンで彼は続けた。
 「野人は人間と同じ生存区で迫害され追い立てられた。野生動物の範疇でね。人魚は違う。
 人間であっても陸棲人間と決別して生存区を海に選んだ。同じ海棲哺乳類で最初から人間に敵対的な動物がいたかね。人間を同等の動物として無視するか友好的に振る舞ったのは海が陸地のようにせちがらくなく、彼等の方が優位にたっていたからだ。
 いま以て鯨やいるかなどは人を怖れない。人魚に会えれば彼等も人間に敵対しないはずだ。
 いまだに現認出来ないのは生存圏が異なる事、海洋が途轍もなく広い事、数が少ない事など彼等が人間に興味がない事、文明が異なる事、遭遇チャンスがないだけだよ。彼等は必ず暮らしている。もしかしたら人科の選んだ道、増殖と無定見の発展の行き着く先を知って袂を分かち適数生存を選択したのだろう。 また彼等の繁殖に必要な陸地はまだまだいっぱいあるし、パーポスのように陸は最早必要としないのかもしれない」

 今でこそ科学とか知性だとか言っているけど、そんな特質を育て我々が加速度的に進歩しはじめたのはたったの三千年ほど前からだ。それまで人も他の哺乳動物と変らない採集捕食でかろうじて生き延びてきたのだから、核を持ち月に行ったと偉そうにしてもはじまらない。木の実を探していた当時とルネッサンスを迎えた人との脳容量は全く同じなのだ。これ以上頭蓋骨が大きくなるのは分娩で膣道の制限から不可能なのだ。素粒子理論を構築した頭脳にも狩猟時代の遺伝子は消えていない。生物進化時計では瞬きする時間で、短時間では安定しておらずこれからどのような変化が起こるのかは誰も判らない。
 ダナキル地塁で水棲人と袂を分かつてから175万年が経っている。それから人間も彼らも他の哺乳類もどちらも同じように絶滅せずに環境適応して生きてきたのだから、姿や生き方だけみてどちらが勝っているかなど軽々しく断定出来ない。
 ただ異なるのは陸棲を選んだ人間が採集から栽培を考案し、これにより余剰が生まれ爆発的な増殖が始まり、あとはご承知のように火を管理し骨より強い鏃を作りそれを子供に伝え一気呵成に地球の支配者になった(と錯覚している)。それは今のところ事実だが、その道のりが正しかったか良かったのか。

 人口は倍数的に膨れ上がり物欲と支配欲は増長してゆく。その結果同類殺戮は日常化しエネルギー需要は既にピークを迎えて飽和点に達しようとしているが、後発グループのインドや中国の多産地の欲求を止めることは出来ず、彼等が平等の権利を主張すれば(止める事は出来ない)消費は一気に倍増する。
 地球汚染防止とかエネルギー節約が叫ばれても実効は微々たるもので、一度覚えた浪費(発展でもある)は留まることを知らない。石油を減らし一酸化炭素の少ないバイオ燃料をと、熱帯雨林を破壊して玉蜀黍を増産する。過去の歴史から人類の発展は破壊と同義語といってよく行き着く処まで行かなければ止らないのは、価値観がそのように出来上がってしまっているからだ。
 退却より前進を、敗北より勝利を、遅いより速く、少ないより多くを望む文明なのだから。
 千年も経たない間に人間は一種寡占の60億を超えてなお増殖している。
 寡占の弊害は随所に現れ始めているが、事実を直視するのが怖いから誰も言わないだけだ。
 貧富格差(地域、国内だけでなく大陸間、民族間)による潜在的不満、エネルギー浪費と偏重、情報錯綜は疑心不信を生み秩序混乱、都市集中薬物乱用、性の混乱、享楽、狂信紛争テロ、核拡散どれをとっても素朴な農耕牧畜時代とは異なる不安要素が人類を蔽いはじめてはいないだろうか。
 根本的な価値観を変えない限り今のままでは沸騰点に達するのは残念ながら明白だ。

 先哲は人間の未来を予見して神を創り誤りを教えたが、それすら特権に利用されたり曲解されたり派閥が生じたりして正常の浄化をしていない。
イスラムの最後の審判キワマット・ドウニアはいう。その時が近ずく頃、享楽退廃的ムードが蔽い落ちつかない集団移動が起こる。華美・飽食・酒池肉林、正気を失わせる薬を好み男が女に女が男になりたがり、子供を生みたがらず天変地異が頻発する。原因不明の疫病が流行し欲を求めた殺し合いが日常になると、何処からともなくラッパの響きが起こり、それがキアマット(審判)を告げる報せだと。人それぞれの肩に大天使ジブリルが過去の善悪のバランスシートを発表しネラカ(地獄)の煉獄に身を焼かれる事になる。人間が増殖を始めた頃に既に現在を予想する的確性に驚く。

 釈迦も我欲物欲を戒めているが、欲望あっての発展とする価値観を変えることは出来なかった。
 色即是空、諸行無常。この世はうたかたとの悟りも時を経るほど虚しく聞こえる。
 そんな転換はあり得ないが、もし人間がどこかの時点で、このような発展を望まず異なる価値観を持って自然と共存する哺乳類の道を選んだらどうなっていたであろうか。
 適正規模でたぶん今の親子の遭遇する危険と大差ない平和な暮らしだったのではないか。
 新大陸に移民が来なければ、アメリカンネイティヴは今もテイピイに棲み、アポリジニイは安らかにアウトバックを旅していただろう。採集民も文明火との数十倍もの時空を立派に遺伝子を伝播してきたではないか。そうでなくもっと多くの危険がある一生ならここにはいない。
 近代人類が飽和点に達するか、自分が作った危険物の取扱いに失敗すれば絶滅する危険は日増しに募っている。思い上がらない方がいい。なにせ歴史を記録してまだほんの二千年しか経っていないのだ。

 ミーアの狭いキャビンでウインとキヤが夢を語り合っている時、マキアンのヨシは次の決定的なクローズドエンカウンター(接近遭遇)を経験していた。
 ニラの岩礁で。

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2018-09-28作成

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