友人たちの論文集

庵浪人作品集
第7話 ブアの反乱

第六章 パロポへの帰路
 パロポ帰りはロカタンダのミニバスをチャーターした。

 フォードアパッチは、まだインデイアンが羽をつけていた頃の年式と疑う程の旧式モデルで、まだ走ってもいないのにスピードメーターは80マイルを指していた。
 錆びたボディーにエキスプレスと書かれているのはお笑いだ。私がチャーター(借りた)というのに、借り主よりはやく知らない乗客が後席を占領していた。
 前の席ひとつが私用らしく助手がドアを開けてくれた。
 親切心からではなく開けるのにコツが要るのだ。
 とても眼を開けてはいられないドライビングテクニックを駆使してぼろ車は飛ばす。急行に嘘はなかった。ギアを変える時運ちゃんの腕が私の膝にあたるので、ドアに寄って身を縮ませていなければならないが、そのドアがいつ開いてもおかしくない代物で、身体を支える腕も、すれ違う度に足を踏張るので両方とも疲れてしまった。後ろでゲロを吐く女の人と子供の泣き声、アパッチはその必要もないのにひっきりなしに警笛を鳴らし続け、パレパレに着いた時にはこの先が思いやられた。
 エンレカンを過ぎたところで車が止まったので眼を開けると、ちょうど三、四人の警官が歩み寄るところだった。
 私はあわてて財布から二枚の札をポケットにねじ込み、財布をベルトのなかに隠す。乗客は全員路肩に降ろされ臨検だという。おまわりはひとりひとり舐めるように質問し、私の前に来るとサーロインステーキを食べる顔になった。
 「スラット・ジャラン(通行証)」
 開いて見せた。
 長い時間をかけて上から下まで繰り返してから裏まで返し、ジャブを出してきた。「これには警察署長のサインがない」
 「私はP3の者だ。それは解るだろう。この辺にはあそこ以外外人はいない」
 「P3の人はバスには乗らない」
 「乗る時もある、私のように」
 「P3の名前を使って黒檀の商売だろう。支那人じゃあないな」「P3の人間だ」
 「こっちへ来い」 
 銃でこづいたので、私は腕でそれを払った。
 「ジャンガン ドロンギン ブルホルマッテイラ(失礼な事をするな。敬語を使え)」 時には威厳が必要だ。チナ人でない為にも。
 親分の下士官が果物売りの屋台を占領して坐っていた。こいつらみんなジャワ人らしい。褐色の肌にも色々あってジャワ、アンボンは濃い方、小柄丸顔はジャワ人のサンプルだ。対まんの殴り合いなら俺が勝つ。
 「書類不備だ。どうする?」
 「通行証にいちいち署長のサインは要らない」
 「プラトラン バルー(新しい規則)だ」
 「ションベンに行くにも必要なのか」
 「所持品は?」
 「ダンボール箱みっつ」
 「中身は?」
 日本食品と言おうとしたが、税関での説明を思いぞっとなる。
 「署に来てもらおう」
 お付きが手錠を磨いている。はったりだ。
 「荷物はスダルト中佐とパロポのムミン署長に至急届けなければならない物だ。一日遅れればそれだけ御不満だし理由も聞かれる。それでよければ何処にでも行くよ」
名前のところを強く言った。
 「お前も強情だな。じゃあこうしてやる。こっちが君に代わって書類を修正してやろう。不備を見逃すわけにゃあいかないからな。手間と時間がかかる」
 「ーーー」
 「罰金も払う事になりゃあ金も要る。十万あるか?」
 私がポケットに手を入れると下士官の視線が思わずそこに移った。馬鹿もん、金なぞ出すか。手帳を取出し胸の名札を見てから、
 「スサントMだな」と睨みながらも、
 「一万ある、煙草銭にでもして呉れ」
 深追いは禁物だ。
 賄賂を渡す万国共通のやり方、札を縦折りにして出した。

 「俺はいいが、部下も見ている。四人いるんだ」
 もう一枚足した。

 「近ごろ本当に物騒なんだ。見知らぬ顔も動いている。マチャンヒタムもな」
 「もう出たじゃあないか」
 「えっ」
 「冗談だよ!」
 バスは予想に反して故障もせず、長い下り坂を辿ってパロポへ。銀行のベスパを借りて日本食と相乗りで凱旋した。さあ笑って貰うぞ。

 メスは笑ってくれる雰囲気ではなかった。
 サトウは頭を抱え、岩佐は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた。留守中のいがみ合いだ。
 先ず待っていましたとばかり、老田が部屋に入ってくるなり毒づいた。

 「冗談じゃあねえって言うのよ。煙草は吸うな、あれしちゃあいけねえこれしちゃあいけねえ、何様だっていうの。餓鬼じゃああんめえしよ。こちとら仕事やってんのよ、文句あるかってえの、えっ!てめえの始末くれえつけられるっての、うるせえったらありゃあしねえ」 
 事情を聞くと些細な事で、まったく嫌になる。
 「小宮山チーフは技術者の規律を言っているのだ。命令しているんじゃない。こういった環境では命令しても意味のない事くらいご存じだ。禁煙などその初歩的な約束で、チーフがそう決めたのなら従うべきだ」
 「そんな七面倒くさい決めが無くたって、いままでうまくやってきたじゃあねえか」
 「私の代はやや放任主義だったと反省もしている。代が代わればその人に従って貰う。禁煙や朝礼も、外出届けもいい事だし、よそのサイトじゃあ常識だぞ」
 みんな下を向いていた。肝心の小宮山も俯いたままだ。
 空気を掴んだら、ここで自分の主張を押せばいいのに。
 「此処の連中は酒を飲まない代わりに煙草好きでも、塗料庫と発電室のそばでは誰も吸わないのは危険を知っているからです。日本人だけが決めても長続きしないから、ウイリー中尉とも相談して喫煙場所を作ったらどうでしょう」
 佐藤と中田が同じ意見を言った。
 「ひとつひとつ、良いと思った事をみんなで考えてやって行こうや。せっかく運んできた日本食が不味くなる。気分を変えて月桂冠の栓を抜くぞ。岩佐チーフ毒味を、佃煮もあけろ、小宮山チーフ乾杯の音頭!老田君久保君もコップ持って、ほら、注いでやれ」
 岩佐は甘党で羊羹は薄く切らにゃあと言いながら、もう五切れをひと口にしている。小宮山は少しで青くなる。
 酒が行き渡ったところで、私はまだ旅のぎしぎしする体を水浴場に運び水を浴びた。出てきたら佐藤が待っていた。
 
 「ボス、禁煙だけじゃなく、他にもあるんです」
 「老田さんはボスの出張中に町でいさかいを起こしたんです。女性の事で。小宮山さんがさっきそれを言い出さなかったのは彼が怖いからです。集団出退社、外出許可制はその為なんです」
 食堂に戻るといい気持ちになったタスの何人かが老田を囲んでいた。
 「頭にもくらあな。猿のくせしよってからによ、テダ、テダ、ジャンガンだって、ほんとはやりてえくせによ、そんで腕引っ張ったら服が破けて泣いちゃてな、バンブデインの窓は鈴成りと来たもんだ。俺だって気分悪いわさ、帰ってきたつうわけ、何もしちゃあいねえさ。外出禁止?いいよ当分行かねえから。小宮山のお、安心しな」
 「老田君、此処はイスラムだから多少遠慮した方がいい。女もそりゃ必要だから止めはしない。ただよそで通用する酒と女が此処じゃあ駄目なことは千葉の一件を聞いただろう。酔って嫌がる女を連れ出そうなど、相手にとっちゃあダブルパンチ以上だ。やるならマセの車でシート被ってビリビリの山でも行ってやって来い」
 「嫌がるスケってぬかしたな」
 老田は白い肌でちょっと目にはハンサムだ。それが私に矛先を向けてきた。余計に白っぽくなった狂暴な顔はもう理屈ではなく、前にいるなら誰でもいいといった感じだった。
 「たんまりチップ呉れて、そんで逃げられちゃあ名がすたる」
 「パン助にも、好き嫌いはある」
 彼はやにわに立ち上がり、
 「ほざきやがって!」
 と私に拳で殴りかかった。耳がキーンと鳴ってしまった。
 「それで気が済めばお安いもんだ。坊やは早くおねんねしなよ」私は耳をさすりながら老田を見上げた。呑みすぎた顔がそこにあった。
 「立てよ。てめえひとり、いい思いしくさってからに。俺等にゃあ偉そうこいて」老田はひとわたり顎でなめまわした。止め男はいなかった。
 「古い奴らは言葉出来るのいいことにして、面白くねえ。秋山の、お前さんとこも若くてぴちぴちしちゃって、たまらねえだろ」
 「あれは俺の女房だ」
 「フン、奥様だってさ、笑っちゃうで」
 私の安全バルブもそう強いほうではない。家の事を持ち出されては引き下がるわけにはいかない。机を押して立ち上がった。
 「野郎、立てねえようにしてやる」
 彼は机のビール壜を逆手に掴んだ。
 「老田、壜を使うなら空き壜にしろ、割ってギザギザを作るんだ」彼の胸をどんと突いた。
 「このお!」
 壜を叩き付けてきたが中身が重くて狙いはつけにくい。弧を画く腕が少女の縄跳びみたいにはっきり見えた。体を沈めて躱したが、肩かどこかに当たったのも構わず、腰を入れて左からレバーに体重を乗せた。
 グウッといったから足払いをかますと折畳み椅子に転げこんだ。
 いやーな沈黙と、後悔が残った。

 ドアがノックされて小宮山の顔がのぞいた。
 「もう、どうしたらよいのか」
 「どうもこうも、なるようにしかならん。私も悪い男だ、謝る」
 「それよりも、良い事をしようとして出来ないんです」
 「前にも言っただろう、此処じゃあ一足す一が二にならないって。しかし切り抜けたら君の力は三にも四にもなる。そんな処と思う事だ」

 翌朝洗面する老田の背中が小さい。腫れぼったい顔をして、
 「まったく、形無しだぜ。酒でのことだ、忘れてくんな」
 老田の背中をどやしてやった。
 「あんた、しろうと素人じゃあねえ、と踏んだで。何処のかしき島だい?」 
 「伊豆の大島さ」
 「馬鹿言っちゃって。舎弟分で面倒みさせて貰うで。どうせ国に帰ってもごくつぶしさ」
 「頼むぞ、これからもせいぜいな」

 南部が何でこんな手合いを送ってきたのかを疑う。員数を揃えるだけと反論されても返す言葉がないだろう。

第六章 終


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2018-09-10作成

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