慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第21話 移住華人・チョンホア [その2]
 華僑は出身地、家族縁者で作る封(パオまたはパン)の組織がある。
 無尽講のようなもので、中で勤勉実直な若者を皆なで盛り立てながら、弱小資本でも店を持ち、それが中央と堅く結ばれ(信用取引)発展してゆく。

 中国人移民の出発地は地の利からも沿海州の福州、上海、広州、潮州それに中国のユダヤと呼ばれる客家人が主流をしめている。
 客家人はその名が示すように、黄河流域に興った種族で、流浪を重ねてもそのオリジナリテイを失わず、だから迫害されても独立独歩、血族の団結で政治家軍人商人学者革命家犯罪者と東アジアの歴史に深くかかわってきた。
 日本軍が数年間英領シンガポールを昭南島と改名して植民地化し完全に失敗したが、現在いつのまにか移民華僑による共和国になってしまった。客家人国として。
 西カリマンタン、ポンテイアナック市周辺は、嘗て中国人移民による最古の共和国、「蘭宝」(蘭芳)が建国され、オランダに統合されるまで百年以上続いた。年代ではアメリカ合衆国独立より古かった。

 肩を寄せ合っての暮らしが親子縁故、言葉で出身地同士が助け合うのは当然で、華人は身を守る為に集団結社的ギルドが生まれる。
 まず血縁は姓氏団体で陳姓は頴川、劉氏は彭城、藍姓は汝南、鄭氏は栄陽、張氏は清家という百家姓によって本国出身地の郡号碑を門前に掲げて帰属の証しとした。十九世紀頃から法的弾圧や経済社会の金銭浸透で姓氏団体は地縁集団になってくる。華僑社会は大きく五つの幇(広東、福建、潮州、海南、客家)となり、それは産業経済集団を造ってゆく。行(ホン)である。米行、油行、魚行、革履行、洗衣行、修益行(棺桶)、打金行、故蘇行(料理)などが中華街を形作ってゆく。
 華人社会が一定数以上に達すると社交団体や政治結社も生まれてくるが、多くは弾圧や非合法化されていったが、これらギルドは隠然として彼等だけに理解でき強力に潜行している。
 工業社会になって福建幇はゴム、精糖、缶詰から貿易や造船自動車に、広東幇は手工業サービス部門に、潮州幇は米穀、胡椒、乾魚、精米煙草業に、客家はそれらに役人、軍人政治にも関与し女性労働者が多いのがこの幇の特徴である。

 インドネシアには華僑が多く、独立後の政治問題にも顔をだす。
 移住華人いわゆる華僑が最も多い国がインドネシアである。
 人口に占める住民比率は3%だが650万人以上が暮らす。以下タイ610万人11%、マレーシア520万人29%、シンガポール209万で78%、フィリピン120万2%、日本には10万人で1%、北米にも126万人が居住している。世界全体では二千七百万以上といわれる。
 インドネシア華僑はノン・プリブミ(非・地の人)、二代目(現地生まれ)をババ、PERANAKAN、中国生まれを新客(シンケ),Totokと呼ばれる。

 二十世紀初頭のちに東インド最大となる黄仲函財閥の創業者福建省出身のウイ・チーシン(1835〜1900)は太平天国の乱を逃れてスマランに移住し、1858年に支那人居留地向けに中国から茶、干魚、薬などを輸入、煙草、砂糖などを輸出し1863年に健源公司を設立し数年のうちに郵便請負、質屋請負に進出、スマトラ東海岸のプランテーションブームに乗って米の輸送で拡大した。
 その子ウイ・チョン・ハムは公館の支那人の官吏となりスマラン、スラカルタ、ジョクジャカルタでの阿片請負業販売権をとって1800万ギルダーの利益をあげたといわれる。この莫大な資金で健源公司を株式会社組織にして中・東ジャワ、マデイウン、パティ、マラン、ジョンバンに五つの精糖会社を買収する。
 以後世界大恐慌や砂糖市場暴落、日本軍の占領、1961年スカルノ新体制で解体されるまで、精糖肥料業、金融保険為替不動産、キャッサバ、米、ゴムプランテーション、郵船運輸倉庫などあらゆる業種に参画した。
 砂糖輸出の15%、国内市場の優に60%を占めた。衰退の要因は経済より政治が優先する社会では、権力なき財閥は生き残れない華僑の根本的体質を表わしている。
 スカルノは1950から1956年のベンテン計画で民族資本政策を実施して外国人(華人)の小売業を禁止するが、経験のないプリブミで経済は一層破壊され、華僑も回転率の速い商売を求め、製造や建設への投資はしなくなった。
 独立後の1956年スカルノの威信をかけたアジア・アフリカ会議で、周恩来外相と懸案だった華僑国籍問題がはじめて討議された。二年以内に帰属国を決めさせるというものだった。華僑の身分は実にあいまいで無国籍に近かったのは、当該国の排他感情、法整備の遅れ、華僑の母国帰属意識によるものである。
 独立達成で宗主国資産接収にはじまる国有化は華僑資産にも及び、最大財閥の黄一族の解体など華僑受難時代だったが、スカルノが経済破綻で失脚した原因のひとつが不慣れな経済を国有化したことにもよる。
 疲弊の極に達したインドネシアは新秩序スハルト時代に移り、社会安定と経済再建は緊急の問題となり開発発展政策は華僑資本導入も視野に入れた投資法を交付する。
 スハルト政権はこの難問題を国の同化政策(中国語、出版禁止等)としてやや成功しているかに見える。
 スハルト新秩序体制成立間もない1967年にチョンコック(中国)、テイオンホア(中華)はチナ(支那)と呼ぶとの政令が出されたのは、共産党非合法が中国国交断絶に進み「お前等はチナ人なのだ」といって人心を懐柔しながら反面華僑の経済力を巧みに吸い上げる二面作戦にでた。建前と本音の使い分けは国内投資法の制定で華僑資本の還元を図った。権力を持たないブルジョアジーは権力者には甚だ都合の良い立場で、保身の為特定の有力政治家や軍人をパトロンとした利権事業が盛んになる。アリババ方式と囁かれた。現在の政商財閥の萌芽である。

 民族意識の強いインドネシアで経済の九割を握る華人系は常時迫害の不安がある。
 9・30事件で中国との国交が断絶して一時期無国籍者が増えイ・中二重国籍問題が悶着し、中国籍人のインドネシア国籍取得者が増加して氏名をインドネシア名に変更に変えた。
 日本企業の合弁相手は殆ど例外なく華人だから、最初単純に疑問と嫌悪を感じたが、そうなってしまうのだ。事業は綺麗事では済まない欲の勝負だ。
 経済が国際化を辿れば、またまた華僑の有利性が目立つ。肉親があらゆる国にいるからだ。電話一本で多額の金銭を動かせる。情報も入る。その組織力は表面も裏面もとてもかなわない侮り難い力だ。
 一将功成って万骨枯れる。世界富豪に名を連らねるサリムことリムスウリョンは二十才のとき密航した福建人だ。米の仲買いから身を興し、今ではスハルト大統領の影武者としてあくなき政商振りを発揮しその傘下企業四百社、銀行不動産証券から自動車食品、トイレットペーパー、小売まで独占する勢いで、日本企業も多数三顧の礼をとっている。
 サリムはスハルトと着いて成功を手にいれたが、日の目を見ないで失脚した要人に入れ揚げて潰れた華僑もまた多い。当時スハルトは唯の佐官で口下手だし、目立たない存在だったし、スカルノとどうこういう間柄ではなかったのを、ぐっと褌を握ったサリムは慧眼といわねばならない。
計画通りか、単なる幸運だかは知らないが。

 巨大組織に成長しても所詮家族経営から脱皮出来ず、それが華僑の泣き所だ。
 家族縁者以外信用しない。長年培ってきた信念でもある。財閥組織も不透明で財務諸表は眉唾だとする識者もいるのは確かだ。
 組織が閨閥だから資金的に限度があり、重工業には育たないのが、国ぐるみで纏った日本の出番があったと思うが、近来華僑資本も変わってきた。台湾はじめ沿海地方で資本市場が盛況で、なりふり構わない投資が行なわれるようになると、主義主張などない銭の亡者だから、眉をひそめさせながらも勝利は彼等の手に落ちよう。
 中国六千年の文化という。確かにアジアはこの巨人国を意識せずにはいられない。
 しかし過去の歴史は民衆と権力が完全に遊離した社会だった。権謀術が渦を巻き、権力は専制搾取しか頭にない政治で、もしかしたら現在まで続いている。
 六千年ただの一度も纏ったことのない大陸が中国なのだ。毛が全国統一を果たしたのがいまの中国だが、余程の舵取りをしないとその歴史的伝統で現代的混乱に陥らないとも限らない。歴史は何人も忘れる事も捨てる事も出来ない民族の資質であり証しでもあるからだ。
 一般の華僑のコミュニテイは強固で、広くこの国の流通を独占し、その為であろうか中華思想(中央の華)であろうか、排他的な優越性を持っていて同族以外の結婚はまずしない。
 インドネシア人(マレー系土着人プリブミ―地の男―)との関係は良いとは云えず、何か事が起こればその矛先は必ず中国系への報復となって表れる。
 世界でのジェノサイト(集団虐殺)史からみれば中規模だが、1960年の共産革命鎮圧に続く赤狩りでは、指を差されただけで数十万人の華人が故もなく殺戮された。チュコン(政商)になって一人私腹を肥やすからだとか、忌み嫌う豚が好物だとか、悪徳商売をしたからとか色々ある。
 確かに華人コロニーは独特の乱雑喧騒、良くいえば生命力に溢れるように、すさまじい欲の社会のようで怖じ気づく。同じモンゴリアでかくも違うのは、と考えさせるような詫び寂びなど薬にしたくてもなく、金ぴか赤飾りのけばけばしさが彼等の好みだ。喚き散らし、泣きまくり、糞も味噌も一緒の生活は何処の国のチャイナタウンに行っても圧倒される。
 余所者で下品な白豚が金蔓を押さえているのが気に触るのかもしれない。しかし華人は明らかにプリブミより貪欲だし、体力も努力も一枚も二枚も上の感じがする。そうしなければ偏見の中で帰る国もなく生きては行けない、待ったなしの環境が影響したのかもしれない。
 プリブミは何といっても物持ちなのだ。

 プリブミには今以て商習慣の基礎的な事柄(約束、正直、勤勉、在庫、資本回転等)に対する真剣味に劣るような感じがする。
 プリブミは商売外の選択思考が多すぎるようだ。商売(生計を得る泉)は二の次で、体面、面子から経歴学歴、家族、誇り見栄が先行するから決まるものも決まらない。何を考えているのかお互いの目的が違うから相互理解が困難になる。
 組織の関係よりその他の関係が優先する。家の金と会社の金の区別もつかない。
 商業の経験が貧困なのだ。
 合弁企業を策定する場合に法律上、代表権をプリブミに与えなければならない時期があった。それで多くの企業が失敗した。
 偉い人を据えるから権限ばかり振り回して実務はからっきし、浪費と使途不明金が残っただけだったというケースが余りにも多かった。
 彼等にしてみれば、やっと勝ち取った独立で対等意識と誇りが強すぎたのだが、肝心の実務には無知だったのが原因だったのだろう。現在は優秀な若いテクノクラートが輩出している。そんな事は昔話だ。

 インドネシアの華人問題は容易には解決も融和すら達成出来ない恥部であり腫瘍であるが、国籍を持つ華人が六百万人といえばジャワ、スンダ族に次ぐ強大種族なのだ。現実忌み嫌っても経済を独占され国内至る所の華人が流通を握っている。
 インドネシアの雄族であるバタックやミナン族もジャワ人とは習慣も考え方も違うから、華人が水に浮く油から真のインドネシア国民となるのも時間が解決すると思いたい。
第21話 終
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作成 2018/09/01

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