友人たちの論文集 |
庵浪人作品集
第7話 ブアの反乱
第7章 老田の失踪 |
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「老田が昨夜から帰っていない」 と久保がドアを細くあけながら言った。 「車は?」 ビリビリが頭にあった。 「ジープはあるみたい」 久保は口をもぐもぐさせていたが、決心したように、 「実はボス、奴はゆうべ山に行ったんだ。鹿を撃つってウセップと。ボスに一泡吹かすって、鉄砲持ってた」 念の為という事もある。事務所に行く前、カンドアに人をやり、鹿山の東側を捜すよう使いを出した。 その必要はなかった。プラントサイトからバイクの白い煙が近づいてきて、 「チュラカアン(災難)! トアンオイダが死んでいる!」 我々は言われた場所に走った。 三人の中尉、保安係と野次馬の中に、それはもう黒く蝿がたかって転がっていた。老田と呼ばれていたそれは、頭が四散してうしろの岩にこびりついていた。 どっち側かの耳から片方の眼が鹿のように天を睨んでいた。 久保はしゃがみ込んで吐いていたが泣いてはいなかった。顔のない老田では実感が湧かないのか、生唾を飲み込んで眼をそらせ、背中をさすってやった。 強力なショットガンで至近距離から。この前の鹿と同じだがターゲットが違い過ぎる。暴発事故か? いや、狙って撃たれていると見た。 「ライフルではない」 ひとりの中尉が言った。 「被害者が隠し持っていたのか、心当たりは?」 「ない」 三人の中尉に処置を任せた。ウセップの捜査、そして事件を事故扱いにして呉れるよう頼んだ。 パイル下敷き事故の時はローカルの悪戯だったが、別枠から充分な見舞い金を出してやったのを思い出させる必要もなく、トンポ中尉は沈んで了承した。操作ミスの暴発もあるし、犯人を逮捕しても元に戻るわけでもない。 それより事故扱いで保険請求した方が、遺族の為にも老田の名誉の為にも小宮山の立場も傷がつかない。それだけ考えるのが精一杯だった。あとで噂が広がっても、こんな処まで保険屋は来れない。 しかし事故扱いで難航したのは当の小宮山だった。 また勤務中の私事を理由に、説明しても聞かず、もう手を引くとまで言わせて証書にサインさせた。 老田がこうなるまで、小宮山のことを小僧と呼んでいたからだとペンデが教えた。サトウは続けて、ウセップはバンブデンレストランの一件の意趣返し、娘の従兄だと。マカレーの山に逃げたらもう誰も捕まえられないと言った。 この土地にはシリッといって、恥の観念が非常に強い。 道徳律に照らしてシリッになると、生命がけで恥を晴らさなければ、本人はもとより親戚が村中の笑い者になり村八分になる。そんな家は転落して村の中に住めなくなる。 とり返しはつかないが、衆人のなかで妹が辱められれば、そんな事もあり得る。インテリのトンポ中尉ですら、妹がサトウテインギと仲良しになって、若い者同士内緒のピクニックに行ったら、婚期の娘が、と髪の毛を持ってサッカーグラウンドを引き摺りました挙げ句、髪をずたずたに切ってしまった事があった。発狂したと勘違いした程の物凄さだった。 男女関係のトラブルで親族でシリッが定まると、縁者の中から屈強な若者が選ばれ、駈け落ちしたペアを捜す。経費は縁者が負担する。首尾よく目的を果たせばこの土地で裁判される限り、たとえ殺人でも執行猶予で娑婆にでられる。シリッだから。男同士が腰巻きのなかに入って切り合う事も昔はざらだったという。両方とも怪我ですめばいいほうだ。 此処に火葬の習慣はなく、何から何まで、オンボ焼きまでやらねばならず、正直疲れた。見様見真似で作らせた骨箱に遺骨すべては入り切らなかった。火力を計算していなかった為骨が砕けなかったのだろう。 ベッドに横になって、西部劇ごっこの老田、立てねえようにしてやると殴りかかった老田、老田、おまえもこんな処で立てないようになっちゃったなあ。 寝付かれない。岩にこびり付いた脳醤と弾痕はそこらにある鳥撃ち銃ではなかった。大型獣用のハイパワーで、スラウエシには必要のないものだ。誰が何の目的で持っていたのだろう。老田は何処で手にいれたのだろう。 タスの動揺も考え、遺族に早く金が渡るよう報告書、遺品、サトウペンデが首から骨箱を下げ、開所式前の繰り上げ休暇を権利者に取ってもらう事にした。岩佐氏、山田が例によって体調不調を訴えたが慰留した。もう悪役には慣れている。 ペンデはシーツで包んだ骨箱に手をそえ、 「縁起じゃあなく、気が進まないんです。感ていうか、胸騒ぎがするんですよ、これだけじゃあ済まないような。 男たちの姿も少ない気がするんです。ウセップ捜しって言ってますが、そんなら昼間でなくちゃあおかしい」 「トラジャ迷信を信じるなペンデ、連中はロットレ夜遊びだよ。今度は人数も多いし君がいないとタスが困る。心配せずに頼む。小宮山君も岩佐さんもシリッになるようなパワーはないから」 ロングホイールのランクルはドアに大きくP3の白文字を浮き立たせ遠ざかって行った。 フェスタ・プンブカアン(開所式)を二週間後に控えて軍のトラックが打ち合せに訪れた。ラジャデインの言っていた「シンガポール製」も積んであった。 「あれがP3製のベニアだよ。塚本部長に小宮山課長は着任四ヵ月で遂にシンガポール製に負けない製品を生産しましたと、板と一緒の写真を送ってやる積もりだ。部長はそれを見て赤字がこれ以上増えないと、泣いて喜ぶ」 「ひどい」 「冗談だよ。それに俺の知恵じゃあなく、天下のサンバス将軍の計り事」 ざれ口をたたいていると、ステイムランが呼んでいるという。 部屋に行くとあとの二人もいた。危険分担するようにいつも三人。頑張れ、あと少しの辛抱で士卒もつく。 「ミスタオシタニが相変わらず強情で、ボイラーは焚けないと言っている。スチームが無ければスライサーは動かない。調整して呉れ」 「オシタニ君は技術的に予圧テストをしなければ不安があると言っているのだ。長い間放置したボイラーだから今更ああこう言っても始まらない。野天に置いても鉄は腐らないと言ったのは、貴方ステイムラン中尉だったと記憶しているが。押谷君のアドバイスは百パーセント正しい。テストが終わらない限り、彼は焚かないと思う。サンバス将軍が吹き飛ぶのは見たくないから。開所式を延期したら」 ステイムランはバタック族の血が逆流した顔で食いつきそうに下唇を突き出した。「将軍の」と言って彼は直立した。 「将軍のスケジュールの変更は百、アキヤマの好きな百パーセント出来ない。日本人はみんなクパラバトウ(石頭)だ。本官はその他の部署でもこれと同じ非協力な報告を受けている」 「それはいい。私が言うのが省けた。ステイムラン中尉殿、過去のファイルをもう一度読んでから、会議が必要ならしよう。ボイラーテストに始まりスライサーの刃、グリューの冷蔵その他もろもろの技術的要望事項は、遡ってその都度提言しているが、貴官が無視したのか、やる気がないのか今もって回答がない。そうだね、ウイリー中尉。今朝のミーテイングは少なくても十ヵ月前、主機据え付け時に行なわれ結論を出すべきで、将軍スケジュールには関係ない。それからも幾度となく、コーヒー飲む都度リクエストしたではないか。思いつきでは困る。遅れた理由は聞かない。軍の無能をあげつらう事にもなりかねないから。アドバイスを受けて調整したり実行するのは貴方達の仕事だ。 コーディネーター・ソレア中佐にクレイムを出すことだ、中佐も壷を磨いたり、暇で困っていたから」 それまで下を向いて鉛筆をもて遊んでいたトンポが、突然机を叩いて立ち上がり光る鋭い視線を向けた。 「開所式にむけて調整しろ!出来る事くらい我々にも解るのだ。君達タスには国軍から給与が出ているのだ。君等のアドバイスを採用するしないは我々の選択なのだ」 ひどい口調だったので、まさか後輩のトンポまでがと耳を疑った。 小宮山が通訳してくれと私をつついた。 「奴らの顔の通りだよ」 「皆さん、工場運転は引き金を引いたら弾が出るようなわけにゃあいかんのだよ」 昼過ぎになって、ウイリーが紙を持っておずおずとやってきた。 休暇を呉れるというのだ。リストのトップに押谷、作業が残っている矢部、福山、関口なども。残ったのは式典に出席するチーフ格と、直接関係のないシートパイルとソウミールだけ。小宮山は私のミスだと言った。私がウイリーがサボタージュ臭いタスにはもう頼まない、自分達でやると言ったのも通訳してやったから。 「小宮山君、これでいいのかも。技術将校はその日の手柄をより鮮明に印象づけたいのかもしれん。ランニングしなくてもこれはお祭りで、全部陸軍がやりおおせた証拠が残ればそれでいい。動かすのはせいぜい一時間、それで支障がでても後の事、オープン出来なければ首が飛ぶ。ランニングしなくてもお祭りなのだ、そのあと機械がどうなろうとその時はその時、全部陸軍がやりおおせた事が重要だ。動かしてもせいぜい将軍が笑っていられる間、製品はあんたも見た通りもう出来てしまっている」 真面目な小宮山は意気消沈して 「なんとレポートしていいか、、」 「あんたは交渉していない。会話も解らなかった。全部秋山のせいだ。例の独断だ。そのように書いて部長に報告しなよ。報告書が日本に着く頃には連中また尻尾振ってついてくるのは間違いないから、君が説得して事なきを得たと電報を打つという段取りで行こう。シンガポール製は書かない方がいいよ。我々には関係ない操作だし、将軍が恥かしがるのも見たくない」 「たまにはごねてみるもんですねえボス、お影様で街に行ける。フェスタなんか糞食らえです。ボスにゃ悪いけどマカッサルで彼女のプンブカアン(開所式)だ」 押谷は嬉々として帰りのウエイポントラックに乗りこんだ。 「ゲージにマーク打って、アフマドに絶対にそれ以上は圧あげるなと言ってあります。ネシア人でもぶっ飛ぶの見たくありませんからね。岩佐さんの風呂くらいは沸かせますよ」 先に定時で出発していたタスは車の故障で帰れないでいる。直るまでホテルに泊まらせるよう指示した。 マカッサルは時ならぬ日本人町になった。 目出度い日を控えているというのに気持ちが沈むのはその日が自分に納得のゆく日でないからか、茶番劇だからか。 コーヒー運びのボーイから封筒を渡されたので何気なく開くと、予期に反してパロポ町警察からの呼び出し状だった。尋ねたい事これあり、だそうだ。 署名は記憶にない名だったが行くことにする。 どこの国のどこの町の警察も同じで建物全体で疑っているような、付近とは浮き上がったモノカラーな雰囲気があるものだ。いっその事ピンク色に塗りたくったら親しめるかもしれない。 殺人も強盗も放火も私が此処に来てから一度も聞かない。詐欺だって誰もお金など持っていないから成立しない。 車もないから事故もなければ違反もない。 一度その事をムミン署長に聞いたことがある。私が外人と思って気を許したのか、警察は民警と協力してアモックの警戒をするのが主な任務だと洩らした。 アモックとはここの男達の一種の病気で、理由もなく理由も分からずただ騒ぎ始めるのだそうだ。付和雷同という事になる。元はささいな事でも尾鰭がついて伝わったりするうち、収拾がつかなくなって自分がわからなくなる。 何百人が重軽傷、死人もでる。暑いからか、娯楽がないからか抑圧されているからか、要するに突発性の発作なのだろうか。そんな不必要な解析をしながら国旗のたつ門に来てしまった。 紙をみせると様子が変わり、後ろにふたりも警官がついた。老田のことなのか、手間賃は払ってある。 奥の棟に続く長い渡り廊下を歩き、一段と黴臭い陰気な場所に連れて行かれる。 動物の鳴くような声がしたが気違いの叫びか。雰囲気が悪い、悪すぎる。 お巡りがドアを開け顎をしゃくるので仕方なく入ると、親友が待っていた。 ステイムラン中尉。 尋問に使うらしい机に片方の尻を乗せて、私の知らないお巡りと、私の知らない言葉でなにやら喋っていた。私が入室したのに知らん顔をしている。 お巡りが出て行くと、中尉は決心に時間が要るのか窓を眺めていたが、おもむろに振り向いて切りだした。 「オイダの事件だが、カウ(貴様)は何も知らないのだな」 二人称にカウと侮蔑語を使った。 「彼が殺されたという事だけは知っている」 「そんな分かり切った事は言うな。調べでは銃は外国人でなければ絶対に持てない代物だというのが分かった」 「それは最初から想像出来た事だから改めて私に聞くこともないだろう」 「貴様は街と此処をフリーで行き来できる唯ひとりの外人だ、そうだな」 「そうだ」 「死んだのはお前と同じ日本人だ。貴様はその前にそいつを殴り倒している。発砲した男は発見できていない。 なんの恨みがあったのだ?ウセップのシリッだと。 誰も見ていない。でっちあげか、銭でもやったのと違うか」 「鹿を撃ちたい一心で、老田がマカッサルの港ででも手に入れたのだろう。フィリピンの船員かに。ウセップの事で、いや彼の妹が原因で殴り合いになった。事件まで彼の妹だとは知らなかった。理由は俺から聞くよりバンブデンで聞けばいい。それに俺はのしたから、殺されても殺す必要はない。あの時で形は付いている。士官学校出の質問とも思えない」 しかし私の足は小刻みにふるえていた。たぶん顔も青かっただろう。怖かったのだ。スマトラバタック族の顎の張ったいかつい四角の顔は暴力こそ似合う。机で読書する顔ではない。 「まあいい。大事な日を控えて貴様に申しておく必要から此処に呼んだ。話にふさわしい場所だろう。祝いが済んだらまた此処に来てもらう事になるが、今日まで貴様を監視していて、貴様は人殺しより重大な侮辱をわが国に与えようとしている」 彼は愛用のSWガバメント45を引抜きセフテイを引いた。スライダ−の音が部屋に反響して脅かしには充分な効果をだし、脅かされる私にも充分過ぎた。 アモックと愛国者は何をするか分からない盲人だから。 「サボタージュを裏で操っていたのは貴様だ、うん?」 銃口で私の頬を撫ぜた。映画の主人公になった積もりか。 「貴様は以前からこのプロジェクトを馬鹿にし、出来るものなら造ってみろと威張っていたな。引き金をひくようなわけにゃいかないとほざいたっけな。引いてやろうか」 道具にこづかれて、私の身体は突っ張って壁に張りついた。 「メインもボイラーもみんな貴様の差し金で恥をかかせられるところだったが、そうは行かない。えっ、答えられるか。トンポは日本語が出来る。細かい事まで教えてくれた。いいか、日本に生きて帰れるとおもうなよ。俺は奴のように遠慮深くないからな」 強烈なボデイブローがきた。一発で崩れた。理科数学と同じように、教科として会得した打撃だった。腹を押さえた手の上をでかい軍靴の蹴りが待っていた。それで腹の中身をぶちまけた。反吐のなかで四つんばいになって酸っぱい涎を垂らした。腕を靴で払われて顔を床に打った。殴られるよりこのほうが屈辱だが、終ってくれる事だけ考えた。 「トアンアキヤマそのお顔はどうしたの、と祝いの席で聞かれるのはしんどいだろう。前歯はフェスタが終ってからゆっくり外してやる。陸軍に歯向かう奴はみんなこうなるんだ。此処を何処だとおもっているのだ」 ドアを開けた音で帰して呉れるのかと見ると、そこには足もたたず、両腕を監守に支えられたレオが能面のように引きずられてきた。顔も変色して表情をつくりたくてもできない。 「あいのこも非協力派だ。ここまで来れば奴に用はない。仲良しふたりで将来のことでも相談するんだな」 「痛かっただろう。痛い思いをしたくなかったら、おとなしく将軍をお迎えしろ。貴様の味方はあのざまだからな。余分な事を言っても貴様の信用より俺の方が上だ。フェスタが終るまで時間を呉れてやる。銃は私が密輸しました。それで日本人ひとり殺りました。サボタージュを起こしてプロジェクトに被害を与えました。正直に認めれば前歯三本で勘弁してやる。帰りたけりゃあ裏門だ」 濡れたズボンのまま表に出てジープに倒れこんだ。 マセは奇妙にもなにも聞かず、ゆっくりギアを入れた。 口を拭ってから、「レオがひどい暴行を受けている」 「 ――― 」 「サボタージュの疑いだと。開所式を潰そうとしたと俺もぐるだと。オイダのショットガンも俺のものだとぬかした」 中距離を駈けたわけでないのにひどく息が切れた。 左の腹に黒色火薬がつまっているように、ひどく危険な痛さが残っていた。 腎臓か肝臓に障害が起こるかもしれん、口は災いの元と頭に浮かんだら、謂れのない疑いも手伝ったのか無性におかしくなったが、笑える程腹は落ち着いていなかった。 「軍人は一度にふたつの事を考えられない。ステイムランの頭は変えられないでしょう。彼は中尉だし、バタックだし、士官学校出ときている」 「こともあろうに、トンポがチクッたと言った。そういえば現場の男共の動きがおかしいと街に行く前ペンデが教えた。レオは本当におかしな考えがあるのだろうか、中尉達の眼も節穴ではない」 「開所式は出世の花道、将軍の前でいいとこ見せようと欲があると、見損なう事もあるでしょう」 「気が重いな。兵隊は自分以外は全部否定してかかるから」 「兵隊は一度にふたつは考えられない。殴る事しか頭になく、殴られる事は考えないもんスが、そういう事も起こる事もあるって。敗けるとか戦死するとか、戦争にでもなればね。もっとも奴は軍服は着てるが戦争は知らないがね」 「トンポまでも、見損なったよ。同じマカッサル人を売るなんて」 「どうですかねえ」 青くしこった痣にメンソレタムを塗った。壁が邪魔したのか本能的に避けたのか、肝臓を外れた位置だった。 考えられなくもない。それが中尉達のせいではなくても、現実は計画よりも大幅に遅れている。それが将軍を含む上層部のせいでも、表沙汰になって追求されれば、何処の世の中でも下っぱが責任をとらされる。三人はそれだけは絶対に避けねばならない。遅れた理由を誰でもが納得できるように準備して、万全を期す事にしたのだ。 大切なのは苦労した見返りの出世だ。終れば他人になる者に失敗を背負ってもらおう。扇動者は問題が起ったとき突き出せばいい。起らなければ事を荒立てる事もない。 疑いはあるが今度だけは勘弁してやると放してやればそれでいい。 レオは合いの子だし俺はガイジンだ。此処で味方になる者は誰もいない。生け贄にはふさわしい。辻褄があう。 オープニングセレモニイ、フェスタプンブカアン、開所式どんな名前でもいい、その日が近づいてブアの村も様子が変わってきた。 スダルソ陸軍少佐P3社長の御威光はさすがで、ソウミールの丸太は片づけられ、オ偉いさんや招待客の臨時お立ち台に模様替えが始まる。正面入り口にもアーチが飾られ舞台装置も整いつつある。縁石にも白いペンキが塗られお伽話にでてくるお城でも造るのかと思ってしまう。もっとも両方ともに張り子の虎ではあるが。 白けて見えるのはタスだけかもしれない。 岩佐氏は例によって書く事が多いらしく、差別されて休暇も診療も受けられなかったと記録しているのだろう。 中尉達とお茶でも飲む習慣があれば、もっと凄い特種、秋山は殺人幇助、サボタージュの黒幕と決定的な情報が得られるのに残念だね。 小宮山も此処へ来てから冗談も笑顔もなく、それは性質だからいいが、きちんとしていた七三の髪も伸び放題、作業衣も言わなければ替えないで、青白い顔をして個室に篭もっている。まずい兆候は過去の弱い男の陰影が立ち昇っている。岩佐氏のように憎しみでもないが、一種の趣味がある方がいい。 小宮山の判断力は急速に衰えて、何が優先事項であるかも決められない。こうなると被害妄想とか、良くない兆しがでるものだ。 食卓のナプキンの柄が何で僕のだけ色違いなのかと、そんな馬鹿げた事を通訳するのはしんどい。若ければ別だが私も中年過ぎの爺いなのだ。 それも私のせいかもしれない。折衝事もただそこに居るだけで済む。質問もとんちんかんで、庇ってももう皆な知ってしまって、笑って聞くようになっている。 開所式が済んだら二人の佐藤、メインの矢部とも相談して、タスも新体制作りをせねばならんだろう。 サトウペンデを上にあげて、小宮山に附かせれば二人三脚でうまく行くだろうか、佐藤も正式に南部社員となって保障される。彼に対するせめてもの礼になる。 スピーカーが私の名前を呼んだ。 取水口にいたテインギにウインクして事務所に戻る。 白い小宮山が個室にいた。 「秋山さん、これ何か解りますか?」 机の上に透明なビニールに包まれた南瓜ほどの灰色の塊があった。 「なにかのパテだろ」 「なんでパテが配電盤のなかにあるのです?」 「誰かが置き忘れたんだろう」 「パテでも電気ショートするんでしょ」 「しないだろう?」 「電気担当のトンポ中尉に言って、厳重に管理してもらわなければブレーカが飛んだり、漏電ていう事もある」 「あとでトンポによく言っておく。服務規定を尊守せよ。盗むならパテより、金目のバッテリイとか銅線にしろと」 「オタクはいつも問題を茶化す癖がある。よくないです。これじゃあ危なくて負荷も掛けられない。リチェックの励行を徹底させて下さい」 俺に対する命令か。自分がトンポを呼べばいい。 「ヒューズが飛ぶ前にボイラーがどかんと、いや独り言。トンポに抗議しよう」 もう一度その塊を見下ろした。絶縁材だったら恥をかくから。 火星人の持ち物のように異質で、塊そのものに意志があるように、私を拒否している感じがした。六感は「それ以外のなにか」と私に告げたが、アラブ人が味噌を見て食物とわからぬように皆目見当もつかない代物だった。 タスの多くがマカッサルに移動して淋しいメスに戻った。ひとりで夕飯を詰めた。裸電球を点け、天井を見上げた。 チッチャ(家蜥蝪)が四匹、灯りのまわりで恋を囁いているのか食物を探しているか張りついていた。ステイムランに蹴られた左手の腫れは退いていたが両手の掌を眺めた。 砂浜で蟹とたわむれたい心境だった。 塚本部長に手紙を書いた。小宮山の成長の為に国内部署につかせた方がベターではないか。 外地適性という新語を使ってみた。 開所式後は先方も大幅人事移動があるから、タス契約も部長出張で新規改約が望ましいと。 書いている途中で発電が終わり、あとは机のまわりに蝋燭を立てて灯りとした。 まるで自分が仏様になって、お灯明を上げられている姿だった。 スケットルのバーボンはいくら逆さにしても容量は350tで舌を湿す程、12時少し前だった。 その夜、明け方近くに火事があった。宿舎と部落の中間にある米倉が全焼した。 使われていない倉が夜空を赤く染めて焼け落ちた。 焼け跡から首にロープを巻いた小宮山の黒焦げ死体が発見された。 私はひどいショックで現場に行けず、メスの柵越しに報告を聞いた。 確かに私は聞いた。私を起こした叫びは、 「ケバッカラン火事だ!コミヤマ 死んだ テワス」 と叫んで駈けて行く村人の声だった。 なぜ?なぜ彼らは倉の中に小宮山がいたのを知っていたのか?まだ燃えさかっている最中に。 炎より強い閃光が後頭部に突き刺さった。 私は騒ぎを後ろにしてメスを囲む柵に沿って歩いてみた。乾期で土割れのした地面を裏手にまわる。 台所の垂れ流しになっている排水が沁みていて、その辺りに踏張ったような足跡が数歩、関係ないかもしれないが小宮山の部屋と此処、振り向いて米倉を見通す。 月光に照らされて、白い物がひとつ。近づくと、それは小宮山のサンダルだった。彼は生まれた時から革靴を履いていて、裸足では歩けない。たとえ死のうとしている時でも。 屈んで慎重に見ると、サンダルには60キロの重量は乗っていなかった。 ゆっくり歩き部屋の窓に近づいた。窓の下には想像していた痕跡は見当らなかったが、私はこれで害意があったのを知った。小宮山は殺されたのだ。 食堂の裏からテラス伝いに彼の部屋のドアを押す。開いた。甘酸っぱいようなかすかな匂い、ソンダ先生の所にあるような、気のせいか。ベッドもタンスもなにも変わってはいず、他人の部屋の不気味さがあるだけだった。 ごきぶり対策の高い脚のベッド、油を沁みませた布が脚に巻いてある処の虫が逃げた。はじめてペンライトを点ける。薄く積もった埃、ちょうど人ひとりの大きさほど拭われたような跡がスーツケースの横にあった。 夕食後除虫剤バルサンを焚く。そのあと何者かがベッドの下に潜んだのか。 寝入るまで待って甘酸っぱい薬を嗅がせたのか? 暗いドアの影に人影が動いた。マルチヌスが黒い小声で、 「部屋に帰って下さい」 有無を云わせない恐怖も含んでいた。小宮山の事故に関連した異様な事態が起こっているのがその声の証明だった。 ダブルドアを開けて部屋に入ると、その暗い部屋の藤椅子にトンポ中尉が闇に溶け込むように座っていた。 「アキヤマ、止む終えない事情で、まず貴方は監視下に置かれている事」 血筋がそうさせるのか、彼はいま中尉でも後輩でもない一人のマカッサル海賊の瞳が、夜目にも私につき刺さってきた。 「これから話すことに選択はない。時間もないから要点だけ言う。坐れ」 「―――。 あんたが言いたい事はもう聞いた。時間がないなら、改めて聞くこともない。豚箱にいるレオの顔も見させて貰った」 「第一。これ以上あの取得物について詮索するな」 「なぜ?」 「あんたをコミヤマのようにしたくない」 血が引くとはこの事だろう。アドレナリンの分泌がおこって手足が冷たくなり、頭に血がのぼり口が乾いた。 乾いた唇は意志に反して動いた。小宮山のようにしてくれと言うのと同じだった。 「あんたが名指しでサボタージュの黒幕と指名して呉れた。マカッサルを捨ててもコロネルが望みか。情けない奴だ」 「かいつまんで言う。過去にいくつかの不幸があったが作戦遂行での小事だ。あんたの机にある物は作戦の重要品で、知りたければプラスチックだ。シビリアンにはわからんが専門家が見れば一目で強力爆薬だと知れる。それを軍に知られたくない」 「上棟式から今日までの資料はオイダの骨と一緒にサトウに持たせた。ジャカルタに送るようにした。会議の議事録全部、岩佐が毎日何を記録していたか思い出せ。 工期遅れをタスのせいにされるのも、サボタージュの首謀者にされるのも、君等に代わる代わる痛い思いをさせられるのもまっぴらだ」 アドレナリンが考えた咄嗟の嘘だった。殴られるのがいちばん嫌だった。 「コミヤマは賑やか過ぎた。それを知っているのはもうあんた一人だ。排除したから。あんたもそう出来るが影響が大きいので他の方法、マルワを保護した。あさってのセレモニイまで、決起の日まであんたには普通の仕事をして貰う。 あんたなら出来る。出来なければマカッサルのやり方が待っている。解るなアキヤマ」 黒色火薬が頭にまで充満したのを懸命に立直した。話が噛み合わない。 「軍? 決起だと?」 「軍が感ずきはじめたので、眼をサボタージュに向けさせた。レオは身体を張っている。念を入れてあんたの名前も使った。ミーテイングがうまくそうなったからな。うまく擦り変わった。あとはあんたの決心次第だ」 「軍人が軍とやりあうのか」 「余分な事は言うな。歴史が証人になろう」 「俺の事はわかった。がタスはどうする?」 「一応興味はない。人質の価値は低く国際的にこじれるのも好まん。これは我々の戦いだ。状況によっては保障はできないが、押谷達がああなったのも避難させたととって貰おう」 「タス全員、街にいる者の安全も保障したら俺も言う通りにしてもいい。プラスチックと交換してもいい」 「相変わらず元気がいいな。素人のくせに。先発の車が動かないのもタクデイールが働いた。それ以上足手纏いの面倒はみれん。相手もあることだ。 その日はさりげなく残ったタスを一ヶ所に集めておけ。 メスでおとなしくしていればそのうち解放する。しかしあんたの行動が間違えば、あんたも含めて敵対者として処刑する」 見つめあいながら、トンポの視線にひきずられるようにして立ち上がった。 「オイダを殺ったのも君のグループか?」 「レミントンT-100はひとり三役の大切な武器だ。ウセップは同志だから武器のありかは知っていたが、動機はシリッだ。マカッサルの掟、辱められたら生かしてはおかない。蒔いた種は刈らねばならない。ジャワ人とて同じだ。長い間の借りをその日に返すのだ。汚職と差別、余所者チナ人との癒着、大インドネシアはジャワ軍人と金持ちの国ではない。首都ジャカルタもスラバヤもこのままなら、裸好きなアメリカに踊らされた東京大阪のような享楽都市になる。イスラムの教えは崩壊する。P3も南スラウエシ人の為でないなら野に還るのが正しい。レオの木箱を運んだあんたももうこちら側の人間でもあるのだ」 パッと電気がついた。トンポは左右を見た。 「アキヤマ、大きく目をあけて考えろ。いつかそんな話をしたこともあったな」 トンポの瞳は潤み、悲しそうにも見えた。 「インシャアルラー、神のご加護を。奥様の事も忘れるなよ」 朝日のさす赤白国旗が林立するメスに続く小学校の運動場を窓から眺めた。 あしたの朝この運動場に二機のヘリに乗った陸軍大将一行が到着して式が始まる。石灰で白く大きな丸に十の字を描く男たちの姿。 トンポは何時、どうやって、何をする気なのか? ステイムランにサボタージュより大きな「決起」とやらを告げるべきか? 睡眠不足ではないが頭は回転しないで止まっていた。腹の青痣でもない、妻の安否でもない、もっと違った意志が振り払えない重さで方向を指令したようになってゆくのを感じた。 サトウテインギが長身を屈めるように入ってきて報告した。 「あまりいいニュースじゃあありませんボス。小宮山マネは倉に放火して、二階の梁から飛び降り自殺したのが遺留品から判ったそうです。遺書はありません」 「ご苦労さん、、」 「衝動的にでしょう。それから、ボス」 「もうやめてくれ」 「此処の国じゃあ自殺は大きな罪になり、明日のこともあり簡単に埋葬されました。小宮山さんは自殺する程悩んでいたのでしょうか。様子がおかしいとは感じてはいましたが」 「―――、佐藤君タス全員を食堂に集めてくれ」 私は岩佐、久保、千葉に事件を報告した。 多くのタスが部屋におらず、彼の行動にも気づかず、事前に察知することも出来ずこうなった事を謝った。どのような理由にしろ、僅かな間に二人もの不幸が重なったので気を落ち着けて対処してくれるよう。 しかし今度の事はあくまで本人自身の事故で、プロジェクトおよびインドネシアサイドに何の関係も手落ちも責任もない事だから、冷静に無用な行動は謹しむよう釘もさした。 彼が埋められたと教えられた場所は赤土が露出しているだけで、花も水も、故国のしきたりとはひどくかけ離れていた。 私は紙で顔が覆われた汐汲み人形を思い出していた。 冷たい飲み物は身体に良くないから、、小宮山もう何を飲んでも、何を食っても大丈夫だよ。 わたしはママの顔を思い浮かべ涙が伝わり落ちた。 誰かが椰子の木陰から見ているような感じがあった。 振り向いてもパパイア畑が風に揺れているだけだった。 小橋の横にランクルが停まっていた。ステイムランがにたりと笑って車に凭れかかっていた。私は接近した。 「二人目も貴様の仕業か?責任を奴に押しつけて逃げる気か、やりたいようにやる積もりか、うん?」 ここで私がチガウと言えばいいのだ。 トンポを潰せといえば済むのだ。 「そうでもあるし、そうでもない。俺の前歯を折って違う声で喋べらせりゃあいいだろう」 弱いくせに強がるいつもの癖がでる。 「ふん、それまでもつかな。まあフェスタを無事終らせたら、多少は考えてやる。人殺しもふくめてな。うまくやれよ」 同じ日に、同じようなことを違う男から聞いた。みんながこのセレモニイをまったく違う考えでとらえている事だけがわかった。 ジープは臭い煙を浴びせて遠ざかって行った。 第七章 終 |
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2018-09-10作成