慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第27話 Binneka Tunggal Ika
 ビネカ・トウンガル・イカとはMany are one と訳され、「多様性での調和」がインドネシアの国是です。多民族国家を纏める強い意志は、それまで植民地宗主国オランダの政略で、故意に地域分離政策をとってきたものをSatu Nusa, Satu Bangsa, Satu Bahasa ひとつの国ひとつの民族、ひとつの言葉の合い言葉で近代国家を歩みはじめたのが1945年の独立でした。

 東西文化のクロスロードの地理的影響はこの列島に多彩な姿を残してきましたから、人々の暮らしにも反映して、この多彩絢爛さが多様性での調和と言わなくてはならないような片寄りを生みました。
 国土の一割にも満たないジャワに全人口の七割が犇めき密度は世界第一なのに、パプアイリアンでは一平方`に三人、僅か100`の間に文法発音が全く異なるフォーレ語からツダ語の六つの言語域を通過しなければなりません。

 総人口の三%しかの華人系が市場の九割を押さえ、そのまた九割の経済が首都ジャカルタに集中するのはやはり尋常ではありません。
これらは'多様性'の極く一部の象徴的な現象です。一見同じサロン(腰布)をつけ同じ気候の中で暮らす人々でも、依って来たる地域性は顕著で、この国の持つ難題ですが、またその多様性が類い希な魅力と可能性を秘めているとも申せます。

人々
 稲も年三回も収穫できるのは、この列島が環太平洋の火山列島で地味肥え、豊かな自然があるから<1>で、地球で最も暮らしやすい地域だといわれています。<2>
 人々も温厚で優しく、初めてジャワに来航したオランダ人ハウトマンの第一報には、「このような友好的な住民を知らない」と記されているほどです。 

 旅行者にとってのインドネシアの印象はその最大種族であるこのジャワ人に集約されるのは当然でしょう。
 小柄な身体は赤褐色で黒髪直毛、優雅な身のこなし、控えめで礼儀正しく、言葉を選び相手を傷つけないよう細心の注意を払っているようです。それも長い強固な封建王国のもとで華麗な文化を築いてきた遺産でしょう。
 観光客がバリに魅せられるのも風物や芸能だけでなく、この洗練された対人関係のなかでの或る種の閉塞感が、昔の日本の農村社会の安寧を想い起こさせるからではないでしょうか。
 しかしインドネシアは「多様性」の国ですから、すべてがジャワ文化を継承しているとは申せません。

 人の心は地勢、歴史、宗教、習慣で異なるのは当然ですから、先刻も申した物指しを代えなければならないでしょう。「日本と較べて」とか、「私達とは違う」などと考えていては何も始まりません。
 この間の「理解度」は閉鎖的日本人にはやや苦手で、自分の枠に押し当てる傾向が強いように見受けられますが<3> 、こうゆう考え方もあるのだと興味を持つのが先決でしょう。暮らしの元ともなる日々の判断や観念、心の動きは印で押したような解説は出来ません。 <4>

 C.de Houtman: (1565?〜99) 第一回オランダ東インド会社(V.O.C)遠征船団の事実上の司令官。喜望峰経由でジャワへの航路を発見してVOCの植民地支配が加速した。 ゼーラント州船隊のアチェ侵攻時の奇襲で戦死。

人類、人種、民族、種族
 人類はアフリカ大渓谷を旅立ってからずっと一種ですからその後の環境適応で皮膚の色や容貌が変わっても繁殖が出来ます。
 人種は大まかにネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドに分けられます。
 民族とは今では国家を背景にした政治色が強く反映しているようです。
 日本人はこれまで日本民族=日本国=日本語で誰も異論がありませんでした。
 しかし本来、日本民族と称してもモンゴロイド亜種でこれまで幾多の混血を繰り返してきました。北方大陸系と南方島嶼系、先住と謂われるアイヌなども含まれますが国家が完成してから日本民族と区分されるようになっただけです。
 移民大国アメリカも、アメリカ人種は存在せず、国家に忠誠を尽くし市民権保持者がアメリカ人とゆうだけです。ワスプと呼ばれる最初に移民した英国系アングロサクソン・プロテスタントが純アメリカ人だとゆう集団もいましたが、今ではカリフォルニアロスアンジェルスでは遂に白人よりヒスパニク、華人など有色人口が凌駕しました。近い将来スポーツで活躍するような白黒混血人がアメリカをリードしアメリカ新人種として確定するやもしれません。
 現代完璧な純血種族は、孤立した小島で一万年暮らしてきた五千人ほどのタスマニア人でしたが1876年に最後の女性が死亡して絶滅してしまいました。

 インドネシアはモンゴリア亜種のマレー人種で、民族としては独立後インドネシア人となりましたがまだ日が浅く、よそゆき的な感覚で、まだあくまで種族単位のアチェ人、ブギス、スンダ人との意識が強いようです。ちょうど日本の藩制度時代を彷彿とさせ、南部、会津、京、長州、薩摩人のように。
 種族の差違は容貌だけでなく姓名、言語で明瞭に判別できます。
 インドネシアにはマレー系人種のほかにプロトマレー系(バタック、トラジャ族等)、ネグリート系、オーストロイド系、パプア系などに大別されていますが種族毎の人口統計は記録されていません。 <5>

言葉
 長い鎖国の後遺症か私達は外国語アレルギーがあるようです。
 それにしても英語国際試験で日本は常時最低水準、大使も教授も社長も外国語は苦手なようです。
 「あの方パリがお長かったので、フランス語ペラペラなんですって!」
 英語や仏語が喋れるといわれもなく何故かハイクラス、知的優越があるかのような雰囲気があります。
 当たり前のことでも英語フランス語となるとスワヒリ語やハングルより上位なのはまことに奇妙ですが現実で、これは文明開化で猫も杓子も舶来崇拝の後遺症なのでしょう。
 外国旅行に行く時には必ず「言葉は?」が話題になる日本です。
 当然の事を難事としてあれこれ思い悩む姿は滑稽です。本屋に外国と付き合う法とか外国語習得術とかの出版物が溢れているのも何か特別な覚悟を求めているように感じますが、これも地理的歴史的に他民族の干渉を受けず孤立してきた特殊環境で致し方ありませんが、世界がグローバル化して半世紀、外国語が特別なものではなく、只の方言程度の気楽な対応が望まれます。

 インドネシア語はご承知のようにマラッカ海峡周辺で生まれたムラユ語(マレー語)で、東方多地域の多言語種族と交易する上で発達した言語と謂われています。
 南方民族独特の明瞭で美しい発音と交易語独自の柔軟性で広く用いられるようになり、マレー語が祖語の言語は、西はマダガスカルから北はフィリピン・タガログ語、東はマウイポリネシアまで広大な地域をカバーして世界言語の五指に入る程です<6>。詳しくは「インドネシア語」を見て下さい。

神さま −身近なイスラム圏−
 インドネシア共和国の国憲の最初にPanca Sila(建国5原則)が恭しく記されています。その第一行が「神への帰依」です。
 私達の多くはいつの頃からか神仏崇拝は理性で判断するように変わりました。
 神様と仏様が同居するのも奇妙な精神構造ですが、「キリスト教と仏教とどっちがいい?」といった論争も異常です。宗教は決めるものではなく、決まっている感覚が私達には無いからです。
 いずれにしてもこの国は信仰のない人に居所はありません。国憲ですから。

 この国を訪れて真っ先に対面するのがイスラム教の洗礼でしょう。
 日本はとにかく海外から文化を吸収して成長してきました。遣唐使から種子島鉄砲、文明開化。その時代日本が師と仰いだお隣り中国にも西方地域のみならずイスラム教は一定の力を持っていたのに、なぜ世界三大宗教のイスラム教が日本に到達しなかったのでしょうか。
 だから私達にはこの宗教への免疫(知識)がないようで、どうにも対処出来ず敬遠したり、ひどい場合は砂漠の「遅れた宗教」と毛嫌いする人すらいます。
 インドネシア人の九割はイスラム教徒で、世界最大の教徒数ですから好き嫌い以前にあるがままの対応を持たない限りこの国に住めないばかりか理解も出来ないでしょう。
 幸いインドネシアは一般的には親日感が近隣随一で、宗教忌諱もその国民性から寛容さがあります。いい機会だから我々にはこの未知なる思想を学び取るくらいの気構えが大切ではないでしょうか。 <7>

ホモモビリタス 移動する猿
 私達人類は学術上ホモサピエンス(聡明な人)と規定されています。
 過去を眺めると、とても聡明な歩みではなかったようですが、それは措くとして、或る学者はモビリタス(移動好きな)と言いました。
 確かに人科はどのような理由があったにしろ移動し順応することで地球全体に拡汎してしまったのは事実です。
 特に牡(男性)は山の彼方、水平線の向こうに希望を託すようで、まだ見ぬ未知の世界に憧れるようです。
 それ程まででなくても、このページにも旅の項、移動手段である乗り物の少しを加えてみました。これはあくまでも個人的趣味的な項目です。
 「ダブルカヌーへの誘い」風に吹かれて」他
【Up主の註】
<1> 三期作の稲作が可能なのは土壌によるものではなく、灌漑用水の利用が可能かどうかによる。
<2> インドシナ半島では3〜5月にはモンスーン気候で気温が40度を超す日が何日も続くので、インドネシアの方が暮らしやすいのは確かです。
<3> 国際化に慣れていない人は、日本人のみならずどこの人でも同じように考えるものです。
<4> 「処変われば」第7〜9話参照
<5> 1970年代の統計資料には種族別の統計が載っていたが1980年代になってから掲載されなくなった。
<6> インドネシアとの交易で古代から親しかった「チャンパ王国=占城」の末裔が話すチャム語は言語的にはインドネシア語に近いのですが、話は全く通じません。この人たちは現在ベトナムとカンボジアに住んでいて、ほとんどがシャフィー派のムスリムです。
<7> 「処変われば」第17〜19話参照

第27話 終
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作成 2018/09/02

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