慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第20話 移住華人・チョンホア [その1]
 ここに来る時チナ人(Orang Cina)は蔑視語だからチョンホア(中華人)と言うように云われた。

 インドネシア華僑は人口の3%・六百万人で首都ジャカルタだけでも二百万人が住むといえばシンガポール人口に匹敵し、単一国では最大の人口で移住の歴史も恐ろしく古く、良いも悪いもこの国の流通を握っているのに、いまだにぎくしゃくして余所者扱いなのは、国是 "多様性での調和"が泣くというものだ。

 大陸を離れて他郷で暮らす中国人を華僑と呼ぶが、インドネシア華僑の殆どはこの地で生まれ故国を知らないから華僑ではなく華人を使う。
 同化政策もあって名前もインドネシア名だから中国系インドネシア人が適当なのだろうが、なぜか水に浮く油のようにお互いどこかにシコリがあるのだ。
 インドネシア中の町の何処に行っても商店は彼等が牛耳り地域に貢献しているのに、騒ぎが起こると決まって彼等が迫害される。
 どんなに努力しても政治家や将軍にはなれない<1>。 多分土地を持っても農民にもなれない。いつもチナと陰口をきかれどこかで差別される。 彼等も腹の中ではプリブミ(土地の人・土着人)を怠け者で見栄っ張りで馬鹿者と軽蔑している。もし利口なら私等喰えないからねと平然とうそぶく。それでも決して母国に帰ろうとはしない。
 彼等の母国はインドネシアなのだから。
 そんな土地柄で、どちら側にも当たり障りのないチャイニ−ズを使うようにした。

 庶民は、華人の女性をンチ、男性をンコと呼ぶ。
 はじめはこれ以上の蔑視語はないと思ったが、考えてみれば不潔な連想をするのは日本語だけだと気が付いて少しは安心したが、この言葉が会話の中に入るとドキッとしても、なにかユ−モラスな気もする。
 語感的にはまことに当を得て聞こえるから妙だ。

 古来太陽と豚のあるところ、支那人がいる。世界人類の四人にひとりが中国系だ。
 ウンチ、ウンコの町で不適当なら、チャイナタウンは何処も生活のエネルギ−に満ち溢れている。
 喧騒とバイタリテイが、糞も味噌もいっしょの独特の雰囲気を醸し出す。
 だからウンコだとは決して言いはしないが、人類はひとつとは言っても、それはシェパ−ドと芝犬、狆とプードルを連想させる程、醸し出す雰囲気の違いを実感する。
 モンゴリアン、極寒のベ−ジンリアを渡って逐には新大陸を制覇し、大洋に乗り出せば数千粁の波涛の彼方まで植民し、怒涛の騎馬軍団を駆って東ヨ−ロッパを征服し、偉大な中華文明を築いたこの人種は、眼が細く表情もあいまいで短脚、見たくれはよくないが、歴史的に見ても頭脳体力行動繁殖力に秀でている人種だ。
 日本人もその枝族だから悪い気はしないが、わが国の海外関与など片手で数えられる規模と経験だし、未だに何か悲壮感がつきまとっているような少女的感傷がある。
 故郷を去るのはなにか後ろめたい敗残者で、都落ち、出稼ぎとなる。

 我々は常時日本を背負っている。故国も案じて呉れる。外国で死ねば家族縁者はては国までが全力でその骨を持ち帰る。 その少女的弱さが同化したようでせず、一歩も二歩も遅れをとって、努力する割りには認められず、いつかは帰る人との烙印を押される。
 昨今はもっと徹底していて、組織で介入するから個人の選択などあろうはずはなく、インドネシアはいい処だったとその後の淡い思い出だけに終わる。
 「日本と比べて、、」の会話が無くならない限り、勝てない。
 突然大勢でやって来てまた突然一度に消えてしまう人達と言われる。
 内容は異なっても帝国陸軍と殆ど同じだ。男子一旦志を立てて故郷を離れざるか、死しても帰らじ、などと掛け声は勇ましいが、それは中国人の移住者にこそ相応しい。

 落地生根。国がどうなろうと、その地に骨を埋める覚悟が出来ている。
 白手起家。国の庇護も組織の救けも薄い。個人の意志で、或いは強制(追放、拉致逃亡)で故国を後にして外国に住み、営々と死ぬような偏見と差別のなかで生きぬき、その中の運と体力と才能に恵まれた男が国を左右するような資力を築く。
 大航海時代から植民時代のイベリア人やアングロサクソンの侵略による拡汎には敵わないかもしれないが、中国人が単一国家最大の人口でも飽き足らず、移民難民と形は変わっても軍隊蟻のように世界に淘浸して行く。

 インドネシア列島への華人の干渉は、有史以前から陸路海路で川の流れのような一方交通が続いた。マレーの人が満ち足りていて出掛けたいと思わなかったのか、怠け者だったのかは知らないが逆流は絶えてなかった。西から東、北から南へ。
 あまりの長い期間人数も多かったから、此処の人達にもそれとは知らない血の流入がある。華人排斥をする土地っ子にも、数世代前に忌み嫌う外来人の血が混入しているわけだ。
 歴史上の移住拠点のポンテイアナク、パレンバン、バタビア、チレボン、スマラン、ジョクジャ、スラバヤ、マラン、マナドなどにみられるようだ。
 歴史時代からの交流は仏教を運び、四世紀頃のスマトラ・スリウイジャヤ大仏教国にも当時で数千人の中国仏教僧が住んでいたといわれる。有名なジャワの仏教遺蹟ボロブドールに技術指導で多くの石工彫刻家が渡来しただろう。
 差別も迫害もないいい時代だったのはその石版レリーフに刻まれる。

 インドネシアの栄光はモジョパヒト王国ハヤムルク王の宰相ガジャ・マダが偉人として語られるが、彼はどうも中国系といわれている。
 元寇の役で鎌倉武士は玉砕覚悟で切り結んだが、元軍がジャワに押し寄せた時は内陸深く導いてじんわりと同化させてしまった<2>というから、ファナテイックな日本より移り住むには居心地が良いのかもしれない。子孫は東ジャワのプロポリンゴ周辺に住む。
 有名なイスラム宦官・鄭和海将<3> の数次にわたる大遠征でも多くの華人がそのまま居着いたし、ボルネオに宝蘭帝国という独立国を創ってしまった中国人もいる。民主主義国として最古だという。
 時が移ってオランダ植民時代、強健忍耐力を買われて多くは苛酷な労働を強いるプランテ−ションや鉱山労働者として連行された<4>のが近世赤道植民地の華人で、奴隷に毛が生えた程度の苦力(クーリー)と呼ばれた。現在の古い華人の系統はマレーシアも含め彼等の出自になる。
 土地の人は一家眷属がおおらかな暮らしを営む事が出来る。小作人さえ同族で援助も求められるのは日本中世と変わらない。輝く太陽の恵みで食べるのに困らず、鶏の喧嘩にうつつを抜かして多くの子供を作るのが男の仕事なのは今もって続いている列島の優雅な暮らしむきだ。商いは賎業で、銭を忌み嫌う伝統はおいそれとは払拭しない。
 ジャワ人は今でも銭は汚い物、銭に鷹揚なのが男の資質と考えるところがある。
 当時は農政時代だから土地農地を所有(現地人)するか権力がなければ虫けら同然だ。移住人に農地はない。虫けらはそれらしくささやかな仲買いしか生きる道はなかった。
 男子のする道ではなく賎業だ。乞食同然の物々交換に毛の生えたような暮らしだっただろう。幸運と才知に長けた男が宗主国の中間搾取人や徴税人や汚れ仕事(阿片など)を扱ったのは、出自も眷族も定かでない流れ者だったからだで植民者は野良犬を飼う安易さがあったのだろう。
 それが今の時代の要になろうとは彼等も思わなかったに違いない。

 ただすべてに云える事は、国家や企業の後ろ盾組織力はたまた武力でもなく、徒手空拳、己れの力だけで生きている。そして何処の地に流れていっても、必ず何人かの成功華人が、国まで牛耳る力を貯えてしまう物凄さは、分家日本など足元にも及ばないバイタリテイで、オランダ時代の阿片砂糖王の黄一族、スハルト時代のコングロマリット林一族などは世界十指に入る富豪になったし、李氏はシンガポ−ルまで建国してしまった。
 これだけの物凄さも、昔は家族主義の弊害と、移民基盤の弱さから三代とは続かず崩壊して語り草だけが残る惨めさだったが、現代の移住華人の未来はどうなってゆくのだろうか。やはり時の権力とともに盛衰するのだろうか。

 さて、世の中は音を立てて変動した。
 銭が世界を変えて、米よりも力を持つ世の中になると、それまで貯えてきた経験と根性が一挙に花開くことになろうとは本人さえ予想しなかっただろう。
 持ち前の勤勉さと狡猾さ(そうしなければ生きて行けない)で、土地の富を貨幣に変える舞台に踊り出た。環境と経験がそうさせたのだ。
 それまで石持て追われる基盤のない彼らのコミュニティで、銭の魔力だけが救けてくれ、信じられる全てになった。
 彼らの思惑以上にこの変転は急速で、土地持ちや米持ちが対応出来ない短期間に、世の中は現在の銭至上社会に様変わったから、もう赤子の腕を捻るよりも簡単に富は華人に集中しだした。
 華僑の拝金主義は徹底している。札を飾って一心に祈る信者も多い。日本もこの三十年で銭万能社会になったが、その歴史と根性と徹底さでは到底敵わない。
 インドネシアの90%(殆ど全てといっていい)の銭は華僑の手に落ちてしまったのは、プリブミ(土地人)が愚鈍だからではない。もし無力なら此処もアメリカンネイティブのように文化も抹殺され混血化が進んだだろう。経済を乗っ取られたのは社会環境の激変への対応が遅れたに過ぎないが、銭社会が続く以上これを修復するのはそう簡単には行かないだろう。長年の習慣で銭に対する感覚が両者では全く異なるからだ。
 いままではそれが美徳だった地方因習や絆、伝統や美的習慣さえもジャワ人の重荷で判断を誤らせるウエットさに繋がる。
 銭はドライで情け容赦なく薄汚い麻薬だが、それを飼い慣らすのが現代の正義で、それは一朝一夕には行かない。
 家柄、地位も学歴も教養も要素にはならない。数百年この方隠忍自重してきた権力も地縁もない移住人が、この麻薬を操って国までも動かす勢いだ。銭がすべて、結果がすべて、手段と過程は顧みられない殺伐荒廃した現世が出現してしまった。

 どこの国でも似たりよったりで、銭と商業資本にまみれた世の中になってしまったが、この列島は人種も含めた偏りが在りすぎるのが悲しくもある。
 人種偏見は未だに人間の視床脳髄に巣食う原始的意識で、解放できないまま差別や蔑視が横行する。
 平和人権団体が安易に解決出来る柔な問題ではない。
 歴史的人為的な過去がこのような不自然な社会を構築してしまったのだが、壮大な実験が成功して、民族の融和が実現するのを祈るよりほかに良い考えは思いいたらない。
 しかし多少の望みはある。

 インドネシア華人の大多数はすでにこの地で生まれ育った人達で構成されている。
 近世の華人移住から現在まで百年四世代をとってみれば、現在の華人コミュニテイは、独立、共産党非合法、対中国国交断絶、中国語禁止、同 化政策など政治圧力もあって、一世は稀で二世代三世代に移行している。当然考え方は少しずつでも変化するのは当然であろう。
 一代目は大陸色を強く残し子孫に伝えようと願った。コミュニテイに強く依存し保護され、固有の文化習慣、言語など現地住民との違いは大きく、またそれを助長させ、むしろ孤立化を選んだ。選民意識も相当なものだった。
 時の経過で、三代目になると、それまでの堅い絆は僅かだが明らかに変化して混血や同化もみられるようだ。心の中の堅固な核(華人の誇りと現地人蔑視)だけでは生きられない環境を自ら招来して、母国語さえ操れない華人が日毎に増えて共和国への忠誠、帰属意識が芽生えはじめている。
 これに政府の同化策が拍車をかける。国籍取得、公式中国語教育、文字出版禁止等。
 列島側も無意識的にも変化して、都市化(華人比率が高い)が社会をリードするようになり、そこでは華人語が現地語会話に多く使われ、若者達のこだわりは少ないように変わっている。
 消費経済に組み入れられれば、否応無しに協調せざるをえない。
 公称六百万人といえば、最大種族ジャワ・スンダ人に次ぐ人口なのだ。多民族のこの国では種族差別意識は比較的少ない。華人の面相が違っても、世代的な眼で見れば同化の可能性はある。混血がそれを助長するのは冒頭の古い町々を見れば明らかだ。
 中国移民は頑なに己れの出自を守って同化しないといった過去の論拠は弱い。
 インドネシア人と言っても、イリアンの人を見る彼等の眼がやや異なる(影響力が小さいから無視も出来る)ように、華人もその異なりはあっても、いずれはきっと同化することだろう。
 人口に占める異人種の割合が少ないと、人間はその本性剥き出しで迫害し、同等だと血を血で洗う主導権争いが止まないのは世界をみれば一目瞭然だが、インドネシア列島における移住華人にその公式は当てはまらない。
 もう一度言う。六百万人ははんぱな数ではない。商才に長けた一種族として共和国に貢献する日がそこまで来ている気がするのだが。

【Up主の註】
<1> 2000年代に入ってジャカルタ州知事のアホック氏をはじめ華人系の政治が登場している。
<2> 元軍兵士にマラリアが発生する時期まで戦わずにいて、発生後になって多数の将兵を酒宴に招いて酩酊したところで元軍将兵を虐殺したとのことである。その後、中国の雲南人がジャワに入り込みイスラムを布教した。Wali Songoがそうである。
<3> 「提督」が一般的な呼称。
<4> 労務者募集に応じたもので、強制連行ではない。東南アジアへの華人の渡航が増えたのは蒸気船が供用され始めた19世紀後半からである。ちなみに、帆船時代に比べると船賃は十分の一になったとのことである。

第20話 終
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作成 2018/09/01

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