友人たちの論文集

庵浪人作品集
第7話 ブアの反乱

第一章 196X年6月
 196X年6月、ラマダン断食明け新年からひと月程たった朝、わたしはトーキョーからの電報を受け取った。
 'NEW CHEAF MANAGER MR.KOMIYAMA WILL ARRAIVE MKS VIA JKT TOMORROW AT 1400 BY GL413 NAMBU TKO'

 私がその短い活字から目をあげると、書記のタクデイールが見下ろしていた。
 「コミヤマさんがあした着く。わたしの代わりの人だ」
 「そして、あなたトアンは?」
 「彼が此処に慣れたら、少しゆっくりしてから、新しい仕事でも捜すか」
 「(日本へ)帰るのですか」
 「ンガ(いや)、此処にいる。海鼠(なまこ)でも売り買いするか」
 「開所式の日取りがはっきりしたら、久しぶりの休暇をとって、奥様とシンガポールにでも旅行なさるといい。新マネージャーも来なさることだし」
 「出来ればそうしたいものだな」
 タクデイールの奥眼がしばらく私を捉えていた。

 オープニング開所式か、、パロポプロジェクトは八年前に戦時賠償工事として東南スラウエシ、パロポ県ブアに国軍の主導で建設が始まった。近隣にある広大な密林の資源を利用する大ベニア工場という触れ込みだったが、基礎が終わる頃予算不足で工事は中止され、三年前に再開された。私はメインコントラクターの南部建設の現地雇用社員として、軍との折衝や、数十人の日本人技術者(TAS)の面倒をみる役目で、職名はチーフマネージャーだが、やる事は下宿やの親爺に似ている。
 日本にいても私のような中途半端な男は使いにくいだろうし、故国の速い動きも苦手になっていた。わたしはこの国に長く居過ぎたようだ。
扇風機の風が落とした電報を拾い、戸棚からファイルを取り出してひらいてみた。読みにくい小さい字が暗号文のように紙面を埋めている塚本海外部長の通信文。
 きっちり読んできっちり返事をしても実行されたためしがなかったし、とんでもない時にとんでもない指令が突然舞いこんだりするので、近ごろは斜めに読んで、手の内にある駒で善かれと思う事を勝手にやらせて貰っている。
 手紙は二週間以上もかかり着けばいい方だし、電話は6000キロの距離を十分感じさせる雑音で聞き取れない。二日も前に予約する意味が薄い。
 インドネシア側の方針もいまいちはっきりとせず、予算は国軍が握っているので我々の計画通りには行かない。
 初めは二年足らずでテストラン、六年たったいまでは国産の製品がインドネシアの誇りとともに輸出されているはずなのに、南部が建てた上屋と、つい先頃やっと主機を据え付けたばかりで付帯工事も終っていない。
 それが何故かオープニングとセレモニイの日取りの通達があった。
 完成日を逆算したスケジュールは我々の国の得意技だが,それとても最初に水も洩らさない工程があっての事だ。
 数百キロ四方でP3(Palopo Plywood Project)のような工場はない。ジャングルの果てにキラリと輝くアルミの屋根があるだけだ。原木の搬入、製品の搬出はどこからどうして行なうのか。地図の上を赤ペンでかこって、ここがP3のコンセッション権益地といっても物が動くわけではない。州都マカッサルからパロポまでの道は、驢馬でも難儀な踏み付け道なのを中央だって知らないはずはないのに。
 関係者は真からこのプロジェクトをものにしようと考えているのか。
 日本から金が出る。それをインドネシアが使う。紐附き発注だから一廻りすればみんながニコニコできる。目減りが多いから八年たっても、音もしないし蒸気もあがらない。それでもいいのだ。関係者は工事が完成しなければ、蝿のようにたかって末長く喰えるのだ。こんなプロジェクトは後学の為、ひと思いに爆発しちゃえばいいと酔った拍子に言ったことすらあった。
 部長は回りくどい書き方で、私との契約残は新任者派遣に関わらず継続されよう、ナンブは他所に新工事があるので決定次第転出を確約と記されてあった。
 三ヵ月あとに迫った開所式がどんなものになるのかは知らないが、式典にはそれにふさわしい色男が似合いだ。
 小宮山英彦。二十九才独身。暁星高校、立教大学経済学科。世田谷区成城四丁目。清く美しく、何の余分も不足もない履歴書だ。東京出張の時確かに一度会議で会っているのだが、どうしても顔を思い出せなかった。色白のスタイルのいい金持ち息子は誰でも同じ顔だし、先方もネシアくんだりから来た山出し男など、オランウータン程にも意識しなかっただろう。

 朝食の時、妻は、「新しいマネージャーさんはオ若いの?」 と聞いた。
 「若くてハンサムだ」
 「あなたよりも?」
 「当然、わたしの歳の半分と少し、男として生きている」
 「外国は初めてなの?」
 「たぶん、、ビルデイングのない外国は初めてのはずだ」

 街の北20キロ、マロスのハサヌッデイン空港は広い草地に滑走路が一本、イジョウ草葺きの待合棟の屋根にあいた穴から太陽がスポットになって床に光線を投げ掛ける。
 燃料タンク車二台、軍用のハーキュラスらしいのが一機とシコルスキーヘリが二機、客の数より放牧牛のほうが圧倒的に多い。サイレンが鳴ると、それまで草を喰んでいた牛や山羊の群れは面倒くさそうに走路をあけ移動する。
 爆音より早く、ポツンと光点が見えたと思うまもなくコンステレーションはもうアプローチに入り、砂塵を巻き上げ、三回バウンドして無事州都マカッサルにランデイングした。
 タラップがかけられ扉が開くと、まず軍人とその夫人か彼女か、太った中国人夫婦とその家族子供四人、支那人は何を食うのも何処へゆくのも家族全員を引きつれる。
 白いお椀帽子のイスラムのケアイ導師、紺の上下に赤黄ストライプのネクタイ、濃い髪を白すぎる顔にきちんと乗せて、若い。青図らしい巻紙を小脇に、お定まり新品アタッシュケース、強烈な紫外線に眼を白黒させた。
 銀色の機体を背にした姿に「掃溜めに鶴」の言葉が浮かんだ。
 わたしがサトウペンデの尻をどやしたので、彼は柵を乗り越えてタラップに走った。
 ネクタイは、出来れば手をつなぎたい不安と、立場を意識する堅い表情が交差して、それが背広の皺にもはっきり見て取れた。
 見送りか出迎えか、ただの見物なのか、前を塞ぐ一団の婦人達の強い髪油の匂いを割るように手をだして、
 「いらっしゃい、秋山です」
 「It's feel so hot, isn't it ? 」
 小宮山は教科書の英語を使った。
 「南緯四度。乾期。それに風もないから」
 背丈は私よりきもち高いが、学生時代ボール遊びは趣味でなかったとみえ、腰はなくベルトから下に長い脚がついていた。
 「あの現地人は日本語が上手ですね。留学生あがりかなんかですか」
 「サトウ君は南部の下請け鉄筋工で、長野県出身です」
 短躯、あくまで陽に焼けた「現地人」が飲み物を持って近づくのを、まるで動物でも見るような眼で見た。
 「新マネ、マルキサジュース、インドネシア広しといえども、此処とメダンにしかない特産です」
 小宮山は有難うとも言わず、「冷たいものは、身体に良くないから」と言っただけだった。私は彼のぶんと二杯飲んでやった。
 佐藤がグラスを返しに行っているあいだ、「総務の仕事を鉄筋工がやっている」と呟いた。
 「三ヵ月に五日の休暇でも、一日割いて貴方を出迎えたかったのでしょう」と私は呟いた。

 婦人達の髪油の匂い、ロコ(チェンケ=丁字煙草)の煙、匂いはその土地それぞれ異なるものだが、はじめてならやはり強烈だし、それに運転手マセの体臭も加われば。
 小宮山は宿舎に着くまでハンカチで鼻のあたりを押さえていた。
 「ここがマカッサルでの貴方の部屋です。シャワーでも浴びてゆっくりして下さい。此処にあるのは時間だけですから」
 「お湯は出るんですか?」
 「出ません。それと用を足したら自分で流して下さい。水洗バルブがこわれているんです」
 芸者の厚化粧か、彼は部屋からなかなか出て来なかった。あるのは時間だけと言ったからか。
 タクデイールにイミグレーション入国書類やワーキングパーミット労働許可書などを整理させ、マセに通行証が出たら出発出来るよう、ジェリゲン(補給缶)も忘れるなと命じていると彼が表れた。
 オフホワイトの麻の上下、長めの半ズボンから細い脚、象狩りにでも行く格好だが、靴がマロリイのタウンじゃあ蜥蝪も殺せない。

 「ジャカルタには冷房があったのですが。それにトイレットペーパーも無くて」
 「便器は壊れてるんですが、お湯とクーラーは最初から無いんです。マカッサルはシテイ・オブ・アンギン・マミリ(そよ風の町)と謂って、海からの風がこの国一番といいますから、自然の風で我慢して下さい。パロポの現場の眼が眩むような暑さに慣れる為にも。それから、ペーパーは切らしています。売っていないんです。此処の人達は手で洗いますから。慣れると紙で拭くより清潔だし、痔にもならんて謂います」
 同じ紙でもトイレットペーパーより、本人のヴィザや、部長の連絡文を聞きたかったが、また部屋にこもってしまった。

 「ママがこれを秋山さんに」
 と言いながら、彼は箱を開けて組み立てはじめた。見る間にプラスチックのケースが出来上がり、汐汲み人形が表れた。
 顔は死人のように白い紙で覆われていた。
 「有難う。事務所に飾れば、私がまだ日本人だという証拠になるでしょう」
 礼はしたが、私は芸術品よりフィルムとか乾電池とか佃煮が欲しかったのだが。
 彼のリクエストのワイングラスがなく恥をかき、コップに注いで彼持参のワインで初対面の乾杯となった。
 現地人サトウは酒には眼がなく、小宮山のカルフォルニアワインにあっさり買収されて、私の三倍のスピードでボトルを空にしてしまった。
 もう何十回かの講義、「インドネシアは日本の五倍半程の面積で、島の数が一万三千余、東西の長さは5000キロでこれはロスからアメリカ大陸をはみ出してバーミューダまでの距離です。そのほぼ中央に変てこなKの字の格好で横たわるのがスラウエシ、昔セレベスと呼ばれた島です。本州の東北三県を除いた程でしょうか」
 「住民はイスラム教徒、北部に若干のクリスチャン」
 東京で勉強したらしい答えが返ってきた。

 「キニーネのマラリア予防に効果はあるのですか」
 「効くとは思いますが、毎日欠かさず服用しなければなりません。クロロキンなら一週間に一回でいいけど、胃腸をやられると云うし、副作用も強いらしい。感染率は滞在数に比例するし、なかなかね」
 「要はハマダラ蚊の雌に刺されなければいいのでしょう」
 「理屈はそうなる。しかし刺されない為には全身ビニールにくるまって、蚊が飛んで来れない高いビルの屋上に住まねばならないが、此処にはビルはない」
 「秋山さんは保菌者ですか」
 「たぶんマラリア宿主だろうけど、幸いまだ症状は出ない」
 「当然此処にもいるのでしょうね」
 「よりどりみどり。町にいる頭のいかれた乞食はデング熱、癩病やみ。俺なんか半年に一回くらいですかねえ、ボス、四十度の熱でうなされるのは」
 佐藤は赤い顔をして、何が得意なのか声高に応じた。
 「朝や昼間の小さい奴がヤバイんです。とまったと思うや刺しますからね。パロポの川にゃあ、デストマもいるし」
 「佐藤君、デストマじゃあなくて肝ジストマだろうが、もういい。小宮山さん、熱帯は想像以上に消耗が激しいから、無理は禁物だけ覚えていて下さい。たくさん食べて、八時間はベッドにいるなら、マラリアにはならないから」
 「小宮山マネ、心配無用。酒飲みはマラリアが軽いって。さっ、マラリアに乾杯」佐藤はとっておきのバレンタイン17年ものを持ち出してひとりで悦に入っている。
 いったい何時あそこの引き出しに隠しておいたのを知ったのだろう。
 小宮山は大きなロブスターのボイルも海老のレプラに見えたのか手をつけず、もうマラリアに罹ったような熱っぽい顔をして黙りがちだった。
 翌朝、国軍コーディネーター調整局ソレア中佐の表敬訪問を八時としたが、小宮山は起きてこなかったので遅れた。時差ばかりのせいではないだろう。
 中佐には流行の'Nice meet you 'は使わず'I'm glad to see you 'は小宮山らしい挨拶だった。
 カレボシ広場にはサッカーの試合か大勢の人が群れ、原色のユニフォームの若者が緑の芝生に映えていた。

 メス(宿舎)に帰ると小宮山はミネラル水を所望して、信じられない量の薬を慣れた仕草で飲み下し、下痢気味だと言った。
 水が変わると一度は下痢する。ウエルカムセレモニイだよ、少し横になったらとお座なりに答えると、それっきり昼になっても部屋から物音ひとつしない。
 開所式前の妻との旅行は望み薄になったと感じた。

第一章 終


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2018-09-10作成

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