慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第26話 日本商人
 第二次大戦での日本の最大標的はインドネシアの資源確保にあった。
 フィリピンやタイに資源はなく戦術的価値だけで、大陸は経緯上多くの齟齬があったが、インドネシアは白紙の宝の山で戦略上でも重要な位置にあった。
 それは時代が変転しても連綿として続き、総額二億2千3百万円の戦後賠償、四億ドルの経済援助借款、債権一億七千万ドル余の放棄、技術供与どれをとってもこの国に対する日本の協力は群を抜く。明白な官公主導の関与で、それに大企業が密集してのキャッチボール体勢が不愉快な疑獄事件にまでなった。いまの金権と汚職腐敗世情はこの時代に日本が教えたと言われもする。いくら出しても一回りする間にみんながニコニコ出来るからだ。
 1971年海外投資解禁となるや賠償で培った人脈を使って、待っていましたとばかり上場企業の殆どすべてが参加した。顧客は権力者と少数の傀儡だから攻めるのも楽だ。何でもいいから案件を作ったあとは実弾の額で決まった。

オランダの悪業
 インドネシアの資源は長い間オランダが搾取してきた。オランダは他国とは違い植民地経営の教育や工業育成などに何の関心もなく、ただ儲けに腐心したから人々は近代化に取り残さる悲劇だけが残った。オランダは現地人を家畜以下で捉えて、外来人の華人やよくてもマナド、アンボン人を中間管理人で使った。オランダの文化が根づかず半世紀もしないで氷解し、混血が少ないのも彼等が人間と認めていなかったのかもしれない。イギリス植民地にくらべても現地の人々の基本的遅れが指摘されるのもそれが原因だ。

 独立は果たしたが国政・経済・工業の知識は無く、あるものは民族自決の誇りだけだった。人間扱いもされず虐げられ命まで狙われた人が権力の座に納まったのだ。
 ムルデカ(独立)の名のもとでは何でも出来た。賠償金は莫大で不労所得、華人が見逃すわけはなく、日本企業は資金還流の為には言いなりにあらゆるもの、女性まで献上した。この体質がその後のインドネシア経済の基盤となった。開発の父と呼ばせたスハルトになって加速し、「指導される民主主義」と言う意味不明の指導で、官がすべてを管理し、過去のオランダ行政機構の悪癖を継承して役人の制服行政が横行する。政令許認可は都合のいいように朝令暮改、最もコストパフォーマンス(賄賂汚職)の国と軽蔑されたが、金で済むほど楽なことはない。莫大な資源と潜在消費がある商権は是が非でも確保しなければとゆう思惑が渦巻いた。
 数人のチュクン(政商)が経済の実権の殆どを掌握し、結託した許認可で役人が「指導」し、軍人が名目役員になり受け皿の華人と合弁企業を設立し、兵隊・警官が安全操業を守り競争相手を潰した。インドネシアはスハルト王国でそれ以外に立つすべはなかったから、個人や私企業の成功はおぼつかない。事実外資枠は下限があり、小資本で正規な事業は起こせなかった。それでも参画したい者は、ダミー会社を作った。
 利益が挙がる頃、パートナーは法律をたてに外人の追い立てを図る。多くの善意の日本人がこれで資産を失った。

ドーナッツ構造
 そもそもインドネシアには零細地場産業の外これとおぼしき産業はないといっても過言ではない。彼等の能力ではなく諦めと差別を齎したオランダ圧政の為である。
 国家予算は国営資源と外国援助で税収ではない。所得徴税する事業体が僅少、給与所得者がいないからである。
 ついこの間まで、給与所得者といえば役人と書記に運転手だけといって過言でなかった。
 いわゆる中小企業もその資本蓄積も技術もない。工夫も競争すらないといっていい。
 国の富を支える中小企業の姿はない。下請け工業もない。日本企業は単に低級でも単純労働に耐える低賃金労働力、政府間契約の基幹プロジェクト、取り外れのない援助資金、期間限定の技術協力だけに興味があった。資金は砂漠の砂のように四散したようだ。<1>

日本側の非だけではなく現地にも病根がある。
 貧富の格差は偏見を生み、その二重構造は地位ある者を高慢にし、教育ある者は選民意識が強くなって、事業を共に創るのではなく、使う人使われる者とにはっきり分かれる。
 大学を出ただけで現場を嫌い、労働者の勤労意欲は弱く猜疑心と自己保身に汲々とする悪循環が生れる。産業が未発達だから定時所得を得るチャンスは非常に少ない。役人公務員が幅を利かす。親戚縁者の中で成功者(給与所得者)が出れば、半失業状態の親族が寄食する。親族の面倒を見なければ男の価値はないから、給与外の実入りを探し汚職は常套、否、地位の証明にもなる。組織自体がそれを放任している。役人は給料の十数倍が出所不明の実入りで賄われる。
 スハルト翼賛政党維持の為必要以上の公務員を雇用したから尚更この悪癖が蔓延した。
 国営企業の汚職が発覚しても大臣も絡んでいるからうやむやで終る。
 三井コスゴロの鳴り物入りでの巨大投資農業プランテーションもアサハン・アルミ、クラカトア製鉄などなど多くのプロジェクトは不正と非能率で破綻した<2>。私企業でも日産自動車、スバルも現地合弁相手の選択ミスで失敗、撤退を余儀なくされた。
 スハルトの息のかかったチュコンでなければならず、日本企業五十社以上がたった一人のリムサリム社と合弁する異常さだった。合弁会社の設立も定められた工業団地に限定されたのは、造成がチュコンの手になるものだからだ。
 それでも進出願望が強いのは、会社は何も損をせず、国が欠損を被るだけだからだ。
 社員すら構造的な終身雇用で勤務期間は金融銀行で二年、製造業で三年ほど、極く僅かに五年もいれば変人扱いされる日本人では身が入らずお勤めを大過なく過ごせればいい。
 経済を握る華人社会は常時弾圧と暴力の不安を持っているから、その場限りの利益に走る。明日はわからないから無理も無いともいえよう。商人に最も大切な暖簾を大切にする信用などはじめからない。相互不信社会で成り立っている筋金入りだ。<3>
 最近まで信用手形決済とか割賦販売とかアフターサービスなど遠い世界の事だったし、高利の借入金利をみてもこの国に信用欠落がわかろう。

 80年代に入って以来、華人はいつでも逃避出来る事業にしか投資しなかったものが不動産に進出したのは、スハルト王国安泰を確信したからだろうが土地の買い占め、野心に燃えた日本投資家が訪イし事業を目論み、大企業の所長部長クラスが独立して起業し、ビルとゆうビルに日本レストランが軒を連ね、ゴルフ場は往時の十倍にもなった。バブル景気は頂点に達した。
 大企業は資本があり事業遅延にもパニックにも待つ事が出来る。人事の交代も出来る。
 個人企業はそうは行かない。待てないのだ。あと数ヶ月辛抱すれば花が咲くのに、みすみすそれを待てず崩壊した事業家が余りに多い。許認可にはじまり信じられないような問題が噴出するからだ。非能率、虚偽、怠慢、無責任、横暴、自然災害。もともとこのマーケットは地下資源、電力発電、ダム道路、石油化学、開発など国家間プロジェクトで、小資本では対応出来ないのではないかとも考えたりした。
 失敗した人は声を大にしてこの国を誹謗する。成功した人は決して多くを語らない。
 それでもなおインドネシアは魅力ある市場なのは何故なのか。

民活
 三十四年もの長いスハルト金権ファミリイ王国が破綻して、パンドラの箱が開いてしまったインドネシアは、今どうしてよいか分からず岐路に立たされている。独立以来専制君主制と変わらない独裁で「指導され」なければ何も出来ない体質から脱却できないようだ。浅知恵の男達は付和雷同、百家迷走状態で、国としての一体感も指針もないところへ、外国からの取ってつけたような理想論が正義として闊歩する混乱状態だ。
 新しい再生インドネシアは二度の国家主導の利権国家と決別できるのだろうか。
 汚職は文化とまでいわれたこの国だ。掛け声と理想論だけでは到底おぼつかない実状なのが悲しい。その日の食にも窮している大多数の住民に民主化や人権と申してもインパクトはない。悪徳華人や強権軍人などが札束で買える土壌が広がっている。多くの暴動や衝突も外国メデイアには宗教対立とか人種偏見、地方弾圧と書かれているが、大半は極小パイの奪い合いや利権奪取の為のプロの策動に踊らされた無教育者の騒乱だ。人間の価値は驚くほど低いのが実状なのだ。

 現在の経済活動の解説は不可能だ。目まぐるしく許認可事項が変わり昨年の資料は役にたたない。所轄官庁も日和見で言質を与えない保身一点張りだからだ。
 為替もどこに落ち着くのか、銀行金利はどうか、何よりも購買力が底をついていて何時回復するのかさえ定かではない。人心もたしかに荒れている。国軍の動静も不透明だ。
 そんな現地に極く薄い陽が射しはじめている。民活とゆう地域活性化だ。
 小資本でこの巨大伏魔殿に対応するにはどうすべきか。伏魔殿を竜宮城に代えミユチュアル・ベネフィット(相互利益)を得る為にはどういった方策が必要か。
 それに応えられなければ百千の現状批判も単なる蟷螂の灯で終わってしまう。

起業の条件
 第一に確固たる商品の発掘発見だろう。これがまた、ないのだが。
 フィニッシングが早く悪く、到底国際市場、特に病的ともいえる日本潔癖市場には合致しない。有利な商品がもしあったら半製品輸入の方がいいだろう。品質維持も規格化もこの国の経営能力では安心出来ない。輸入より国内産品の輸出が有利なのは当然で、現在の為替では日本製品に購買力はない。

 第二に契約はあってないが如しの民族性だから、眼で見える範囲だけしか信用してはいけない。全部自身でマネージメントすることしかない。品質管理から納期、計画立案すべてだ。労務管理だけは現地マネージャーの方がいいが。
 これは大切な格言で、業務を拡張した途端に失敗するケースがあるのはこの事を指す。
 当然事業は小規模でしかないが、それしか出来ないこの国の事情がある。寂しい噺だが教育のある優秀な社員は不正(彼等はそうは思ってはいない)にも聡明だとゆう事だ。
 決して任せてはならない。十年の心胆相照らした仲でも、最後に結果的に無念の臍を噛むといった事も多々ある。
 最初からそのような失費をコストに含ませるだけ儲けはない。
 完全な相対の、夢も希望も無い金銭上の関係なら、これも残念ながらプリブミ(地の人現地人)より華人商人の方がいい。彼等は儲けには敏感で商経験も実戦的だから。<4>

 第三には顧客はどうしても日本関連になるだろう。内国事業での国内取引きはリスクが多く華人には敵わない。商品運送・展開にも多くの壁があろう。購買力もルピア対円貨からしても採算に乗らない。現地個人事業家も何らかの形で日本企業との取引きがメインだし、飲食関連の想定顧客も邦人相手が殆どだ。

 第四に安価な労働力とは申せ、低級で一からの訓練が必要になる。単純労働者であっても八時間実労働を教え込むのにも時間が要る。飴と鞭ではなく、華人スタイルで鞭と鞭が出来るだろうか。

 自分の無知と無経験を棚に上げて、彼等の非能率、頑固、猜疑心、日和見、陰日なたに憮然とし落胆する。イ・日友好親善はいったい何処に置き忘れたのか。
 狡猾勤勉な華人商人といえども、信用するのは息子と女房だけだ。騙されても身内なら諦めがつくし、財産は身内の中からは流失しないとゆう。
 アパレル用品を営む華人友人は、ガードマンだって結託して悪事を働くと言って、閉店帰宅する時には、従業員を最上階の鰻の寝床宿舎に閉じ込め、鍵を掛けて帰るようにしてから万引きがなくなったと澄まして言ったものだった。火事になったらどうするのと聞いたら、ただニコリと微笑んだだけだった。
 それは酷い、人権侵害だ。
 それではオランダ式経営法か。
 従業員とは決して親密にならず、必要以上会話をしない。威嚇するようなよそよそしい態度で絶対者の距離を保つ。家庭持ちは家族第一で危険だから優秀な独身の男を違う種族から他所より高給料で雇う。オランダ人は華人やアンボン人を使った。もちろん身元保証人や必要な処置をとる。
 そして彼だけにマネージャーとして徹底した管理を行う。何事も、命令も復命も彼を通して行う。高給を払うのは逃げられない為で、愛情や執着は禁物。辞めたら次を捜す。

 合弁企業の日本役員に「この国は女が働くし真面目だ。男は滓だ」と愚痴ったら、
 「いくらなんでもそれは言い過ぎじゃあないか」
 「それでは伺うが、貴方の会社の役員と貴方の秘書とどちらが仕事ができる?」
 しばらく考えてから小声で、「秘書だ」
 そうです。この国では女性の方が概して真面目で正直で勤勉なのです。
 最後の手段で閨閥を作るしかないのか。

【Up主の註】
<1> 投入資金が全て無駄になったようにかかれているが、ダムや電力設備など、1970年代から公共福祉の向上に大きく貢献している。また担当したインドネシア人たちも日本人的視点がとれるようになったのはこの成果といえないであろうか。
<2> アサハン・アルミもクラカタウ・スティールもまだちゃんと営業しています。
<3> 日本では歴史上支配者が変わっても同じ民族だったが、中国の場合、歴史上の王朝の半分以上が非漢人であった。
したがって、法律も商売も支配者であるその外部民族のやり方に従わなくてはならないゆえに、日本式の「商売上の常識」がその都度変わらざるを得なかった。このような背景から短期的に金儲けできる方法を好むようになったのは致し方ない。
<4> 他人と商売を始めるときには、商売をやめるときの負債の負担割合も決めておくべきだ。ふつうはこれができないから後で問題が生じる。

第26話 終
目次に戻る 第25話へ 第27話へ

作成 2018/09/03

inserted by FC2 system