慢学インドネシア 庵 浪人著
第三章 処変われば
第4話 ジャカルタの街角
 ジャカルタに無いのは地下鉄だけ<1>。それが後進性とは云えない。
 街で利用出来る移動手段は、トーキョーなどとは比較にならぬ多種類多目的だ。
 鉄道と電車もあるが、何時来るかやや明確さを欠くが、連結器とか屋根<2>、客席以外の場所なら無料なのがいい。検札など野暮なものはないが車両を停めての一斉検問にご注意。
 公共バスは二階建て<3> 、連結型からクーラー付き、ドア無しも風通しがいい。中型、小型、極小、極々小三輪を含む二輪発動機、同人力、馬車、小型タクシー、同大型ハイヤー、自家用車は56年式モリス、フィアットから日本製各種、メルセデス(高級の意)6bもある特注ボルボリムジン、それが自家用と云うなら手押し車、荷車の類いまで。これらを乗り継げば、雨でも傘なしで家まで帰れる。
 アジアのトレードマークである人力車は、二輪を牽く日本式より進歩していて三輪で安定性に勝れる。ベチャという。無音、無公害。

 駅前でテレビ鑑賞した時代、日本モータリゼーションの黎明期にダイハツミゼット三輪車が一世を風靡した。丸いハンドルが付いていると興奮したものだ。それがベチャモートル、略してベモと呼ばれて現役。俺は婆さんの膝に乗ったような錯覚に陥る。
 大型バスは空いていれば暴力スリにも働きやすい。ナイフを使うのはマニラ辺りの未開人で、最近サイコロジカル催眠法を導入する新手も表れた。技術革新はなにも近代工業だけではない。
 ミツビシミニバン(五人乗り)は製品がいいのか、宣伝かダンピングでか、この國あまねくコルトと呼ばれるバスに普及した。十人乗りに改造されるが人間工学は当然無視されて車内が低いから直立出来ず、ネアンデルタール人並みの強靭な背筋が要求され、満席になれば室内温度は軽く40度を越す。此処の人は窓があっても開けたがらない。風が(躰の中に)入ると万病の元になるという。オートバイ乗りは皮ジャンを背中を前にして着る。30度を越す気温での皮ジャンバーだ。

 四つ角には色々な職業の人達が勤労に励む。熱帯の人は怠け者という友達に見せてやりたい。新聞雑誌売り、煙草飴等百貨、タオルテイッシュ、水、富み籤、窓拭き、落花生、揚げ豆腐、牛の皮唐揚げ、季節の果物、月変わりもあって地図、玩具、暦、救命薬品、どうみても朝からは売れそうもない絵画、馬像や戸棚まで担ぐ熱心さ。乞食も歌付き、乳飲み子付き、レプラ、盲(いや目の不自由な人)びっこ(いや足の不自由な人)孤児らしくした子供など様々。
 俺は一度豪雨のなか、名門ジャカルタゴルフコース(1928年開場)横の公道を飛ばしていたら、路肩から生首が列をなして並んでいるではないか。首から長い腕が伸びている。ギョッとなって見詰めると、それは側溝に身体を沈めて首だけだした乞食集団だった。厳しい労働だ。しかし轟音で通過する自動車から果たして喜捨が得られるのか。身体の不自由な人には、決められた場所まで配達する商売とか、哀れみ効果の大きい泣く子はレンタル料が高いという。


 運転手を使う人が多いのは、まだ車が財産で下駄ではない証しだが、運ちゃん(プロ)を使いたいと思う交通道徳がそこにある。
 右折ランプは右に曲がる、消し忘れ、なんとなくはいいほうで、左折するのに出す人がいるから、事前に相手心理を洞察する能力が必要だし、右折車はどんどん左にはみ出し、挙げ句に直進車を塞ぐ。お祭りのようにクラクソンが鳴り響く。
 「やい、ぼけ茄子、ラッパ鳴らして動くんなら、ガソリン要らんだろうが」
 と若き日の脅しより、俺も一緒になって目一杯鳴らせば不思議と騒さくなくなる。
 前の車から茶色の腕が出る。曲がるのでもなければ停まるのでもない。追い抜きして呉れか、抜いてはいけないのか、女を指したのか、煙草の灰を落とすのか腕を冷やしているのか解らない。
 センターラインの白線の意味は何なのか、対向車線が空いていれば、ぐいぐい右車線を突っ走る。対向車は急ブレーキで難を避ける。多数の選択が勝つ。みんなで走れば恐くない。

 事務所に行く往復には必ず数台の故障車に出くわす。押し屋がさっと現われる。
<4>

 遥か彼方からそれを察知しないと動けなくなる。直進車は絶対に速度を落とさない。ブレーキを踏めば停まると思っている。車間距離をあければ、バイクが蝿のように割り込んでくるから前の車とはストリップストリームでびったりくっついて走る。
 追突する?下手だからだし、運が無かったと諦める事。バイクが真横になって割り込まれるより精神衛生上よい。
 信号機があるが故障が多いし、取り付け位置がまちまちだから、交差点にさしかかったらまず信号機を探す。道路の左横、右、中央、上、下の方、反対側の同位置、それは故障しているか、いないか。まったく横を向いているのもあるし、他の案内図や樹木で隠れていても、隠れているお巡りに捕まったら俺の不注意になる。
 罰金以外に色々の決め方がある。それを俺に言わすな。
 壊れているのは許せる。赤信号が点いたままのもある。忠実に停止していれば間抜けだ。状況を把握し適切な処置が要求される。やや長い赤なら、左右を見て巡査を確かめ各自の判断で発進。黄色信号は一旦停止、左右の安全を確認して注意して進め、じゃあない。速やかに加速して渡り切れだ。相手もそうだから交差点の真ん中でカウンターステアを当てるハイテクニック。
 前方が詰まっていても緑なら前進あるのみ。交差点を空けようなどと仏心を起こそうものなら後ろから一斉に警笛暴力が響く。そしてミシンで縫ったように動きがとれなくなる。運悪く赤に変わって急ブレーキ、停止線(剥げていて見えない)を一センチでも越えようものなら格好いい巡査が何処からともなく表れ、
 「こんにちわ、免許証を拝見」。
 職務以外に個人的苦悩のないのを祈るが、どのお巡りも娘の入学とか、母親が病気とかの相談事があるものだ。驚くべき親切心から「代わって罰金を払ってきてやろう、外人には裁判所はきついで」と忠告してくれる巡査様もいる。

 人は車に優先するから、気が向いた場所で渡っていい。手を下でひらひらさせるのが合図らしいが、車はすぐには止まれない。渡り始めて忘れ物に気づき、瞬間に逆戻りする人もいる。横断しようとする意志があればまだいい。大通りの真ん中で、ご婦人達が立ち止まり、安売り情報の交換討論をしている姿もしょっちゅうだ。野良犬の方がよほど道徳を守る。車線のセンターを自家用荷車や自転車が悠々と使っている、しかも対向して。それが突然進路を変更する。

 南京虫みたいなバジャイ三輪タクシーの転回は瞬時で、ボクサー並みの予測と反射神経と視力が要る。

 歩行者道路がある道も多い。なにせジャカルタは国際都市だから。
 しかし歩道は人の歩くところではない。落ちたら助かりそうもない下水穴がぼっかりあいていたり、それに落とすような位置に鉄杭とか段差が至る所に待ち構える。
 ジャカルタ銀座と自慢するブロックMショッピング街でこのしまつだ。
 平らな処はとっくの昔に屋台が占拠して営業している。その一米ちょっとの空間が、親子三人の愛の巣でもあるから、歩行者は車道を歩かざるを得ない。でも歩行者優先より人命尊重だから、交通巡査は生きる権利を認めて黙認している。
 車道に出ないのは巡査だけだ。道の隅の絶対安全な場所に陣取り、とにかく笛を吹く。肺活量があり、止まるところを知らず吹きに吹くから、こっちは慢性になって進めの合図か停まれの合図か、危険信号か、幸せを呼ぶ笛なのか全く解らない。
 一度、巡査のマニュアルに何かの決めがあるのか聞いてみたい。あれだけの労働を強いられるのなら、少しはお小遣い稼ぎもしたくなるだろうから。
 それでいてこの街には速度制限などないグリーンベルト付き時速百キロのペーブメントの外は、擦れ違いも苦しい農道の二種類しかないから、曲がる場所を失えば、町を半周する程の一方交通を強いられる。侵入路は一般通行人、物売り、乞食、屋台、一人乗せバイクタクシーが角に屯ろする。故障車もままいるから、時間通りには目的地には行き着けない。悠久の大河に似た忍耐心と克己心で運転する。


 万一ぶつけられてもそれは貴方が悪いからだ。なぜってあんたは金持ちだから。
 どちらがミスしたかではなく、どちらが金がありそうかで決まる。瞬間に左右を見て巡査がいなければ安心する。いれば損害は修理代だけでは済まない。事故はアルラー の神の御意志、口論している人を見た事がない。

 赤い色のミニバス<5> は満身創痍のボデイを誇らしげに曝して、撃墜王の印にしている。仲間意識が強く、こすられたとクレームを付けたら、後ろから来たもう一台に押されて歩道に押し付けられた恐怖を聞いた事があるから、俺は「赤」が来ると成るべく離れるよう心掛けている。彼等は歩合制で一日の上納金が決まっているから、先行車の前へ前へ出ない事には客を拾えないから必死だ。不急不用の車は遠慮すべきだ。
 不和雷同が最も恐ろしく、普段おとなしい此処の男の持病とも謂われている。
 何かあるとあっという間にもう黒山の人だかりがして、当事者でない男たちの評定が始まり、当事者は蚊帳の外になる。
 それじゃあ地獄のような交通戦争かというと、そうでもない。
 路上に車を止めて、「野郎、何処見て走ってるんだ!」などと、昔の俺みたいな下品な喧嘩をしている人など、ついぞ見掛けない。
 確かに街道筋は対向一車線で、擦れ違いは度胸だけで突進する者の勝ちだが、向こうから来る車の運ちゃんが気狂いかはその時点では解らない。なかにはふたつのヘッドライトを倹約して、一個しか付けない大型トラックもいる。バイクと思うと、暗闇からにゅうっとでかい塊りが現われて肝を潰す。

 この國の名誉の為に付け加えるなら、航空旅客運送延べ時間当たりの事故率は世界最低だという。心身症パイロットなどはいない。
 誉められて良い道徳もある。それはほとんど路上駐車がないのだ。世界の都市の景観とはそこだけが違う。
 聞いたら路上駐車をするような金持ちはまだいないという答えだった。路肩に放置したら、解体されて持ち去られてしまうから。
 俺も一度は酔っ払ってドアを開けたら、もうお客さんが中で仕事をしていた。お互いびっくりしたが、落ち着くとカセットデッキがダッシュボードから垂れ下がっていたのが一回。
 レストランで飯を喰い、ぼられたので、帰りしな急発進したら、
 「ギャッ」
 と叫びが起って、ホイールキャップを盗ろうとしていた青年を巻き込んでしまった。
 骨折しなかったが治療費は俺が払わされた。俺が金持ちと認定されたから。

 やはり外人はおとなしく、後ろの席にふんぞり返って、運ちゃんの行きたいように連れていって貰うのが相応というものだ。

 そこで俺は原点に帰って考えたのだが、ゴム輪の車輪が付いた車は、本来自由に行きたい処に行けるからこうも普及したのだ。
 車線規制だ、速度制限だの、追越し禁止だとか転回禁止などを強制するなら、初めっから軌道電車に乗ればいい。
 規制なぞ全部無くして、危険と事故は自分持ち、運と度胸の交通政策こそ望まれる。
 怖ければ乗らないだろうし、乗りたければ屈強なドライバーを雇えばいいし、にっちもさっちも行かない混乱になれば、高い自動車に投資する人もいなくなり、適正規模での運用に戻るし公害もなくなる。それに一番近い実験をしている節があるのが、ジャカルタの交通だと俺は信ぜざるを得ない。

第4話 終
【Up主の註】
<1> ジャカルタの地下鉄はコタ駅から南のルバックブルスまで2019年に開業予定。都心部の交通機関として建設途上で中止されたLRTも工事中
<2> 2016年4月から鉄道車両のほとんどが冷房になったのに伴い、屋根に乗る人がいなくなった。
<3> PPD(ジャカルタ交通局)のダブルデッカーバスは2000年前後に廃止された。
<4> 2000年代後半から所得向上に伴って新車が増えたため故障車が激減した。押屋も失職した。
<5> 「赤い色のバス」とはこのメトロミニのこと。このバスは個人企業の集まりであり、大きなバス会社は運営してないようだ。
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作成 2018/08/30

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