慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第12話 ジャバカレー
 食品の商品名であるがジャバとゆう地名は地球上に存在しない。
それがジャワのことなら、ジャワにカレ−などはない。
昔デリイかカルカッタに住んだイギリス人が、調合して市販した製品カレ−パウダ−が日本でも受けて、あたかもそれが単品で使用されているかのように一人歩きし、カレ−ライスライスカレ−と文明開化の華となった。アンパンと同じ傑作である。
元祖が良いのか改良品が勝れているかは一概に決められないが、改革のあるところ人類の進歩があったから、カレ−ライスが食い物なら、旨まければそれで充分で、本家とは似ても似つかぬ皿でも何の問題もない。ましてカレ−ライスかライスカレ−か、「カレ−ではなく、カリ−です」と能書きの多い人は、腺病質疾患者で、大盛りカレ−を二皿平らげるタフさはない。
私にとって、Curry & Rice は、 Karei-raisu で識別には充分過ぎる。

そして、ジャバカレ−辛口 インポ−テッド Rp6,650.- 世界で最も高価なカレー様の食品。
きっと商品名を決める重要会議で、インドカレ−じゃちょっと本家の手前(既に勇気ある企業がそれを登録していたのかも知れない)、よく調べもしないで専務殿が「ジャバカレ−でどう? 雰囲気もあるし、、」で衆議一決したのだろう。 
そこがスゴイ。
そのイメ−ジは、カレ−→辛い→暑いで、それがインドでもジャバでも南の国なら何処でもよかったのだろう。
有名大学出の奥様でも、インドネシアはインドの一部分と思っておられる方も多い。またそれらの無知が、時として核心を衝いているから、スゴイのだ。

東京から来た友人が、
「おい、此処がジャバカレ−の本場なら、一度カレ−を喰わせろよ」
女房は困って、そのジャバカレ−を少し加工して供したら、
「さすが本場ものは違う。旨い」 とお代わりを所望された。
吾が日本国技術革新の勝利で、S食品、Hフッドに飼い慣らされた結果でもある。けなしているわけでは決してない。企業は我々の舌を研究し尽くしているのだ。
或いは客人は非常に空腹だったのか。

お味のことは一先ず措いて、インドネシア人の殆どがイスラム教徒だという。
イドウルアドハ(犠牲祭と無理に訳す。イスラムに祭りの習慣はない)街のそこここからアザン(祈りの喚起)が流れ、善男善女は大挙してモスジュットへ、路肩には山羊と牛の群れが排泄物にまみれて明日のない務めを待っている。下水溝には務めを終わった証しの血が溢れる。
奥様方は「残酷」「不潔」とおっしゃるが、伊豆の浜辺に干された無数の鯵の開・きを見て卒倒した外人もいる。処変われば品かわる、不用意に尺貫法で結論を出さないほうがよい。

イスラムの掟での日常を見慣れてきても、インドネシアがその建国の時イスラムを国教と規定せず、絶対神への帰依、信仰の自由を国是としたのは、この世界最大の列島国の生成過程に、インドから蕩々として文明が流入して、この地を永く、広く、厚く蔽った歴史に由来するからなのだろうか。 

文明は風に乗って運ばれるものではない。人間が運ぶのだ。アラブ人によりイスラムが齎らされた時には既にインド仏教、ヒンドウ文明はこの地の、文字通り血となり肉となっていた。よく謂われるように、‘インドヒンドウの身体にイスラムの首、インドネシアの服を着て’が真実味を帯びる。
その服を着た此処の人々ははインド亜種のマレ−人種だという。当然文化習慣もインド亜種となる。地勢からみても、広いアジアの東西の懸け橋になっている。
南海のネックレスに例えられるインドネシア(インドに連なる島々の意)は、近世、それが自生していた為に、強欲な西方民族(ポルトガル、オランダ等)によって大きな不幸がもたらされた。 それとはスパイス(香辛料)である。
ロ−マ人が爪の垢程のスパイスに随喜の涙を流していた頃、聖徳太子が「民の竃から煙が昇る(飯が喰える)」と自画自賛していた頃、此処ではふんだんに茂る胡椒、丁字の香りに囲まれて、その美味をほしいままにしていたのだ。
血がインドだから当然その食習慣も引き継がれ、その地に合ったように変化していった。
地に合った変化とは。もし椰子の木が消滅したら、此処の住民は死滅する程に、椰子は生活の糧だ。それは我々の味噌醤油の比ではない。全ての生活(衣食住)を椰子に依存するといっていい。
珊瑚礁に揺れる椰子は、北の我々には唯の景色でしかないが、それは神の与えた最高の恵みなのだ。 

環境は生活を変える。豊富なスパイスと椰子の実で、この列島にはジャバカレ−と呼ばれはしないが、エスニック(民族)料理は無数にある。
表題がジャバカレ−だから、それに沿えば Grei(汁)がある。カレ−は辛いの連想ならグレイもジャワよりスマトラだ。ジャワは残念ながら黒砂糖が好きで、その辛さはシンプルな唐辛子に依存する。

スマトラ島の西にミナンまたの名をパダンといって数百万を数える雄族が住む。 位置的にもインドの血が東のジャワより濃いようにみえる。
そこに全国を制覇したパダン料理がある。インドネシアの何処に行こうがパダンレストランに会う。  旨いからかくも広がったのだ。海老天丼も旨いから日本全国で喰えるようになった。
主として牛を素材にして頭から足の先まで使って上等のパダン料理が造られる。 この中にカレ−と呼ばれるものはないが、そう呼ばれてもいい一皿はグレイカンビン(山羊汁)ブンブウサピ(牛のたれ)パゲもカレ−亜種と呼べようか。  
簡単に料理方法を書く。
英国人が市販したカレ−パウダ−やS食品のルウをぶち込んだり、ましてやレトルトバウチとかゆう超ハイテクパッケ−ジの封を切るように簡単にはゆかない。  だから女房を簡単には代えられない、味が変わってしまうから。

チョウエ(Cobek&Munthu) と呼ばれる石の器に、チャベ(唐辛子も数種類)ジャヘ(生姜も数種類)ラウス、バワンプテイ、メラ(玉葱2種大蒜)パラ(棗)サラム(ベイリ−フ)クミリ(キャンドルナッツ)カユマニス(シナモン)クツンバル(コリアンダ−)チェンケ(クロ−ブ)そしてお待ちかねクニュット(タ−メリック/サフラン/うこん‐カレ−の素)その他レモン、青い葉各種を摺り潰しサンタン(椰子汁)を加えてその地方、その村、その家、その女房の独自の味を造成する。ブンブ(たれ)は化学調味料、食品添加物、肉エキスなどのまがい物も、日本風にウドン粉などといったケチなものは使わない。

供される料理は文字通りエスニックの味がするが、どうもエスニックの日本での意味は、奇異な未開な、といったニュアンスが感じられないか。高い処から低きにある珍味を試すといった驕慢さが感じられる。
少なくても料理(調理)に関しては日本は未開人だった。未開だったから色とか盛り付け、生の鮮度を佳しとした。  
生ま物を喰うのは猛獣とか原始人に多いと思うが。喰えるようになったから堰を切ったようにグルメとかいう。本当の食通は自分でグルメと意識しないし、雑誌の記事でグルメはしない。味覚は食する場所と時と相手で著しく変化する事も記憶せねばならない。

エスニック(民族)マサカンパダン(料理)の店はインドネシア津々浦々にある。小さい皿に盛られた各種の献立が二十皿程テ−ブルに供され、客はその中から好みのものを摂って、食べた分だけ清算する。
レンダン(牛肉ココナッツミルク煮)チンチャン(細切れ肉)パゲ(唐辛子煮)オタッ(脳味噌)パルパル(肺臓から揚げ)ウスス(腸詰め)トンジャン(脚腱)ハテイ(心臓)ブントウット(尻尾)など。ジャワより辛くスパイシイ、ボリュ−ムがある。そのせいかスマトラ人はジャワ人より威丈夫が多いようだ。      パダン人は進取の気性に富み、進んで移住しパダンレストランを開き、親戚縁者を呼び寄せてコロニイを作って行く商魂は華人もタジタジになる。
それが出来るのも、この味がインド亜種の此処の人々に迎合したからだと思う。

このスマトラパダンのカレ−味を、カレ−通と自認するグルメに喰わせたら目を白黒させるだろう。何といわれようとこれはライスカレ−と同じカレ−料理の一変種である事に変わりはないのだが。
「これはカレ−ではない」と宣告されたら、日本では体験出来ない豊富なスパイスの中から、クニュットを少し余計にすればよい。S食品に倣ってウドン粉を加えてもいいだろう。これを匙加減とゆう。
噛みきれない堅いお肉にクレ−ムがでたら「失礼、靴底のゴムでした」と詫びる。ハンバ−グみたいな挽肉は進化人の食い物で、顎が退化した公家顔では咀嚼出来ないと言ってはいけない。公家は馬鹿だが金がある。

今夜はそんなわけでマサカンパダンのドアをくぐって、数十ある皿から、辛い、濃密な味を摂って、ア・ラ・スマトラ、遥かインドから渉ってその地に根付いた一品を賞味しよう。

「これは何とゆう名前ですか?」 「知らないの、スマトラカレ−だよ」

S食品はその後ジャワカレーに名を変えた。私の投書のせいではない。
                                                     June 1993
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作成 2018/08/31
訂正 2022/06/17

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