慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第10話 インドネシア七不思議
 異文化との対面と言えば大げさだが、注意しているとやはり距離を感じることは多い。
 日常感じたことなどを列記しながら、人々の心を知りたい。

 項目毎にもう少し掘り下げた作文も載せる。

熱帯というけれど、
 「世界は一家家族」と申したそのあとに、処変われば品変わると言われる。

 この国にも「Lain Padang Lain Belalang = 違う畑に違ういなご」といった諺がある。
 四季もなく、年中夏の国では住む人々にもそれなりの違いがあるのだろうか。

 日常の些細な事でも、それなりに気をつけていると思わぬ発見があり、ひとり苦笑いする。なぜと思う心が進歩に繋がるなど、大それたものでもない。みなさんも日頃気づかれたことなど書き出してみたらいかがかと、、。

インドネシアは赤道直下の熱帯だといわれる。
 熱帯というと、暑さに辛吟する炎熱地獄を連想するが、年間気温は低地でも24度〜31度、たまに32度の時がある程度で、日本の真夏の34度とかのうだる夏ではなさそうだ。天気予報での寝苦しい熱帯夜なん日など、熱帯に対して失礼だろう。
 体感暑さは湿度によるのだろう。雨の前には蒸し暑さを感じるが、乾季だからといって雨がないわけではなく、雨季と言って一日中降り止まないこともない。

 スコールのあと、夕方の涼風に南国風情を感じる。
 もう熱帯という表現は昔使った南洋、南国に改めるべきだろう。東洋西洋、北洋があって、なんで南洋がなくなったのか、その辺の事情もわからない。
 100b登れば気温は一度下がる。下界が28度でも1000bの峠道は18度、西洋人がソイテンボルグ(無憂郷)と感激した桃源郷になる。

 では南国は暑くないのか? いややはり陽射しは強く暑い。ハンカチでは間に合わなくタオルを持ち歩いて汗を拭く邦人は多い。だが、、
ベチャ(輪タク)を漕ぐ人、屋外労働者に汗をかいてる人見たこと無い。
バス停で待つ間、ハンカチで顔の汗を拭う人見たことない。
扇子、団扇を使う人見たことない。


バスの窓を開けると、かならず閉められてしまう。
セーターを着たがる女性、バイク乗りが皮ジャン着たがるのはなぜ?
風が万病の元とは風邪が万病の元とは違い、風に当たるそのものを嫌う。
風邪が体内に入るとコインなどで皮膚をしごいて出そうとする。肌は赤剥れ。
此処の人たちの体感温度は我々とは二度以上違うという。
生まれて死ぬまで同じ気温の毎日だから、それが肉体や精神に及ぼす影響は大きいだろうと想像する。
汗が出ないと熱中症になり易い。
日本人の汗腺は350万個(能動汗腺220万)、南方人240万個、北方人190万個で南方人は血管が広がり皮膚温度を下げる。手足が長く体表面積が大きい。
一日0.5lから2リットルでる。
エクリン線とアポクリン線があり後者は脇、陰部にあって思春期から分泌する。
汗腺にはアポクリン線とエクリン線があり


海水浴の風習がない。海は魔物が棲む。<1>

熱帯多雨地帯。だが雨はウジャンだけ。小雨をグリミスというが霧雨 五月雨 夕立、にわか雨 驟雨 豪雨 通り雨などの表現希薄。強ければ後ろにクラスとかリブットと加えるだけ。
雨は突然襲い掛かるように落ちてきて(降るのではない)周囲を水で覆い、突然と嘘のように晴れあがる。道路の反対側は晴れていてこちら側だけ篠つく雨ということも、数キロ先の市場が洪水騒ぎでも自宅に雨一滴も降らないことだってままある。
降られれば豪雨で傘など役に立たないし、いつどこで降られるか分からないから、傘を持ち歩く人は殆どいない。降られたら少し雨宿りすれば必ず止むから。
かように気紛れ天気だから、天気予報など当たらないし、すべてが当たるという事でもある。「今日は晴れ時々曇り、処により強いにわか雨」 で充分だ。このときも今日も暑いでしょうとは決して加えない。当たり前だからだろう。
そんな気候だから、焦っても急いでもあまり意味はない。悠然としていなければならず、駆け出したりイライラしたり、そんな行動が最も貧相だと軽蔑される。
インドネシア人は時間にルーズだとか、約束を守らないとかとイライラする人がいるが、そもそも時間など、あってなきようなものと申したら現代生活は出来ないものなのだろうか。


時間はゴムの伸びちぢみ
東西に長いインドネシアは時差三時間。昔首都とスマトラは一時間遅れ、バリは一時間進んだ時刻だったから平等に六時に朝夜交代した。
島が動いたわけでもないのに今は西部標準時(WIB)で時差はない。スマトラ・メダンの日の出は七時過ぎ、バリの日没は夕方五時。シンガポールはジャカルタの西にあるのに一時間早い御都合主義。時はうつろうものか。どうもそうらしい。

此処はゴムの時間(Jam Karet)で伸び縮みするから約束しても無駄だという。
しかし明日を表すベソックは明日に続く未来を含み、昨日クマリンは昨日を含む過去をもさす。だから、、
「Nanti Besok ya明日には」と言われて翌日来ず、約束を破ったと怒るのは貴方の語学力不足。態好く断られているのが分からない。
時はうつろうものか。断食明け新年到来は分秒単位の正確さで報道されるというのに。
インドネシア語文法上での完璧な時制はない。前後の内容で判断しなければならない高等語だから、確定する必要があれば日付けで表さねばならないだろうが、、

年はタフン、日はハリ時間がジャムなのに、分は途端にミニツと突然エイゴらしい。では秒はセコンドか、違う。針を刻む音デテイックになる。
この国に分以下の単位がなかったのか?週はアラブ・イスラム語を、月を表すにはエイゴもどき<2>。なぜ?

三時半は三時三十分過ぎを表すのは万国共通。ここでは三時三十分前、すなわち二時半のことを指す。 Stengah TigaをThree Thertyまたは三時半と思うと一時間間違える。
きっと長い間ここではイスラム太陰暦で月令で動くから一年は355日、一日は日没から始まって夜明けに終わる。強烈な太陽は此処もアラビアも人間の敵だったのかもしれない。その証拠にイスラム圏の国旗や紋章は星や三ヶ月が多く、緑色が持て囃されるようだ。陽出いずる日の本の国など自慢にもならないし、この違いは大きいように感じる。

土曜の夜サタデイイブニングといえば何やら浮き立つ。直訳してサプトウマラムと言うのかと申せば、それは誤り。
正確にはマラムミングー(日曜夜)と言わねばならない。土曜日の夜は土曜日の終わりに訪れる(土曜日の夜)のではなく日曜日のはじめなのである。
じゃあ日曜の夜はといえばミングーマラムと言うが、使われることはない。
まあ、サテデイイブニングの三十分刻みのデートは頭が混乱するから止めたほうが無難。

赤はメラ、白はプテイで黒はヒタム、茶色は突然に輸入語チョコラ、青はビルー<3>。此処はそれまで茶色や青のない色盲地帯だったのか。

白い砂浜輝く太陽の常夏の国。しかし此処に海水浴はない。<1> 暑すぎるのか裸になるのが悪徳(イスラム)なのか。白い砂浜も特定地域で、多くはマングロープの泥海だけど。

インドネシアに禿がいない。<4>

乳児の抱きかたは腰に乗せる。おむつはさせない。

座りかた。ここではしゃがむ。我々は坐る。西洋人はしゃがめず坐る事も出来ない。

お邸での接待は、応接セットを片ずけてフロア一面に絨毯を敷き詰め壁を背にして座るのが正式。せっかく高価なテーブル、ソファがあるのにどうして?客人は履き物を脱ぐのに玄関はないから、ドアの外は靴の山。

いつからか会合は立食パーテイが主流。皿に料理を取り分け、グラスを持つと両手がふさがり食べられない。空いた椅子が皿置きになるが不安定でこぼれる。皿には各種美味が混ざって汁も揚げ物もいっしょくたになってしまう。

インドネシアの兵士、警察官のプロポーションは均整がとれていて美しい。どうして彼らはボタンがちぎれそうなワンサイズ小さい制服が好みなのだろう。
女性の姿もモンゴリア(日本人)より美しい。いったい何を食べているのだろう。肥えた女性は脂肪が前後につき奥行きが深くなる。わが国女性は横に広がる。
歩行は腰から、我が国女性が膝を曲げる歩行姿勢は山岳民族の名残りというが。これは国民所得が増えてもおいそれとは変えられない。ナリタに帰り着いて、電車の若い女性のO脚がやたら目に付く。


挨拶には握手。ただし右手を先ず胸に当ててから差し出すから<5>タイミングが狂う。親しくは頬寄せ。異文化人(日本人)は左右どちらの頬が先か文字通り、面食らう。

承諾は顎を下げて「ウン」。此処は顎を上げる。「ハイ」は「イヤ」と聞こえる。

市場はグラムとオンスが交じり合う。250gと言えば「10オン?」で余分に買わされ(1オンス:28.3g)、 250gとは言わず、1/4(sepuruhampat)と分数表現になる。

料理にまな板を使わない。切るものを持って刃物を使う。<6>

勘定するのに私は親指人指し指から曲げる。此処では小指薬指の順。まさに逆

手をあわせて拝まない。<7>

葬式は粛々静々と泣き女まで揃えて墓地に歩く行列が万国共通だが、ここでは傍若無人、バイクの若者に先導されアンタチャブルのフルスピード、はねられない様一目散に物陰にかくれる。熱帯高温の為か死者最後の示威なのか。自動車が現われてからの新文化なのか。

朝ご飯食べませんでしたか。行きませんでしたか、否定疑問文への返答は日本と逆、西洋式になる。

イベリア族(スペイン、ポルトガル)の植民地はラテン諸国にみるように混血天国。
チモール問題もその主因は島民の混血による。名前までがラモス、ゴンザレスとか。
オランダ(含むイギリス)三百年のジャワ植民には奇妙なほど混血が少ない。
オランダはものの搾取だけに興味があったのか。


ムラユ・インドネシア語の外来語のトップはアラビア語で、思想宗教生活用語に氾濫。オランダ語は機械関係に僅かに用いられるに過ぎない。現在は英語の洪水なのは日本と変わらない。輸入日本語<8>はバキャロ、ヘイホー、ツナミ。最近ホンダ(モーターバイク)、コルト(三菱製ミニバス)が参入。

インドネシア列島は東に行くほど種族と言語が細分化される。ジャワは申すに及ばずスマトラなど百万単位の雄族が割拠するが、バリの東は数万単位イリアンは千人以下。

【Up主の註】
<1> 海水と犬を恐れるのはジャワ人だ。そのジャワ人に恐れられているのが「南海冥府の女王 = Nyai Roro Kidul」だ。何故海水と犬を恐れるかはこちら
<2> 曜日の名前はアラビア語の数字から来ている。日曜日がahadで土曜日がsabtu。暦月の名前が英語風なのはグレゴリオ暦を使っているからだ。イスラム歴にもちゃんと歴月の名前はある。そのひとつがラマダンだ。
<3> 庵翁は英語のblueとインドネシア語のbiruを混同している。まさしくLとRの違いが分からない日本人だ。
<4> コーカソイド系には禿が多いがモンゴロイド系には禿が少ない。特にインドネシア人には禿が少ないしカンボジアでも似たような傾向にある。女性ホルモンが支配的な男性が多いせいなのであろうか。ちなみにアフリカのエジプトではほとんどが立派なヤカン禿だが、お隣のリビアで禿を探すのは極めて困難。ふしぎである。
<5> これはスマトラ、特にバタック人に多く見られるしぐさだ。ジャワではほとんど見られない。
<6> 「インドネシア名物の空中切り」と称した方がいた。
<7> ジャワやバリでは通常手のひらを合わせてあいさつするが、スマトラでは一般的ではない。
<8> ヤマト=消火器、サンヨー=井戸ポンプもある。

第9話 終
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作成 2018/08/31

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