慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第28話 旅行記「バンドゥン・ハイランド」
 バンドウン(Bandung)はインドネシア共和国首都ジャカルタの南、西ジャワ州の州都です。スンダ人の故郷で、高原盆地の街は大学が多く教養人が輩出されている落ち着いた雰囲気です。繊維、染色はじめ工業も盛んで豊かな環境です。
 独立戦争の折り、オランダ軍の反撃から町は火の海となり、それが独立開放の士気を一層高めたとゆう由緒ある町でもあります。
1988年 庵原 哲郎

 旅物語 バンドンハイランド  いおり なみお庵 浪人

♪ Bandung Selatan diwaktu malam....南バンドンの夜は更けて、、
Berselubung sutra mega putih 白絹のさぎりたつ、、、♪
 クロンチョンの妙なるメロデイを聴くと、ジャカルタの東南に広がるプリアンガン、スンダの高地が懐かしい。
高度が百メートル登ると気温が一度下がるから、千メートルでは二十度のまさにゾイテンボルグ(無憂郷・オランダがボゴールに付けた名)だ。ジャカルタのこのどろんとした熱気に晒されていればプンチャック(峠)を越えてみたくもなる。
 ちなみに標高は、ジャカルタ:0b、バンドン:700b、 ボゴール:260b、 プンチャック:1500b

 朝七時、プロガドンのバスターミナルに行く。あいかわらずの喧騒だ。
 「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」客引きのすさまじい争奪戦に潰されそうになりながら、いましも発車するJKT−BDG BIS CEPAT PP (ジャカルタ−バンドン急行定員制往復バス)に飛び乗る。
 交通関係の職業はスマトラ・バタック人が多い。曾祖父の頃までカルバニズム(食人)習慣があった部族のせいでもあるまいが良くいえば闊達、悪くいえば野卑、からかって、やにわにぶすりと刺された男を知っているので、こんなカーニバルみたいな場所でうろうろしていてはカモられる。
 運チャンはウエスタンにでてくるフオンダにそっくりで黒のハットまで同じだ。
 外資が入るまで此処のまともな職業といえば、役人を除けばタイピストと運転手だけだった。特に長距離バスの運転手は誇り高いのか、みんないい顔をしている。割り込まれても表情ひとつ変えない。ひどい違反をしてゴボウ抜きの追い越しをかけても眉ひとつ動かさない。任せられる。任せるよりしょうがないのだが、一車線の田舎道を時速100キロじゃあ居眠りするのがいちばんだ。
 ジャカルタの運転には法を守る日本人は皆な怖れを抱いている。大きな機械を動かせられる優越感からか、アクセルを戻す事を教えられていないのか、発展と前進が国益になるのか、エヴァーオンワード前進あるのみ。私は左右の乗客の眼を意識しても、どちらからぶつけても助かるように中央ににじり寄る。
 バスの行き先を良く確かめなかったので、このバスは裏街道のプロワカルタ経由で時間がかかるけれど、急ぐ旅でもないし待ち人もいないし、遠まわりが早く着くことだってある。神様の支配が強いお国柄だから人間の思い通りには行かない。途中で故障して野宿する不幸も神の采配でバス会社の責任ではない。
 慌てるのは特にいけない。駆け出している人はスリか泥棒だけで、南国では悠然としていなければならない。せっかちの罰はすぐ下されて汗がどっとばかりに吹き出る。
 クーラー付きではなかったのだ。堅く軋む窓を渾身の力であける。しばらく風を浴びていると後ろから茶色の腕が伸びてきて閉めてしまう。此処の人達は風に当たるのを極端に嫌う。
 マスック・アンギン(風邪)はとにかく万病の元らしく、粋なバイクを飛ばすお兄ちゃんも、皮ジャンを後ろ前に着て防寒に万全を期している。不幸風が体内に入り込むと、身体に油を塗ってコインで擦って追い出す。体中赤いこすり傷に覆われるがそれで治る。
 ウイルスも力まかせのこすりには抵抗できないらしく絞り出されてしまう。

 はるかに広がる稲田クラワン、チカンペックをかすめ山裾にかかる。
 この付近は独立戦争の時は若い看護婦までが銃を取って植民地軍と戦って死んだ。オランダが白旗を掲げて降伏したのはスバンだったか、歴史を思い出させない現実的テクニックのフォンダ氏は、昼少し前には俺をバンドン南のクボンクラパターミナルに運んでくれた。物売りにどっとばかり囲まれる。ここで怯んでは駄目だ。バッグを両腕で抱きしめて小刻みに移動して包囲網を突破する。新聞、ピーナッツ、マンガ(果物)煙草、ハンカチ、安時計、茹卵、福音書、ビニール玩具、雑誌、乞食、寄付、ブロマイド、ボールペン、不可解な物、なぜか重い壷や馬像を担ぐ勤勉家もいるが売れるのだろうか。

 教訓: 旅は小人数がいい、出来たらひとりに限る。大勢だとグループの垣根が出来て外界との接触がなくなる。制約ができるし気もつかう。自家用車も最悪で鉄の箱になる。
 なるべく持ち物を少なくして、カメラは忘れても水筒と小型ライト、コンパスは役立つ。地図とか事前の調査も旅の内容を倍加させる。蚊取り線香もお忘れなく。

 北に伝説で名高いタンクバンプラフ山が聳えるから、街はそっちに向かって傾斜している。横切って鉄道が走るので位置を掴み易い。
餃子の美味しい店があると本にあったので探す。四回ばかり尋ねてサントンとゆう食堂はすぐわかった。
 細目の歌手五木ひろし君と呼んでもいい給仕に注文するのだが埒があかない。
 ギョーザとは中国語ではない日本語と知る。鮫の子か。
 「ギョウスウ? コンチイ? コウツウ?」 「???」
 まるっきり要領を得ないからテーブルのテイッシュを丸めて口に入れてにっこりする。
 ひろし君もにっこり笑ってから煙草を持ってきた。余計にすきっ腹が鳴ってくる。
 しょうがないからメニュウを中にして慎重に協議して、山東特別蒸がそれらしくKotiye Kucai Rubusとゆう。じゃあソレ。十八個食べる。
 ある英国人がアラウンド バンドウンだったか、バンドウン アンド ビヨンドか忘れたが、この付近のホットスプリング(温泉)をくまなく歩いて64個所を書いた私版本がある。
 イギリス人はアジアではいろいろやってくれたが好奇心はピカイチだ。この周辺は火山の巣だから湯の湧くだけなら数えられない程あるだろうが、風呂の習慣がないこの地では余り価値はない。
 その出版社を探して乗合いを乗り継いで北に向かうが車掌に聞いても乗客に聞いてもにこやかに笑うか、あそこと言われても信じられない。スンダ語は難しくCicaheumなど私には発音不能だから諦らめるよりしょうがない。Lembangが Renban、CiaterがChiatulに聞こえたりするそうだ。こっちの人達もいい加減で、知ってるとゆうからタクシイに乗ったらけっこう走り回ってから立ち往生、わからないが遠いとゆうからバスに乗ったら一分もしないで窓から看板が見え行き過ぎてしまい高原街でも暑さがこたえた。その頃になれば俺の耳も慣れてきてCicaheumもただチャエンと言って通じるようになった。
 しょうがないから本屋を探す。この国は大都市でも本屋は数軒しかないが、偶然ちょっとした店構え。可愛い店員。バンドンはゲイジュツとキョーヨーの町とは聞いていたが。
 「バンドウンの地図を探しているのだが」「ハイーッ、ありますとも!」さすがあ!
 しばらく待って持ってきてくれたのは広大なインドネシア共和国全図。
 「あのう、これって大き過ぎない?」
 「あるじゃないのヨ、バンドウンが!」 バンドンは小さいジャワ島の左に二重丸の点で、確かに描かれていた。

 日が暮れるまでに山の温泉にゆくことにして西のターミナル、チャエンからガルートに向かう。幹線を外れるとバスの程度も乗客もローカル色が濃くなる。本当をいえば質が落ちる。一時間ばかり走ってグイッとばかりに右折したので、窓枠に頭をぶつける。
 それから私は両足両手を踏ん張って遠心力に耐えることにした。そうしてまた一時間、偶然私の降りる村の標識が後ろに飛んだので「キリッ、左!」急停車。会話本にある止まるブルンテイと言ってもまあ止まっては呉れない。何故かしらないがそうだ。
 彼等は頼んだ事をすぐ忘れる。真剣に聞いていないのか。今日はたまたま私の勝ちだが、この前の旅では降りる部落を車掌に頼んで眠ってしまったばっかりに、はるか遠くまで連れてゆかれ「頼んでおいたじゃないか」とむくれたら「よく眠っていたので起こすのは悪いと思って、、」。夜道をひとり引き返した事がある。
 タロゴンとゆうそこで道端のドカル(馬車)に乗ってチパナス(熱川)へ。チパナスはけっこうどこにもある地名だ。温泉が湧けばそう呼ぶのかもしれない。
 正面に荒々しい噴火流を見せてグントール山が夕日を遮って聳える。湯元に登るにつれて水量豊富なのか池や沼が点在し、それに椰子の梢が影を落とし風情がある。

 チパナス温泉は広場を囲んで閑散としていた。
 突っ立て居ると、客引き以外の職業を探した方がいいような天然痘後遺症を顔中に残した軽石君が近づいてきて、「向かいは高いよ、ついてきな、女もとびきりだよ」
 客商売ならもう少し出入りの路地くらいちゃんとしたらいいのに、部落の裏手から流れ出た清水が溢れて、細心の注意をしない限り右手の崖下に転落だ。木橋も二本渡してあるだけで渡りようがない。敵襲に備えてでもいるのか。滑りやすい坂をやっと登る。
 彼等は毎日ここを登ったり降りたりしているだろうに、直そうとしないのはどんな文化なのだろう。
 民宿のようなロスメン(旅篭)で、部屋に続いて4メートル四方の何の変哲も無いコンクリの浴槽、いい値段だったが、湯水のきれいさもあり値引戦争は割愛して風呂に飛び込む。ぬるい湯だ。
 「冷えたビール!」「チダアダ=ない」
 「氷!」「ハビス=品切れ」
 「冷蔵庫のやつでもいい!」
 「クルカス持っていないんで。旦那熱い湯に入って、何で冷たい氷が要るんです?」
 オマエ、質問より客商売だろ。もうちょっと客のリクエストに応えろよ。
 湯舟の中で腕の黒さと脚の白さを比べて、これが俺のこの国での年期かと感慨に耽っていたらぱっつと停電。これじゃあクルカス持ってても役にはたたない。
 一点、灯りが揺らめいて、妖怪がヌウッと現われ私は腰が抜けるところだった。
 軽石君が蝋燭のほの暗い陰からにたーっと薄笑いを浮かべ、それが合図でもあるのかどっとばかりの驟雨となった。屋根を叩く雨音で何も聞こえず何も話せず、湯舟の樋から冷たい雨水が滝のように溢れでて温度低下、私は温泉宿に泊ってウインドブレーカーを着て震えているハメになってしまった。バックからスケットルをだしウイスキーを手探りで飲んだが、真っ暗闇だと奇妙に味がしない。
 軽石君が気を利かして暖まった缶ビールにストローを添えてのサービスはいいが、「飯!」と言ったら飯も女もこの雨じゃあ出前はしないと引導を渡された。二日はもつと用意した気付け薬もそれこそハビスだ。

 腹が空いているからかふっと目が醒めると、部屋の裏手で途方もない声が連続して聞こえる。何だろうと思う前に煩いのに腹がたつ。箒で壁をどやしつけても鳴き止まないで
 余計に大きくなるようだ。ウオーッ!、ウオーッ!、ウオーッ!
 黴臭い毛布を頭からかぶって眠る工夫をするが駄目だ。とてもそんな小手先で消えるような声ではない。結局明け方まで吠え続けていたのは一体何なのだ。
 「ゆうべはぜんぜん眠れなかった!」
 「女がいなかったからでしょ」
 「Mampus Loh=ばか野郎!裏で吠える声でだ。宿賃払わんから!ありゃトカゲか」
 「蛙でしょ」 「嘘つけ、ならそれ持ってこい!」
 「食べるんですか、旦那は日本人だとばかり思ってました」
 藁で縛った巨大な蛙には刺まで生えていた。支那人でも喰いたくなくなる姿だった。
 三度目の風呂に入り、それだけは及第点のコーヒーを啜ると少しは人心地がついた。

 教訓: インドネシアのいい事は、どんなに辺鄙なところに行ってもコーヒーがある。
 そしてその味は値段に反比例する。鼠が駆け回るようなワルン(飯屋)で至福のアロマに出会ったり4スターホテルがネスカッフェで値段が十倍だったり。

 バンドンに帰り着き今度は山にはいるべく北のレダンターミナルに行く。途中籠を頭に載せた女から焼きクタン(焚き餅米)を買う。朝飯抜きだけではなく、こいつはいける。
 邦貨にして十円では安過ぎて労働を正当に評価していない気がして倍呉れてやった。
 それでも二十円だが。
 スバン直通だとゆうバスはチアトールの温泉を通るはずなので、口直し温泉としゃれた。
 失敗した。まだ発車してもいないのに隣の農夫夫婦が身を捩って窓をあけようとしている。そんな女の力であくような窓などない。タイムアップになり俺の横にゲーッと吐いてしまった。普段吸っている空気のレシピが違うのだろう。身体の割には量が多くて私が差し出す新聞紙でも間に合わない。横坐りした尻でぐいぐい押されて逃げ場もない。
 バスはお構い無しに急カーブの峠道を登ってゆく。唾の混じった水がそのたびに移動するから、そっと靴を浮かせる。
 タンクバンプラフの裾野には広大な茶畑が広がり霧が湧く。これがいい茶にはかかせないといわれる。くねくねと続く山道の行く手、夫人の胃も空になった頃にサルファの臭いが漂ってきて、投資したらしい温泉場があって入場料を払わされた。チアトール遊園地って感じで湯気がでるプールがあった。折りからの雨に顔だけうたれて湯水に浸かるのもオツなものだが、持ってこさせたコーヒーは教訓通りだったので、「こんなうまいのは初めてだ。ジャゴン(とうもろこし)でもコーヒー以上の味だよ」と嫌みを残して別を探す事にする。
 急坂の突き当たりに小さい西洋館がありロスメン・サテイガ。私には似合いだ。
 「泊めてくれるかね」、「一万五千で、日本のかた」 
 「日本でもチナでもそれはないで。通りのワルンで聞いてきたんだ、五千が相場じゃないのかね」嘘を言ったら悪びれもしないで半値にした。コーヒーはうまいし只だった。
 霧の濃い道をまた下って街道のワルンで牛の尻尾スープで飯。それしかないとゆうからしょうがない。汁かけ飯の要領で詰め込む。ソトブントウットとゆうのだが、赤坂じゃあオックステイルスープって五千円はとられる高級料理。ものは使いよう言いようだ。
 鼻を摘ままれてもわからない闇の中そろそろと宿に帰り、いい按摩はどうですとゆうので呼ぶ。てっきり各種のマッサージをする人だと思っていたら、来たのは盲の爺様だった。盲なら外が闇でも関係ない。八十四歳でと声を立てないで笑ってから、薄気味悪いような柔らかい手で足首だけでも半時間かけて揉む。背中に柔らかい手が移る頃、「あたしが四十二歳の時、この街道を旦那と同じ日本の兵隊が攻めてきましてな、、屯所を前の製茶場に造って、あたし等も徴発されたんでがす」
 按摩の手はちょうど俺の首筋に移っていた。
 「そりゃあ、あなた、ひどいもんだったス。遊園地の記念塔の大砲の土の下には、ぎょうさんクーリーが埋められたもんで。銃で殴られて眼が潰れて、いまの稼業でサ」
 俺に責任がないとはいっても、思わず身体が強張った。按摩は敏感にそれを感じたのか、
 「埋められるよりはね。兵隊はブランダだって何処だって、みんな同じことだす。この国の奴だって。そんな時代だったんでサ」
 逃れられない命令だけで、見ず知らずの暗い坂道を登ってゆく若い兵士。忽然と湧くように表れたカーキ色軍団を怖々見詰める村人。湯の滝だけがいまも変わらない。
 もうこの時間では茶摘み娘と平和を語るには遅すぎる。でウイスキーの瓶は遂に空になった。

 パッサル(市場)のぬかるみ広場に立ち、焼きおむすびを頬ばりながら、ふと、悪戯心がおこりそれを試す事にして、私は石垣にもたれて地図を読むふりをした。
 少し待つと男共が寄ってきて「Tuan mau cari apa? =なにしてるんだい」
 「ーーー」俺は喋れない風をして、手まねでチサルアの滝を表現した。どこまで通じるかの実験だ。ぼつぼつ人だかりがして、ああでもないこうでもないと評定を重ねている。お互いにヒマなのだ。
 「タキ、タキ!」と叫んで水が降ってくるサマを身体で表現した。
 男達は理解して、俺をこれ以上汚れようがないような公衆便所に案内してくれた。チサルアの滝はそんなに小さい滝なのか。

 ミニバスの溜りに行き先が書いてあったので250ルピアを払って客になる。簡単なようだが、五千ルピアの釣りがないと言われて、あっちこっち両替するのに三十分もかかってしまった。庶民は赤札百単位で暮らしているのだ。外人は青色万札、赤でなければ本当のインドネシアはわからない。
 小一時間、橋の袂で降ろされて指差す方へ歩く。
 渓流の上流に目当ての滝があるのだろう。なんの標識も看板もない小道を辿り、流れを渉ると、V字形をした緑の崖の上から水らしいものが落ちている。いまは雨季なのにさっきの小便ほどの滝だから、まんざら私のボデイアクションも的外れではなかったようだ。
 本流は別の場所かもしれない。耳をすませても音もしない。梢をわたる風の音だけだ。
 そこだけつむじ風のように木々が揺れている。風か?いや果物が実っているのか。
 猿の一群がいる。中の大きくて白っぽい大将がじっと私を見ている。眼と眼が合った。
 貫禄負けしないように意識させる程、対等の仕切りが続いた。
 100ミリ のアングルをとる為少し後ろに下がろうと振り向くと、いつのまにか数匹の斥候が至近距離で俺を監視している。左の崖にも三匹が、斜め後ろにも数匹のコマンドが命令一下いつでも火蓋を切れる体勢なのが眼でわかった。動物園で見る仲間とは全然違う集団だ。可愛いなんて。気味が悪くなって後ずさりすると、奴等は鶴翼の構えを崩さず一緒に移動してくる。たくさんの眼が一緒に動く。
 「なにもしてないじゃあないか。オレはカンコーだ」手を振りながら駆け出していた。
 私の負けかなあ。

 アスファルト通りにでて満載のミニバスが来るのを止める。
 さて発進しようにも俺みたいに後ずさりして進めない。半分降りて押し、惰力をつけて飛び乗る。ミツビシ・コルトは耐久試験をこんな処でも実施しているらしい。
 私は男だから最後にピラーに掴まってステップに靴半分掛けて反動で身体を支持する。
 強靭な背筋の中腰でバランスを取らないとバスには乗れない。250ルピア払ったが、スタート係りでこっちが倍貰いたい位だ。
 「チサルアの町は何処かね?」「此処だよ」
 「なにもないじゃないか」
 「Mau memuju kemana? 何処が望みか」「シトウレンバンて知ってるか」
 「トラガ湖だろ。コルトはないぜ。チャーターするかい?」
 「ブラペ?いくら」「そうさな、遠いし、道もひでえから二万てとこだ」
 値踏みするように私を下から上にみあげてからそう言った。
 「お前のコルトに何人乗れる、せいぜい十人、それで四千、ガス20`で千、損料千、しめて六千てとこだ。二万ならイリアンまで行ける。考えナ」
 溜まり場の奥に赤い野球帽をかぶった胴元がいて、鋭い視線を送っての品定めだ。二万で押せとの指示。「日本カネモチヨ」と指示しているのだ。
 「Jangan mainkan aja, Bagai orang Jepangpun ada macam deh!=甘えんじゃねえ、日本だって色々あらあな」「ほんじゃ、止めときナ。歩けばええ」
 私は一万がどれほどの大金か知っている。換算率で千円以下だと計算したらルピアに対して失礼だ。簡単に稼げる金ではない。
 ワルンの横の切り株に腰を落として、おもむろにマルボロに火をつけ長期戦の構えとなった。くだらない噺をしたり、茶を所望したりして45分、駄目かなと思ったところへ後ろの陰から縮れ毛の兄ちゃんが小声で、「Matinya Berapa? 言い値はいくら」
 「変わらん、六千!」
 「ひでえ道なんだぜ、それに化け物が出るかもしれんし、、」
 私は立ち上がって危うく二枚だしそうになった。怪物ネッシーなら二万でも安い。
 パンガレンガンの湖にはそんな噂がしょっちゅうだが、ここにもでるのか?!
 「七千で決めナ。ベンジン(燃料)買ってきな、チップははずむで」

 よりにもよって、縮れ毛のコルトは溜まり場でも最低で、ここまで使えば三菱から賞状が出よう。ガソリン臭が充満するなか、クレテック(煙草)を咥えて「マッチある?」頭は確かか。
 顎をしゃくると、押し屋が後ろに飛び乗り、バタバタ音を響かせてサファリの開始。
 もう凄まじい悪路が始まり、彼等の噺も全部が嘘でもない。ドアを備え付けの紐で堅く縛るから転倒しても自力脱出の道は閉ざされた。
 ひとつ峠を越えると高度差で耳がツンとなる。支那人のシンコン畑を横切ると尾根筋から溢れ出た雨水が道に溢れ、ざわざわとかき分けて進む。エンコは必ず最悪の状態で起る。ぶすぶす、ぷすんと止まってしまった。
 「ブレンセク=畜生!あのバタック野郎、石油混ぜやがった」「水じゃないの?」
 私は資本家だから足をダッシュボードに持ち上げて濡れないよう配慮する権利がある。三人で脱出を計って押しているがあの筋力じゃ無理だ。しあない、ブーツに冷たい水が侵入した。力一杯の労働で気が付かないうちに霧が湧き視界ゼロ。
 「大丈夫か」「まあ、行くだけ行ってみるさ。一万でいいんだろ?」
 「Berani dong! いい根性だ。霧が出ればソイツも出易いと違うか」「その話しはすんな!」
 「一万でいいぜ、そいつに会えれば!」「滅相も無い。俺は止めたぜ!」
 Uターンしたくてもこの道じゃあ出来ない。縮れっ毛の恐い横顔を見て、本当にいるかもしれないと感じた。霧が巻き込むなかを探るようにして進む。
 「ここまでだ」真っ白い視界の中で何が何やらわからない。
 「シトウレンバンか?」「この先、晴れれば水面が見える」
 「しょうがねえなあ、これじゃあ」
 「あんまり行きてえツラしてんで、請けたまでさ。日本人好きだからよ」
 「帰るか?」白い視界の中で、じっとりと湿気を吸い込んだシャツが寒い。
 「ちょい待ち」巻きあがった霧の間から黒い倒木が表れて消え、足元からすうっつと、低い湖面が。小波ひとつなく、藍黒く沈んでいた。「寒いな」
 中州のようなものが横たわり、さして遠くない対岸が霞む。谷筋に雲が回転しながら降りてきて、魔法使いの婆様が裳裾を払うように、俺達は再び白い世界にいた。
 開拓村でチナ人二人が便乗して坂道を下る。幽界から抜け出るように下界が俯瞰され、縮れっ毛はもう青色札がちらついたのか鼻歌交じり。
 「でなかったな」
 「どでかい奴をみたのは一人や二人じゃあねえんで、なあ!」と便乗組に振り向く。
 「でかい流木だったのじゃあないのか?」
 「丸木が吠えるかね?!」

 靴の中のシトウレンバンの水を捨て、チマヒまで下ってから焼き鳥にビール。
 バスはひとりなら何処で手を挙げても乗せてくれるし席もある。豪雨になった街道をスカブミまで運んでくれた。心地よい軽い疲れとビール。
 丸木が吠えるかなあ。私は曇ったガラス窓をこすった。
 ノンストップバスは怪獣の夢をみながら眠ってしまった私を、安全かつ高速でホンモノの妖怪跋扈する喧騒の首都ジャカルタに運んでくれた。

第28話 終
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作成 2018/09/03

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